第三章 受難の日々 ー3(2)ー

 舞台の床をうようにして速度をあげてきた駆人龍が、玄武組の面々に迫ってきた時、ふっと軌道を変えて別の方向に外れていく。と、思ったら、いきなり角度を変えて、白虎組のもう一人の選手にぶつかった。叫び声をあげて、その生徒は場外に弾き飛ばされる。曹英徳の手元から、紫色の霊気が立ち上るのが見えた。


(あいつら、先生たちにわからないように、霊力を使ってる……!)


 三人でうまく死角を作りながら、競技規則で禁止された霊力を使って駆人龍を動かしているのに気づいて、凛心は顔がカッと熱くなるのを感じた。


(こんな奴らに負けてたまるか!)


 凛心は唇を引き結ぶと、素早く矢をつがえた。

 パン! と銅色の円盤が砕けると共に、今度は玄武組の黒い矢が銀盤を貫いた。


「白虎組、五点! 玄武組、十点!」


 葵蘭が宣言する。これで玄武組九十点、白虎組八十五点。形勢逆転されてしまった。


「くそっ!」


 急いで次の矢をかける。走りながら、金盤を射程に入れた瞬間、ガツッと誰かに思いっきりぶつかられて床に倒れ込んだ。頭を強く床に打ち付けて、目元から火花が散った。


「おおっと、悪いな。的を見ていて目に入らなかった」


 そらぞらしい台詞を吐いて、英徳が床にうずくまったままの凛心を見下ろす。


「悪く思うなよ。競技に事故はつきものだろう?」


 パン、パン! と続けて円盤が弾ける音がして、「玄武組、二十五点!」と葵蘭が宣言する声が響く。どうやら玄武組の他の二名が、金盤と銅盤を仕留めたようだ。


「これで俺たちと白虎組の点差は三十点以上だな。優勝はこちらのものだ」


 残り少なくなった線香をちらりと見やって、英徳が愉快そうに口をゆがめる。黒く塗られた英徳の爪の先から、紫の霊気が不気味に上がった。


「ついでに、無礼な雑魚にもきゅうを据えておくか」


 英徳は残酷な笑みを浮かべると、矢筒から玄武組の黒い矢を抜き、逃げ回っている優毅にピタリと狙いを定めた。


(ま、まずい!)


 凛心は英徳の思惑を察して慄然とした。

 弾かれたように走り出す。

 優毅の近くに銅盤が迫ってくる。それを狙うふりをして、優毅に矢を当てようとしているに違いない。


「優毅! 危ない!」


 咄嗟に優毅の顔の前にかざした凛心の手に、英徳が放った矢が当たる。鋭い痛みが手のひらを貫いて、凛心は思わずうめき声をあげた。


「碧学子シュエズ! 大丈夫ですか!?」


 優毅が凛心の手を取った。やじりがはずされているため大した傷ではないものの、放たれた矢の衝撃で右手が完全にしてしまっている。これではしばらく何も握れそうにない。


「いい気味だな、碧凛心! これじゃもう、弓を射るのは無理だろ!」

「けけけ、英徳さんにたてついた罰だよ!」


 近くにきていた玄武組の取り巻き二人がそう言い捨てて、凛心と優毅のそばを通っていく。さらに続けて、パン! と音が響き、英徳が銀盤を射落としたのがわかった。これで、点差は四十点。凛心は絶望的な気持ちに襲われた。


「ごめんなさい、僕のせいで……」


 優毅が申し訳なさそうに凛心の手を握る。気にすんな、と言いながらも、凛心の心は深く沈んでいた。


(何か、方策はないのか……)


 凛心はなんとか己を奮い立たせようとした。その目に、優毅が制服の帯に巻いているだいだいいろの飾りひもが飛び込んできた。


「おい、優毅! そのおびひもよこせ!」

「え!? えっ!?」

「いいからさっさと貸せって!」


 凛心の言葉に、優毅があたふたと帯紐を外す。


「あと十数えたら、試合終了よ!」


 葵蘭の声が弓練場に響く。


「ふっ、俺たちの勝ちだな」


 英徳の勝ち誇った声と共に、玄武組から笑い声が上がった。


「最後に、圧倒的な格の違いを見せつけてやるか」


 曹英徳は他の選手に顎をしゃくって、一列に並ぼうとしている金盤に向かって弓を構えた。


「七、六、五……」


 葵蘭の声と共に線香の火が灰の中に崩れそうになった時、曹英徳たちの前を、ひらりと鳥のごとき人影が横切った。その人影は、低空を飛んでいた駆人龍を蹴って高く舞い上がると、空中でその身を反転させ、つがえていた矢を放った。パン、パン、パン! と花火のように、金色の円盤が三つ一気にはじけた。


