第5話
今日は春の書道コンクールの受賞式がある。私は水色のワンピースに身を包み、迷ったけれど透から貰ったネックレスをつけた。姿見で確認するけれど、よく合っている。
「物は物だし。貰ったんだから使わないとね。」
バッグに透へのお返しのパスケースを入れて、ソファーで横になる母に声を掛けて、家を出た。
ーーー
「今回の透君の作品。いつも以上に凄みが出ていて良いねぇ。」
「この砕けているようで纏っている書体。いやー、次の作品も楽しみですよ。」
透はやはりと言うか。壇上の一番良い立ち位置にいる。他にも壇上に上がっている人達はいるのに、フラッシュを一身に浴びている。その場にいる人達が透を絶賛し、独壇場となっている。
どうしよう。渡すタイミングがつかめない。後でメッセージで住所を聞いて、家に贈ろうかな。いや、家の住所書いて無かったから知られたく無いんだろうし。教えてくれるかもわからない。
いいや、後で考えよう!
私は展示されている作品に集中する。夏をイメージして書かれているだけあって、どれもが熱をもって生き生きとしている。ああ楽しいな。
「彗、気に入った作品は見つかったかな?」
隣の会場で開催されている展覧会に先生の作品が展示されているから、今回は先生も来ている。
教室にいる時とは違い、いつも若干乱れている猫っ毛をしっかり後ろに撫で付けて礼服に身を包む姿は、別人みたい。いつもの眼鏡ではなく、コンタクトを着けているからかな。
丸い目が更にキラキラと輝いて、沢山の作品を楽しそうに追っている。そんな先生を見るのが好き。
「先生の作品が一番好きです。先生の優しさが出ていて、見ていて心地良いです。」
先程、展覧会でスズさんらしき人の作品を見つけた。秀美の一言で表現できる洗練された筆使い。透が好きなのも納得だ。私も大好きになった。先生が一番だけど。
「ありがとう。素直に嬉しいよ。透君のは見てきた?」
「いえ。まだです。」
「彼、何か心境の変化でもあったのかな。筆使いがいつもより情熱的だったよ。一緒に見に行こう。」
先生がニコニコと笑う。珍しいな。そんなに面白いのなら行ってみよう。先生と共に、一際人だかりになっている透の作品を見に行く。探さなくても、すぐに見つかった。
「うっわぁ……。見てるこっちが恥ずかしくなってくるよ。」
透の書体は以前より劇的に変化していた。強く、情熱的で、伸びやかかと思えば最後まで熱を帯びていて。暑苦しくて、真正面から見たく無い。もうお腹いっぱい。
集団から離れて一息つく。確かにあれは一際目立つ。最優秀賞なのも納得だ。
「ね?良かったでしょ。」
「良かったというか。私には受け止めきれませんでした。」
「んふふ。だろうね。」
透の作品を賞賛している先生に、私は謝りたくなってしまった。
「今回も良い成績を出せなくて、すいませんでした。」
「僕が彗の書く作品を良しとしたんだ。責任があるとしたら、僕の方さ。母のように君の力を十分に引き出してあげられなくて、ごめんね。」
先生が私の頭を優しくポンポンと撫でてくる。その撫で方が先生のお母さんと一緒で。私は悲しいような嬉しい気分になる。
幼稚園の時に、先生のお母さんの営む書道教室に通い始めたころ。先生はそこの生徒の一人だった。年上の優しくて穏やかな筆使いのお兄さん。一緒な時間に練習できるのを楽しんでいた。気がつけば、私の目標はいつの間にか先生になっていった。
私が中学を卒業する頃、先生のお母さんが急死した。書道教室もこのまま無くなると覚悟したのに、先生が継ぐと言ってくれて。本当に嬉しかった。
私は書くのが好きだけれど。教室の為には先生も私も上の賞を狙っていくべきなんだ。
「次に向けて、より良い作品を書いていこうね。僕は彗の書く文字が好きだよ。」
「ありがとうございます。頑張ります。」
表彰式が終わり、人がバラけだす。先生が審査員から声を掛けられた。
「じゃあ、僕は臨書の勉強会の打ち合わせがあるから。」
先生が行ったので、もう少し見てから帰ろうかな。出口付近に向かおうとしたら、いきなりドスンと左肩に重みがきた。こんな事をするのは透しかいない。
「………毎度毎度。私は肘掛けじゃないよ。」
「そうだろうね。ねえ、『秀作』さん。気が散るような心境でもあったの?君らしいと言えばそうだけど、筆が遊んでたよ。」
綺麗な水色の着物から除く透の腕は、日にあまり焼けていない肌色で。小麦色に焼けた私との違いに少し恥ずかしくなる。
「私はこれから上がっていくの。それより透、何でそんなに怒っているのよ。」
透は目を細め、眉間に皺まで寄せている。壇上との違いに写真撮ってやろうかな。
「君さ。あの先生をどう思っているの?」
「質問の意味がわからないけど。先生は尊敬しているし、先生の作品が大好きだよ。
それより、透のアレは何?すっごく暑苦しくて直視できなかったよ。スズさんを意識して書いたとか?」
「………何を勘違いしているんだ。君は俺を分かってくれているんじゃないのか?」
透が私の襟元をじっと見てきた。そうだ。お礼をしないと。
「ネックレスありがとう。」
「君に似合うと思って、選んだ。」
そう呟いた透の耳元が赤くなる。このネックレス、私の為に選んで、買ってくれたんだ。
「よく似合っている。」
どうしよう、嫌な気持ちではない。汗が噴き出る。顔が熱い!
そうだ!いま言わないと!
