執事長は休みたい〜最年少の執事長の俺に休日の二文字は無い〜

ぷろっ⑨

第1話 開幕

俺、セバス=オレルという人間は安定と休暇を夢見る若者だ。

12歳の頃に親元を離れて出稼ぎに大都市、インディダスへと行き、15歳の頃には

面倒事に巻き込まれるような事態にならないよう、偽名だけの証明証を20枚ほど

作って仕事を引き受けて、屋敷を購入。

あの頃はまだ、入ったばかりのバトラーギルドで下っ端として働いていた。

給料は幹部レベルになると1時間だけで一ヶ月は仕事しなくてもいいほど入る。

俺がまだ下っ端の頃でも5時間やれば同じ金額が稼げた。

仕事も大したこと無く、受付のロビーで電話が掛かってくるのを待つだけ。

それを数時間こなして、あっという間に休日で、長期休暇に入れば旅行に行って。

楽しく、そしてとてもイージな日々だった。



16歳の頃までは。



「執事長〜、会食のお誘いがエレヴァンギルドから来てます」

「こっちは『赤の聖救団』から出動要請が出てますよ」

2年前までは全く鳴らなかった筈の電話の音が、今日も朝からリンリンとやかましくロビー内に響き渡る。

黒い執事服と肌に吸い付くように薄い、白い手袋。

皆、同じ格好をして近くで駄弁っていたり、近頃オープンしたスイーツ専門店の

期間限定ドリンクを美味しそうに飲む者がいる中。


「…副長、第二団はその2件に返しておいてくれ、執事長〝は〟忙しいって…」


ただ1人、受付の電話に囲まれた哀れな最上職ていへんしょく、執事長の俺はその場で天井を見上げたまま軽く壊れた様な笑い声を上げたのだった。




_____________________________________


大都市、インディダス。

多くの商会や企業が手を組み、実力のある者を筆頭に潰し合う激戦都市。

国を越えてきたサムライと言われる剣士を代表にしたり、はたまた聖職者達が

布教の目的を持って、それぞれがギルドを成立させ、争う。

弱い者は淘汰され、強い者は踏み潰した土台を糧に、さらなる高みを目指す。

綺麗事の貼り付けられた表側を、汚い裏側ができるだけ明るみに出ぬように

必死に隠している。


そんなギルドだが、そんな争いに介入しないギルドも存在する。


それが、『セカンドカテゴリー』

物資の配達や、街の清掃、企業のバイト、家事代行。

主に前線に立つこと無く安全な業務をこなすメイドギルド。

企業の戦闘代行、戦闘後の後片付け、そして重要な犯罪者の撲滅。

たまに前線に立ち、気分が向けば受注できるバトラーギルド。

どちらも同じ立ち位置で、簡単な仕事と高い給料。人気があるのは勿論で

1年で募集をかければ、たちまち電話の嵐。

入れば人生が勝確となるセカンドカテゴリーは、メインのギルド同士が争い合う

中、着実に勢力を伸ばしていっており、基本的には争いごとや事件が無い限りは

出動せずとも金の出る、簡単な仕事なのだ。



ただし、トップの執事長を除いての話だが……。



大都市インディダス中央区、ベルゼン第3番街

インディダス古来の伝承にまつわる龍の銅像を囲むようにして建てられている

白塗りの壁と黒い屋根の巨大な建物。

それは、多くの人々の助けに、支えになるようにと造られたメイドギルドと

バトラーギルドは特に騒がしい様子も無く、大きな依頼が舞い込むまでは

出番のない、なんてやる気の無い仕事なんだろう。


「そう思ってた時期が、俺にもありましたァァァァ!!!」

バンと招待状と抗争中のカンパニーの依頼書の海が広がる机の上に大きく拳を叩きつけ、1人ギルドの受付口でセバスは叫んだ。

「はいはい、また帰れなくなりますよ、執事長」

近くで請求書の整理をしていた補佐役の少年、グレーテが、はぁと

溜め息をついて軽くなだめる。

「…明日の昼食はバンバン堂のカツサンド…」

「全く…しっかりしてくれないと、ギルド全体の作業に支障が出ますよ」

「そういえばメイヴィの授業参観いつだったっけ…」

グレーテの言葉など聞こえていないかのように、壊れたおもちゃと化した彼は

18歳の若さにして『執事組合』通称、バトラーギルドの最高責任者へと成った

最年少の出世頭、セバス=オレル。

2年前の結婚ブームがギルド内で起き、先輩が続々と辞めていき、結果的に

稼ぎどきだと張り切って働いていた16歳の頃のセバスが優秀な成績を

残していたため、本人も予想しない形で、労働を強制的に強いられる、組織のトップ

になってしまったのである。

ギルドマスターになった日から今までの業務量とは比にならない程の依頼が舞い込ん

できたり、組員総計87人の給料や、インディダスで巻き起こる企業や教会の抗争に

一般人が巻き込まれないように派遣する組員のデータや戦闘経歴の参照。

それらを毎日、13時間ただひたすらに続ける。

家に帰れると思えば、インディダスの定例会議の打ち合わせを4時間やらねばならない。その結果、1日の労働時間は17時間。家までは20分程度だが、それで終わりではない。



残酷なほどまでに長い業務を捌き続けて数時間_。

午後20時、セバスは自分以外が帰ったギルド内で静かに冷めきったコーヒーを

一気に飲み干し、机の上に広げた企業からの依頼書をいきなり破りはじめた。

「…依頼主、サノウ=キルマン。コイツ指名手配じゃねーか」

破り捨てた依頼書の依頼者に、見覚えがあった。

「少女誘拐、暴行、監禁。クリオネライトカンパニー社の依頼で

捜査を進めてたあの件のねぇ…これだからやってらんないよな、執事長」

愚痴をこぼしながら立ち上がると、ロビーの壁全体に何枚も貼り付けられている

『自由参加依頼受注書』と書かれた紙を1枚剥がした。

「警備報告が正しければ…今は刀国屋とうごくやとクロッコムカンパニーの

権限剥奪試合けんげんはくだつじあい〟の最中、サノウはクロッコム側で雇われ形式での参戦。

権利奪取けんりだっしゅ側は刀国屋…コッチの依頼主は金持ちだし、どうにかなるな」

受付口に設置された組員様ロッカーから、黒い手袋と、フチが金色でコーティングされた片眼鏡を取り出し、業務机の引き出しから、昼に食べかけたまま放置していた

チョコワッフルと、赤いインクのサインペンをさっと引き抜き、ロビーの玄関へと走っていった。

「あんまり悪いことしないでくれよ、業務が長引くからさ…」

最後の1人が出ていったギルド内を、天井に吊るされたランタンがゆらゆらと

揺れ、ほんのりと明るい光が照らしているのだった。


_____________________________________


インディダス、ベルゼン第5番街。

企業、教会、テロリスト。境遇も信念も願いも違う者たちが、それぞれが望むものを手に入れるために争い合う戦場となる、では、今日も略奪と生存の意思が、ただ力を交えることによって、ぶつかり合う。

