第8話




「彗。キッチンにグミ置いてあるから持って行きなさい。」


家を出る支度をしていると、居間のソファーから母の声がする。見に行くと、ゴロリと横になりながら下腹部を撫でている。少し顔色が悪い。


「ありがとう。帰りに何か買ってくる?」


「お父さんに頼んであるから大丈夫よ。楽しんできてね。」


私に心配かけまいとする声に、私はいつものように返事を返す。


「うん。行ってきます。」


「お姉ちゃんに、行ってらっしゃいしようね。」


母が私の手を取り、下腹部に押し当ててくる。大きくなっているけれど、ただのお腹の感覚で。やっぱりまだわからない。

でも、母の少しカサついた手の柔らかさを感じられて、私は笑顔になる。


「声かけても聞こえてないって、ネットに書いてあったの。寂しいな。」


「こういうのは雰囲気よ。行ってらっしゃい。」


体調が悪いのに、わざわざ買って来るなんて。嬉しいけど、無理もしないでほしい。複雑な気持ちと共に、キッチンに置いてあるグミをバッグに押し込み、玄関に向かう。

少しは運動しないととは言っていたが、あんな状態になっても運動を必要とするとは。妊娠って大変なんだな。


今日の服は勝負服。白いシャーリングキャミワンピに、ピンクのシフォンブラウス。うん、可愛い。ネックレスもつけて、姿見で髪型の確認をして。全体の出来も確認する。もちろん、前髪も。おっけーだ。イメージ通り。


「行ってきます。」


家を出て、近くのバス停から図書館行きのバスに乗った。さっき透から、家に迎えに行けなくなったと連絡が来た。図書館の最寄りのバス停で待っているとのことだ。透は自家用車で来るのかな。


後ろの座席で揺られながら外の景色を眺める。歩道を歩く人は郊外に行くと殆どいない。暇つぶしにすれ違う車の車種を眺めているが、緊張が解れない。大丈夫だという確信があるけれど、でも緊張するものはする。


四台目の外車とすれ違った辺りで、目的のバス停が近づいてきた。


「……あ。」


遠目でもはっきりとわかる、細長いシルエット。透がバス停側に立って待っている。今日は落ち着いた灰色のスーツだ。おそらく午前中に用事があったのだろう。

疲れただろうに、それでも私の為に来てくれたのがどうしようもなく嬉しい。


太陽の中に凛とした出立ち。素直にカッコいいと思うから、ため息が出る。上手く気持ちを言えるだろうか。


透は私の乗るバスをじっと見ていて、私を確認できたのか静かに下を向いた。どんな表情かわからないけど、迎えに来てくれているので歓迎されているようだ。一安心。


バスから降りると、優しく笑って迎えてくれる。それがとても擽ったかった。以前の透とは大違い。少し前の私が知らなかった透。


「迎えに来てくれて、ありがとう。」


「迎えに行けなくてごめんな。勉強会が長引いたんだ。」


「いいよ。それで、終わって来たの?」


「いや、大事な用事があるって抜けてきた。心配しないで。あとはお茶会の流れだったから良いタイミングだった。……君に会えるのを凄く楽しみにしていたよ。」


「う、ん。私も楽しみにしてた。」


透の素直な気持ちに対し、私は左の靴先を地面に少し擦らせる。やっぱり擽ったい。


「行こうか。」


透は手を差し出してきた。私も素直に手を繋ぐ。見つめ合って、2人で笑った。図書館に向かって公園内をゆっくり歩いていると、透が私をじっと見つめてくる。


「今日の服も似合ってる。可愛い。」


「そ、そう?ありがとう。」


「うん。凄く可愛い。前に着て来てくれたのも、全部可愛かった。」


「そんな事言うなんて。透じゃないみたい。」


透がピタリと歩みを止めると、私を真剣に見つめてくる。


「ごめん。」


「何が?」


「長い間、君にどう話しかけたら良いかわからなくて。どうしたら、俺を気にしてくれるかなって。覚えてくれるかなって。あんな態度をとってた。


自分でも酷い言い方をしている自覚はあったんだけど。他の方法がわからなくって。


今まで本当にごめん。俺、変わりたいんだ。俺を知って欲しい。」


頭を下げて謝罪してくる。先生の言葉を思い出した。周囲から見ればいちゃついているように見えていたって。実際言動は苦手だったけれど、悪意は感じなかった。私も逃げたり、はねつけたりできたハズだ。鬱陶しいけれど、傷つく事は無かった。


