第4話



雨の降る休日。私は自分の部屋で硯に向かい固形墨を擦っていた。


陸で少量の水と練られていく墨が緩やかに色づき、次第に粘度を増し香り立つ。更に水を追加すると美しい淡墨へとなり、海へ緩やかに流れていった。


少し開けた窓から、雨どいを伝い地面に落ちる雨音。雑音が吸収され、気持ちが落ち着く。


『ピンポーン』


好みの淡墨が仕上げられそうな所なのに、玄関のチャイムが鳴った。宅配便が来たのかな。取りに行くと、とても小さな小包を受け取る。なんと私宛だった。


「なんで私の住所知って…それに透の住所は書いてないじゃない。同上って何?こわ。」


透の文字はご機嫌だ。何が入っているのだろう。不安でしかない。


「何が届いたの〜。」


「わかんないんだけど、透から。」


居間のソファーで横になり寝ている母に小包を見せる。母は顔色が良く無い。寝るしか方法は無いそうだけど。ベッドで寝ていれば良いのに、気分転換にと居間で横になっている時間が増えている。


「開けてみるね。」


カッターを使い開封すると、手のひら程の大きさの箱。開けて大丈夫だよね。私は若干の恐怖を抱きながら蓋を開けてみると。


「……えっ。可愛い。」


透明な石に薔薇の花がついたネックレスが入っていた。他は何も入っていない。


「あら〜。透君ったら……やるわね。」


「私、誕生日でもないのに。どうしよう。」


「着ければ良いじゃない。折角プレゼントしてくれたんだからさ。」


「高そうだな。何でくれたんだろ?」


人差し指の爪程の大きさなので、使い勝手は良さそう。透はこういったモノを選ぶセンスがあるようだ。一目見て気に入った。


「彗によく似合うわ。そうだ、彗もお返ししないとね。そこにかけてある鞄から財布取って。お金渡すわ。」


テレビ台の横に置かれた母の鞄を開く。財布と一緒に母子手帳が見えて、私はくすぐったい気持ちになった。


「どんなお返しを買えば良い?」


「それは彗が選びなさいよ。透君ならどんな物でも喜ぶわ。」


変にニヤつく母からお金を受け取り、私は一瞬悩んだけれど、部屋に戻りスマホを手に取る。


『荷物届いたよ。』


透にあえて一言だけメッセージを送り、反応を見る。返事が来るまで練習していよう。お金を財布にしまって筆をとる。お返しは後で考えよう。


「……………。」


気になる。チラリとスマホの画面を見るが、そんなに直ぐは返事が来ないだろう。集中しないと。


「……………。」


まだ10分も経っていないけど、スマホを開いて確認する。既読になってるじゃない!何か言って欲しいのに。いっその事、電話しようかな。何の目的があってネックレスを送ってきたんだろう。


何かのついでとか…あ、誰かに渡そうとして、断られたから勿体無くて私に送ってきたとか。そうかもしれない。透明な石っていうのも、よくわからない。調べるのも怖くて、スマホを伏せた。


スズさんが思い浮かんだ。あの人の為に選んだんだろうか。素敵な人だった。


「それなら納得ね。」


深く考えない方が、自分が傷付かない。


ーーー


今日は大好きな書道教室の日なのに。全く集中できていない。あれから2日、透からは何も返答が無い。ネックレスの入った箱は引き出しの一番下の奥に入れて仕舞った。


「彗。駄目。全然駄目。やる気ある?」


教室に入ってからもごちゃごちゃと考えていたからか、先生が私の前に来て、文字を指で差して指摘してくる。先生は、お見通しだ。細めた目が怖い。


「うっ、すみません。」


先生が私の背後に座り、私の筆を持つ手に自分の手を重ねる。


「集中しなさい。」


耳元で先生の低く優しい声が響く。先生の手が私の手と共に動き出した。墨汁に筆をつけ、余分な液を拭う。一つ一つの丁寧な動作に私の心は、目の前の中途半端な半紙に集中していった。

先生は殆ど力を入れていないのに。軽く重ねられているだけの手に、私の手が吸い寄せれるように自然と筆が進む。私の作品に、先生の文字が重なっていく。 


先生の世界を私も体験している。静かで、心地良くて。筆を進める度に墨の香りが引き立つような。ああ、先生の書く文字大好きだ。


「そう。今の感じであと一枚書いたら、今日は終わって良いよ。」


「はい。」


書き終えると私から手を離し、眼鏡をクイっと上げて先生は他の生徒を教えに行った。


先生との作品を左に置き、新しい半紙を一枚取り出す。私は文字だけに向き合った。

一文字一文字を丁寧に。墨の掠れ具合も味。下に下がってはねて、うん。良い。

先生の手の動きを思い返しながら、自分の作品に仕上げていく。


「先生。お願いします。」


先生が他の生徒の指導を終えた頃合いを見計らって声を掛ける。先生は私の前に立ち、目をパッと開かせた。


「うん、彗らしさが出ているね。良いよ。今日は上がって良し。お疲れ様でした。」


「ありがとうございました。」


先生に褒めて貰えて嬉しい。私は片付けをして教室を後にする。空はあと少しの夕日を残して、紺色に染まり始めている。

先生のおかげか、不思議と頭が冴えている。


「何悩んでたんだろ。馬鹿みたい。ただのネックレスでしょ。」


透に何を返そうかな。今日は晩御飯はもう用意してあるし、帰りに少し大きめの雑貨屋に寄ろう。

電車に乗り、大きい雑貨店に向かう。こういうのは勢いで選んだ方が無駄に悩まない。


季節のコーナーに向かうと、春物が揃えてあった。透のイメージって、最近でいうと和装だな。扇子はどうかな。スマホで調べると、贈り物としては良くないみたい。ハンカチも同様。


「え〜。困ったな。」


透の好みもわからないのに、プレゼントを選ぶなんて難題すぎる。店内をうろついていると、ふとシンプルな本革のパスケースが目に入った。予算内に収まるし、これなら何個あっても困らないだろう。


私は何色もある中から透を想像して、深い青色の物を手に取った。よし、これに決定。


会計をする際、プレゼント包装をするか聞かれたけど。透の誕生日も知らないので簡易包装で済ませた。


「さて、これをどうやって渡そうかな。」


透に連絡したいけれど、向こうは多忙だろうし。今度のコンクールで会った時で良いや。透は必ず表彰台に上がる。


私は無事にお返しを選べた喜びを胸に、家に帰った。

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