「『カーテンロッド』鎧亜線がいあせん!」

石と瓦礫で埋もれた街の中、細かい亀裂がピキピキと音を立てて広がっていく。

「相手はサムライもどき…近接以外で叩くまでだ。カルン、状況は?」

カルンと呼ばれる銀髪の少女が、体格とは似合わない2メートルはあるであろう

ガトリングガンを連射しながら返す。

「後12発撃ったら、少なくとも1人は殺せそうだね」

長い黒髪のポニーテールと、半開きの混じり気のない純粋な黒の目、

背中には刃先が60センチ以上あるであろう鎌を平気で背負っているのは、

クロッコムカンパニーの雇われ戦闘員、サノウ=キルマン。

個の実力はもちろん、統率力にも優れた、戦場で欠かせない役割をほぼ全てを

担える超人的な力を見せる21歳の職業、芸術家である。


「サムライの戦術など、近接戦に持ち込ませなければ致命的な攻撃は

受けない。広範囲で確実に致命傷を与えられるカルンとビノ。

お前らの連携だけで事足りる」

「了解、リーダー。ってことは今回も出る幕、無いんじゃないの?」

堂々と崩壊を続ける街の道を2人並んで歩いく。どちらも友情こそないものの、

ただ経験上、信頼できる者としての、ビジネスパートナーとしての友好関係にあるという証明としての距離をもって接する。

カルンは持ち武器であるガトリングガンを引きずり、口笛を吹いてキョロキョロと

周りを見回す。街の中央の交差点は、周りを囲む建物がところどころ崩壊しており、

微かな振動で元々割れていた窓ガラスの破片が地面に落ちてしまうこともよくある。

「そういえばさ、リーダーってこの仕事でクロッコムと契約終わりじゃなかった?」

ふと思い出したように、カルンが聞いた。

「そうだな…私は貯めれるだけ貯めて使っていない金は山ほどある。

歳もまだ21だが…やりたいことができるまでは隠居するよ」

「リーダーらしいや、また街中で出会ったら酒でも奢ってよ」

フッと少し楽しそうな表情を浮かべたサノウは、カルンの背中を軽く叩く。

(少しずつ順調に、刀国屋の戦力と体制は削れてきている。後は彼…ビノ

の合図が来るのを待つだけ____。)

