第3話 我を待て


「───オ──チ────!!」


 大蜘蛛は今も、先輩を拷問している。

 あれは、もう死んでいる。

 心臓を完全に潰されていた。

 今はぴくりとも動いていない。

 アレで生きているのなら、人間ではない。


 僕たちはもう一つの出口から、授与所を脱出した。ギィ、と木材と金属の軋む音が聞こえる。


「……ッ!」


 音を出さず、歩き出した。

 一歩進むたび、抑えられた激痛が全身に伝わる。


(流石に……薬じゃ誤魔化しきれないか!)


 僕の肉体も、ある意味では先輩と変わらない。

 痛いものは痛いし、ダメージは喰らう。

 即死じゃないだけ奇跡であり、動けるだけでも儲け物なのだ。


「……織、正面注意」


 床を見続け歩く僕に、彼女は指令を出してくれる。ありがたい。

 授与所から、裏方の小屋までは、遠回りで約60メートル。30、30の正方形だ。

 今の状態でも、走れば10秒もかからない。

 だが、肉体はそれを許さなかった。


「このまま、進んでいいか?」

「うん。っと、大丈夫?」


 一歩進む度、視界が揺れる。

 虫食いのように世界が割れ、中から銀色が飛び出していた。

 入り口から見て左奥の角。進行方向を変更しようとした時、それは起こった。


「────オ───ヲ──!!」


 耳を破るような咆哮。

 大蜘蛛は先輩の骸を、外の階段目掛け投げ捨てる。

 その光景に、僕たちは止まった。


「は?」


 先輩の死体は、見えない壁にぶつかり、弾き飛ばされたのだ。

 壁当てのボールのように、先輩は怪物の下へと回帰していた。

 一連の流れは、僕らの目を釘付けにするのに、十分過ぎた。


(……最悪だ!)


 見方を変えれば、正面からの脱出路は完全に消失したことになる。見えない壁に塞がれているのだ。


「何なの……アレ!」


 小声で、絶望を漏らした結衣。

 その足は、さっきまでとは比にならないほど、震えていた。

 そうこうしているうちにも、


「───────────!!」


 大蜘蛛は何度も先輩を投げつけている。

 その度に、彼の身体はドン!と轟音をたて、爪に突き刺さっていた。


(……アレ?)


 でも、僕には、その光景が、怖くなかった。

 いや、少し嘘ついた。怖い、と言えば怖い。

 だけど、やはりというか、怖さのベクトルが違った。


「……織?」

「……あ」


 ぽん、と肩を叩かれた。

 どうやら、彼女も恐怖の鎖から解放されていたようだ。


「まさか、見惚れてたとか?」

「……」


 冗談混じりに言われたことに、僕は答えることができなかった。そんな僕に、彼女は少し引いたような顔をしている。


「いいや。小屋に着いたらにしよ」

「……うん」


 切り替えて、再度歩み出す。

 その時だった。


「───────────!!」


 再度鳴り響く咆哮。


「ッ! 織!」


 同時に、彼女が飛びかかって来た。

 理解が及ばず、そのまま突き飛ばされる。


「……あ?」


 彼女が、倒れた。

 左肩に、槍が如き爪が、突き刺さっている。彼女の位置は、刹那の前まで僕がいた場所。


「結……衣?」

「織!」


 無意識のうちに、僕は動き出していた。

 彼女を引きずる形で、本堂の裏に滑り込む。

 包帯を取り出すのと同時、


「ッ! あぁ!」


 彼女は自力で、爪を引き抜いてしまった。

 幸い、急所は外れている。

 と言っても、重症には違いないが。


「結衣、動くな! 包帯が巻けん」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!」


 鮮血に包帯を巻き、僕の鎮痛剤を飲ませた。

 違法行為だとか、今更知ったことか。


(くっそ、小屋まで10メートルも無いのに!)


 歯痒かった。

 後一歩で、一旦の安置まで辿り着けたのだ。

 なのに、2人とも、限界を迎えていた。


「行け……無理そうだな」


 本堂の端から、惨状を覗く。


(とりあえず、分かったことを纏めよう。少なくとも、さっきの一撃は、僕たちを狙ったものではない)


 辺り一体が、爪の貫通によって半壊していた。

 先程いた授与所が、風通しが良くなっているあたり、全方位の無差別攻撃である事と、直撃すれば本気で死ぬ事を再認識する。


「何だよ。あの出鱈目な爪」


 巨体のくせに、目で追えない俊敏性。

 怪物の見た目のくせ、正確に心臓をぶち抜く技術。飛ばすも可。突くも可。

 イカれていた。


(鎮痛剤が効き始めるのが大体あと2分……)


 ただ、懸念点もある。

 この薬は、効力と即効性が強い代わりに、効果時間が他に比べ、ものすごく短いのだ。

 既に、僕は腹部の痛みが強くなり始めている。


「結衣、悪いけど走れそう?」

「行けると思う?」

「行けなきゃ、僕たちまとめてあの世行きだ」


 笑い事ではない。でも、何故だか笑いが込み上げてくる。

 彼女は黙り込んで、大きく深呼吸をした。


 ここから先は、更に時間との戦いだ。


「─────シ─────!!」


 何度目かも忘れた、怪物の咆哮。


 ぶん!


 爪の射出が、合図だ。

 走れ。走れ。走れ。走れ。

 極限下の中、刹那で爪を躱し、小屋の前にたどり着いた。


「くそ! 早く開け!」

「─────────キ!!」


 ガチャガチャと、扉を何度も押していると、怪物が気づいてしまった。

 全速力で、怪物はこちらに迫っている。

 ソレは新たな爪を生み出し、思いっきり振り上げていた。


「「せーの!」」


 2人で押し、扉をこじ開ける。

 倒れ込む形で、振り払われた死を躱し、扉を閉めた。


「諦めろ!」


 最早、意地だった。

 体格差を鑑みれば、絶対に勝てない。

 でも、やるしか無かった。


 ドンドンドン!


 と、何度も扉が叩かれる。

 その度に、全身に力が入り込んだ。


「────シ──キ────!!」


 それが、今最後に聞いた言葉だった。

 扉を叩く音は聞こえず、まるで、最初から存在しなかったかのような静寂に包まれる。


「……止まっ……ッ!」


 そう確信し、僕は仰向けで倒れ込んだ。

 誤魔化していた痛みが、全身を支配する。


 小屋は電気がついておらず、天井あたりに設置された窓からの月明かりだけが、中を照らしていた。埃と蜘蛛の巣が、時が止まった、と錯覚させる。


「……多分ね。それより、これ」


 首だけを、彼女の方に振り向けた。


「は?」


 無造作に置かれた道具の中、明らかに異物が混じっていた。

 それは、


「これ……は……」


 

 眠っているかのような姿勢に、手にはボロボロの本を抱えていた。


「……読もう」

「うん」


 彼女は、死体から本を取り、中身を読み上げ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る