第3話 記憶は生きている
***
その言葉通り、男は3日後の夜再びシアルのもとに現れた。
易々と部屋に入り込まれるとこの城の警備は大丈夫なのだろうかと心配になる。だがそんな感情よりもシアルは男——空人のことが気になった。
シアルにとっては初めて気兼ねなく触れあえる人で彼と話すことがほんの少しだけ楽しみだったのだ。
人肌が恋しいと幼いころから無意識な願いを持っていたのだろう。
「盗みに来たよ」
彼は冗談っぽく言って唐突にシアルの手を取った。
慌てて手を引っ込めるも彼のザラザラとした肌に不思議な気分になる。
「冗談、僕は紳士的な泥棒なんだ。
お宝が『連れてって』って自分から言うまで手は出さない。今の君にはまだそんな覚悟はないように見える」
少しだけカッコつけたように男は言って少年のような笑みを浮かべた。
「……どう?君を攫いはしないから外に遊びに行かない?」
「でも……」と言いかけたが少しワクワクしている自分に気がついてうまく言い訳ができなかった。
「少しだけよ」
小さな声でそうつぶやくと彼は微笑み、シアルの身体をひょいと持ち上げた。
「何するの⁉」と悲鳴に似た叫び声をあげるも彼は意に介さず、なんと彼女を抱いたまま窓から飛び降りたのだ。
浮いている、と気づくのには少しだけ時間がかかった。男の美しいガラス細工のようなトンボの羽は月夜に輝いてとても美しかった。
おとぎ話に出てきそうな空中飛行、まさか自分がするとは思っていなかったのでシアルは茫然と町の夜景を眺める。
「どこに行こうか?」
そんなことを聞かれてもこの町にある思い出の場所なんて一つしかなかったから自然とシアルの口からはあのパン屋の名前がこぼれた。
「そのパン屋は今ではもうやってないと思うの」
「だったらどうして行きたいなんて言うのさ」
どうしてだろう、とぼんやりとした思考のままシアルは自らに尋ねてみた。けれどもなかなか答えはでなくて、そのままあのパン屋の通りに来ていた。
いざ行こうとなると怖くなって足に力が入らなくなる。自らの罪を目にするのが恐ろしくてたまらなくなったのだ。
それに気がついたのか男はゆっくりとこちらを振り返った。
「怖いの?」
「だって……あのパン屋のご主人は私のせいで……」
シアルのうじうじとした言い訳を聞きたくないとばかりに彼は強くその腕を引っ張った。そのまま引きずられるようにしてあのパン屋があった場所に行くと、その光景にシアルは思わず息をのむ。
「嘘……」
昔ながらのレンガ造りの店はそのままで暖色の光に包まれていた。行列すらできていて店から出てくる人は皆幸せそうな顔をしている。
扉を開ける時になる鈴の音も、そして店主の笑顔も昔となんら変わらなかった。
「いらっしゃい、お二人ですね」
店主は柔らかく微笑むとあのホワホワのパンを焼いてくれた。シアルのことは覚えていないらしく、終始普通の客として扱われた。
特にこれといった話題もなくそのまま店を出たが、夜空の下で急に涙があふれてくる。
「……あれ?嬉しいはずなのになんで涙がでるんだろう。あんなに幸せそうだったのに……」
とめどなくあふれてくる涙は止まる気配もなく、シアルは子供のように泣きくじゃった。きっと、これが嬉し涙というやつなのだろう。けれどもシアルにとってこの光の粒は喜びの他にも安堵や希望だとかいろいろなものが含まれていて、「嬉し涙」という言葉一つで片づけられるものではなかった。
そんな彼女の肩を男は黙って抱いて、少し自慢気につぶやく。
「記憶は失っても次の日からまた増えるものなんだよ。記憶は決して死なない」
「かっこつけないでよ」とシアルは笑いながら言って涙をぬぐった。彼の言葉が真実だと思えて少しだけ、ほんの少しだけ自分は罪人ではないと思えた。
「私、あなたの名前が知りたい。そもそも空人って名前っていう概念あるのかしら?」
シアルがそう言うと彼は少し驚いたように目を見開いた。そして少し恥ずかしがるようにつぶやく。
「リヴァレだ」
「リヴァレ……」
やはり地上とは語感が違う。シアルはその響きが気に入って何度か舌の上で彼の名前を転がした。
「リヴァレ、あなたはどうして私を気にかけてくれるの?ただの泥棒ならこんなことしないはず」
そう言うと彼は一瞬にして能面のように無表情になった。
「……罪滅ぼしだ。僕は、許されたいんだ」
***
その帰り道のことである。
シアルたちは何者かから小石を投げつけられた。偶然だか意図的だかはわからないがリヴェレは真剣な表情で闇夜を睨む。
烏の鳴き声にまぎれて「この町から出てけ」という怒声が聞こえたような気がした。
そしてシアルは部屋に戻ってから、地上の人間は空人と戦争をしているという事実を父から知らされた。
「空人を城内で見たという噂がある。何か知っているか?」
「いいえ、そのような者見たことがありません」とシアルは必死に首を振った。父はその様子を見ると興味を失ったかのように薄暗い部屋をあとにする。
3日前の誕生日については「おめでとう」の一言も口にしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます