第二章 最悪の出会い ー2(1)ー

 入学式典を一刻(約十五分)後に控えた大講堂「紫光殿」には、そろいの制服を身につけた百四十余名の生徒たちと、色とりどりの礼服をまとった教員たちが集まっていた。


 祝いの句が掲げられた入り口を通って殿内に入った凛心は、崇高な大寺院をほう彿ふつとさせる高天井の講堂を見上げて感嘆の息をついた。


 自分が立つ入り口から、ゆうに十丈(一丈は三メートル)はある天井には、絢の歴史をつづった色鮮やかな木彫りの絵がめ込まれ、金のはすの細工が施された大きな朱柱がどっしりとそれを支えている。建物の一番奥には、万界の帝王神である天帝の巨大な像があり、砕いた真珠貝で塗装された左右の壁には、思い思いの姿勢ポーズを取った十二体の神々の像がずらりと立ち並ぶ。建物の中央にはあかおりじゅうたんが走り、その両側に並べられた座席では、身なりを美しく整えた生徒たちが、あるものは立ち、あるものは座りながら、楽しそうに歓談を続けている。


「こんにちは! 新入生の方ですか?」


 明るい声で話しかけられて、凛心は振り返った。くりいろの髪に赤い丸眼鏡をかけた、凛心と同じくらいの背丈の少年が、ニコニコしながら立っている。凛心がうなずくと、その少年は人懐こそうな笑顔を浮かべた。


「僕、こうゆうっていいます。五大術家の一つである、なんよう洪家の末息子で、今年からここの新入生です。どうぞ、よろしくお願いします!」


 ペコリと身をかがめて挨拶をされ、凛心はつられるように両手を掲げて礼を返した。


「おれ、へき凛心。お前と同じ新入生で、白虎組」


 女であることを気づかれないように、いつもよりも男らしい声色と言葉遣いを選びながら、凛心はそう言った。


「白虎組ですか。僕は朱雀すざく組です。寮は違っても、授業は一緒ですから、これからお世話になりますね。そうだ、恬恬てんてん安安あんあん、ちょっとおうちから出てきて、僕の最初の同学トンシュエ(同級生)に、ご挨拶してください」


 優毅がうれしそうに腰につけていただいだいいろの袋をたたいた。ふいに袋がもぞもぞと動き、その口からひょこっと、黒と白のオコジョのような動物が顔を出した。凛心は目を輝かせた。


「うわ、わいいな。これ、お前の寵物ペット?」

「へへ、そう見えちゃいますけど、違いますよ。この子達は、ようという妖獣で、恬恬と安安って言うんです。洪家は、妖獣使いのしゅうなんですよ」


 優毅は、くりくりとした丸い目を細めて、愛おしそうにオコジョたちをでた。


「そういえば、碧学子シュエズ(学生に対する敬称)はどちらの術家のご出身ですか? 『碧』なんて術家、聞いたことありませんけど、状元生に与えられる金花の指輪をつけていらっしゃるということは、相当な名家の出自なんですよね?」


 凛心の中指に嵌められた指輪をめざとく見つけながら、優毅が嬉しそうに質問する。


「おれ、どこの術家の人間でもないよ」

「えぇっ!? そうなんですか?」

「うん。そもそも金持ちでもないし。山奥の寂れた小屋で育った上、家族もいないから、この学院に生活費を給付してもらってるんだ」

「はぁ〜……まさか、そんな民衆以下の財力の方がこの学院にいらっしゃるとは……」


 ほめてるのか、けなしてるのかわからない言葉遣いで、優毅がつぶやいた。

 凛心は、不愉快さを前面に出して眉をしかめた。


「でも、この学院って学費も無料で、生活費も支給してくれるようなところだろ? だったら、金持ちの子息だけじゃなくて、もっと、おれみたいな貧乏人がいるもんじゃないの?」


 凛心が頭に浮かんだ疑問を口にすると、優毅は「うーん」と考え込み、社会の裏事情を知る人間特有の微妙な笑みを浮かべた。


「まぁ、確かに碧学子がおっしゃるように、学費は無料で、表向きには広く門戸が開かれていますけどね。この学院の超難関試験を通過するには、そもそもの法術の素養に加えて、小さい頃から英才教育をほどこしたり、高名な私塾に通わせるような財力が必要なんです。だから、結局は貴族の家柄の人間でないと、ここには入学できないんですよ。碧学子は、そういう意味で、変種みたいなものですね! 僕、貴族術家以外の方と口を利いたの、初めてです! よろしくお願いしますね!」


 また無邪気に人の心をサクッと刺すような発言をしながら、優毅がひょこっとお辞儀をした。胸の前に掲げられた手首には、いかにも高そうな金の腕輪が光っている。


(おれ、こんな場違いなところで、やっていけんのかなぁ……)


 十倍の依頼料と寝食無料という特典につられて、とんでもないところにきてしまったと、凛心は己の決断を後悔しかけた。


 その時、講堂の前方中央に設けられた舞台の上のりょうかんせい席に、今この世で一番会いたくない人物が座ったのを見て、凛心の眉間のしわが深くなった。


 舞台にけられた山吹の枝をすだれのように透かして、趙冰悧の彫刻のような姿が見える。銀糸の髪が流れる背筋はすっと伸ばされてたかのように気高く、空色の中衣の襟が、彼の透き通るような肌を一層白く見せていた。


 ふと、冰悧の隣に座っていた別の組の寮監生らしき生徒が冰悧に話しかけた。二人はなかなか懇意の関係らしく、そのまま会話を続けている。


「なぁ、趙冰悧と楽しくおしゃべりしてるあの酔狂なやつ、いったい誰だ?」

「ああ、あの方はずいほう殿下ですよ。僕が所属する、朱雀組の寮監生です」

「虞瑞鳳殿下?」


 耳慣れない敬称を聞いて、凛心は不思議そうに首をかしげた。「殿下」と呼ばれるからには、身分の高い人間に違いない。


「ええ。五大術家が絢統一を達成したのち、虞家が王家として全術家の頂点にたち、残りの四家が王家に仕える諸侯として、東西南北四方の統治をそれぞれ担当することになった歴史は、碧学子シュエズもご存じですよね。虞瑞鳳殿下は、現在の絢の国王の第二王子で、趙冰悧先輩と同じく、この学院の三年生なんですよ」


 優毅に促されて、凛心は壇上に座るその人物の姿に視線を移した。金色がかった長い髪の上半分を豪華な髪飾りで結い上げ、鼻につくほど自信に満ちた笑みを浮かべながら金扇をあおぐその生徒は、王子というより女たらしの遊び人と言った方が良さそうな感じがした。

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