墓守のティアナ ~マストの先の導き~

諏訪野 滋

1. 初めての海

 初夏の港町は、光と影が強い。日焼けした腕を自慢げにさらしている水夫や、背負ったかご一杯に魚の干物を詰めこんだ売り子などが行きかう海沿いの街道を、一台の馬車がゆっくりと人込みをかき分けながら停車場に入ってきた。馬を止めた御者ぎょしゃは席から飛び降りると、車台を回って後部座席の扉を開ける。


「長旅お疲れさまでした、ダニエル様。先に荷物を下ろさせて頂きますよ」


「うん、ありがとう」


 ベレー帽とちょび髭が似合う御者に大きなトランクと幾ばくかのチップを手渡すと、キャビンの中から一人の青年が熱を持つ歩道へと降りてきた。御者からダニエルと呼ばれた青年は若葉色の瞳を細めると、柔らかそうな金髪を海風に遊ばせながら大きく伸びをする。


「凄いね、ティアナ。海って、本当に潮の匂いがするんだ」


 振り向いて客車の中を覗き込んだダニエルは、少しためらった後、思い切って右手を差し出す。その彼の手をしっかりと握った白い手の持ち主は、溌剌はつらつとした足取りでステップを下ると、瑠璃るり色の瞳をやはり海に向けた。刺すような午前の陽光が、肩よりも少し長い彼女の栗色の髪に天使の輪を作る。


「本当ですね、ダニエル様。私、もう二十歳にもなるのに、海を見るのはこれが生まれて初めてで」


 ティアナとダニエルは顔を見合わせると、同時にぷっと吹き出した。お互いの初めてを共有できたことに嬉しさとおかしみを感じるのも、街の生活から離れた旅の解放感のなせるわざなのかもしれない。

 停車場から離れていく馬車を頭を下げて見送ったティアナは、申し訳なさそうにダニエルを振り返った。


「でもダニエル様、本当に私もついてきてよかったんですか? 今回のご旅行は、ご領主様から頼まれた大切なお仕事なのでしょう?」


「大丈夫。父さんには、ティアナと一緒に行くことはきちんと許しをもらっているから。僕たちがこれから渡るライロズビー王国は小さな島国だけれど、そこで採取される『魔力水』は、他の産地で採れるものの倍の速さで魔力を回復させてくれる優れものらしいんだ。だから今回、実際の効果はどうなのか調査してくるように父さんに言われたんだけれど」


 ダニエルは、彼の住む街の領主の息子である。跡継ぎではないものの、一族の中ではなかなかに目端めはしも利くと周囲から期待されており、父親から街の公務を任せてもらう機会も多くなっていた。さらには長身で整った容姿であることや、お坊ちゃん育ちではあるもののそのことを鼻にかけない純朴さなどから、街の人々から独自の人気を博してもいた。


「僕は一応『炎魔法』が使えるけれど、やっぱりまだ未熟だしさ。『清導せいどうの光と珠言しゅごん』を使うティアナみたいに、実際に魔力の使用経験が豊かな人のアドバイスも聞きたい、って父さんに言ったら、あっさり許可してくれたよ」


 彼女を旅行に誘った理由を必要以上に連ねてしまった、言い訳がましく聞こえなかったかな、と額に汗をかいているダニエルの様子に気付かないティアナは、両手を前に組んでひたすら恐縮している。


「それでも旅費まで出していただいて、しかも墓地のお留守番を神殿の導師様たちに引き受けてもらったりして……本当に何から何まで」


「いいんだよ。ティアナが今まで人知れず幽体を天に送る仕事をしていたこと、それに対するささやかなお返しだと思ってもらえれば。君がそんな大切なことをずっと一人で続けていたことに、今まで気づかなかったって父さんも反省していたし。……それに、もちろん僕も」


 ティアナは、街はずれの墓地で墓守をしている。彼女の両親もやはり墓守だったが、ティアナが十歳の時に落盤事故に遭って二人ともこの世を去った。独りになったティアナは親戚の家に預けられたものの、墓守の娘だというその一点のみで彼らからうとんじられ、十八歳で成人した途端に家を追い出されてしまった。

 しかし、ティアナは自分の運命を恨んだりするようなことはなかった。着の身着のままその足で街の役場に駆け込むと、両親の後を継いで墓守になるための許可を願い出たのだ。墓守が不在となり荒れ果てていた墓地の管理に困り果てていた街は、渡りに船とばかりに彼女が墓守となることを認め、ティアナは墓地のすぐそばにある幼いころに両親と暮らしていた家に戻った。狭く崩れかけた掘っ立て小屋ではあったが、ティアナにとってそこは、彼女の親戚の家とは比べものにならないほどに安心できる場所だった。

 以来、ティアナは墓守としての仕事を今日まで続けている。不埒ふらちな墓荒らしがいないか監視することも彼女の仕事の一つであったが、より重要で困難なものは「幽体」を天に返す仕事だった。現世に大きな恨みを持っていたり、生前にやり残したことがあるなどの強い思いが核となって、天に昇れなくなった魂が幽体となって墓地に現れることがある。ティアナはそんな迷える魂に対して「清導の光と珠言」を用いることにより、彼らが正しい道へと戻る手助けをしているのだった。


 領主である父親から幽体を退治する使命を受けたダニエルは墓地を訪れ、そこで不覚にも空腹と疲労で倒れていたところを、偶然見回りに来たティアナに助けられた。幽体を倒す、と息巻くダニエルを、ティアナは断固としていさめた。人の心を持つ幽体を滅ぼそうとする行為に、彼女は強く反発したのだった。そしてティアナはいつくしみと自己犠牲をもって、より大きな力を持った「悪霊」すらも天に帰すことに成功した。

 その彼女の姿を見てダニエルは、自分が物事の本質を深く考えもせず、やみくもに力で解決しようとしていたことを恥ずかしく思うと同時に、ティアナのりんとした強さと優しさに憧れを抱いた。自分がティアナのことをどう想っているのか、もやもやとした感情を持て余しているダニエルではあったが、少なくとも彼女の助けになりたいという気持ちだけははっきりしていた。そして、ずっと墓地に詰めているティアナにたまには外の世界に触れてほしいと考えたダニエルが、仕事にかこつけて企画したのが今回の旅だった。


「ご領主様もダニエル様も、反省だなんてそんな。墓守の仕事を任せてもらっているだけで、私はありがたいです」


 そういうところが放っておけないんだ、と苦笑したダニエルは、自分のトランクと彼女のバッグをそれぞれ両手に持った。


「まあ、とにかくさ。ずっと一人で頑張ってきたんだから、時には羽を伸ばすことも必要だと思うんだよ。ふ、ふたりきり、ってのはちょっと申し訳ないんだけれど、あくまでこれは仕事で…」


 しりすぼみに声を小さくしたダニエルにつられて、ティアナがわずかに頬を染めてうつむく。そんな初々しい沈黙を破って、突然甲高い声が二人の耳に聞こえてきた。


「ああ、見てらんないや。おい、ダニエル。いい加減、誰かを忘れちゃあいないかい?」

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