第3話
「どういうつもりだ?」
私はいま、透から詰め寄られている。
「……え〜っと、何が?」
筆を買いに店に来たら、偶然店内にいた透に腕を掴まれて外まで連れ出された。握られた指に力が入っていて、線の細いイメージの透との違いに驚く。
目の前の彼は、切れ長の目を細めて眉毛が釣り上がっている。近くに来るときはだいたい並んでいるので、そこまで気にしていなかったけれど。眼前に迫る美丈夫な顔に、自然と私は耳が熱くなった。
「俺の連絡先を渡しただろ。何故連絡をくれない?」
「え?…………あっ。」
そう言えば先日、透から連絡先の書かれた紙を渡されたんだった。すっかり忘れていた。多分、机の裏にでも落ちているだろう。
透の目にははっきりとした怒りも見える。これはまずい。
「えっと、家の事とか色々していて。バタバタしちゃってて……ごめんなさい。」
透はハッとしたように私の腕から手を離す。そして、ゴメンと頭を下げて謝罪をしてきた。その様子に私は、掴まれていた腕にも熱を持った。自然と口から言葉が出る。
「スマホある?いま連絡先交換しない?」
「お、おう。」
透がスマホを取り出す。アプリを使い慣れていないようだったので、横から口を出して操作してもらう。チラリと見えた連絡先の数々には同年代の子らしきものはなかった。少しだけほっとする。
「私は来週の日曜日空いてるけど。透は?」
「……おう。」
「どっちよ。」
スマホの画面をじっと凝視しながら、透はコクリと頷く。美術館か、動物園か。図書館でも良さそうだな。後で調べて相談しよう。
「私買い物あるから。またね。」
「……おう。」
変わらず画面を見たままコクリと頷く透。変なヤツ。私は店に戻った。
買い物を済ませてお母さんからの用事も終えて帰宅。晩御飯の準備を手伝ったり、お風呂掃除をしたり。お母さんの体に負担の掛かる家事は私とお父さんがやっている。
家事を終えて自分の部屋に戻ると。机に置かれたスマホが光っていた。透からリンクとメッセージが届いているようだ。
タップすると、美術館で書道展が開催される案内。そして『10時に入口』とだけ。
「うわ〜。これ、なんて返答したら良いんだろう『楽しみにしている』?いや。う〜ん。」
スマホを片手に椅子に座り、左足を曲げてみる。変に捻った返答より、簡単なので済ませておくべきかな。向こうも忙しいだろうし。
私はお気に入りのインコスタンプから『りょうかいです』をタップして送信する。
「さて、そろそろお父さんも帰ってくるかな。お風呂入ろっと。」
私は鼻歌混じりにスマホを置いて、部屋を出た。
ーーー
透との約束当日。私は思っていたよりかなり早い時間に目が覚めてしまった。
約束の時間には早すぎる。でも、もう眠気は一切無い。起きてしまおう。
私はベッドから起き上がり背伸びをする。姿見の側にかけてある今日着る服を見て、自然と頬が緩んでいた。
「うんうん。すっごく素敵。」
最優秀賞のご褒美のスーツとは別に、他所行きの服を買って貰った。薄い水色のワンピース、編み上げの白いボレロ。出資者のお父さんが『いつも家の手伝いをしてくれているから』と全身揃えるよう言ってくれた。小ぶりのショルダーバッグとパンプスも白色に統一して買った。
これを買いに行く時、お母さんだけだと思っていたのにお父さんも一緒だったから、嬉しかった。買い物をして、ランチを食べてデザートも頼んで。私の目の前で和かに座る両親。ああ、幸せだな。もう少ししたら、もっと楽しくなるんだろうな。
まだ早いけど、3人でベビーカーも見に行った。私が押して散歩するって約束したんだ。
「少し前髪がうねっている気がする。シャワーしないと。」
姿見に映った自分を見て、今日の髪型を決めた。
朝ごはんにトーストを齧り、支度をして部屋で横になっているお母さんに声を掛けて、家を出る。
春になったばかりの日差しはまだ肌寒いけど、昼には丁度良くなるだろう。透に一言、家を出たとメッセージを送ろうかな。やっぱり、やめた。
駅まで歩き、改札を通ろうとバッグを漁る。財布を取り出そうとして、少し手間取る。今日は初めて使うバッグ。やっぱり嬉しい。
電車に揺られて映るガラス越しの自分の姿に、これを選んで良かったと頬が緩む。透に何を言われても、私はこの服を着れて大満足だ。
上野駅に電車が到着して、公園口を目指して歩く。少しだけヒールのある靴だけど、そんなに距離はないから平気だろう。
駅を出てスマホを開くと、10時少し前。丁度良い時間だ。ゆっくり向かおう。
「本当にいる。」
美術館が近づいてくると、入り口付近で立っている人に気が付いた。透だ。向こうもコチラに気が付いて、目つき鋭く睨んでくる。朝からご機嫌斜めのようだ。
「おはよう。」
「……おう。」
素の透を知る人はどれくらいいるのだろう。笑顔で取材に答えて、同級生達に囲まれている透とは別人だ。待ち合わせしてるのに不機嫌なのは最悪だなと思いながら、時計を見やる。開場の時間だ。
「もう時間だから、チケット買いに行こうよ。」
透に声を掛けると、透は懐から2枚のチケットを取り出して差し出した。
