第7話



透と出掛けた次の日の朝。書道教室の日なので、道具を持って学校へ行く途中。透から『おはよう』とだけメッセージが届いた。私は暫く悩んだ末『おはよう。昨日は楽しかったね。』と自分の気持ちを伝える。暫くして、教室に着いたころ。


『俺も君とデートできて楽しかった。今週土曜日の午後空いていたら、一緒に図書館に行かないか?考えておいて。』


「うっ、そっ。で、デート。」


思わずスマホを鞄に仕舞い込む。自分の席に座り、こっそりもう一度確認するけど見間違えではない。透のメッセージが声として脳内に響いてくる。

いや、駄目だ。気を取り直して荷物を片付け、友達に何も無かったかのように挨拶をして。朝礼をして、授業を真面目に聞いているけれど。


「…それで、アップデートされ…」


『デート』


一々似た言葉が聞こえる度に、透のメッセージと彼と繋いだ手の温もりを思い返してしまう。私、どうしちゃったのかな。


「はじめちゃん。悩み事?どうしたの?」


「そうそう。何かいつもと違う。」


お昼ごはんの時間に、友達達が心配してくる。できるだけ平静を装ったのに。困った。


「あー、その。お母さんがまた体調悪くてさ。ちょっと心配なの。」


嘘ではない。最近、母の寝込む時間が増えてきている。昨日は朝食を作ってくれたけれど。昨日帰り着いてから今日私が学校に行くまで、ずっと横になっていた。


「そっかぁ。大変だね。赤ちゃん、元気に産まれてくると良いね。年離れてたら、めっちゃ可愛いって聞くし。」


「ねぇ〜。職業体験で子供園行った時も、ちびっ子達すっごく可愛かったし。」


「わかる〜。」


スマホは一切見ないようにした。授業を真面目に聞いて、友達と他愛無い話で盛り上がって。そうしないと、透が世界の中心になりそうで。こんなのは初めてだから、怖かった。


学校が終わり、次のテストの予習をしたくて課外授業も受ける事にした。頭の中をいつもの日常に保ちたかった。

鉛筆を握るのは感覚が違うから。余計な考えをしなくて良い。芯をノートに押し当て、私は意識して硬い字をガリガリと書いた。


まだ将来何になりたいかなんて決められないけれど。勉強をしておけば幅広い分野を選べると、父がそう教えてくれた。だから、私は自分の為に勉強に励む。私の大事な日常。

日が暮れて、学校が閉まるまで。私はノートと問題集に向き合った。


ーーー


「彗はそうきたか。」


「へっ?」


今日は学校を出るのがいつもより遅かったので、書道教室にいる生徒はいま私だけ。先生と隣り合って練習している。私は真面目に筆を執っているのに、先生は横から呆れた顔で私の半紙を見ていた。


「バランスが悪かったでしょうか?」


「い〜や。そう言う訳ではないよ。」


そう言うと先生は自分の筆をとり、朱墨汁につけて私の半紙に三重の花丸を書いた。まるで幼稚園児相手みたいだ。


「よくできました。ほんと。」


「何ですかその言い方。馬鹿にしてません?」


「まあ、人の気は変わるって言うからねぇ。安心しなよ。君が他の書道教室に行くって言っても、僕は咎めやしないから。」


やれやれとため息を吐きながら言う先生に、私は不快な気分になる。


「ちょっと待って下さい。どうしてそんな話になるんですか?」


「そりゃあねぇ。ほら、ここの感じ。今までの君の書き方と大違いだ。普段はこのまま…こんな感じに流してたでしょ。」


先生が私の文字の上から朱色で書き足す。それを見て私は唖然とした。そうだ。この筆使いは私では無い。

先日、透と沢山海で書いた思い出。それがこうも顕著に出るとは。我ながら恥ずかしい。浮き足だっていたんだ。


「透君と同じ教室に通い始めたのなら、無理にここに来なくて良いんだよ。義理とかそんなのは良いからさ。」


「行ってないですっ!」


私は思わず立ち上がった。驚く先生に、悲しくなった。そんなんじゃないのに。私の日常が崩れていく感覚に襲われる。嫌だ。


「私はここで習いたい。先生が良い。駄目ですか?……迷惑、ですかっ?」


「え、本当に?行ってないの!?ご、ごめんね。本当にごめん。」


先生が慌てて立ち上がり、私の背中を優しく撫でてくれる。その手が、先生のお母さんと一緒で懐かしかった。自分が幼い子供になった気分だ。


先生には裏切られたって思われているのかな。私は無自覚に先生を傷付けたんだ。


「先生、ごめんなさい。そんなつもりはなくて。ちゃんと書いてたのにっ。」


「わわわわっ。ごめん。ごめんね。すこし、寂しい気分になっちゃって。今後はあっちに行くのかなって。」


先生が慌てふためいて、必死に私に謝罪をしてくる。手つきは先生のお母さんと変わらないのに、こういう所は先生だ。


「えっと、えっと。透君の影響を受けるのも良いと思うよ。模写から学んでいくものだから。それを君が今まで積み上げてきた経験に生かせば良い。うん、そうそう。そうだから。」


