3. ひとりぼっちの公女
「ねえ君、ちょっといいかな」
声をかけたダニエルに、少女はびくりと肩を震わせて振り返った。腰まで届く長い銀髪の上に、フリルの付いた水色のボンネット帽を乗せている。白を基調に赤を差し色に使った、仕立ての良いドレス。手に持った薄紅色のポーチには、ワンポイントとして小さく光る
少女は信じられないといった表情で、そのヘイゼルの瞳でダニエルを穴の開くほどみつめている。黙っているのは警戒されているからなのかな、と思ったダニエルは、わざと砕けた口調で言葉を続けた。
「ごめんね、急に話しかけたりして。実は僕たち、旅の途中で……」
「無礼もの!」
鋭い一喝に、ダニエルは思わず直立不動の姿勢をとる。
「え、何!?」
少女は腕を組むと、ぷりぷりと怒りながら、自分よりはるかに背の高いダニエルを上目づかいに睨んだ。
「本当なら、あなたみたいな庶民が私と話すことなんて出来ないんだけれど。でもあいにく、私は今は侍女とはぐれて一人だし、特別に許してあげないでもないわ。こんな幸運、あなたには今後二度と訪れることはないってこと、分かってる?」
少女に一方的にまくしたてられたダニエルはたじたじになりながら、努めて平静を保とうとした。
「あの、君の名前は?」
「だから、名乗るのはあなたの方からに決まってるじゃない! まったく、教養のない人はこれだから嫌になっちゃう」
「……ダニエルだよ。それで君は?」
「まあ憎らしい、わざと非礼にふるまって私を怒らせようとしているのね。でもいいわ、私はあなたを、なんだっけ。そう、寛容よ! 寛容をもってあなたを許してあげる。それが公女たる者のやり方だって、パパとママに教わったたから」
「こ、公女!?」
「私はアレクサンドラ・ラフマニア。ヴァロースク公国の公女で、継承権の第四位を持っています」
言いなれた調子で少女は毅然として名乗った。あまりの非現実さに、ダニエルはとっさには言葉も出ない。
ヴァロースク公国はラングハイエン王国内に自治領として認められている国で、君主であるラフマニア大公はラングハイエン国王の
しかし、ダニエルがいくら記憶の底を探っても、アレクサンドラという公女の名前には心当たりがなかった。確か公国の後継者は、王子が一人だけだったような気がするのだけれど。それにしても、公女だと名乗った少女の言った事が本当だとすると、護衛の一人も見当たらないというのはまさに異常事態だ。
「お、お姫様なの。その君が、こんな港にたった一人で何をしているの」
「質問するのは私からよ! ダニエルとやら、あなたこそこんな場所で何をしているの? だいいち、なぜこの私に話しかけようなんて思ったの?」
そこへちょうど、ティアナがいぶかしげな面持ちでダニエルに追いついてきた。ダニエルは渡りに船とばかりに少女に背を向ける。
「あの、アレク……サンドラ様でしたっけ、ちょっと待ってもらえるかな」
「まあ、私の目の前でないしょ話だなんて。いいでしょう。このアレクサンドラ、公国の名誉にかけて逃げも隠れもしないわ」
ダニエルは今までの
「ねえティアナ、どう思う? あの子、公女だなんて言ってるけれど、絶対に家出してきた我がまま娘って感じだよ。身なりなんかはちゃんとしてるから、それなりの家のお嬢さんには違いないんだろうけれど。港付きの兵士に連絡して、保護してもらった方がいいんじゃないかな」
ティアナは少し考えこんでいたが、やがて胸の前で両手を組むと、ダニエルを見上げてきっぱりと言った。
「ダニエル様。ここは私に任せて頂けませんか?」
ティアナの言葉の中に有無を言わせぬものを感じ取って、ダニエルは思わずうなずいていた。普段は控えめなティアナがここまではっきりと自分の意見を口にするのだから、きっと何か考えがあってのことだろう。
「うん、わかった。お願いするよ、ティアナ」
ティアナは嬉しそうに微笑むと、向きを変えて少女の前に立つ。
「お初にお目にかかります、アレクサンドラ殿下。私は、とある街で墓守を務めているティアナと申します。突然にお声をかけた非礼は、平にご
ティアナの穏やかな声に安心するものを感じたのだろう、少女の顔がぱあっと明るく輝いた。
「そうですか、あなたはティアナというのですか。そちらのがさつなダニエルとはちがって、良いこころがけの者と見受けます。
「がさつ……」
不満げなダニエルを笑顔で制したティアナは、サーシャと名乗った少女を見上げた。
「有難きお言葉。それではサーシャ殿下、先に私たちのことをお話しさせて頂きます。私とダニエル様は所用で海の向こうのライロズビー王国に向かう途中なのですが、予定の船に乗れなくなって、ここで足止めされているところなのです」
ティアナの言葉を聞いて、サーシャはまあ、と口元を覆った。
「ライロズビー王国。偶然ですね、私もちょうど今、ライロズビー王国行きの船に乗るところだったのです」
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