緑の蓄積
祭ことこ
第1話
ぼくらは家の中に詰まった父親をどうにかして処理しなければならなくなった。昨日まで父親だったものは3LDKのマンションをみっしりと占領している。緑色のゼリーとして。天井から床まで、すべてがゼリーに占領されているため、ぼくらは家に入ることができない。その緑色のゼリーはスプーンで掬えるほどのやわらかさで、要するにスーパーやコンビニで売っているゼリーと同じようなものなのだが、昨日まで父親だったものということもあり、食べる気はあまりしない。ついでに言うと、スーパーやコンビニで売っているゼリーと異なる点として、カットフルーツやナタデココが入っていないことが挙げられる。手で触るとひんやりしているというわけでもない。冷蔵庫で冷やされていないからだ。でもほんのりとりんごの香料の匂いがする。りんごそのものではなくて。この父親はりんご味のようだった。
「別に食べてもいいんだけどね」
と母は言う。
「ほら、昔は食べたらしいって言うから」
高校の歴史の教科書に載っているような話だ。かつてはゼリーを親類一同で集まって食付していたのだとかいう。血族の関係を強固にするのみならず、食料が少なかったという理由もあるそうだ。
ぼくは答える。
「それ、母さんが子供だったころよりももっと前でしょ」
「それはそうね」
そういうわけでぼくらは処理用のスコップを持って家の扉の前にいる。一般に、死んだ父親を処理するのは家族の役割とされる。かつては親類一同が手伝ってくれたとも言われているのだが、最近ではそのような風習はなくなってしまった。また、専門業者を頼むことだってできるのだが、家から掘り出したゼリーの処理はともかくとして、ゼリーを家から掘り出すところから頼むとけっこうな値段となってしまう。今回は、家の外までゼリーを掘り出すのはぼくらがやって、そこからは業者の人にお願いすることとした。
「大きな車があれば山まで運んであげられたんだけどね」
「大きな、って、トラックがいるでしょ」
「それはそうね」
親類を処理するための休暇として5日が与えられる。父親が死んだ場合は俗にゼリー休暇と言われる。その一日目であった。ぼくは学校を5日も休まなければならないのか、と思うと同時に、これが5日で片付くのだろうか、とも思う。なんせこの家はそれなりに広い。そしてぼくらはふたりしかいない。父親は自分が稼いだ金で買った家だと言っていた。ぼくとしては自分の部屋があるのはありがたいことではあったが、毎週それを言うのはどうかとも思っていた。父親はそうしてゼリーになった。
たとえ家の外で死んでも、死んだ父親が家をゼリーで満たすことになる原理は、まだ解明されていない。
母よりはぼくのほうが若い分体力があるため、ぼくがスコップでゼリーを掘り出し、母が袋詰めしていくという分担になった。袋詰めしたゼリーは、夕方になったら業者が引き取りに来てくれる。
ぼくは玄関を塞いでいるゼリーにスコップを突き立てた。
一時間が経ったところで、処理できたのは玄関の下の方までだった。上の方を処理するにははしごが必要になるだろう。ぼくは手が届くところまでのゼリーをどうにかして掘り出していき、玄関から1メートルくらいのところまで進むことができた。頭上には緑色のゼリーがあって、これが落ちてきたら嫌だな、と思う。
母はぼくが掘ったゼリーをせっせと袋詰めしており、5袋目に突入していた。
このゼリーのよいところとして、家を掃除してくれる、というものがある。
その証拠に、玄関や、父が死んだとき置いてあった靴はぴかぴかだ。ゼリーが汚れを吸着してくれるのだといわれている。
母は言う。
「あの人も最後にはいいことをするものね」
「そのために父親という存在はゼリーになるのかな」
「まあ、ちょっと死ぬのが早すぎたかもしれないけどね」
ぼくはそうは思わない。早く死んでほしいとも、思っていなかったのだが、何であっても、すべては、ちょうどいい、タイミングなのだろう。
定期テスト1週間前というのは、ちょっと、間が悪いともいえるのだが。
一日目は廊下までで終わった。ぼくらはファミリーレストランに行くことにした。台所はまだゼリーに占領されているからだ。
「よく父さんと一緒にここに来たものね」
「そうかな」
「ああ、あなたがもっと小さい頃の話ね」
物心ついたときからは、この緑と赤の看板が特徴的なイタリア料理のファミリーレストランに行くことはあまりなかった。小さい頃は行っていたのか。写真とかもなかったし、ぜんぜん覚えていなかった。
「そうよ、あなたはグリーンピースのサラダをよく食べていたの」
「珍しいね」
他人事のようにぼくは言う。知らない自分は他人と同じだ。子供というのはグリーンピースをあまり好まないものだと思っていた。今の自分はどうかと言われると、好きでも嫌いでもない。グリーンピースの話だ。
ぼくはサイコロステーキを、母はハンバーグを注文した。ゼリーの処理は、かなり身体的に疲れる仕事だ。やわらかいとは言っても、質量がある。肉を食べなければやっていられない。
サイコロステーキを選んだのは、切り分けなくてもよいからだ。
母はデザートとしてアイスクリームを選んだ。バニラ味の。ぼくはメロンサンデーにした。
「サンデーの由来は日曜日にしか売ってなかったからなんだって」
メロンを頬張っていたところ、母が言った。
「じゃあ休暇にはぴったりだ」
「休暇って言っても、明日も、ゼリー退治よ」
その日はホテルに泊まった。あの家で眠るのは、現在のところ難しい。
父親が死んでから3日目、ゼリー休暇2日目。学校から電話がかかってきて、調子はどうかと聞かれたので、ぼちぼちですねと返す。
「補習はちゃんとあるから、安心して家の片付けがんばれよ」
と、何を安心すればいいのかわからないことを言われる。
たしかに、学生の時にゼリーを処理しなければならなくなる家は、今となっては少ないことだろう。しかし、小学生の頃だって、隣の席の人が5日間学校に来なくなることは、あった。もっとも、処理の頭数には入らないだろうが、近しい親族であれば、儀礼的にゼリーを片付ける手伝いは、しなければならない。
ゼリーの片付けは、喪の儀式であるといわれている。
地域によって差はあるのだが、何らかの方法で家の中を占領するゼリーは片付けなければならない。その過程で、人は、父親というポジションにあったものの死を受容するのだ。
結局のところ、ぼくは今、悲しいのか、うれしいのか、わからずにいる。
わからないのだが、ゼリーは山積みで、ぼくらはそれを片付けなければならない。
スコップを入れる。
スコップいっぱいの緑色のゼリーを袋にいれる。
スコップを入れる。
その繰り返しだ。袋を専門業者に引き渡して、また明日。
3日目には、どうにかリビングまで到達することができた。これでホテル暮らしからも卒業だ。天井も、床も、ゼリーに汚れが吸着されたおかげできれいになっていた。
新品のようにつるつるのフローリングの上を歩きながら、ぼくは父の不在を思った。父親がいなくなったから、ぼくらはこういう面倒なことをしなければならなくなっており、父親がいなくなったおかげで、家はきれいになった。
しかし家はいつかまた汚れていくものだ。
しかしフローリングはまたくすんでいくものだ。
そうしたらまた誰かが父親となって、家を掃除するために死ぬのだろうか、だなんて、ありえないことを考えたりしながら、次は畳だね、と思う。
「それにしても」
と母は言う。台所もどうにか片付いたので、明日の朝食はぼくが作ることになるだろう。
「どうして父親という存在だけがゼリーになるんだろうね」
母親は死んだら砂になる。
どちらでもないものの死体はそのまま残る。
ぼくがどうなるかは、まだわからない。
緑の蓄積 祭ことこ @matsuri269
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます