第四章 奸計と慮外 ー1(2)ー

「どういうことでしょう」


 凛心は、とげのある梁宸の言葉に、こめかみをひくつかせた。


「その法器は、良くも悪くも持ち主の本性を増幅させる。君が善き人間なら、きっと世のために役立つ法器となることだろうね。しかし、君の心は、純粋に善であると断言できるのかな? その法器の力が持つ誘惑に、負けないように努めなければいけないよ」

「そんなこと、言われなくてもわかっています」

「そうかい。それならいいが」


 不思議な笑みを浮かべながら、梁宸は会話を切り上げた。凛心は苛立ちを覚えながら形ばかりの礼をしてその場を去った。法器が並べられた長机の横では、腰袋に入った恬恬てんてん安安あんあんの頭を暇そうにでるゆうがいた。


「なんだよ、そんな不満げな顔して」

「別に。ちょっと拍子抜けしてただけです」

「なんで? こんなに珍しい法器がいっぱいあるんだぞ」

なんようの僕んちの宝物庫には腐るほど法器があるんで、別に珍しくもないですね。見たことあるものばっかりだし」


 気を取り直して目録をめくりながら感慨にふける凛心を尻目に、優毅がしれっと金持ち発言をする。


「もっと貴重な法器が見られるかとわくわくしてたのに、残念です」


 つまらなそうに言って、優毅は恬恬と安安の顎を掻いた。その発言に同学トンシュエの一人が心得顔で話しかけてくる。


「貴重な法器って言えばさ、この学院のどこかに、『学院の秘宝』って呼ばれる超貴重な法器があるって聞いたことあるか?」

「秘宝?」

「ああ。昔、ここでりょうかんせいをしていた兄上から聞いたんだけどさ、この学院には、この世に二つとないお宝法器が隠されてるんだってよ」

「ほんとか?」

「どこに?」


 面白そうな話を聞きつけて、他の白虎組の生徒たちも参加する。


「どこかなんて知るかよ。この学院のしきは広大で、こけむしたお堂だとか、鏡のような池だとか、かんぬきが下ろされたままのびょうもある。きっとそうした誰も立ち入らないところに、ひっそりと結界をかけてしまってあるんじゃないのか?」


 幻想小説にでも出てきそうな話に、生徒たちは興奮して目を輝かせた。


「俺たち白虎組は、凛心のおかげで一週間功課しゅくだいもなくなったしさ。放課後一緒に学院の秘宝を探しに行こうぜ!」

「お宝探しか、ワクワクするな」

「凛心も来いよ!」

「おれは無理だよ」

「なんで?」

「今日中に写本を完成させて、天安にある書店まで納品に行かなきゃいけないんだ。放課後と夕飯の時間を全部返上しても、ぎりぎり間に合うかどうかってくらい切羽詰まってるんだよ。全くあの忌々しいちょうひょうのせいでさ……」


 昨夜の出来事を思い出して、凛心は苦々しい思いをみ締める。


「趙先輩がどうかしたのか?」

「どうしたもこうしたも! 全てはあいつが元凶なんだ! ここ二週間というもの、写本作業をするおれを、ことごとく妨害してさ! 毎晩毎晩、おれの部屋に来ては、『消灯時間だ。あかりを消せ』とかいって、人の部屋から行燈あんどんを没収するんだぞ、あり得ないだろ! 顔を合わせれば、『服装が乱れてる』だの『廊下を走るな』だの、じゅうとみたいなこと言ってきて! しつこくって気がおかしくなりそうだよ!」


 昨夜見事に返り討ちにされた怒りも相まって、凛心は鼻息も荒く、一気にまくし立てた。周りの級友たちがあっけに取られたように、凛心を見つめる。


「──お前、それ女子たちが聞いたら、人豚レンジュー(両手足を切断して、生きたままつぼに入れられる極刑)にされるぞ」


 白虎寮に所属する丸顔の友人が、ぼそりと発言した。


「はぁ?」

「知らないのか。『こうほくの趙冰悧』って言ったら、しゅうもん千家の中でも一番人気を誇る美形術士じゃないか! 容姿端麗でりくげいも完璧、ちらっと目線を流しただけで女たちがバタバタ失神するんだぞ」