交差点を抜け、倒壊した2つの時計台が封鎖する一本道。

唯一、障害物が幾層にも重なって出来たバリケードだが、だからこそ、

目標をおびき出すための手段として逆手に取る事ができる。

「ちょっと〜連絡遅いよ、ビノ」

カルン達の視線の先には、血で染めたかのような、雑にメッシュが入れられた

髪の毛をだらんと垂らす小柄な男、ビノが立っていた。

ピクリとも動かない、和服に身を包んだ男を踏み台にして。

「あ゙?あぁ…お前らか。わㇼわㇼい、ちと手こずっててさぁ。俺と全員相性が良いからって、まとめて掛かってくるかって話をコイツにしてたんだよぉ」

「え?でもアンタ、〈剣術〉も〈魔術〉も使えたよね?」

ビノは2人に気づくと、足元に転がっていた男を担ぎ、軽く頭を下げた。

「一応合図は送ったんだけどさァ、向こうのサイドには〈奇術〉を使う

変わりモンがいたんでなァ。俺の魔術が掻き消されてたってワケだ」

ビノはサムライと同じく、刀を使って戦う近接型でもあり、〈魔術〉も使える

近接と遠距離型の二段構えの雇われ戦闘員。そのため、各企業からは引っ張りだこ

状態なのだが、基本的にはサノウがいない限りは動かないという信念のある変人。

しかし、優秀と言われる者にも弱点はある。それは、この世界で生物が生まれ持つ

『生術』の違いによって生まれるモノ。


人間にはそれぞれ生まれた時に〈術〉を体に刻み込まれる。

〈剣術〉〈魔術〉〈奇術〉〈護術〉〈創術〉の5つのいずれかが、必ず付与されており、

極稀にだが、そんな生術を複数持って生まれてくる者もおり、戦いの場では

最も重要な役割を果たしていると言っても過言ではないだろう。

しかし、生術にはそれぞれ相性によって効果が違ってくる。

例えば、物理的な攻撃を仕掛ける〈剣術〉において、詠唱に時間のかかり、尚且つ

隙が多くなる〈魔術〉へは致命的なダメージを与えることができる。

また、物理的な攻撃を跳ね返したり、吸収したりする〈奇術〉は、〈剣術〉や

〈魔術〉に強いものの、逆にことわりをも捻じ曲げる〈創術〉を使われてしまうと、

その瞬間に勝ち筋が途絶えると言っていいほど、分が悪くなる。

だからこそ、使用者のセンスや、努力よって磨きの掛けられた生術というものは、ときに相性など関係なく、強者を圧倒するまでに成長する。



「残りの2人の生術は掴めたか?」

顔色1つ変えず、ビノに話しかける。

ビノは担いでいた男の腰から刀を素早く抜き取り、サノウに投げた。

「説明がしにくいんだがよォ、その刀の鍔の模様がそうじゃねえのか」

男の刀の鍔は正三角形の中に、文字のようなものが刻まれていた。

一角には〈刃〉〈奇〉、一角には〈護〉、そして〈創〉。

「俺の推測だとコイツを仲間が取り返しに来ねぇのはコイツがチームの要

ってところだな。3対1でやり合ッた後なら消耗が激しい俺に2個持ちが

ブチ当たりゃあ良いだろ、でも来ねぇってのはナンセンスすぎだろ?」

「なるほど…じゃあ私がビノと〈護〉、リーダーが〈創〉でいこう!」


クロッコムカンパニーは、雇われの戦闘員を基盤にして、今まで敗けた試合は

一度もなかった。それは、彼らの鋭い観察眼と莫大な金額での雇用。

そして何より、人間同士の相性を見極めることに関しては代表取締役である、

ムクロ=デイリーの得意分野でもあった。


「じゃあ、3人で追い詰めつつ、万全の『カーテンロッド』を使って

逃げ道となるエリアを作って誘導。私とビノで叩く、それで良い?」


____いつの間にか現れては消える異変とは、この数万年で1度も

その発生の瞬間を目撃することは無い。

大都市と呼ばれる街の集まりも、そこに住む人々の伝承や知識が無ければ

同じ様な場所がいくつも発見されていたであろう。


「OK、それじゃあビノ、行こっか」


異変は、〈他者の日常を踏みにじるため〉に生まれる。



カルンがビノに手招きをした、コンマ数秒。

突如戦場に現れた異様な気配をサノウは見落とさなかった。


「全員かがめ_!!!!」

__刹那、支え合っていた時計台が燃え上がった。

同時に、サノウ達の頭の上を、赤い閃光が走る。

(情報に誤りが…?いや、2個持ちならば誰か1人を集中的に攻撃する筈…

ということは____)


