第4話  ぽんぽん兄

視点・妹。

 お兄ちゃんのバンドの曲はcasual guitarっていうフリーソフトで作っていて、クラウドでみんなが共有している。

 なんでそんなことを知っているかっていうと、デジタル音痴のお兄ちゃんに頼まれて、googleアカウント作成から曲のダウンロードに至るまで、ほとんどわたしがやったからだ。


 casual guitarの使い方は辛うじで覚えたお兄ちゃんだったけど、web上での手続きは何かと怖いらしく、未だにわたしがやってあげている。

 だからクラウドに上がっている曲なら、わたしは全部知っている。

 知っているだけじゃない。お気に入りになった曲はこっそりMP3に変換してスマホに入れてある。『歌ってみた』の曲を練習しにカラオケに行ったとき、端末を繋いで歌ってみたこともある。


 たまにお兄ちゃんが鼻歌で歌っているのに乗ってあげると、喜んでくれるから。

今日やる五曲は、全部そうやって練習したことのある曲だった。

 皆さんご存知の通り、わたしは大バカ野郎の妹だ。何が『悪い人に声を掛けられるかもしれない』だ。『何がライブ痴漢に合うかも知れない』だ。


 こんなバカな妹を相手にしてくれるのなんて、お兄ちゃん以外にいるわけないじゃないか。

 バカだけど、自分でやらかしたことくらいは、穴埋めがしたい。

 こんなに良くしてくれるお兄ちゃんのために、できることをしたい。

 だから、わたしは──。





視点・兄。

 ボーカルを妹に挿げ替えた僕らのライブは、恙なく終わった。

 いや、どころか成功したっていってもいいくらいだ。

 リハーサルの時間二十分間と、それからライブが始まるまでの二時間程度練習しただけで、なんと妹は五曲のオリジナル曲を歌いあげてしまったのだ。


 まあ、ちょいちょい歌詞を飛ばしたり音程を外したりすることはあったし、歌詞は見ながらだったけど、十二歳の女の子が初めてのステージで最初から最後まで歌い上げるっていうだけで凄いことだ。

 っていうのは僕の判官びいきが働いた感想だとしても、歌そのものもメリハリがはっきりしていて、音程の取り方とかも上手だったものだから、お客さんからも好評。


 僕らの曲が女声バージョンで聞けて良かったって満足して貰えた。

 気を遣って言ったのではないと思う。お金を払って聞きに来ている人の耳っていうのは結構シビアだ。それでも気を遣ってくれる人もいるけど、そういう人は顔で分かる。

 それに、バンドメンバーからも悪くないという声を頂いた。


 あの人たちは絶対に音楽関係で甘いことはいわない。大塚くんなんて、ライブ中に『お兄さん、妹ちゃんをバンドに下さい』なんて言って、お客さんの笑いを誘っていたくらいだ。

 タバスコジュースの一件も、すぐに笑い話にできそうだった。

妹がする頭一個分くらい変なことは、たまにいいことっていうのもあるらしい。


 ただ、その立役者の妹だけはなぜか終始テンションが低かった。

ライブが終わった直後、四方八方から勝算の声を浴びせられたっていうのに、地獄みたいな顔をして薄い反応しか返せていなかった。

 初めてのライブで疲れたっていうのもあるだろうけど、精神状態のほうがへこんでいるみたいだ。


 妹がそんな調子だったものだから、僕は打ち上げに参加せずに早々に帰宅した。帰りのBlue toothもほぼほぼ無言。帰宅後も逃げるように自分の部屋に引き籠ってしまった。

 ……気にしてんだろうなあ、タバスコジュースのこと。

 これかだから豆腐メンタルは。

 こういう時にお兄ちゃんとして何をすべきだろう。


 そもそもなぜあんな危険なブツを用意したんだろう? 

まあ、そこはまともな回答が返ってくるとは思えないけど、どういうつもりであんな大事に繋がってしまったのだから、やっぱり叱るべきなんだろうか。


 ……いや本人が充分すぎるくらい反省しているのだから、そこは免除していいか。別に怒ってもないし。

 そのことについては軽く触れるくらいで、あとは今日の成功を労って、祝って、うんと褒めてあげよう。


「はみゆちゃーん、入るよー」


 コンビニスイーツと紅茶を持って、僕は妹の部屋に入った。






視点・妹。

 ボーカルをわたしに挿げ替えたライブは、失敗に終わった。

 いや、大失敗したって言ってもいいくらいだ。

 歌詞を四回飛ばした。歌い出しが二回遅れた。音程を五回外した。

『歌ってみた』で投下したら、まあまあシビアなコメントを頂くであろう仕上がりになってしまった。


 周りの人は褒めてくれたけど、それをそのままの言葉として信じられるほど、わたしは楽天家ではない。

 わたしはお兄ちゃんの──あのパリピでイケメンで『いいね!』の申し子の妹で、十二歳の女子児童なのだ。

 みんな大人としての共通言語を喋っただけに過ぎない。


 バカな妄想で作ったバカなジュースでボーカルの喉を潰し、出しゃばって登板──何を血迷ったのか──したステージでバンドの品格を潰し、お兄ちゃんの顔を潰してしまった。

 ……あ、ダメだ、これ。マジでダメなやつだ。頭の中が流動的な悪口でいっぱいになって、喉の奥に絶対に吐きだせない気持ち悪いものが滞留している感じ。


 一定の時間が経てば両方麻痺して何も考えられなくなるけど、また一定の時間が経てば同じ感覚に苛まされる。

 ……こういう時、きっと誰かに怒って貰えれば楽なのだろう。けれどあのお兄ちゃんは、絶対にそんなことをしてはくれない。どころか、頑張ったね、とか、しょうがないよ、とかの優しい言葉でわたしを慰めてくれるに違いなかった。