「もういいよ。でも、何で態度を改めたの?」


「ずっと働いてくれていた運転手さんが定年になって。半年前位に、この前君が会った人に代わったんだ。

あの日、君を送った後に……えっと、その。君への態度が酷すぎるって叱られてさ。その通りだって反省したんだ。そしたら、言葉選びや接し方を教えてくれてさ。まだ自然ではないんだけどね。」


あの運転手さん。遠慮が無いタイプなのか。あの透をここまで矯正できるなんて、有能な人なんだろう。


「上野で初めて2人で会った時、君があまりに可愛くてさ。前日から、なんて声を掛けようかとか、どんな話しをしようかとか沢山考えていたのが全部頭から抜けてしまって。焦ってしまった。

緊張し過ぎて、酷い態度をとってしまった。本当にごめん。スズさんからもあの後、説教された。


嬉しい気持ちや幸せな気分は素直に声に出すべきだと教えてくれてさ。俺は君に会えるのが嬉しいし幸せだって、これからは沢山伝えたいんだ。」


私に会う度、睨み付けてきた透。透の内面はこんなに情熱的だったのか。素直に嬉しい。


「実は、電車の乗り方も運転手さんと練習してたんだ。でも、本番では失敗ばかりして。君に悟られないようしていたんだけど、内心恥ずかしかったよ。」


「あ、うん。それは見ててよくわかってた。練習してきてくれたんだなって。嬉しかったよ。私と出かける為、だよね?」


手を繋ぐアドバイスも運転手さんがしてくれたのかな。運転手さんの爽やかな笑顔を思い出す。ありがとうございますと、心で感謝を伝えた。


「君と、こうやって手を繋ぎたかったんだ。側で俺に笑いかけて欲しかった。ずっと思ってた。」


「私も、透とこうして一緒にいられて嬉しいよ。」


透は私の言葉に、今まで見たことが無いほどの幸せそうな表情を浮かべた。私も、きっと同じ表情をしているんだろうな。


「ありがとう。とても嬉しいよ。


ここの図書館には臨書が多くてさ。君と一緒に見たかったんだ。行こう。」


「うん。」


透は自分の思いを全部話してくれたのだろう。私の心にストレートに彼の想いが伝わる。真摯な態度に、私は彼とこれからも一緒に居たいと心から思えた。この想いは帰りに伝えよう。


図書館に入り、透と共に書籍を読み込む。私や透とは全く違う書体の内容は、見ていて勉強になった。

お互いに無言だけれど、指をさしてここが良いという風に笑うだけで、私達は心が通じ合っていた。


私はその後、育児書コーナーへ立ち寄り、赤ちゃんの生活を調べてみた。これからの生活の為だ。

なんと、赤ちゃんは2時間毎に泣くので、その都度お世話が必要らしい。理由がなくても泣くらしい。なんでなの。

ただでさえ母は体調が悪いのに、倒れてしまう。私にできるお手伝いは、ご飯を作って掃除と洗濯をする事くらいかな。オムツ交換とかも書いてある。これ出来るかな。赤ちゃんの抱っこの仕方は、本を見ているだけじゃよくわからない。


