第5話 人間として


「何で……だよ!」


 吐きつつ、四つん這いで地面を叩く。

 嗚咽が止まらない。止めたくなかった。


「何で……!」


 視界が歪んでいる。

 床に飛び散る汚物と涙が混じり、見るに耐えない地獄と化していた。


(孝一が、詩音も殺した)


 あの紙には、そう書かれていた。


(孝一が、家族を殺した)


 それが、七年前の真実。


(いや、でも、孝一は……)


 怪物に殺された。

 でも、だとすると違和感がある。

 あの日誌には、『ナイフに刺された』とあった。それはおかしい。

 アレはナイフなんか使わずとも、簡単に人を殺せる。と言うか、アレはナイフを使えるのか?

 どう考えても、矛盾が発生した。


 考えれば考えるほど、頭が痛くなる。


(何で?)


 それら真実の、理由が欲しかった。

 なんでも良い。動機が知りたい。

 復讐の口実が欲しかった。


(何で?)


 もう一つ、疑問が生じる。

 もし、ナイフを使ったのが孝一なら、何で彼は生きている?

 もし、この件に関与しているのなら、彼も狙われていないとおかしい。それも、ついさっきの行動を見る限り、積極的に、だ。


(孝一は、何者なんだ?)


 だったら、彼はあの日に殺されている。

 犯人すらも全滅のバッドエンドだ。

 でも、今彼は生きていた。

 違和感以上の何かが、僕を襲う。


(孝一の皮を被った、偽者?)


 それはない。

 日誌に書かれた日付は、7月15日。

 今日に至るまで、約2週間ちょっと。

 その間、何度も僕たちは会っている。

 10数年来の仲だ。些細な違和感が発生してもおかしくはない。

 だが、何もなかった。


「……ダメだ、何にもわからない」


 考えれば考えるほど、疑問は生まれていく。


「とりあえず……」


 結衣を起こしに行こう。

 1人で考えるより、2人だ。

 僕は立ち上がった。


「……ん」


 この世のものとは思えない表情をしている僕に比べて、彼女はすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。

 体を揺すると、彼女は目を覚ます。


「何?」

「これ読んで」


 そう言って、僕は例の紙を渡した。

 不審がって受け取る彼女。

 だが、僕の顔を見て、


「只事じゃ、なさそうだね」

「うん。たぶん、説明するより読んだ方が早い」


 事態を察してくれた。

 視線が下がっていくにつれ、彼女の顔色が青くなっていく。


「……これ、誰の?」

「多分、奥引さんの」

「……!」


 著者に、彼女は絶句した。

 言葉を失い、震えた手で返した。

 目は合わせず、同じく震えた声で質問を投げかけて来た。


「いや、捏造でしょ?」

「あの人が、そんなことすると思うか?」

「……」


 それ以上は、何も。

 ただ、リボルバーを見て、視線を逸らしただけだった。


「どこ……行くの?」


 立ち上がる僕に、彼女は話しかけた。


「真相を、確かめに」

「……」


 僕は振り向かず、答えた。

 どうせ、彼女は止めはしない。

 命知らずな行いをするのなんて、今まで何度もした。


「どの道、夜明けまで1時間はある。いや、1時間しかない、か」

「死なない……でよ」

「うん。元から死ぬ気はないよ」


 そう言って、僕は扉を開けた。

 ギィ、と耳に響く音と共に、真実が目に映り込む。


「───────────!!」

「居ない!?」


 辺りを見渡しても、怪物の姿がなかった。

 だけども、耳を破る咆哮は聴こえる。


(何処だ? 何処に……はぁ!?)


 見渡す内、引き摺ったような痕跡があった。

 朱いカーペットの先、本堂だ。

 リボルバーのトリガーに指を掛け、歩き出した。


「……死体が、消えていた」


 事実を口ずさみ、恐る恐る本堂を覗く。

 本堂は障子を壁替わりにしており、正面以外からでも簡単に覗くことができた。


「!」


 本堂の中心、畳の上で、彼はいた。


「孝一!」


 地面に磔にされた姿で。

 駆けつけるよりも先、


「───────────!!」


 ズドン!

 入り口あたりで、巨大な地響きが鳴り響いた。

 振り向けば、


「ッ!」


 グルル、と荒い息を立てている大蜘蛛。

 その瞳から感じる殺気に、僕は怖気付いた。


「……クソッ。何で今なんだ!」


 牽制でもなんでもいい。

 下半身は動かせない。

 でも、幸いなことに、


(時間を稼ぐ!)


 上半身は動かせた。

 それだけで、今は充分。


「───────────!!」


 バン!

 弾丸は、目録どおりに、怪物にヒットした。

 青緑色の血を流し、出血部を確認している。


「ぁあ!」


 トリガーを引いた。

 咆哮並の轟音に、鼓膜が弾けそうだ。

 刹那に伝わる反動が、肉を打ち砕く。


 当たり前だ。

 何も訓練していない唯の一般人に、銃が使えるわけが無い。

 命中しただけ奇跡なのだ。


(マズ……ぃ)


 激痛が、持ち堪えていた筈の何かを壊した。

 プツリ、と。

 電源コードを切られたテレビの様に。


(ぁ)


 僕は、孝一に重なるように、倒れ込んだ。





「やぁ、7年後の君。初めまして、じゃないね」


 彼は居た。

 10歳も行ってないであろう彼は、幼き見た目とは程遠い、大人びた雰囲気を漂わせている。


「ま、そこは重要じゃないし、時間も無いから手短に」


 こつこつ、とその場を歩く。

 すると、彼の足音に応えるかのように、世界が塗り変わっていった。


「君は、漸くようだね?」


 最後に切り替わったのは、七年前の場所。

 煙を上げるクルマの上で、少年は座った。


「……」


 答えず、黙り込んだ自分を見て、少年は、悪辣な笑みを浮かべる。


「黙っていても、良いけど、君が彼に隠した。その事実に歪みは無い」


 すると、少年は指パッチンをした。

 パチ! と、小さく鳴る。


「君は、確かに見たはずだ」


 切り替わったシーンに、絶句した。

 それは、


「幼き日の犯人こういちが、嗤っていた事を」


 車の裏、死角となる場所で、1人、嗤う。

 元凶の姿。


「当時は信じられなくて、記憶を消したんだっけ」


 まるで、思い出に浸るかのように、少年は言葉を紡ぐ。


「なぁ? 真実から目を逸らし、現実から逃げた、?」


 ドスの入った声に、は、一歩引いた。


「もし、君が逃げなければ、あの子は殺されなかった。あの子が殺されなかったら、奥引さんも、死ぬことは無かった」


 全く、その通りだった。

 言い返す間もなく、悪夢しょうねんは話を続ける。


「挙句、今。君は死にそうになっていた。ああ。とっても滑稽だ」

「その上で、詩音への贖罪? 舐めてるの?」


 確かに、私には、何もできない。

 何も、できなかった。


「君が、何を思っているのか、よく分からないし、ぶっちゃけどうでも良いけど」

「言いたい事言ったし、一つだけ助言をあげる」


 そう言うと、少年は立ち上がった。

 そして、空を見上げて、呟く。


「死者を想うのなら」

「今、君の為に動いてる奴を、助けてやれ」


 それだけを言って、消えた。

 シャボン玉のように、呆気なく。





 僕が目覚めると、そこには誰もいなかった。


「は?」


 孝一の死体が、消えていた。







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