罰を食らった女

増田朋美

罰を食らった女

その日は、いつもより 熱い日というわけではなかったが、湿度がやたら高くて蒸し暑い日であった。まあ、温度が高い日も過ごしにくいものであるが、湿度が高いというのもまた過ごしにくいものである。そうなると体の悪い人にとっては、居づらいものではないかと思われるのである。

その日も、水穂さんの具合は良くなく、布団に寝ていながらも、体を動かすことができなくて、横になったままでも咳き込んでいるのであった。寝たままであっても、朱肉のような色の内容物が、布団を汚した。それすら拭き取ることができない水穂さんは、そのままでいるしかなかったのだった。

「只今戻りました。」

と、近所の会議から戻ってきたジョチさんこと、曾我正輝さんが、製鉄所の玄関の戸を開けた。

「入りますよ。」

と言って、ジョチさんは部屋の中に入ったが、水穂さんが咳き込んでいる声を聞いて、すぐに四畳半に行った。

「水穂さん大丈夫ですか?」

ジョチさんはそうきくが水穂さんは答えない。咳き込んで、内容物を出すだけである。そこへ、台所の片付けをしていた杉ちゃんがやってきて、

「さっきから食べろと言ってるんだけど、全然食べてくれないんだよ。」

と、嫌そうに言った。

「これでもう、何日ご飯を食べてないことになるの。」

「つまるところ、栄養を摂れていないということですか。それでは困りますな。」

ジョチさんは大きなため息をついた。

「とりあえず、咳き込むのを止めなくちゃなりませんから、柳沢先生を呼んだほうが良さそうですね。」

そう言って、ジョチさんはスマートフォンを取った。二言三言交わして電話を切ると、

「10分程で来てくれるそうです。」

またため息をついて言った。杉ちゃんたちは、水穂さん大丈夫ですかと言って、水穂さんの背中をなでたり、少し叩いたりしてあげたのであるが、咳き込むのは止まらなかった。

「こんにちは。」

玄関の戸がガラッと開いて、柳沢裕美先生が、やってきた。相変わらず暑いのに、絽の着物を着てちゃんと絽の被布コートを着ているからよく暑くないなと不思議なものである。

「症状は、曾我さんから聞きました。一応、鎮血の漢方薬持ってきましたから、それを飲んでみて下さい。」

と言って、柳沢先生は重箱を開けた。その中には、いろんな薬を入れてあると思われる小さな瓶と、小さなすり鉢とすりこぎが入っている。それを取り出して、瓶に入っていた薬を出し、それをすり鉢の中に入れて、すりこぎでゴリゴリと削って粉にする。このときには、漢方薬特有のニオイで、部屋中がそれで満たされてしまう。杉ちゃんもジョチさんも、このニオイが苦手だったが、今回はそういうことを考えている暇はなかった。柳沢先生は、はいどうぞといって、すり鉢の中身をオブラートに包んで水穂さんに渡した。水穂さんはそれを受け取って、水のみの中身と一緒にそれを飲み込んだ。結構強力な薬だったらしく、数分で咳き込むのは止まってくれた。多分、その中には眠気を催す成分があったのか、水穂さんは静かに眠りだしてしまった。

「ああやっと止まってくれた。ありがとうございます。」

「眠っちゃったのは、それはそれで困るんだけどな。ご飯を食べなくなるから。」

杉ちゃんとジョチさんは、皮肉めいた顔で、そういいあった。まあ、いずれにしても、症状を和らげるだけで、日ごとに悪化していくのはみんな知っている。だけど、なんとかしたいと思ってしまうのはなぜなんだろうか?

「それにしても、最近具合が悪いという患者さんが増えましたね。夏はそうなりやすいんですけど、今年の夏は何が起こるか予測がつかないので不安なんでしょうな。それも、体調が悪いのを助長させているのかもしれません。」

柳沢先生は、すり鉢をしまいながら、そういった。

「そうなんですね。こちらの製鉄所でも、心の病気などをしている利用者さんが多く見られますが、最近はなかなか回復することがなく、かえって病状を悪化させてしまう利用者さんが多いです。今日も、一人具合が悪い子がいましてね。それで今、病院に行っているんですけど。」

