緋色の聖女~28歳のはずが召喚されたら82歳になっていた~
頼爾
第一章 異世界召喚されたらおばあちゃんになった
第1話
愛理の部署には愛理以外に四十歳のお局しかいない。そこで行われるのは延々と単純作業ばかりだ。今日は紙資料とパソコンの打ち込み内容が合っているかのチェックを延々とやっていたので目まで疲れている。
愛理は今の部署に配属になる前の部署にて、飲み会の席でセクハラしてきた課長にビンタをお見舞いしてしまったのだ。
絶対に間違ったことはしていない。女性社員の腰を触る方が絶対に間違っているし、それを「酔っていたから~」で片付けるなんてありえない。
初めて知ったが、あの課長は社長の親戚だった。
あちらには口頭での注意だけで、愛理のほうが窓際の部署に飛ばされたのだ。恐らく、あのお局も愛理と同様のことをして飛ばされたのだろう。
同じことをやった者同士仲良くできるかと思っていたが、お局様は意外とこじらせてしまっていた。
まぁ、気持ちは分かるが……正しいことをしたのに、いや何も間違ったことはしていないのにあっちが社長の親戚というだけで愛理の方がとばっちりを受けた。八つ当たりだってしたくもなる。
でも、お局様が愛理にネチネチ嫌味を言ったところで世界は変わらない。
なんで会社をやめないのかって? 苦労して就職した会社で他よりも給料がいいのだ。それに、窓際部署に追いやられたからって、辞めて転職活動をするのは自分の負けを認めているようだ。いや、今の状況が勝っているとも言えないのだけれど……だから、これはもう意地である。辞めないことは意地。
そんなことを頭の中でブツブツ考えながら、最寄り駅に向かっていると急いで愛理を抜かしていった男性がおばあちゃんにぶつかった。
おばあちゃんはおそらく晩御飯の準備の時に買い忘れに気付いて慌てて買いに行ったのであろう、みりんの入った袋を持ったまま車道によろける。
「ああっ!」
愛理は思わず声を上げておばあちゃんに向かって走り出してしまった。
そこでおばあちゃんの腕を掴んだのは覚えている。おばあちゃんが骨折するとかそういうことは考えずただ必死だった。
最後にちらと見たのは大きな車体である。
その後は体が動かなかった。周囲が騒がしいが、何を言っているのか分からない。喧騒が一度引いて白く明るくなる。
「え! 嘘! ミスってる!」
愛理の体は動かないが、目の前で綺麗なほぼ半裸の女性が何か喚いている。
「こんな若くて可愛い子が向こうに召喚されたら国が乱れちゃうでしょ! 王子たちが婚約破棄だ! って言う奴! だから今回はおばあちゃんを狙えって言ったのに! あの運転手!」
ハリウッドスターのような綺麗でスタイルもいい女性は焦っているのかギャーギャー喚き続けた。
「もう力なんて残ってないわよ! トラックの衝突と周囲のパニックで引き出したエントロピーでエネルギーをせっかく補ったのに!」
まさかのエントロピーである。大学の物理の授業で習った気がする。
女性はふと何かを思いついたように奇声を上げた。とても綺麗な人なのに言動がいちいち残念である。
「あ、そうよ! おばあちゃんを召喚しようと頑張ってたけど、この子を召喚しなくちゃいけないならこの子をおばあちゃんにしちゃえばいいじゃない! ええっと、この子の年齢は……28歳ね。ピチピチで一番人生楽しい時じゃない! 友人たちが一番結婚していく年齢ね!」
この人、日本の事情に詳しいのだろうか。
27歳くらいから一気に友人たちが結婚していったけれども。
「じゃあっと、反対にして82歳にしちゃいましょう! これなら大丈夫よ! セクハラもされないし、王子たちも変にならないわ!」
女性の興奮した声は段々と遠ざかる。彼女の言っていることは半分も分からなかった。
「じゃあ、よろしくね!」
愛理が目覚めると、大人数に囲まれていた。大事故になってしまったのだろうか。
「確認しろ!」
「いや、その前にブランケットとイスをお持ちしろ! 聖女様に失礼だ!」
「聖女かどうかの確認が先だ!」
「間違いありません! 目が緋色です!」
さっきからうるさいな、おばあちゃんは無事かな。
愛理はのそのそと起き上がった。手を床についたときにやけにシワと血管が目立った。違和感を覚えたものの、周囲を見回す。
あれ、コンタクトが外れたかな? よく見えないし、ワーワー言っている人の声が聞こえにくい、まるで耳に水が入っているみたいだ。
一人の男性が慌ててイスを持ってきて、愛理を抱えて座らせてくれる。なんと親切な人だろう、よく見えないけど。病院にしては賑やかだが、救急ってこんなところなんだろうか。
近くのものはよく見えないが、遠くに置いてある鏡が目に入った。
鏡の中では、白髪の老婆がイスに座っていた。この場でイスに座っているのは愛理だけだ。
まさかと思って片手を上げる。思ったより上がらないが、鏡の中の老婆も上げる。足も上げてみる。腰が痛いが、鏡の中の老婆も足を上げていた。
愛理は自分の頬を触ってみて、髪の毛に手を伸ばして視界に入れて呆然とした。
「聖女様、お名前を伺えますか? 私はこの国の王子です」
金髪や銀髪、明らかに外国人のような風貌の人々。それによくよく見回せば、救急外来ではないカーペットまで敷かれている広間。その中に魔法陣らしきものが描かれていた。
これはライトノベルでよくある異世界召喚だろうか。
「聖女様?」
呼びかけにハッとする。ええっと、今は名前を聞かれているのか。
でもライトノベル、いやWEB小説の中には名前を知られると隷属させられるものもあった。瞬時に考えた愛理はこう答えた。
「ア……アイリーンです……」
「苗字も教えてください」
苗字? 苗字はええっと。
「ア、ア、ア、アードラーです!」
すみません、これしか土壇場で思いつかなかったんです。
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