伏せたままの2人の肩を叩き、純銀の拳銃を取り出す。

「ビノ、カルン!乱入者だ!」

サノウが言うのと同時に、二人も武器を構え、戦闘態勢へと切り替えた。

「固まったら一発で即死…問題は相手の生術の個数と種類…」

「リーダー、さっきの光、ありゃ間違いなく武器。魔法は瞬時に消えるタイプ、

無駄打ちはそうそうしねぇ。奇術であの範囲の攻撃ならタイムラグが生じる筈だぜ」

ビノは刀を鞘から抜き、不安定な足元の瓦礫に突き刺す。

「…ビノ、この際仕方ないわ。剣術最大出力でお願い」

サノウが合図したのを見て、カルンは慌てたようにサノウの背中へと逃げ込む。

本当にやるのかという不安な顔をしてみるカルンだったが、ビノが刀を握り直した

のを見ると、諦めたのか、武器のガトリングガンを体の前で盾のように構えた。

「『晃王』護幸__。始めて、ビノ」




ビノが刀を引き抜く、たった一瞬。1秒にも満たない、隙など無いはずのその一瞬。


「〈執事流しつじりゅう絹莢きぬさや/三軸さんじく

この戦場地区では見ない、執事服を着た男が、ビノの頭の上にフッと突然現れた。

サノウが彼に気づいたときには既に、ビノの肩に触れており、抜いたはずの刀は

足元でガチャンと金属音を立てて隠れていたカルンのもとへと転がっていく。

当のビノは口の端から一滴の血を流したと思うと、その場で倒れた。

「危ない危ない、複数持ちは案外隙が生まれやすいがコイツは特例だな。

所持した能力がデメリットを帳消しに出来る反応タイプとはね…まぁ、

そりゃ大物指名手配犯とも____」

そんな落ち着いた口調で話し始めた男の頬を、一発の弾丸が通り過ぎる。

怒りと困惑の混じった黒い瞳が、彼を覗いていた。

「どこの人間かは知らんが__私達は今、企業同士の権限を掛けて戦闘をしている

途中なんだ。先程の奇襲といい、私が手を下さずともお前がどうなるかなど_」

「バトラーギルドへと依頼書の発行を要請したサノウ=キルマン様。

数ヶ月前、クリオネライトカンパニー社の犯罪経歴が世間的に晒されるの同時に

起きた、社長の娘である少女を誘拐、監禁、及び暴行の容疑で、始末させていただきます」

男はそう言い、足元に転がっていた瓦礫を掴み、サノウへと投げつけた。

異常事態が起きていると察したカルンは建物の陰から、サノウに瓦礫が直撃する寸前に、全て撃ち落としていく。

男はカルンの存在に気づくと、その場から姿を現したときのように音もなく消える。

しかし、カルンは焦った様な素振りを見せず、ガトリングガンを持ったまま、

その場で立ち尽くし、口を開いた。

「ねぇ、執事さん?かな。キミはさ、クリオネライトカンパニーの娘がどうして

生きていたか不思議に思わないの?」

しんと静まり返る街の空を見上げながら怒気を含んだ声で、彼女は続ける。

「リーダーがさ…何で指名手配されてんのか考えたこと無かったのかよ…

カンパニーの連中の汚い欲のせいで生まれた命を…自分の身の安全のために

利用された子を引き取ったのも、リーダーが望んだことじゃないんだよ…」

サノウは血が出るほど食い込むまで握ったカルンへと歩み寄る。

「…良いの、カルン貴方が傷つくこと」

「私の無くなった居場所を……一緒に探してくれた人を悪人扱いしてんじゃ

ねぇよ、クソ野郎!!」

カルンは背後に向かって素早くガトリングガンを連射する。

陰から再び現れた男は軽く避けていくが、カルンはそれを想定していたのか、

ガトリングを抱えたまま突っ込んでいく。

「カルン__!!」

「ビノォォ!!合わせて!!アンタなら殺せる!!」

カルンのガトリングを押し返そうとする男の背後に、気を失っていたはずのビノが

白目を剥きながら刀を構えていた。

(ビノ…?!駄目…!それだとカルン貴方が……!!)


「〈絶条たちすじ天喰斬あまぐいざん!!」

「〈カーテンロッド〉幕引禅線まくびきぜんせん!!!」

月明かりが照らす街の中、赤い血が舞い上がる。


「__連携は中々だけど…俺の部下がどうやら優秀らしい」

その血は執事長、セバス=オレルのものでは無く、優勢に見えた2人のものだった。

「ったく…今度は飲みに誘ってくださいよ、執事長」

「嫌だよ、ってか俺には面倒見ないといけないヤツが家に居るんでね_」


そんな2人を他所に、1人、たった今、冷静を失おうとしている者がいた。

「ビノ…カルン…あれ…コトハ…?」

サノウの目に映った数秒間の出来事。

突如姿を現した乱入者によって出された私への実質的な死刑宣告。

いかるカルン。立ち上がったビノ。そして、私。

その事実が、忘れていた過去の自分の哀しみから____


〚私は大丈夫だよ!だってサノねえちゃんが居てくれるから!〛


〚…ごめんなさい、サノ姉…わ…なた…すけ…なか…た〛


〚私はクリオネライトカンパニー社長、言乃葉ことのは。悪いけど、

出来損ないの妹は引き取りにきたわ〛



〚生きて。私のたった1人の、お姉ちゃん__〛



サノウ=キルマン。彼女が一生を呪うための原動力となった。




「さて、後はサノウ本にッ?!」

ビノとカルンが一時的に気を失っていることを確認した2人は、振り返ると

そこには黒い涙を流したサノウが銃を構えていた。

彼女が持つ〈魔術〉が込められた弾丸は、喰らえば致命傷は免れないほどの

強さを持つ。それ故に今まで誰もが恐怖し、1度も牢に入れられる事無く

生きてきた犯罪者達、〝無獄の証明〟と呼ばれる犯罪者の番付の様なものでは

不動の1位として有名だった。


そんな彼女だが、彼女本人すら知らない事実があった。

「…おいレリック、ここは俺が片付ける。先に帰っておいてくれ」

「…分かりました。たまには獄長にも、ちゃんと顔出ししておいてくださいね」


それは、彼女の持つ生術が、〈〉だったこと。




「〈零獄れいごく氷点発ひょうてんはつ


白い一本の光が、サノウから空に向かって放たれた。

それは高くなるに連れて、街全体を覆う様に球体へと変化していき、

やがて暗かった街は、目眩を引き起こすほど、真っ白な世界へと変化した。

セバスは建物を伝って辺りを見渡せる、倒壊した時計台の上へと移動する。

部下であるレリックにサノウと関わりのある人間と判断しにくいため、

1度連れ帰って牢に入れておくように伝え、サノウの能力で生まれた空間から

ギリギリで引き離すことができた。


(さて、問題はここから)