ジョチさんがそう言うと、

「はあ、どういう症状ですか?」

柳沢先生が医師らしく言った。

「ええ、何でも頭痛がひどいということですが、最近歩き方が不自由になったので、それで見てもらったほうが良いと言うことにしたんです。」

ジョチさんが答えると、

「歩き方が不自由ということは、舞踊病とかそういうのですかね?」

柳沢先生が言った。

「ええ、それがわからないので、病院で見てもらったほうが良いと言うことになりまして。なんでも女性なのにがに股で、よちよちと歩くんです。足を引きずっているわけではありませんが、そういう歩き方は今まで見たことがありませんでしたので、もしかしたらと思って。それで今、運転免許を持っている利用者さんにお願いして、一緒に、総合病院に行ってます。」

ジョチさんはそう説明した。

「そうですか。その人は、物忘れが酷いとか、そういうことはありましたか?」

「いや、それはないね。」

柳沢先生が聞くと、杉ちゃんは答えた。

「そうですか。じゃあ、汚い話ですが、トイレが近いとか、そういうことはありますか?」

「それもない。」

柳沢先生、変な話を始めた。

「一体どういうことですか?物忘れが酷いなどの症状と、なにか関連があるんですか?」

ジョチさんがいうと、

「ええ、本人にあってみないとわからないですけどね。その人は、正常圧水頭症の疑いがあります。つまり簡単に言えば、頭に水が溜まって脳を圧迫するということです。それで、歩行ができなくなったり、物忘れが酷い、トイレが近いなどの症状が出るんですが、全部の症状が出る人も少なくどれか一つか2つが現れる人が多いです。」

今日は柳沢先生、なかなか雄弁だ。

それと同時にジョチさんのスマートフォンがなった。

「はいはいもしもし、ああ結果が出ましたか。ありがとうございます。それで、ゆりさんはどうでしたか?はいはい、ああわかりました。柳沢先生がそれについて話をしてくれたところです。ああそうなんですね。じゃあ、すぐ入院ということになるわけですか。ああそうなんですね。わかりました。じゃあ、すぐに彼女のご家族と学校に休学届を出す手伝いをしてあげてください。」

と言ってジョチさんは、電話を切った。

「やっぱり柳沢先生の言うとおりでした。加藤ゆりさん、やはり正常圧水頭症だったそうです。それで、水がかなり溜まっているようなので、すぐに手術を受ける必要があるということでした。」

と、ジョチさんは言った。

「そうですか。それではその加藤ゆりさんという方は、かなりお年を召しているということですか?高齢者に多いと言われる疾患で、治る認知症と言われることもありますけれどね?」

柳沢先生がそう言うが、

「いや、突発性ではありません。加藤ゆりさんは、まだ37歳です。ですが、ご両親のお話ですと、幼少期から癇癪持ちで、うまく怒りなどを表現できず、頭を壁に打ち付けてしまう癖があったようです。おそらく、今回水頭症にかかったのは、その頭を打ったのが、原因ではないかと。」

とジョチさんは言った。

「そうですか。それなら、日頃から頭をぶつける癖があったわけですね。それでは、首を折ったとか、頭蓋骨骨折などではなくて良かったんだと考えましょう。幸い水頭症の手術は難しくありません。体の中にチューブを埋め込んで、頭に入っている水を別の臓器に持っていくという手術でして、小一時間程度で終わりますよ。術後は激しい運動はできなくなりますが、それでも、日常生活は送れますので大丈夫です。」

「ありがとうございます。先生は漢方医なのによくそういうことを知ってますね。まあいずれにしても、なったものは受け入れるしかありません。加藤ゆりさんの手術が終了したら、すぐに見舞いにいきましょう。」

ジョチさんは理事長らしく、しっかりと言った。

「加藤ゆりさんが入院したのは、富士中央病院の脳神経外科だそうです。今は面会できないようですが、そのうち、面会することもできるようになるということでした。まあ彼女に頑張ってもらうしかありませんな。」

「まあ、天罰が降りたんだな。自分の体を大事にしなかった罰だ。僕も見たことあるよ。すぐ怒って、パニックになり、頭を壁にぶつけたり、フライパンで顔を殴ったり。もう何度も額に瘤を作ったから、瘤取りゆりさんとでも呼ぼうかと思ってるんだ。まあ良いよ、これに凝りて、二度と頭を叩くことはしなくなるでしょう。まあちょっと、荒っぽい天罰かもしれないけど、自分の体を大事にしないんじゃ、そういう大きなことでないと懲りることは無いだろうし。」

杉ちゃんだけ一人ニコニコしていた。

「しかし、手術して助かることはあっても、その怒りの処理方法をどうやって学ばせるかがこれからの鍵ですね。精神安定剤では、それはできないことは他の利用者も同じですし。もし、頭を殴ることを禁止しただけでは、リストカットなどの他の自傷行為に走るかもしれませんし、オーバードーズのようなものに走る危険もあります。」

