物語みたいなモノガタリ

古川 諒勢

第1話  幼き頃は喪失とともに


--幼き頃は喪失とともに--


 僕の自分語りを始める前に、こんなありふれていなそうでありふれている質問をしたい。『皆さんは自分の生きてきた人生の現地点、いわば現在までの皆様方の人生の中で、漫画やアニメ、ラノベ小説の中にしか存在しないと思われる、人に話したら作り話じゃないかと言われるような体験をしたことがありますか』 


これからお話しする物語は、そのような体験を幾度となくした一人の少年が大人になるまでにの話です。

それでは僕の、古川 諒勢の自分語りを始めようと思う。

そう、甘いようで、苦いようで、辛さもあったそんな物語を。



 育ったのは大きくもなく、発展してもいない、所謂「田舎」の街だった。そんな小さな右も左も世間も何も知らない分からないまだ4年程度しか生きていない子供でも、その時は誇れることがあった。運動神経だ。子供のころ運動神経には自信があった。皆も一度は誰かしらから「幼稚園や保育園の頃は、足が速かった」というどこに行っても聞くような話を耳にしたことがあるのではないだろうか。僕も例外ではない、何なら自分がそうだったのだから。この話から分かるように、僕はどこにでもいるような子供だった。


 小学生に上がると子供の成長は早いもので、身体の成長はもちろんのこと、精神面においてもかなりな急スピードで成長するのが小学生である。その速さといえば、車でいうところのカーブを曲がり切れずにガードレールとフレンチキスをしてしまうほどのスピードだ。しかし小学生というものは厄介で、高学年になるにつれものの見方が変わっていき、空気を読めるようになってしまう。空気を読むことは決して悪いことではない。何なら大人になるうえで必ず必要になってくるスキルともいえるだろう。だが小学生のころから普通ではない子たちも一定数いる。人前に立って大きな声で話すことのできる社交性、コミュニケーション能力、リーダーシップを持っている子供たちだ。どこの小学校にも1人や2人はいただろう。いなくてはおかしいのだ。人間は生まれながらにして自分が優位に立てる状況であれば、勝手に自信があふれて自分がやってやろうと思う生き物なのだから。僕の小学校にもいた。全校生徒数100人程度の小さな田舎の小学校にも、そんな天性のリーダーシップ、人を引き付ける力を持っている子が。


彼の名前は「央口 昌」 今にも自分を中央においた口のような形の輪を作れそうな名前の男の子だ。僕とは幼稚園に入る前からの付き合いで、いうところの幼馴染とかいうやつだ。初めの頃は僕と変わらない普通の子だった。そこまで目立たず自分たちさえ楽しければ別にいい、そんな子だった。しかしなぜだろうか、小学五年生になる頃あたりから教室の前の黒板あたりによく子供たちの輪ができるようになっていた。

気になってのぞいてみると央口が話の中心になって男女問わずな輪を作っていたのだ。それから央口がクラスの王になるのは早かった。1クラス24人しかいない学校なのだから一人が光り始めると、その光はあっという間に他の23人を包み込んでしまうのだ。それからはクラスのことを決めるのも央口、先生たちとの話の仲介役のなるのも央口だった。もう名前を央口ではなく、王口に変えればいいのにとつくづく思ってしまう。しかし僕との学校での立ち位置が変わってしまっても央口は変わらず僕に優しく接してくれていたのだ。小学六年生になるまでは…。


小学六年生に上がる頃、クラスでは軽いいじめが行われるようになった。いじめに重いも軽いもつけるべきではないと思うのだが、今回はつけさせて頂く。

いじめといっても殴る、蹴る等といった暴力的かつ直接的なものではなかった。例を挙げるとすると、「水筒を隠された」「上履きを隠された」「ハブられた」「体型や容姿をいじられた」などというものだった。標的はいじめっ子たちが独自の判断で自分より弱そうな子を見つけ出し狙って行っていた。その中には央口の姿もあった。クラスの王がすることについて誰も強く言えない。そんな空気をもう空気を読むことができる小学生たちは感じ取っていたのだ。誰も央口達いじめっ子を注意できない。圧政の誕生であった。その標的は5人ほどおり、僕もその中の一人だった。僕の場合周りの子に比べ、ふくよかな体型であったので、そこに目をつけられたのだ。それからはみんなで公園で遊ぶことになったとしても、僕だけが仲間外れにされ、学校の帰り道では僕が近寄ると「古川きた!みんな逃げろ~!」等と言って僕を避ける始末。それでも彼らに涙を見せたことはなかった。泣くことは負けとまではいわないが、彼らの行動に泣かされるのだけは、僕の持っていた小さなプライドが許さなかった。親にも言わなかった。最初の頃は担任の先生に相談しようと思ったりもしたが「先生に言ったら縁切るからな!」と前まで仲が良かったいじめっ子メンバー達、主に央口に言われ、小学生というものは愚かなもので、それを本気に思い込んでしまったのだ。そりゃそうだ。2歳からの仲のいい友達を失いたくないと思うのはその年齢なら正常な考え方だ。今、大人になった僕から言わせてもらうと、こんなのはもうすでに友達ではないと思う。


その軽いいじめ状態も小学校を卒業するころには行われなくなっていた。卒業まじかにはみんなとの関係性はある程度修復しており、みんないじめがあったことすら忘れていた。僕もそのうちの一人だ。あんなに僕のことをイジメていた央口ともまた仲良く遊ぶようになっていた。小学生とは簡単なもので、自分のことをイジメていた人とも楽しく遊べるなら何でもいいと思ってしまうのだ。卒業間近ということは中学生になる日が近いということだ。各々中学生になった自分を思い描いて、「部活動何に入ろうかな」や「彼氏できるかな」という会話も増えていた。僕の場合その頃、央口や他の仲のいい子とバスケットボールに夢中になっていた。僕も少し浮かれていたのだ。中学生という新しい人たちとの出会いに。多くの期待と小学校の間に受けた「いじめ」によってできた自分に対しての自信の無さを持って僕は、地元の人の多くが通う中学校に足を踏み入れたのであった。

                      第一話 幼き頃は喪失とともに 完




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