サノウを調べていく中で分かった事がある。

彼女は元々恵まれない幼少期を過ごし、そして10歳になる頃には

企業に雇われていたこと。クリオネライトカンパニーの1件を友人に

調べてもらったところ、彼女がでっちあげられた罪で指名手配されている可能性

が高いということ。本当ならば何も無い日に接触したかったが、ビノとカルンという

素性も能力も分からない仲間がいるという情報があったため、急遽3人全員を

逮捕という形で保護することになった。

「でもまさか…もう21時を越えていたとは…」


しかし、そんな問題よりも、セバスは気にしていることがあった。


そう、退社時間である。


「メイヴィとリュージュに今日は早く帰るって言ったのに…

いや、あいつらは22時が基本寝る時刻(らしい)…!つまりまだ間に合う!」

18歳で執事長になった彼は、その歳に相応しくないほどの業務量と企業との取引を

行ってきた。セバス=オレルという男は、この世で1人、ある才能を持っている。


「サノウには悪いが、少し眠っていてもらうとしようかな____」


その才能というのは、これまでに生まれなかった、〝生術を新たに編み出す才能〟



サノウは時計台の上にいるセバスの姿が目に入った。

「コロス…コロス…コロス」

虚ろな目から、黒い涙が頬からポトポトと垂れていく。

黒い涙は、やがて白く冷たい空間の地面を覆っていき、モノクロの世界を再現

しているようにも見えた。


その空間は、サノウの過去を映し出していた。



【寒い雪の中で捨てられた私は、どう生きれば良いのでしょう。】


【黒い空と白い地面が私を呑み込んでしまいます、終わりでしょう。】


【それでも、救けて欲しかったんです、哀れでしょう。】


セバスの耳へと、幼い少女のような声が聞こえてくる。

彼女が過ごした壮絶な過去の出発点への後悔と、償えないほどに、返せないほどに

背負ってしまった業と幸せを誰に話せば良いのだろうか。

私は何でこんな所にいるのかと。


後悔の念が増えていくごとに、空からはやがて、黒い雪が降り始めた。


はっとして辺りを見渡すと、そこには黒く、恐ろしく見えたはずの

彼女の姿は、見当たらなくなっていた。

「…お前は何で子供を救けたんだ?」

【私が、寂しかったか「…違うだろ」…え?】

時計台のふもとを覗き込んでみると、サノウは、大人びた1人の女性から、

雪の中で埋もれた幼い少女へと姿が変わっていたのだ。

おそらく、彼女自身が作り出したこの空間の作用といったところだろう。

セバスは、はぁと溜め息をつきながら、黒い雪の積もった地面へと飛び降り、

ゆっくりと雪の中へ沈んでいく少女を思い切り引き抜いた。

「俺はまだ20歳にはなってない、ただの執事長だ。一応引き取った妹達を

育てている立場から言わせてもらおう」

寒さに怯える少女の眼の前に、親指を包帯で巻かれた男の手が差し伸べられた。

男の下手に巻かれた包帯が、少女の瞳には宝物のように、輝いて見えた。


「愛おしかったんだろ。だから自分を保っていられたんだろ、サノウ。

お前が指名手配される前に、その女の子は、お前を恨んで離れていったのか?

違うだろ。お前を陥れようとして離れていったのか?大丈夫だ。お前は

やり直せないなんて事は無い」

サノウの弱っていた手が、今度は、望んでいた未来を見たい。その一心で、

セバスの手を掴んだ。



セバスの手に触れた瞬間、空間にゆっくりと亀裂が入り、

まだ暗い夜の街が顔を出す。

まばゆい光に照らされながら、彼女はセバスに尋ねた。

「…私は、どうなる」

セバス本人は、この件に関して深く首を突っ込むつもりはない。

しかし、依頼達成という形に落ち着かせたとして、3人の処遇というのは、こちらが

どうやって保護するかである。クリオネライトカンパニー本社からの依頼という事

でもあったがレリックからの連絡で、どうやら依頼の正式な中止が決まったらしい。


依頼が中止された場合、請け負っていたギルドの最高権力者に、その処遇は

決められる。

(ギルドに一時的に置いておく…?いや、それは何かトラブりそうだし…

メイドギルドに預けれるのは2人だけで…牢に入れるのも気が引けるしな…)

必死に考える中、セバスの胸ポケットから1枚の紙がはみ出ていた。

(…ん?なんだコレ、前から入ってたっけ?)