「買っておいてくれたんだ。ありがとう。いくらだった?」
「貰い物だからいらない。」
そうか。透の親も文化系の有名人だから、色々貰うんだろうな。有り難く使わせてもらおう。お礼はどうやってしようかな。
「そっか、ありがとう。じゃあ入ろう。」
透が窓口でチケットを渡し、共に館内に入る。
シンとした館内は心地よく。まるで書道教室にいるみたいだ。
手前の作品から順にじっくりと見ていく。ここに飾られるだけあって、どれもが勉強になる。強さ、力の抜きどころ。止め、はらい。一つ一つの作品から感情が溢れてくる。
透も好きに見れば良いのに、ずっと私のペースに合わせて後ろを着いてくる。ちゃんと見てるのかな。
今回の花形である作品まできた。大勢の人達が静かにじっと見つめている。真正面からみたいので、少し待って前の人が避けるのを待った。
「…………。」
この作品は、正直言って好きではない。傲慢さが一番前に出ている。だからこそ、大勢の人達を魅了するのかもしれないけれど。
私は他の作品に足を向ける。ここに来た時に、目に入った作品。ひた向きな心が筆にのって、まるで踊っているみたい。今日の中で一番好き。
全部をじっくり見ていたら、お昼をとっくに過ぎてしまっていた。出口から出て、ミュージアムショップにも寄る。わたしはあんまり、こういうところで買わない派だ。気に入ったモノがあっても滅多に買わないけれど、眺めているのは楽しい。だって、値段がお高めなんだもの。
いつの間にか会計をしていた透に、声を掛ける。
「勉強になったよ。ありがとう。」
「……君、この作品が一番好きだろ?やる。」
そう言って、透は一枚のポストカードを渡してきた。先程見た、一番好きな作品の写真だ。これを買ってたのか。
「ありがとう。でも、何でわかったの?」
「……駅まで送る。」
透が私の答えをはぐらかした時だ。ツカツカとヒールブーツの音を立てて、一人の美女が近付いてきた。私達の前に仁王立ちする。
「透、聞こえてたわよ。何その言い方。失礼でしょ。」
「はぁ…こっちに来ないで下さいよ。」
「相手の気持ちに寄り添ってあげなさいって、いつも言っているでしょ。」
透と仲が良いようだ。すらっとした目鼻立ちにハニーオレンジの緩いウェーブのかかった髪を半分結いあげて、落ち着いた乳白色を基調とした着物に紺の袴を着こなして。ブラウン系で綺麗に化粧を施したお姉さん。素敵過ぎる!
「ごめんねぇ。貴女、彗ちゃんよね?声を掛けるのは初めてだわ。私の事は気軽にスズお姉ちゃんって呼んでね。私も彗ちゃんって呼びたいから。」
ニコニコと笑う立ち姿があまりに素敵で。私の目は輝いていただろう。
「う、うれしいですっ。」
「ああん。かっわい〜!」
スズさんは私の手をギュッと握ってきた。良い香りがして、目眩がしそう。透をチラリを見れば、目の中に炎でも飼ってそうな雰囲気になっている。スズさんが好きみたい。
スズさんは透にニッコリ笑うと、私の頬を優しく撫でてきた。もう、気絶しそう。美し過ぎる。私も好きになった。
「私は透と同じ書道教室でね。幼稚園の時からこの子を知っているの。だから、彗ちゃんの話はよ〜〜く聞いていたわ。
実際に会うと、こんなに可愛くて。中身も愛らしてくて。透が…。」
「黙って下さい。」
透は話を遮り、私からスズさんを引き剥がした。クラクラするような良い匂いが遠ざかる。
「食事会に遅れますよ。先に行ってて下さい。俺は駅まで彼女を送ってから行きます。」
「えっ。」
「あら、そんな時間。彗ちゃんともっとお近づきになりたかったのに。じゃあまたね。」
スズさんは嵐のように去って行った。透相手にここまで言い切れる力を持つお姉さん。素敵。
「駅まで送る。」
「スズさん追いかけなよ。私はココで解散で大丈夫だよ!」
「いくぞ。」
透が頑として動かないので、仕方ないから駅に向けて歩く。少し後ろを透は黙って付いてくる。気まずい。
「違うからな。」
透が背後で何か言ってきた。振り返り見ると、仏頂面だ。絶対にこんな顔他の人には見せないだろう。
「何が?」
「スズさんは俺と同じ書道教室。それだけだ。今日の食事会は、教室で開催されるだけのものだから。
俺はあの人には全く興味がない。勿論、俺の周りを彷徨くヤツらもだ。」
「あ、うん。そうなの。」
「理解したか?」
「う、うん。」
「なら良い。」
駅まで本当に透は送ってくれた。何故かソワソワしている。そうだ、お礼言うの忘れてた。
「ポストカードありがとう。大切にするね。」
「おう。」
「遅刻するでしょ。行っておいでよ。」
「………。」
何この沈黙。困ったな。いいや、帰ってしまおう。
「じゃあ。またね。」
「……!……おう。」
笑った?
透は私から背を向けると、後ろ手に手を軽く挙げて去って行った。
「実は良いヤツ?」
そうだ。スマホを取り出して透に『ありがとう』のスタンプを送った。さて、帰って勉強しよう。
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