第二章 最悪の出会い ー2(3)ー

「だけど、今回も趙家がうまいこと鎮圧するんじゃないのか」

「それがさ、たびはどうも違うらしいんだ」

「へぇ?」

「実は、趙家に加勢して戦に参加している父上から、今朝文が届いたんだが……」


 その生徒が周囲をはばかるように声を潜めたせいで、その後の会話は凛心の耳には届かなかった。


「なんてことだ。これじゃあ、白虎組はますます締め付けが厳しくなりそうだな」

「ああ。そもそも、趙家は規律の厳しい術家だ。触らぬ神にたたりなし、だぞ」

「おれ、白虎組じゃなくて本当によかった」


 ほっとしたように息をつく音が聞こえる。

 さらに話を続けようとした生徒のそばを、巡回にきた教員が通り、生徒たちは口をつぐんだ。周囲が静かになったため、学院長の話が再度耳に入ってくるようになった。


「──繰り返しになるが、この学院の設立理念は、絢の未来のいしずえを築くことにある」


 学院長の声が、広い講堂内に大河のように行き渡る。


「この学院にいる間、諸君には、己の学術・武術・法術にさらに磨きをかけ、立派な術士となれるよう、努力を重ねてもらいたい。もちろん、学院を卒業後、諸君はそれぞれの意志や天命に従って、様々な道を選ぶことになるだろう──故郷に戻って自らのしゅうを率いる者、立身出世のために王家や有力術家に出仕する者、しゅうもんに属さず己が道を生きる者……生き方は人それぞれだ。しかし、どのような道を選ぶにせよ、この学院に入学した以上、絢のため、民のために生きる責務を負う事を、ゆめゆめ忘れないでもらいたい。それでこそ、絢統一戦争で失われた数多あまたの術士たちの命が救われるというものだ。では、諸君の健闘を祈る」


 そう言って、学院長は長広舌を締めくくった。


 凛心は固まった肩と背中をほぐすように、両手を体の後ろで組んで伸びをした。「絢のため、民のために生きる責務を負う」などと言われても、礼節を知るに必要な衣食住すら足りたことがない凛心にはあまりピンとこない。



「続いて、学院リンパイ進呈の儀に入ります」


 議事進行役を務めている、ようぎょくと名乗った三十代後半の女性教員がよく通る声で言った。


「これより、玄武組、青龍組、朱雀すざく組、白虎組の順で、一人ずつ名前を呼びます。名前を呼ばれたら壇上に上がって、各組のりょうかんせいから、各組の飾りがついた学院の令牌をもらってください。これは、あなたたちがこの学院の生徒であるというあかしですから、常に身につけておくこと」


 そう言って、葉玉は白い玉を削って作られた、お守り札のようなものをかざした。水色の房がついた六角形の玉板の上には「そうてんだんがくいん」というてんしょたいの金文字が印字され、その上に青い龍や赤い鳥など、それぞれの組を表す神獣の飾りがつけられている。周囲を見渡せば、在校生たちの腰には、みな同様の令牌が下がっていた。


(やれやれ……)


 凛心はため息をついた。


 玄武組から名前が呼ばれるということは、白虎組の凛心はほぼ最後になる。

 最初に呼ばれた生徒が、それこそ亀のような速度でしずしずと壇上に上がり、教員や寮監生たちに何度も何度もお辞儀をしながら、恭しく令牌を受け取る様子を見ていると、新入生全てに令牌が行き渡るまで、また軽く二刻はかかるに違いない。凛心は袖の中で腕組みをすると、めいそうするように目を閉じた。


(はぁ……この式典が終わったら、王おじさんに小説本をだめにしたことを謝りにいかなきゃな……写本の依頼も調子にのっていっぱい引き受けちゃったし、しばらくろくに眠れなそう……)


 ぐるぐるといろんなことを考えていると、なんだか頭がぼうっとしてくる。この学院に入学することを決意してから、一刻の休みもなく、勉強や写本の仕事に追われていたので、突然こんなにぽっかりと時間が空いてしまうとついつい眠くなってしまう……。


「……心! 聞いてるのかしら? ……白虎組、碧凛心!!」


「は、はいっ!!」


 大きな声で呼ばれて、凛心ははじかれたように立ち上がった。いつの間にか疲れが出てウトウトしてしまったらしい。

 周囲を見渡せば、全校生徒たちがヒソヒソうわさばなしをしながら、自分を見つめているのが目に入った。


「あいつ何ぼーっとしてんだ?」

「何度呼ばれても聞こえてなかったみたいだぞ」

「こんな大事な式典で居眠りしてたのか?」


 批判するような声が耳に入ってくる。

 思わず後方の在校生席にいる焔嵐に視線を送ると、彼は「は・や・く・い・け!」と口を動かしながら、必死に壇上を指差していた。


「あっ、ご、ごめんなさい!」


 凛心はパッと新入生席から駆け出すと、小走りで階段を駆け上がった。しかし、焦ったために最後の一段につまずいて、思いっきり舞台の上で転んでしまった。


 ビターン! と大きな音が広々とした堂内に響き渡り、壇上に飾られた大ぶりの山吹の枝から、はらはらと黄色い花弁が舞い落ちた。生徒席のあちこちから、押し殺した笑い声が上がる。


「いたたた……」


 凛心がヒリヒリする顔を上げて立ち上がると、白い虎の飾りがついた令牌を盆に載せた冰悧が、険しい顔で立っていた。その左手の小指には、金花の指輪が冷たく光る。


「みっともない……」


 ぽつり、とつぶやかれた言葉に思わず耳を疑う。


「……やはりお前は、品性の欠片かけらもないな」


 言外に先ほどの官能小説の所有をほのめかされていることに気づき、凛心の白い頬が怒りでカッと紅潮する。彼女は、頭一つ分は上にある美貌の寮監生の顔をぎろりとにらみつけると、パシッと片手で盆の上の令牌をひったくった。冰悧の目に憤激の色がともる。




「そんなに言うんなら、おれをしつけてみろよ。寮監生殿」




 凛心は意地の悪い笑いを唇に浮かべて、らんしょうの瞳に挑戦的な視線を投げかけた。


「五大術家だかなんだか知らないけど、おれはお前なんかに屈しないからな」


 鼻で笑ってそう言い捨てると、凛心は礼もせず、舞台から飛び降りた。生徒席からどよめきが広がる。


「あいつ、五大術家の趙冰悧に一礼もしなかったぞ!」

「どこの名家の出身だ!?」

「あいつの学院生活も、もうおしまいだな! あの趙冰悧に目をつけられるなんて……!」


 ヒソヒソと各所から細波さざなみのように話し声が上がる。葉玉が「静かにしなさい!」と必死に事態の収拾にあたるが、なかなかその声はおさまらない。前代未聞の出来事に、壇上の教員たちまでざわつき出す始末だ。


(へへ、ざまみろ)


 冰悧から奪った令牌をくるくると指で回しながら、凛心は得意げに壇上を振り返った。


 空の盆を手にしたままきつりつする寮監生は、雪のように白い顔をいっそうえとさせて、冷たく凛心を見下ろしていた。その氷のような薄い色の瞳には、荒れ狂う吹雪が渦巻いていた。

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