「先生、私、ここで習っていきたい。他には行きたくない。駄目ですか?」


「うんうん!大歓迎!これからも宜しくね。僕も勘違いしちゃってごめんね。」


私が落ち着くまで、先生は優しく背中を撫でてくれた。そして、鼻を噛んでスッキリする頃。先生はお茶を淹れてくれた。勧められて一口飲むと、温かさとほうじ茶の香りで心が落ち着いていく。


「彗はこういった影響を受けやすいんだね。」


「そう、なんでしょうか。」


「そうだよ。別物だったからさ。習い始めたと思うくらいに。」


無意識に私は私でなくなっていたのか。もう一度、自分の文字を見てみる。落ち着いたからだろうけど、確かにこの雰囲気は透に近い。


「先生。私は自分の文字を書きたいです。」


「どっちも君の作品だけれど…。まぁ、ゆっくりでもいいんじゃないかな。では、感覚を取り戻す為に、今の文字を一緒に書こうか。」


「はい。お願いします。」


お茶を飲み干し、私は文鎮を退けて半紙を新しいものに変える。背筋を伸ばして筆を持つと先生が私の後ろに座り、自分の手を重ねる。


「集中しなさい。」


耳元で先生の声が響くと、私は先生の世界に一気に引き込まれた。

穏やかで、静けさに流れていく優しい筆使い。とめ、はらい。私の知る先生の文字。

墨の香り、筆からにじむ墨汁。かすれる半紙。先生に導かれるまま、先生の動きに私が重なり、一つの動きとなった。


「……どう?」


「はい。ありがとうございます。」


筆を置いて、先生は静かに自分の席に戻った。私は自分の手の動きが覚えている内に、半紙を新しい物に変えて筆に集中する。

墨が滲み、文字となっていく。私の文字が完成していく。書き上げると、先程とは違い私の文字がそこにあった。先生のおかげだ。


「うん。良いね。いつもの彗の中に、新たに光るモノが見えるよ。この調子で次の課題に取り組もうね。」


ポンポンと私の頭を優しく撫でてくる先生。私が幼稚園の時から変わらない優しい先生。


だからかな。先生には、この気持ちを相談したい。親ではなくて、先生に聞いてもらいたい。


「先生。私、私ね。透が好きみたい。」


「…えっ?」


「会う度に嫌味言ってきて、何考えてるのかわからなくて。でも、最近、凄く優しいのを知って。一緒に居たら楽しくて。もっと、もっと一緒に居たいって思って。

考えないようにしてたのに、今日はこんな事になって。私、自分でどうすれば良いかわからない。」


「う、う〜ん。」


先生は顎に手をやり、眉を顰めて難しい顔をした。私をじっと見てきて、ポツリと言葉を出す。


「あれで付き合ってなかったのが信じられないんだけど。今時ってそんなものなの?」


先生の言葉に、私は呆然とした。先生からはどう見られていたのだろう。


「えっ、えっ?」


「いや、だってさ。そうだとしか思ってなかったよ。透君、会う度に彗の様子を聞いてくるし。表彰式で壇上にいる時も、君にばかり視線を送ってるし。あれはアイコンタクトだとばかり。

そっか〜。これは僕の勝手な意見なんだけれど、彗から告白しちゃいなよ。喜ぶよ、透君。」


私は自分の全身まで赤くなるのを感じる。そんなの、気がつかなかった。取り巻きが弾き出そうとしてたのは、もしかして?まさか?そんな。特別だから?


「嘘みたい。」


「いや、事実。幼稚園の時から透君は変わっていないよ。彗が鈍いだけ。透君が幼稚園の時から『おじさん、ハジメにさわるな。はんざいしゃ。』とか言われてさ。小学生の時なんて『ロリコンのオッサンは消えろ。』だよ。中学時代は……やめておこう。何度敵視されたか。いゃ〜、懐かしい。」


先生がなつかしそうにポリポリと頬をかき、こちらをニヤリと見つめてくる。


「2人とも可愛いねぇ。」


「いっ、言わないで下さいっ!」


私の知らない透がいるんだな。先生に相談して良かった。そうだ。私は変わっていない。透とも、もう一歩だけ。前に進んでも私の日常は変わらないんだ。

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