何故だかわからないけど、必死な気持ちで言葉を絞り出した。
「あのさ、私からも渡したいものがあって。使ってくれるかな?」
私はバッグから箱を取り出して透に渡す。透は目を見開いた。そんなに驚くことないじゃない。透はその場で箱を開けた。反応を恐る恐る伺う。
「パスケース?」
「うん。よく使うものをって選んだの。」
「ありがとう。大切に使うよ。」
透は、嬉しそうに微笑んだ。パスケースにしてよかった。安堵のため息が漏れる。
安堵する私を横目に、透は箱を袂に仕舞いこんだ。他の人からもらったプレゼントはお付きの人に渡すのに。お付きの人も近寄ってくる気配もない。
さて、目的は果たしたので帰るかな。
「じゃあね。」
透にクルリと背を向け、先生を探して見回していると、肩をガシリと強く掴まれた。
恐る恐る振り返ると、透は私を睨みつけていた。私は先程とのギャップに、戸惑う。
「まさか、今日は君の先生と2人で来たの?」
「そうだよ。お母さんちょっと体調悪くてさ。」
「今からは?帰るのか?先生と2人で?」
「1人で帰るよ。先生は勉強会だって。先生に声かけてから帰ろうと思って。」
少し離れた場所にいる先生が、揉めているのに気がついた様子でこちらを見ている。手を振って来た。どういう意味?
「……………」
透は怖い顔して黙ってしまった。遠くで取り巻き達が私に、早く消えろとジェスチャーしているし。なんだコレ。
「私はこの辺で。最優秀賞おめでとう。じゃあね。」
緩んだ透の手。チャンスとばかりにすり抜けて帰ろうとしたら。透に手首を掴まれた。私を引っ張って歩きだす。透の表情は伺えない。
「ちょっと!そっち出口じゃないんだけど!」
「家まで送る。」
「いや、駅まで直ぐそこだし。透を待ってる人達がいるでしょ!」
透は私の手首を握ったまま会場の裏口を抜けて、駐車場に停まっている一台の黒い車まで無言で歩いた。
どうみてもお父さんに見えない、若い男性が座る運転席のドアをノックすると。運転手の男性はドアを開けて降りてきた。
「透さん、お疲れ様でした。」
「すみませんが。彼女を家まで送りたいので、遠回りしていただけますか?」
「それは勿論。どうぞ。」
運転手さんが後部座席のドアを開けて乗るよう促してくる。透は手早く乗り込み、早く乗れという態度だし。手首は離してもらえないし。
「えーと。歩いて帰りたいなって……わかった。わかったから!失礼します。」
透の目に射殺されそうになった。大人しく降参すると、手首は解放された。車に乗り込んで、シートに座った。触り心地良いな。さすが高級車。運転手さんがドアを閉めてくれた。
私たちを乗せて車が発進する。駐車場から出て流れに乗って走り出す。外を見ているフリをして窓ガラス越しに透を見ると、前を向いたまま無表情だ。
「なあ。海は好き?」
透が私に聞いてきたので透を見遣る。変わらず前を向いたままだ。
「うん。この時期になると、親と潮干狩り行ったり、書道教室の皆んなでバーベキューしたり。楽しい思い出が多いから、好きだよ。」
「……………。」
ま、まずい。良くない返答をしたようだ。透から怒りが滲み出ている。好きかって聞いたのそっちじゃん。
沈黙が続いて気まずくて外を見ていると、透が再度口を開いた。
「明日は暇?」
「え?明日?図書館行こうと思ったくらいだから、暇と言えば暇かな。」
「明日の9時に家に迎えに行く。」
「はい?」
海に行く事で決定されている。
「えっ。本当に行くの?」
「タイミングが悪くてすみません。到着しましたよ。」
「えっ?」
車が停まり、運転手さんが声を掛けてくれる。私の家の前にいつの間にか着いていた。そういえば私、道案内して無い!どうして運転手さんまで私の家を知っているのよ。
「……開けるから待ってろ。」
透が車から降りドア閉めると、運転手さんが小声で嬉しそうに話しかけてきた。
「心配されなくても大丈夫ですよ。」
「えっ。なにがですか?」
「それは…。」
「ほら。手をかせ。」
透がドアを開けてきたので、降りるしか無い。手はかしたくなかったけど、親切を無碍にできるだけの根性は私には無かった。
そっと手を置いた透の手は大きくて、長い指は見た目より節が太い。男性の手だ。
車から降りてもしっかりと握られて。困惑する私を、透がじっと見てくる。
「夜更かしするなよ。」
「本当に行くんだね。」
「嫌か?」
透に見つめられ、恥ずかしくなってしまった。透はずっと苦手だと思っていたけれど、これは透という人を知る良い機会かもしれない。
「その。えっと……楽しみにしているね。」
「俺も。」
こんな優しく笑うなんて。
「じゃあ、ありがとう。また明日。」
「おう。」
透に見守られながら、私は家に入った。顔、絶対に赤くなってる。恥ずかしい。
家に入ってから、母に透と海に行くことを話した。母は口端がニヤけるのを堪えきれないよう。満面の笑みで、楽しんできてねとお小遣いをくれた。
自分の部屋に入り、姿見に映る自分を見てハッとした。そうだ。明日どんな服装で行こう。透の私服を見た事ないや。着物では来ないだろうし。Tシャツはラフ過ぎるかな。やっぱりスカート?ああ、もう!何で明日なんだろう!
書道教室の皆んなと遊びに行くって思えば良いじゃない。そうよ!深く考えたらダメ。
エメラルドグリーンのブラウスと、ホワイトのマキシスカートをクローゼットから取り出す。服を体に当てて姿見に映る自分を確認した。
「ネックレスも着けて行くべきかな?」
鏡の自分に問いかけたけど、答えは返ってこなかった。
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