 もちろんそれも本気で思ってくれているのだろうけど、半面で全く違う本音も抱いていることが、わたしには分かる。

 バカだバカだとは思っていたけど、ここまでバカだとは思わなかった。

 やっぱり連れて行くんじゃなかった。

 僕のほうもバカだった。


 間違ってもわたしに言うことはない。

 誰かに言うこともない。

 悪口や悪意としてではなくて、ただの感想として抽出された本音。

 そんなことを、きっとお兄ちゃんは思っている。


 それが表象化することはまずない。きっと明日の朝にでも会えば、けろりといつも通りの柔和な笑顔で迎えてくれるに決まっていたし、今後も態度に出すことなんてないだろう。

 だけど、お兄ちゃんの中でのわたしの評価が、何段階か下がったことは確かだ。

 それが関係の薄い人だったら別に気にすることはない。そっちにだって問題があるとか適当な言い訳や悪態を吐けばそれでおしまい。


 だけど今回評価を落とした相手はお兄ちゃんなのだ。妹だからってこんな喪女を気にかけてくれる、優しい人なのだ。

 そんな人を呆れさせてしまったのが、ただ悲しい。

 ……虎○穴は辞退しよう。きっとお兄ちゃんは何も言わなくたって予定を組んでくれるに違いなかったけど、さすがにそこまでわたしの面の皮は厚くない。

 なんて思いながら布団にくるめていた上体を動かして、スマホを取ろうとした所で、


「はみゆちゃーん。入るよー」


 いいねの申し子が、わたしの部屋に足を踏み入れてきた。





視点・兄。

 僕が部屋に入った時、妹は真っ暗な空間のベッド上でびくりと跳ねた。へこみかたと狼狽の仕方が分かり易い子だ。


「いきなりごめんね。プリンとアイス買って来たんだけど、どっちがいーい?」


 部屋の電気をつけながらパソコンデスクに持参品を置く。それからベッドの前にあぐらをかいた。不意打ちみたいで申し訳なかったけど、いちいち入室の許可とか取っていたらここまで持ち込むのに時間がかかるだろうし、変に構えられちゃったりするだろうからね。

 妹はといえば、のそのそとベッドから降りると、僕の間で姿勢よく正座をして、


「……ごめんなさい」


 つむじどころか後頭部を見せる勢いで頭を下げた。既に構えられてはいたみたいだ。


「何が?」


 苦笑しながら聞くと、難しい顔で考え込んでしまった。しまった。『謝られるようなことはされていないよ』って意味でいったのだけど『何が悪いかちゃんと分かっている?』みたいなニュアンスで解釈されてしまったのかも知れない。

 何か言葉を付け足すべきかと思った時、妹は伏し目がちにいった。


「……バカで」


 ……一番返しにくいヤツ来た。

 だってこの妹ったら、本当にちょっとおバカなんだもん。

 いや、頭そのものは悪くない。むしろいい。

 デジタル弱者の僕や父母のスマホを一元管理してくれているし、曲とかを覚えるのも早い。学校でのお勉強だって得意だ。


 ただ、発想のほうが独特というか妄想に毒されがちというか……せっかくのかしこな頭なのに、使い方が残念なんだよね。

 もちろん、人の気持ちが考えられないとか、迷惑を顧みないとかの悪い残念さじゃない。結果的にそうなることはあるけど──むしろ多いけど──、それを狙ってやっているわけじゃないのだ。

 だからこんなふうに、豆腐メンタルをぐしゃぐしゃにするくらいへこんでいる。


 さて、どういうふうに返そうかな。

 口先だけで否定するのはあまりに安易だ。妹はおバカな自分を重々知悉しているのだから、安い慰めにしかならないだろう。

 かといって、同じようなことを繰り返さないように忠言するのもどうだろうか。

それも自分で分かっているだろうし、まずもってボーカル潰しのジュースを作るような機会が再来するとも思えない。


 ……なんて、難しく考えるのはやめよう。

 妹がちょっとおバカなことくらい、昔から分かり切っていたじゃないか。

たまにする頭一個分くらい変なことに巻き込まれたのなんて、今回が初めてじゃないじゃないか。

 そんなおバカな子だったし、これからもそうなのだろうけど、僕はそんな妹のことを、


「バカでも好きだよ」

「…………っ!」


 弾かれたみたいに僕を見てから、恥ずかしそうに目線を右往左往させて、また困ったように下を向く。

なんとも複雑な感情表現の推移を見せた十面相は、だけど最終的に、


「……ひぅ……ぅ……」


 大きな涙を零して、泣き始めた。

 やっちまったかな、って一瞬だけ思ったけど、責められたり苛められた時の泣きかたとは違う。そういう時の妹はブスな顔をして泣く。


「……えう……ぐしゅ……ふぇ……」


 だけど嬉しかったり安心をした時には、なりふり構わず、もっとブスな顔をして泣くんだ。

 今の妹はせっかくのメイクが台無しになるくらい、盛大にブスな顔をして泣いていた。

 苦笑しながらお尻をずって妹の目の前まで行くと、小さい頭に手を置いた。そうしたらおでこを僕の胸にくっつけてきたので、反対の手で背中をぽんぽんしてあげる。

 腕の中にすっぽり収納された妹が泣き止むまで、僕は何も言わずにそうしていた。

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