「本当だねえ。」

ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんも言った。

「まあねえ、学校には行けてるみたいだけど、それだけでは居場所は見つけられないってことだよな。居場所が見つかれば、こういう症状も軽減されるんだが。それだけでは、だめかなあ。」

確かに、それはそのとおりなのだった。加藤ゆりさんは居場所がなかった。今やっと、通信制高校に入学の許可が降りたばかりだ。それだって、高校側から、自傷行為がひどい人は受け入れられないと言われて、学校見学を断られたこともあり、ジョチさんとゆりさんの家族が頼み込んで学校に入れてもらったという経緯がある。

「杉ちゃんの言う通り、思いだけでは精神疾患も治せませんね。これからは、加藤ゆりさんが二度と自傷行為をしないようにするにはどうしたら良いのかを考えましょう。もちろん、まずは彼女に手術を受けてもらうことが大事ですけど。」

ジョチさんは、大きなため息をついた。柳沢先生を見送りながら、せっかく通信制高校に入らせて貰ったと思ったら、こうなっちまうのかと、杉ちゃんも言っていた。だから、幸せが一つ増えると、悲しみや怒りは何十倍にも膨らんでしまうものらしい。どういうメカニズムかわからないけど、人間の人生ってそうなってしまうらしいのだ。それは、社会的に高い人でも低い人でも同じなのだ。ときにはそれを乗り越えられないので死んでしまう人もいる。そうならないようにするのも人間に課せられた使命なのかもしれなかった。

そういうわけで、加藤ゆりさんの手術は予定通り行われた。いわゆるシャント手術というやつで、柳沢先生がいった通り、背骨にカテーテルを入れてそこから脳に溜まった水を出させるというものであるという。確かに、一時間程度で手術は終了し、さほど難しいものではなさそうだった。まあ若い人だから、回復も早いねと脳神経外科の先生も褒めてくれるほどだった。ただやっぱり、もとの状態へ戻るのは、時間がかかるということで、一年以内は病院に定期的に通うという課題が課せられた。

加藤ゆりさんは、無事に退院し、製鉄所に通うようになった。親御さんの話によると、宿題をするのに誰かがいてくれたほうが捗るからということであったが、本当は加藤ゆりさんを家で一人にしてしまうと、また自傷行為をするおそれがあるので、製鉄所に行かせたほうが良いと言う判断もあった。

その日、水穂さんはいくらか具合が良くなったようで、布団から出て、歩けないフェレットの正輔くんを抱っこして、製鉄所の縁側から外を眺めていた。水穂さん疲れたら無理しないで休めよと杉ちゃんに言われていても、水穂さんは正輔くんを抱っこして縁側に立っていた。不意に正輔くんがキュインキュインと声を出したので、水穂さんが後ろを振り向くと、

「こんにちは。いくらか良くなったと聞きましたのでこさせていただきました。だいぶ顔色も良さそうだし、あとは、涼しくなるまで我慢という感じかな?」

といいながらやってきたのは清笛奏者のピー助さん、藤井督さんだった。

「犬は愛犬、猫は愛猫、じゃあフェレットは、愛フェレと言ったところですかね?」

そういいながらピー助さんは、額の汗を拭いた。それと同時に、加藤ゆりさんが、ピー助さんにお茶を持ってやってきた。ゆりさんがお茶をどうぞと言って、ピー助さんに差し出すと、

「ああ、あなたが加藤ゆりさんですか?先日脳手術をされたと言う。」

と、ピー助さんが言った。

「ええ。そうですけど。」

加藤ゆりさんがいうと、

「そうですか。大変でしたね。あらましは理事長さんから聞きましたが、脳手術ということもあり、結構大変だったのではないですか?でも回復できたのだし良かったですね。世の中には、なんとかしようとしてもどうにもならない人はたくさんいるわけだし、そうなる前になんとかできたんだから、まだこの世にいるべきだという指示があったんじゃないかと思いますよ。」

ピー助さんはにこやかに言った。そういうピー助さんは、ある意味、障害のある女性たちにとっては貴重な存在かもしれなかった。そうやって口に出してくれる人はなかなかいない。態度で示すということだけでは障害のある女性たちには通じないことも多いので。

