2. ブラウは心配性

 ダニエルはぎょっとして、ティアナの上着のポケットを見た。青い角鱗かくりんを持つ一匹の蜥蜴とかげがそこから首だけを出して、薄青色の瞳でダニエルをにらみつけている。


「まったく、何が二人きりだよ。堂々とデートに誘う度胸がないから仕事のせいにしようだなんて、弱腰のダニエルらしいや」


 彼と旧知の仲であるダニエルは、蜥蜴がしゃべったことにはもちろん驚かなかったが、恥ずかしい会話が聞かれていたことには仰天してしどろもどろになる。


「え、ブ、ブラウ!? 君、家で留守番していたんじゃなかったの!?」


「そんなわけないだろ、僕はティアナの聖獣なんだからさ。まして旅行の相手が君なんだ、間違いが起こらないように警戒するのが、僕の聖獣としての務めだと思っているよ」


 聖獣のブラウは、ティアナが五歳の時に彼女と出会った。聖獣の心の声を初めにを聴くことができた人間は、一生涯にわたってその聖獣の守護を受けることができる。そしてブラウ自身は、真っ直ぐで思いやりの心を持ったティアナと聖獣としてパートナーになれたことにいたく満足していた。

 だから、今になってティアナにダニエルという協力者ができたことに、ブラウは父親、あるいは兄のような複雑な思いを抱いていた。ブラウはティアナのことになると心配性になる自分に少し辟易へきえきしていたが、しょせん彼は聖獣であって、聖人のような寛容な心持ちにはとてもなれないのだ。だから、ダニエルに対してはつい皮肉が口を突いて出てしまう。

 そんなティアナの強力な保護者の出現に、ダニエルは困ったように肩をすくめた。


「信用されてないなあ、僕……だいたい、なんでポケットなんかに隠れているんだよ。いつもティアナの左肩に乗っている君がさ」


「いや、僕は暑いの苦手なんだよ。こんな雲一つない晴れた日に直射日光を浴びるなんて御免だね」


「蜥蜴だから?」


「違うって。蜥蜴の姿はしているけれど、僕は聖獣なんだよ。ティアナが君を助けた時に、僕が君を背負うことが出来るくらい大きくなったこと、覚えているかい? 姿も大きさも、それこそ僕はある程度は変えることができるんだけれど、僕のいろいろな属性が合わさった結果として、蜥蜴となって君たちの目には映っているってわけ。すべてのものはそんな風にできているんだよ、ダニエルだって人間の形をしているのにはそれなりの理由があるんだ」


「……ブラウ。君って、実は賢い?」


「大きくなってつぶしてやろうかな」


 殺伐さつばつとしてきた空気に、ティアナが慌てて割って入る。


「ほら、二人とも。せっかくの旅行なのに、喧嘩してはだめですよ。それでダニエル様、ライロズビー王国行きの船というのはどちらから出るのでしょうか?」


 彼らのいるこの港町は、ラングハイエン王国の西海岸域にある街の中では最大の旅客数と貿易量を誇り、複数の大型帆船が一度に接岸できる大規模な埠頭ふとうや、資材を集積するための多数の倉庫などが整備されている。今も彼らの目には、多くの帆船がそのマストの高さを競うように天にそろえている様が見えていた。


「ああ、そうだったね。ちょっとここで待っていて、案内所で聞いてみるから」


 そう言って駆け去ったダニエルは、しばらくすると悄然しょうぜんとした足取りで戻ってきた。ダニエルのあまりの元気のなさに、ティアナが恐る恐る声をかける。


「あの、ダニエル様。何か手違いでも?」


 ダニエルは、はあっと大きなため息をつくと、困ったように宙を睨んだ。


「それがね、ティアナ。僕たちが乗る予定だった船の中で流行り病が起きているらしくて、それが落ち着くまでは乗ることが出来ないんだって」


 外国から持ち込まれる病に敏感であるのは、どこの国であっても共通している。新種の伝染病が原因で一都市が全滅する、などということもあり得るのだから、それも無理はない。船の中だけで病が抑え込まれているのであればそれは不幸中の幸いというものだが、下手をすれば乗客を降ろさないまま元の国にとんぼ返りをしなければならなくなる可能性すらある。


「それでは、いつ頃になれば乗れるようになるのか、分からないという事ですね」


「そういうことになるよね。当てがないまま何日もこの街に滞在するほどのお金の余裕はさすがにないし……」


「他の船で行けないでしょうか? 途中にある小さな島々を経由したりして」


「うーん、どうだろう……」


 腕組みをしながら光り輝く海を恨めし気に見つめていたダニエルは、ふと、一人の少女がはずれの桟橋さんばしにたたずんで、目の前に停泊している巨大な帆船を見上げているのに気付いた。まだ十二、三歳ほどにしか見えない少女の周囲に大人が誰もいないこともに落ちなかったが、ダニエルは何よりその少女の思いつめた表情が気になった。


「ごめん、ティアナ。ちょっと、あの子……」


 少女の方へ足を向けたダニエルを、ティアナが引き留めた。


「待ってください、ダニエル様」


 振り向いたダニエルは、ティアナの意外なほどの口調の鋭さと真剣な表情に戸惑う。


「ん、どうしたの」


 口を開こうとしたティアナは、言いかけた言葉を飲み込むと、普段と変わらない笑顔にもどった。


「いえ、何でもありません。私たちもすぐに行きますから」


「そ、そう? ごめんね、ティアナ。おせっかいだとは思うけれど、何か心配でさ」


 ダニエルはほっとした表情を浮かべると、ティアナに小さく手を振って少女の方へと小走りに駆けて行った。

 ポケットから頭を出したブラウが、考え込むような表情でティアナを見上げる。


「ティアナ、いいのかい? 僕たちだけで何とかなるのかな?」


 ティアナは、遠くでぽつんと立っている少女の姿から目を離さずにつぶやいた。


「わからない。けれど、放ってはおけないわ。何か理由があるはずだもの」


 ブラウはため息交じりに苦笑した。


「ティアナならそう言うと思ったけれどね。わかった、僕も付き合うよ。けれど、くれぐれも気を付けて」


 ティアナは幼なじみの聖獣ににっこりとほほ笑んだ。


「ありがとう、ブラウ」

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