ついてきた透も育児書を手に取り、よくわからない顔をしている。透は一人っ子だからそうなるよね。かく言う私も最近まではそうだったけど。 

ふと、透と2人でこのコーナーにいるのが恥ずかしくなった。


「お手洗いに行ってくるね。」


「おう。」


少しだけ一人になりたい。こんな顔みせられない。女子トイレに入り、手洗い場の鏡を見る。どれだけ緊張しているのよ。今日は透に言うんでしょ。

気合いを入れ直すために手を水で洗うと、水の冷たさでほんの少しだけ冷静になった。バッグからハンカチを取り出して手を拭いていると、見知った4人がトイレに入ってきた。


「……ブス。ちょっといい?」


透の取り巻きの女子4人だ。まさかここで会うなんて、最悪だ。一応顔見知りなので、一礼してからすれ違う。なぜか肩を掴まれた。


「ちょっと待ちなさいよ。」


「何?忙しいんだけど。」


4人はモゴモゴと言いづらそうにしつつも、リーダー格が私を睨んできた。


「いつから透様と付き合ってるの?」


「付き合ってない。」


「じゃあ、何で2人で図書館に来てるのよ。しかも、出産とか育児の本を読んでるなんてっ!」


「リーダー。それは彼女のきょうだいが産まれるからだと思いますよ。」


「はっ!そ、そうよね。」


困ったな。透を呼ぼうかな。


「私達、ずっと透様を側で支えてきたの。それなにの最近、あの方の様子が変わってきて。私達に、大切にしたい人がいるからって。こういった行為はもうやめて欲しいって頭を下げてきたのよっ!」


「普段から離れた所から見てるだけだけどね。」


「貴女は一々煩いわよ。それでね、透様の幸せのためにも私達で身を引いて慰めの会を開催するの。だから、謝ってちょうだい。」


「何を?」


「私達に謝罪して。そうしたら透様を獲った罪を許してあげても良いわ。」


これは面倒な相手だ。そもそも、付き合ってようが無かろうが、彼女達には関係ないのに。


「恋に勝ち負けなんてないと思うけど。だって、透は誰のものでもないでしょ?透は透だよね?」


「………。」


暫く黙った後。リーダーが泣き出した。


「貴女、透様を不幸にしたら許さないから。覚悟しなさい。」


「いや、付き合ってないって。」


「行くわよ。」


4人が嵐のように去って行った。透の元へ戻ると、不思議そうな顔をして私を見てくる。


「何かあった?」


「そうだね。そのうち話すよ。ごめんね、今日は疲れたから。私帰るね。」


告白するとか、そんな気は失せた。一気に疲れが出たので、家に帰って休みたい。


「ええっ…そ、そうか。わかった。ちょっと待って、送らせてくれ。」


透はスマホを取り出して運転手さんにメッセージを送った。外に出ようと手を差し伸べらたけれど。私は誰かに見られてる気がして、透にニコリと笑いかけて手は繋げなかった。


迎えの車に座ったはいいものの、窓の外を見て無言の私達。迎えに来てくれた運転手さんが、呆れたような戯けたような声色で、声を掛けてきた。


「おや、お二人とも。どうなさったんですか?」


「いえ、別に。」


「何でも無いです。」


「そうですか。よくわかりました。」


沈黙のまま家まで送ってもらい、私側のドアを開けようと、透が外に出たタイミングで運転手さんが話しかけてきた。


「彗さん。また透さんと会っていただけますか?」


「えっ。あっ、はい。勿論です。」


「ありがとうございます。」


透がドアを開けて、おずおずと手を差し伸べてくる。私は申し訳なく思いつつ手を取った。


「気をつけて。」


「忙しかったのに来てくれて、嬉しかった。ありがとう。」


「君に会いたかったんだ。だから、俺のほうこそ。来てくれて凄く嬉しかったよ。

それで、これ。君に似合うと思って。次に会う時に着けてくれたら嬉しい。じゃあ。」


透から小さな箱を貰った。見送られながら家に入り、自分の部屋であけてみると。私の誕生石と同じ色の石のついたブレスレットが入っていた。コチラも薔薇のモチーフだ。とても可愛いくて、一目で気に入った。


「あれ。そういえば。」


以前プレゼントしてくれたネックレスと並べる。こっちは透明の石。よく考えたら、これ透の誕生石じゃない!?私は、頭を抱えた。


今まで私、コレつけてたの!?私は全身が真っ赤になった。お礼のメッセージ、何て送れば良いの?いつから?


私の誕生石と透の誕生石が、並んで光を含んで輝く中。悩んだ末に『ありがとう。気に入りました。』とだけしか打てなかった。


後日。透の取り巻き達は強制解散したらしい。あれから一度も姿をみなかった。

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