第2話

 おなかの中にいる第二子、宇川にとっては初の娘になる子は大血管転位症、通称TGAと呼ばれるものだった。本来肺へと行くべき血管が体へ、体へ行くべき血管が肺へと逆転してしている先天性の心疾患だった。TGAを放置すると産後、新生児が自力で酸素を取り入れることができず、チアノーゼ、つまり酸欠状態になり長くは生きられない。それを聞いたとき、宇川は心臓が大きく鼓動を打ったことを思い出す。

 何がいけなかったのか。健康のためにと飲んでいたサプリが悪かったのか、仕事でストレスを溜めてしまっていたのか、里美と子作りをした翌日に喧嘩してしまったのがいけなかったのか。

 宇川は思いつくだけの原因を思い浮かべたが、TGAの発生原因は不明だと医者は言った。自分の正しく血管の付いた心臓ごとおなかの赤ちゃんと交換してあげたい。そう思ったが、幸い現代の医術では九十パーセント、手術で後遺症なく生きられると担当医から聞いたときは風船が萎むような息が口から漏れ出した。

 今日は出産前の最後の検診日だった。二階に到着し、産科に行くには広い廊下から一度左に曲がり、狭くなった廊下を奥に進む必要がある。宇川はユウと手を繋いで歩こうとすると、すぐに抱っこを求めてきた。ユウの脇に手を入れて抱きかかえ、妻と並んで歩いた。奥に進むと廊下は一気に薄暗くなり、同じ病院とは思えないほど明るさが異なっていた。

「じゃあ、ちょっと待っててね」

 妻がエコー検査のために産科の奥へと入っていった。最初は宇川とユウも一緒にエコーに映るわが子を見ていたのだが、ユウが大人しくしていることに耐えきれずに泣き出して担当医の眉間に皺が寄ったのを見て以来、薄暗い廊下でユウの青美相手をすることにしている。

 パイプ椅子に座らせたユウはまだまだ床に届きそうにない脚をブラブラと前後に揺らしている。宇川はポケットからスマートフォンを取り出してメールを確認した。新卒が入社するタイミングで宇川は有給休暇や遅出、早退することが多くなった。病院の検診は土日が休みなので、どうしても仕事と被ってしまう。かといって身重の妻にユウの面倒を見させながらひとりで病院まで運転させることができるはずがない。会社には無理を言ったが後悔はしていない。

 新卒が送ってきたメールのなかに顧客にまずい対応をしてしまった内容を確認した。こめかみに汗がにじみ、忙しなく親指をフリックする。メールを送り終えたあと横を見ると、さっきまで座っていたユウがいなかった。廊下の奥に目を移すと、息子は不器用な走り方でまっすぐ奥へと進んでいた。

「ユウくん!」

 宇川が小声で叫ぶ頃にはユウは角で曲がるところだった。小走りでユウの元まで向かったとき、ユウは尻もちをついていた。宇川はしゃがんでユウの背中に手をやると、息子の前に赤いヒールを履いた足が見えた。謝ろうと見上げた瞬間、女の姿はなかった。

「ん、ん」

 ユウは尻もちをついたまま、真上を指差している。宇川が差す方を見つめるが特に何もなかった。なぜか背中に寒気を覚えたが、新卒のやらかしたミスの名残りだと思った。

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