 矢を弓につがえたままの英徳とその取り巻きたちは驚いたように虚空を見つめたまま、言葉を発することすら忘れて立ち尽くした。

 葵蘭も試合終了の号令を出すのを忘れて、あっけに取られたように円盤の破片がハラハラと床に落ちていくのを見つめている。


 弓練場全体が、しん──と静寂に包まれた。


「しょ、勝者……白虎組……」


 絞り出すような声で、葵蘭が宣言した。

 優毅の帯紐で右手に弓をくくりつけ、空中で矢を放ったあと地面に倒れていた凛心は、ゆっくりと立ち上がった。


「き、利き手でもない左手で、三つの矢を一度に放っただとぉ!?」

「貧乏しゅうのお前に、なんでそんな高度な技が!?」


 英徳の傍に立っていた取り巻き二人が、素っ頓狂な声をあげる。

 凛心は弓にくくりつけた帯紐を歯で引っ張って外すと、こうたんをあげて玄武組の面々の視線を悠然と受け止めた。


「ああ、そうだよ。おれは、貧乏だからね。お前らと違って、食事が勝手に出てくることなんてないんだ」


 凛心は、ふっと笑った。


をしていようが、熱にうかされていようが、その日の食べ物を捕まえるために、毎日狩りにでかけてたんだ。当然両方の手でどんな技も使えるようになるさ」


 凛心はそう言うと、英徳を正面から見据え、左手に持った弓の先端を彼に向けた。



「お前らとは、圧倒的に格が違うんだよ」



 英徳の顔が、悔しそうにクシャリと歪んだ。


「凛心〜〜〜〜〜!!‌!!」


 結界が解かれ、白虎組の生徒たちがワッと舞台上の凛心のところへ集まってきた。


「すげーよ、凛心! おれ、めちゃくちゃ感動したよ!」


 級友の一人が、凛心の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でる。


とうの精みたいな顔して、お前やるなぁ!」

「ほんとだよ! 女みたいな細っそい腕してるくせによぅ!」


『女』という言葉にドキリとして、凛心は慌てて袖を引っ張って腕を隠した。


「碧学子! 僕も感動しました! これからは師匠と呼ばせてください!」


 優毅がうるうるした瞳を一層潤ませて、凛心を見つめてくる。「師匠」などと呼ばれて、凛心は恥ずかしさに身をよじった。


「よくやったわね、碧凛心」


 いつの間にか近くに寄ってきた葵蘭が、うれしそうな顔で凛心を見つめた。


「この国では、いつどこから妖獣や悪鬼がやってくるかわからない。術士たるもの、どんな状況でも、冷静沈着に最善策を考え抜く機転と覚悟が必要なの。今日のあなたは、術士のあるべき姿を見せてくれたわ」


 手放しで賛辞を与えられ、凛心は照れ笑いを浮かべながら頭をいた。友人たちが嬉しそうに、肘で凛心のことを小突いてくる。


「褒賞を発表します! 優勝した白虎組は、今日から一週間、全ての授業で功課しゅくだい免除よ! 他の先生の了承も取ってあるから、これから放課後を思いっきり満喫しなさい!」

「おお──!‌!‌!」


 思いもしなかったご褒美に、白虎組の面々から歓声が上がる。


「そして、玄武組」


 急に声のトーンを落として、葵蘭は英徳たちに厳しい視線を投げかけた。


「私の目をうまく誤魔化した気になっていただろうけど、全てお見通しよ。規則を破って霊力を使った上、故意に競争相手を傷つけようとした行為は、武道の精神に反するわ。罰として、玄武組は全員、校庭三十周!」

「えええええ!‌!‌!」


 玄武組から、悲痛な叫び声が上がる。


(ははっ! これで、曹英徳の面目も丸潰れだな)


 わきあがる可笑おかしさをこらえて英徳を盗み見れば、英徳は屈辱に全身を震わせて凛心をにらみつけていた。


「こりゃ、白虎組の完全勝利だな!」

「凛心、お前やっぱりすげえよ!」

「胴上げだ!」


 白虎組の友人たちがわらわらと凛心の元に駆け寄り、その体を担ぎ上げる。


「お、おい!」


 凛心が抵抗する間もなく、友人たちの腕に放り投げられて、凛心の体が宙を舞う。


「凛心! 凛心! 凛心!」


 級友たちが自分の名前を呼びながら、胴上げをする。宙に体が投げられるふわふわとした感覚と、自分の力が認められた嬉しさに、思いっきり叫びたくなった。


「やった────!‌!‌!」


 凛心は高く両手の拳を突き上げると、こみあげる高揚感に歓声をあげた。このまま目の前に広がる青空の中に、高く高く昇っていけそうな気がした。

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