第三章 受難の日々 ー3(1)ー

「さぁて、みんな集まったかしら! 今日はちょっと特別な授業を行うわよ!」


 隆々と天高くそびえるけやきの木に囲まれた、広大な弓練場に着くと、武術担当のさいらん先生が嬉しそうに声を張り上げた。


「弓術の授業の第一回目に行う組対抗弓術試合はね、私がこの学校に着任する前からの伝統行事なの。この試合で優勝した組には、その年驚くような幸運が訪れるって言い伝えもあるのよ! わくわくするでしょ!?」


 赤と黒の弓術着に白い小手を身につけた二十代後半の教員は、士気をあげるように拳を突き出した。


「組同士の対抗試合か! 面白そうだな!」

「弓術の会なら、術家同士の集まりでよくやってるし、自信があるぞ!」


 生徒たちが興奮したように顔を輝かせる。


「おっと。安心するのはまだ早いわよ。この試合は、遠くから動かない的を狙うような、生やさしいものじゃないからね」


 葵蘭はそう言って、背中に流れる長い三つ編みの毛先を手で払うと、大きな瞳の片方を悪戯いたずらっぽくつぶった。


「さ、こっちへ!」


 葵蘭は、弓練場の真ん中にある巨大な白い円形の舞台のような場所に生徒たちを誘った。ふと左手を見れば、舞台から少し離れたところに設置された、ひな壇のような天幕付きの観覧席の真ん中に、玄武から白虎までの四名のりょうかんせいたちが座っている。その中には、趙冰悧もいた。相変わらず世を厭うているような無愛想顔で、隣に座る第二王子がしきりに話しかけるのを鬱陶しそうに聞き流している。


「はっ!」


 大きな円形舞台の中央に立った葵蘭は、指で印を結ぶと、掛け声と共に片足で床を蹴った。床に描かれた赤い呪文が鮮やかに色づき、円形の舞台の外縁にドーム状の結界がかけられる。


「おおー!」


 生徒たちから大きな歓声があがった。葵蘭が嬉しそうな顔をする。


「今日の弓術試合では、この結界の中で、動く的を撃ち合ってもらうわ」


 葵蘭はそう言って、円形の舞台の中央に置かれた木の箱を開けた。中から、小さい順に金・銀・銅の大きさの異なる円盤が三十個ほど現れる。


「それっ!」


 葵蘭が円盤を空に投げあげると、空中にふわりと浮かび上がった金・銀・銅の的が、それぞれ意思を持ったように縦横無尽に結界の中を動きまわり始めた。


「的の色の違いによって、獲得できる点数は異なるわ。十寸(一寸は約三センチ)ある銅の的を撃ち落とせば、五点。七寸ある銀の的を撃ち落とせば十点。三寸の金の的を撃ち落とせば、二十点がそれぞれの組に入る仕組みよ。ただね……」


 葵蘭が今度は木箱の横に置かれた黒い箱を開けた。そこから、卵形の石が五つ現れる。と、思ったら、その石は途端に三尺ほどの黒い龍に姿を変えて、くねくねと体をよじらせながら結界内を駆け巡り始めた。


「これは、れんりゅう。選手たちの邪魔をするように術がかけられた式神よ。これの攻撃を受けて結界の外にはじき出されたら、失格になるから、注意するようにね。結構痛いわよ〜」


 ふふ、と葵蘭が意地悪な声を出すと、生徒たちから恐怖の声が上がった。


「でも先生、この結界の中で矢を撃ち合うんですよね。もし、矢が当たっちゃったりしたら、どうするんですか?」


 生徒の一人が、手を挙げて質問した。


「試合で使うのは、やじりを取った矢だし、心配しないでいいわ。かりに当たってしまっても、一時的にする程度ですむから、大丈夫よ。あなたたちはこれからしゅうとして、悪鬼悪霊やもうりょうとも戦うんでしょ。痛みに対する耐性をつけてもらわなきゃ困るわ」


 けろりとして結構すごいことをいう葵蘭に、何人かの生徒が青ざめた顔をした。


「霊力は使っていいんですか?」


 別の生徒が質問した。


「いいえ。今回は純粋なる武術での勝負になるから、法術・霊力の使用は禁止よ。優勝した組には、褒賞も出るから、正々堂々と戦うように!」


「褒賞」と聞いて、今まで適当に話を聞き流していた凛心の耳が、ぴくりと反応する。

 もし、金一封だったら最高だ。


「みんな規則は理解できたわね。それじゃ、それぞれの組の代表者三名をくじびきで選ぶから、こっちにきて札を引いてね」


 葵蘭は結界を出ると、観覧席の前に置かれた四色の木の箱に生徒たちを連れて行った。抽籤の結果、玄武組から曹英徳、朱雀すざく組から洪優毅、そして白虎組から碧凛心を含めた、四組計十二名の生徒が選ばれた。


