第2話
「聖女様はアイリーン・アアアアードラーというお名前ですか?」
なんだその……ゲームで主人公につける名前に迷って面倒で「あああああ」にしたようなやつは。愛理もうっかり何度かしたことがある、早くゲームを進めたいもんね。それでもって後悔してすぐ名前変更するやつ!
「アイリーン・アードラーです!」
恥も何もかもかなぐり捨てて、とある有名な推理本の悪女の名前をちょっとだけ変えたものを愛理は口にした。しかし、言い終わると同時に恥ずかしくて死にそうだ。
あのシリーズのファンの愛理から言わせると、あの本のアイリーンは全く悪女ではない。ちょっと変装して主人公を騙しただけで! ちょっと王様を写真で恐喝しただけで! とっても美人だけど! そんな人に似せた名前を騙ってすみません!
愛理が脳内で盛大にどこかにあるイギリスの方向に謝っていると、王子は何か紙に書いている。
「聖女様、女性に失礼かもしれませんがお歳は?」
「28歳です」
途端にどよめきが起きる。かろうじて拾えるのは「嘘だろ」という声だ。
目の前の王子はどことなく引いた様子だ。少し離れてくれたので「このおばあさん、ぼけているのか」と言いたげな表情が見える。
「本当です。ここに来る前に、知らない女の人が82歳にしちゃいましょうと言っていました。そして気付いたらこの姿に……」
流行りの展開でいくなら、あの半裸のハリウッドスターみたいな人は女神なんだろうが女神がそんなことをするだろうか。若い女が異世界を引っ掻き回したら困るって? でもこの白髪とシワだらけの手、鏡に映る人の良さそうな老婆の姿が今の愛理だ。やっぱりまだ現実は受け入れられない。腰痛いし、耳も遠いし。
愛理が悲し気にそう口にすると、王子やその周囲は再び驚いた。
「まさか、黒魔術師が召喚に干渉したのか!」
「神官たちを今すぐ呼べ! 痕跡を調べろ!」
「確かに伝承に書いてある聖女様の召喚よりも時間が相当余計にかかっていました! まさかあれは黒魔術師たちによる妨害!」
「くそっ! まさか黒魔術師たちの勢力がもうそこまで大きくなっているとは!」
愛理の一言で大騒ぎになっている。そのまま騒ぎはどんどん大きくなって、人の出入りが活発になって収拾がつかなくなった。
壁際から騎士のような人がそっと近付いてきて、王子に何か言い、愛理に近付いて来た。王子様もかっこいいのだが、こちらの黒髪の騎士もかっこいい人だ。身のこなしまでしなやかでかっこいい。それに、先ほど愛理をイスに座らせてくれた紳士な人物である。
愛理が元の年齢のままだったら、しかも異世界召喚される前だったら、思わずぽうっとなっていたかもしれない。今は近いと良く見えないからイケメンを前にしても絆されず、大丈夫だ。
「聖女様、勝手に召喚しておいて申し訳ございません。こうもうるさくてはお疲れでしょう。まずは一度お部屋でお休みください。案内させていただきます」
「あなたは?」
「騎士団長のレオニダス・ホルムズと申します、聖女様」
まさかのホームズが来た。ホルムズ、だがもうホームズでいいだろう。
「そう、ホームズさん。それではワトスンさんはどこに?」
繰り返すが、ファンであるためうっかり愛理がそんな言葉を口にすると、目の前で驚く気配がある。
「なぜうちの副団長の名前を……」
愛理はここでちょっとテンションが上がった。
ホームズがいたらワトソンかワトスンがいるだろうと踏んだのだ。そして、本当にいた。愛理が何も言わずにニヤニヤしていると、騎士団長は呆けた顔を元に戻した。
「やはり、聖女様なのですね」
なぜかおかしな誤解をされてしまった。しかし、愛理はテンションが上がっていたのでまたもうっかり聞いてしまった。だって、このセリフを言わないと始まらないじゃないか。なんといってもあれは愛理が初めてまともに読んだ小説なのだ。
「あなた、アフゲニータンに行っていましたね?」
愛理は舌打ちしたくなった。まさかこの重要な初対面の場で噛むとは思っていなかったのだ。どこだ、アフゲニータンって。にぃたん? しかし、騎士団長は笑うわけでもなくまた驚いたようだ。
「そんなことまで! さすが聖女様です。確かに私は黒魔術師の目撃情報があったアフゲニータンに先週までおりました!」
あら、なんだかおかしなことになっている。
愛理はあの推理本好きのどこぞの作者が書いた、パロディWEB小説の世界にでも召喚されたのかと思ったのだが……黒魔術師? これって推理のファンタジー世界じゃないの?
よく考えなくても推理に聖女はいらないのだが、愛理は衝撃で頭からそんなことは飛んでいた。
立ち上がると腰が痛かったので、ホルムズ騎士団長にお姫様だっこで部屋まで運んでもらった。愛理は思った。28歳の時より得をしている気がする、と。もしかすると82歳の方が大事にしてもらえるかもしれない。
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