「ここにいる水穂さんだって、正輔くんだって、ここにいる様にという指示があったから生きているのでしょう。そうでなければ、消えちゃっても仕方ないですよ。僕は、そう思って生きるようにしています。」

「そうですか。でもあたし、こんな大掛かりな手術までしてもらったのに、どうして生きているのかよくわからないんですよ。ピー助さんは、そう言うけど、あたしはどうして、この世にいなくちゃならないのかなって。もちろん、手術してもらって、入院もしたけれど、でも何か何でこんなところにいるのかなっていう気持ちが強くて。それを思ってしまうのは、いけないことかもしれないんですけど、あたしはどうしても。」

加藤ゆりさんも本音の気持ちを話してくれた。きっと彼女はこの時点で止まっているのだろう。その時計を強引に進めさせるというのは、医療ではまだできないことなのかもしれない。

「そうなんですか。それは学生の時なんかに、あんまり愛されたなという実感がなかったからでしょうか?多分きっと、そういう人に出会えたらまた変わってくると思いますよ。まだ、40にも行ってないんだったら、まだまだ可能性はありますよ。そうじゃないですか。」

ピー助さんは、水穂さんにも目配せしてそういったのであるが、

「いえ、若い方は、若いことが辛いと考える方が多いと思います。若いからまだ可能性があるとか、そういう励ましは、かえって彼女をつらい気持ちにしてしまうと思いますよ。彼女は、若いからと言ってとして、自分の訴えが退けられてしまうことが辛いのだと思います。」

と、水穂さんは言った。普通の年寄りなら、それでも若いからで済ませてしまうが、ピー助さんはそこは違って、

「そうですか。それは失礼いたしました。ただですね、これは僕の経験から言えるのですが、きっと、良いときというのもあると思いますから、それを楽しみに待っているというのもまた生きることでもあるのではないかと思います。」

と言ってくれたのであった。加藤ゆりさんは、まだつらそうに、

「あたしには、どうしても自分の感情をコントロールすることができないんです。だから自分は身分が低くて、罰が必要な人間だって思って、今まで一生懸命自分に罰を与えてきたんですけど、それもできなくなってしまって。もうこれからどうしたらいいんでしょう。生き抜く自信なんて当然ありません。また恐怖とか、怒りとか、自分で表現できなくて、周りの人に迷惑をかけてしまうから、もう、生きていなくても良いと思ってましたのに。」

と正直に喋ってくれた。多分、加藤ゆりさんは、そういうやり方をちゃんと学校や社会で教わってくることができなかったのだろう。彼女の生まれ持った気質などもあるのかもしれないが、そういうことを教えないで劣等感ばかり植え付ける教育制度も問題があるなと、思うのである。

「そうですか。じゃあ、感情で表現する技術があったら良いと言うことになりますね?水穂さん、この人は、笛を吹くことに制限は無いのですね?」

水穂さんがありませんと応えると、ピー助さんはカバンを開けて、一枚の楽譜を取り出し、それを彼女に渡した。そして、袋を開けて、一本の笛を取り出して彼女に渡し、歌口を彼女の唇に近づけて、そっと彼女の手を取った。

「じゃあ、それで息を吹いてみてください。」

加藤ゆりさんがそうすると、ピー助さんは、彼女の両手を動かして、清笛の運指を形作った。音になっていない部分もあったが、なんとか茉莉花の楽曲を、ゆりさんは吹くことができた。

「すみませんね。本当はユリの花にまつわる曲があればよかったんですけど、この茉莉花という曲はジャスミンの花の曲で、江戸時代に、長崎に普及していた明清楽と呼ばれるジャンルの曲です。意外に西洋の音楽家にも親しまれていて、プッチーニやアレンスキーが、自身の楽曲に引用しています。最近は、なんとか楽坊というバンドがやってました。じゃあ、もう一回吹いてみてくれますか。指を動かしてみましょうね。」

ゆりさんが笛を吹くと、ピー助さんは、指を動かした。今度はゆりさんもやる気になってくれて、全部の音を出すことができた。水穂さんが、拍手をすると、加藤ゆりさんは今度は自分で吹いてみたいといった。ピー助さんは、それではと清笛の運指を教え始めた。水穂さんも、抱っこされた歩けないフェレットの正輔くんも、今まで何をしても投げやりで、何かあればパニックになってフライパンで頭を叩くしかできなかった彼女がこうして素直に彼に従っているところを驚いた顔で眺めていた。でも、きっとこれは、彼女が変わっていく、なにかのきっかけになるかもしれないと思って、それを眺めていた。



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