「変な冗談言うなよ」

「冗談なわけあるか! 趙先輩がこの学院に入学したせいで、休講日には趙先輩の姿を一目見ようと、正門に女たちが殺到するって聞いたぞ」

「この学院だけじゃない。趙先輩が参加するしゅう同士の園遊会は毎回大人気で、女子たちが参加枠をめぐって大金を積むんだ。その額、銀子の十両や二十両じゃきかないって話だ」


 自分の稼ぎをさらりと超える額に、凛心は目を丸くした。そして同学トンシュエたちは「煌北の趙家のしきには毎日冰悧あてに山のように恋文が届く」だの、「冰悧を相手役にした恋愛小説が、術家内でひそかに出回っている」だの、凛心の理解を超えることを話し続けた。


「とにかく、お前はそんな超明星スーパースターに世話をやいてもらってるんだ。ありがたく思えよ!」

「そうだ、そうだ! いつか趙先輩にささげるために、ひたすら初吻初キスを守ってる女子だっていっぱいいるんだぞ」

「初吻……!?」


 その言葉に、凛心は思わず固まった。入学式の日に、思いがけず冰悧と唇を重ねてしまった記憶がよみがえる。


「お、見ろよ! 凛心のやつ、赤くなったぞ!」


 がっちりした体格のいかつい同級生が、凛心の顔を指差してうれしそうな声をあげた。


「お前、スカしてるくせに意外となんだな!」

「お前も、趙先輩に初吻を奪ってもらいたいクチか?」

「ち、違うに決まってんだろ!」

「おーおー、さらに赤くなっちゃって。意外とわいいところあるじゃんか」


 凛心のからかいどころを見つけて、級友たちが勝手な芝居を始める。


「趙せんぱぁい♥ おれ、今までセンパイに反抗してばっかりでしたけど、実はセンパイのことが好きなんですっ! おれの初吻を受け取ってくださぁい〜」


 凛心のをしているのだろうか、丸顔の友人が急に鼻にかかった高い声で身をよじると唇を突き出した。


「ふふふ、ついに私の手に落ちたか、凛心。しかしもう消灯時間だ。あかりを消したら言うことを聞いてやってもいいぞ」


 冰悧役のいかつい級友が、にやりと意地悪な笑いを浮かべて、凛心役の生徒ににじり寄る。


「えっ!? あかりを消して、何をするつもりなんですかっ!?」

「あかりを消してすることと言えば、ひとつだろう。そんなこともわからないのか? 学院の規則の他に、お前には色々と教えてやることがありそうだ」


 冰悧役の生徒が、凛心役の生徒をガバッとはがいじめにする。


「あ、そんなっ! まだ心の準備がっ!」

「抗うな。百戦錬磨の私に全てを委ねろ」

「もうっ! 先輩の好きにしてくださいっ!」

「凛心」

「せんぱぁい!」

「お、お、お前ら……!」


 好き勝手に痴態を繰り広げる友人たちに、じわじわと熱量をあげていた凛心の怒りが、沸点を通り越す。



「人をからかうのも、いいかげんにしろ!」



 耳まで真っ赤にした凛心が力任せに机をたたくと、ブワッと大量の霊力が放出される感じがして、凛心の手元にあった香炉型の法器が、突然カタカタと動き出した。と思ったら、突如火花が噴き出し、ごうおんとともに天井へと大きな火柱が立ち上がった。


「うわっ!」


 凛心は思わず腕で顔を覆った。おそるおそる目を開けてみると、ぱらぱらとふんじんが落ちる屋根には丸い穴が空き、そこから青い空が見えた。ピーヒョロロ、とトンビの調子はずれな鳴き声が静まり返った教室内に間抜けに響く。



「碧〜……凛〜……心〜……!‌!‌!」



 背後から身が凍えるような怒声が響いて、凛心はびくりと体を震わせた。


「ち、沈先生……」


 えんだいおうですらひるみそうな殺気を漂わせて、雲弦が立っている。


「注意して、取り扱うようにと、言ったでしょう!!」


 雲弦の銀縁眼鏡の奥の瞳はり上がり、その額には青筋がいくつも浮いていた。美人は怒ると怖い、というのは本当のようだ。


「ご、ごめんなさい〜〜〜!‌!‌!」


 凛心は全身から冷や汗を噴き出しながら、平身低頭した。

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