第二章 バスアンヴィル家の犬

第1話

「でかすぎる……」


 あれは犬じゃない。

 伝令の騎士は犬型の魔獣なんて言っていたが、あれは犬じゃない。姿形は黒いシェパードに近いが、軽トラほどの大きさをしているのはもはや犬ではない。


 そんな大きな犬が複数、道を我が物顔で闊歩している。たまに本当に火を噴いている。その火はかろうじて引火はしていないものの、石壁をちろちろと舐めた。火事になるのも時間の問題だ。そうするとあの水鉄砲が活躍するのだろう。


「無理じゃない?」

「稀に見る大型です。私の火の攻撃が通るかどうか……」


 いや、ヒースクリフさんよ。そこはもうちょっと頑張って。芸術は爆発なんでしょ。


「あれは犬が巨大化して暴れているの?」

「黒魔術をかけられて巨大化して操られていますね」

「バスアンヴィル子爵が飼っていた五匹の軍用犬に黒魔術がかけられたと」

「額に光る石が見えますか? 黒魔術の原動力です。あれで黒魔術師が遠隔で操っているのです」


 ヒースクリフとホルムズが一緒になって説明してくれる。

 それにしてもバスなんとか家の犬か……まさかの推理じゃなくてバトルだけど。


「じゃあ、あの犬たちを相手にしながら黒魔術師も探さないといけないの?」

「黒魔術師を叩けば操られている犬は止まるはずです。捜索は私の部下がやっていますが、被害がすでに大きいので避難誘導でなかなか」

「今までにこんな被害は?」

「王都ではありませんでした。聖女召喚の件が漏れたのかもしれません」


 異世界三日目ですでにバレているって機密の意味ないんじゃない?


 ヒースクリフがパチンと指を鳴らす。一匹の犬が燃え上がるが、犬が火を食べるような仕草をするとすぐに掻き消えた。愛理の目には火の精霊が食べられてしまったように見えた。


「やっぱり火に耐性がありますね。火による攻撃はダメなようです」

「温度を上げたらダメなの?」


 もう一度ヒースクリフは指を鳴らすが、何も起きない。

 さっきはパッと火の精霊が集ったのに、今回は何も見えなかった。


「どうして何も起きないの?」

「火の精霊たちがあの犬を怖がって出てこなくなりました」

「我々が行って増援まで時間を稼ぎます。他の白魔術師様に再度増援の要請を」


 ホルムズが三人で固まっていた場所からパッと飛び出ていく。

 愛理は「危ない!」と叫びたくなったが、ホルムズは何か魔道具を持っているらしい。犬が吐く炎から彼はしっかり守られている。俊敏な動きで犬の足に切りつけて、犬が咆哮を上げた。


「あれは回数制限のある守護の魔道具です。あの犬の吐く火の威力ならあまり時間は稼げません」


 ヒースクリフの手の中では、先ほどホルムズが持っていたのと同じ石板がチカチカ赤く輝いている。やっぱりスマホみたいだ。


 ヒースクリフは石板を仕舞うと、ブツブツと何か呪文を唱える。

 今度は雨の雫のようなものが集まってきたが、すぐに離散した。ヒースクリフはチッと舌打ちをする。


「やっぱり、水の精霊とは相性が悪いです。力を借りれません」


 イケメンでも精霊全員に好かれるわけじゃないんだ。


 愛理は自分が全く役に立っていないにも関わらず、そんなことを考えた。そもそも、今日の愛理はブラック企業に入社した途端営業に出された新入社員のようなものだ。見た目はおばあちゃんだけど。


 ホルムズや集まってきた他の騎士たちによって傷を負わされた犬たちが先ほどよりも大きく暴れている。

 石壁が踏みつけられて崩れ、吐いた火が家に燃え移った。すぐに水鉄砲が活躍しているが、被害は確実に拡大している。犬の頭数だって減っていない。このままではジリ貧だ。


 愛理はいまだにゲーム画面を見ているようで現実味がなかった。でも、愛理とヒースクリフのいるところまで火の熱さが届く。肌にヒリヒリするその感覚だけは、これがゲームでも小説でもなく現実だと突き付けてくる。目の前で繰り広げられているのはただのファンタジーなのに。


 まずは恰好だけでもやってみようと、愛理はそっと手を組んで祈ってみた。

 さっきは無意識だったからどうやって雨を降らせたかなんて分からない。この世界の知識もまだ何もないし、ステータスオープンもできないのに! でも、一度はできたのだ。


『嫌だわ、人間ってすぐ祈るんだから。どうして神と分離したがるのかしら』


 祈り始めると、そんな女性の声が聞こえた。

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緋色の聖女~28歳のはずが召喚されたら82歳になっていた~ 頼爾 @Raiji

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