不思議に思い、4等分されたその紙を広げる。

紙の正体を知った彼は、少し焦った様な表情を浮かべ、冷や汗がダラダラと

こぼれ落ちてきた。そんな彼の目の中に、サノウの姿が映る。

セバスは、じーっとサノウを見つめた後、少し申し訳無い表情で言った。

「あの〜…御三方おさんかたって家事できたりします?」

「…え?」


_____________________________________



翌日、大都市インディダス中央区、ベルゼン第3番街にて__


今日も朝からけたたましく鳴り響く、電話のコール音に心を疲弊させながらも

業務に励むセバスの姿があった。

「あと1時間したら…昼飯…」

今日は不在のグレーテの変わりに、昨日の1件絡みでレリックとともに

急遽発表された、クリオネライトカンパニー社の一斉依頼中止の後始末をしていた。

だが、そのお陰で大幅に業務量が削減されたことで3週間は帰れないと思われていた

のに、これからは1日で帰るという素晴らしい生活がすぐそこに待っている。

セバスはこれまで以上に積極的に仕事に取り組み、なんなら没頭しているまであった。一週間でこなす仕事を、既に6日分を片付けた彼は、休憩もなしに昨日から

進めていたのだった。

そんなセバスの横で、黙々と書類をまとめていたレリックの手が止まる。

「あれ?そういえば執事長って昨日の件、結局どうしたんですか?」

「俺の家」

手を止めること無く、雑に返したセバスに対し、そうですか…とだけ

言って、再び作業に戻ったレリックだったが、すぐに違和感を覚えて、聞き返した。

「え、家?」

「うん、家」

「…家…あー…」

何事も無かったように作業を続けるセバスに恐怖を感じつつ、

これ以上は踏み込めば危険だと思ったのか、諦めて自分も作業に取り掛かった

レリックだった。



_____________________________________



小規模都市オピニリン_クリオネライトカンパニー本社


小規模と名前がついているものの、オピニリンという都市は世界で最も開発が

進んでおり、他惑星移住プロジェクト、〝KLKE〟を立ち上げ、多くのカンパニーの中でも、最も財力を持つクリオネライトによって2年前、都市そのものがクリオネライトの所有地となった。

都市中央にはシンボルとなる、深海をイメージしたイベントエリアがあり、

宇宙全体の衛星を操作する、会社の軸であるピロノテックビルも、

厳重な警備体制のもと、今日も異常なく機能している。


そんな発展都市内では、深刻な問題が度重なって発生していた。

小会社、刀国屋へと課した暗殺任務の失敗、バトラーギルドの思わぬ介入。

バトラーギルドの依頼書がこちらの弱みとならぬように、すぐに取りやめた

ものの、最高権力者、執事長が立ち会ってしまった事で怪しまれ始めている。


クリオネライトカンパニー幹部、カガリ=柄木からきはその後始末を

任されていた。

「全く…簡単に言ってくれるよな、言乃葉ことのは社長はさ」

カンパニーの保持する約200億ものセキュリティプログラムを任されている

幹部の中でも高い実力を持っている。

柄木の身長の2倍もあるであろうモニターには、各会社からの苦情や脅迫メール

がいくつも表示されていたが、その横には発信源の位置を割り出した情報が表示

されていた。

面倒くさそうに上の空のまま作業を進めている彼の手がふとピタリと止まった。

「何だ、これ」

真っ直ぐなその視線と、黒く沈んだ瞳の中に映り込んだのは、

“開幕”とだけ書かれた、唯一、一切情報が表示されない謎のメールだった。

______________________________________

                             

                               第1話 開幕

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