第三章 受難の日々 ー4ー

「おい、冰悧」


 観覧席から宙に舞う凛心の姿を見つめていた冰悧は、不意に肩に腕を回されて振り向いた。隣に座っていたずいほうが、新しい玩具をもらった子供のように、金茶の瞳をきらめかせている。


「あいつ、ただの反抗的な子犬かと思ったら、なんともすごいやつじゃないか」


 瑞鳳が、金色の扇子で凛心を指しながら、関心をひかれたようにそう言った。


「確かに、素晴らしい技だった」


 冰悧が短く返事を返すと、瑞鳳はおおに気分を害したような顔をした。


「たったそれだけか? 友を守って負傷したのに、土壇場で機転をきかせて大技を繰り出し、あの絶望的な状況を一転させたんだぞ! 義心があり、頭もきれて、腕も立つなんて最高じゃないか。どうだ、卒業したら趙家に迎え入れるというのは。ちょうどあんなことがあったばかりだ、頼りになる人材は喉から手が出るほど欲しいだろう」

「断る。あんな奴が来たら、こうほくの規律が乱れる」


 にべもない冰悧の言葉に、瑞鳳が高らかな笑い声を上げた。


「つれないな。あの子犬術士が駆人龍に当たりそうになった時は、心配そうな顔でじっと見つめていたくせに」

「そんな顔、していない」

「他人にはわからなくても、貴様の考えなど、従兄弟いとこの私には全てお見通しだ。まぁ、いい。お前がいらないなら、私がきさきもらうとでもしようか」


 とんでもない発言に、冰悧は眉をひそめて、従兄弟でありおさなじみである男の横顔を睨んだ。


「あいつは男だぞ」

「さあ、どうだかな。あの柔らかそうな肌と細い腰を見てみろ。とても男とは思えない」


 てんあん中のしょうには全て手をつけ、「天安一の花花公子プレイボーイ」の名を欲しいままにしている瑞鳳は、品定めをするように凛心を眺めた。


「お前は男だろうと女だろうと見境ないからな」

「美しいものに、男も女もあるものか」


 そういって瑞鳳は、興奮を冷ますように雷神が描かれた扇をあおいだ。きらめく扇の骨から、パリパリッと電流が上がる。気持ちがたかぶると電流を発するのは、「さくらいじゅつ」を操るこの従兄弟の悪い癖だ。


「よくやったぞ、碧凛心! 面白いものを見せてもらった」


 瑞鳳が声を張り上げて、観覧席から賛辞を投げた。すいいろの瞳が嬉しそうにこちらを見る。が、冰悧と目が合うと鼻白んだような顔をして、胴上げまで中断させてしまった。


「おい、凛心、どこ行くんだよ!」

「このあと、趙りょうかんせいから優勝のあかしである金杯を受け取るんだろ?」


 スタスタと歩き始めた凛心に、ともに選手に選ばれた同級生たちが、不思議そうに声をかける。


「お前らで受け取っといて。おれ、傷の手当てをしに医務室に行ってくる」


 そっけない凛心の言葉に、同級生たちはポカンと口を開けたまま立ち尽くした。冰悧の肩に腕を回したまま、瑞鳳がおかしそうに喉の奥で笑った。


「あの子犬をしつけるのは、長い道のりになりそうだな。冰悧」


 からかうような口調に、冰悧の眉間のしわがさらに深くなる。


「追いかけて、優勝杯と一緒に傷薬を持っていってやったらどうだ」


 ふん、と冰悧は鼻で笑うと、瑞鳳の腕を払い、席を立った。


「あいつにつける薬などない」


 冷たく言い放った言葉とは裏腹に、鮮やかに弓を引く凛心の姿が、まぶたの裏にちらついて消えなかった。

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