「くれぐれも、白虎組の品位をおとしめるようなはするな」


 観覧席前に置いてあった弓をいくつか試しながら、ひきごこちを確認していると、後ろから低い声が聞こえた。趙冰悧だった。


「お前が足を引っ張れば、七年間無敗の白虎組の名誉に傷がつく」

「はっ、言ってくれるね。うそでもいいから、激励の言葉をかけてくれたりしないんですか」

「私は、嘘はつかない。お前と違って、礼節を心得ている」


 わざわざそんなことを言うためだけに、凛心のそばまでやってきたのか。

 つくづく面倒なやつだと思っていると、観覧席に移動した白虎組の友人たちから温かい声援があがった。


「凛心! 頑張れよ!」

「他の組に負けるんじゃねぇぞ!」

「任せとけって! 絶対に優勝して、褒賞を手にしてやるからな!」


 凛心は大きな声で返事をすると、友人たちに向かって手を振った。

 隣に立つ英徳が片眉をあげ、挑発的な視線を向ける。


「そう簡単に優勝が手に入ると思うなよ、貧乏術士」

「口だけならなんとでも言えるぞ、曹英徳」


 凛心は、白虎組を表す白い矢が入った矢筒を背負うと、結界の中に足を踏み入れた。




「みんな、準備はいいわね! 試合時間はいっちゅうこう! この線香が一本燃え尽きるまでに、より多く得点した組の勝ちよ! では、始め!」


 葵蘭の声に、十二名の生徒がわっと走り出した。凛心は小走りに移動しながら、赤く光る半透明のドーム状の結界を見上げた。金・銀・銅の円盤が、はやぶさのごとく、結界の中を自由自在に動きまわっている。


(とりあえず、的を射程に入れなきゃな)


 凛心は矢をつがえながら、独り言をつぶやいた。女である凛心は、他の生徒たちに比べて腕力では劣る。より遠くに飛ばせない分、的の動きを読みながら、身の軽さをかして的を狙うしかない。そんなことを考えながら、じっくりと狙いを定めて一本目を放とうとした時、シュッと音を立てて、大きな塊が自分の体をかすめた。凛心はとっに身を翻すと、受け身の姿勢を取った。


(あ、危なかった……!)


 駆人龍が、ものすごい速度で凛心の頭上を駆け抜けて行った。


「うわぁ!!」


 舞台の反対側で、青龍組の生徒の一人が駆人龍の体当たりをまともに腹に受けて、場外に弾き飛ばされた。


「青龍組、一名失格!」


 ぱっと旗をあげて、葵蘭が宣言する。観覧席から生徒たちの残念そうな声があがり、青龍組の寮監生が悔しそうな顔をした。ふと視線を感じて目線を横にずらすと、冰悧が膝の上で拳を握りしめたまま、じっと自分を見つめていた。それは、あたかも凛心が試合中に不正行為をしないか、監視しているように思えた。


「ひぇぇぇぇぇ!!」


 情けない声が弓練場に響いた。矢と円盤が交錯する中、武術が得意でなさそうな優毅が、涙目になりながら逃げ回っている。


(あいつ……大丈夫かな)


 凛心は再び矢をつがえながら、逃げ惑う優毅を心配げに見守った。ろくに弓を構えることすら出来ず、おおかみに追いかけられる子羊のように走り回るその姿は、修行不足とは言え、哀れに思えた。


(下手に動いて流れ矢に当たらなきゃいいけど……)


 凛心が不安に顔を曇らせた時、パァン! と音をたてて金色の円盤が砕け、玄武組から歓声が上がった。


「玄武組、二十点!」


 他の生徒が苦戦する中、最初に金盤を射止めた英徳が、得意げな顔をしてこちらを見ていた。くぃっと上げられた片眉が、凛心の心をさかでする。たとえ嫌味なやつだとは言え、五大しゅうの実力は伊達だてではなさそうだ。


(ぐずぐずしている暇はないみたいだな)


 凛心は走りながらサッと弓を構えると、続け様に二本の矢を放った。

 パン、パン、と音をたてて、金色と銀色の円盤が砕ける。


「白虎組、三十点!」


 葵蘭の声に、英徳が表情を変える。


「凛心! やるな!」

「その調子だ〜!」


 白虎組から声援が上がる。

 凛心は観覧席に向かって手を振ると、次の矢を矢筒から引き抜き、駆け出した。白い運動服の上に締められた凛心の水色の帯が、ひらひらとちょうのように揺れた。

 試合は一進一退の展開を見せ、次第に白熱の度合いをあげて行った。優毅に足を引っ張られて点数が伸びない朱雀組をよそに、曹英徳率いる玄武組と、凛心率いる白虎組は、十点以上の点差を広げずに、つばいを続けた。葵蘭のそばに置かれた線香が、次第に短くなっていく。


「ぐあっ!」


 青龍組の生徒の一人が駆人龍に弾き飛ばされた。続けて、凛心のチームメイトである白虎組の生徒と朱雀組の生徒が、駆人龍の体当たりを受けて失格となってしまった。これで朱雀組と白虎組は残りの二名、青龍組は残りの一名で戦うことになる。


(あれ?)


 奇妙な違和感を感じて、凛心は一つに固まっている玄武組の面々を見た。


(どうして玄武組は、一人も駆人龍の被害を受けてないんだ?)


 次々と生徒たちが駆人龍の餌食となっていく中、玄武組は三人とも無事だった。凛心は弓を引く手を止めて、黒い矢筒が光る曹英徳たちを見つめた。

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