第一章 始まりの時 ー3(2)ー

「別に騙す訳じゃないけどさ、一挙両得ってやつだろ? おれが写本を書いてあげることで、その生徒は自信を持って学業に励め、おれは効率的に金が稼げて、王おじさんの書店は繁盛する。三方良しで、文句ないじゃないか」

「おいおい……」

「それに、さっさと金を稼がなきゃ、いつ金嗣がやってきて父上の庵を壊そうとするかわかんないだろ。同じ手間をかけて作った本が十倍の値段で売れるなら、この学院の生徒の身分をうまく利用する方がいに決まってる。さらに、この学校なら食事もタダだし、必要な生徒には生活費まで支給してくれるんだ。黙ってても金がまる環境があるのに、みすみすその機会を逃す方が馬鹿ってもんだろ」


 凛心はそう言ってニカッと笑った。焔嵐がガックリと肩を落とす。


「お前なぁ、ここは、そんな不純な動機で来るところじゃないんだぞ。いくら状元に選ばれたからって、いい気になってたら足をすくわれるに決まってる。だいたいお前は、俺が贖山庵を出た時だって……」


 長々とした説教が始まりそうになったのを察知して、凛心は眉をしかめた。


「もう、嵐兄もおれの師兄なんだからさぁ、固いこと言ってないで、協力してよ。ちょうど今、王おじさんから依頼されたことがあってさ、嵐兄の助けが必要なんだよ〜」

「なんだよ、俺の助けが必要なことって……」

「こ・れ・さ」


 凛心はニヤリと笑うと、懐から赤い表紙の本を取り出した。


「王おじさんの書店で入手した新作小説なんだけどさ、どのくらい売れるか予測を立てたいから、読者層となる人を対象に市場調査をして来てって言われたんだ。時間のある時に読んで、感想を聞かせてくれない? おれの顔を立てると思って。ね?」


 両手をついて懇願すると、焔嵐は面倒くさそうな顔をした。


「小説ねぇ……俺はそういうのあんまり読まないからなぁ……」


 焔嵐は渋々凛心から本を受け取ると、ページをめくった。次の瞬間、彼の顔が引きった。


「わわわわ!‌!‌!」


 そこに描かれた挿絵を見た途端、焔嵐はきょうがくのあまり本を取り落としてひっくり返った。見る見るうちに顔が赤くなっていく。一方の凛心は、こんなに面白いものを見たことがないとでもいうように、机を叩きながら、大きな笑い声を上げた。


「おっ、おっ、お前! なんてものを見せるんだ!」


 腹を抱えて身をよじる凛心に、焔嵐は人差し指を突きつけながら声を荒げた。


「何って。見ての通り、官能小説だけど?」


 凛心は、目尻にまった涙を拭って、床に落ちた本を顎でしゃくった。焔嵐が取り落とした本の頁には、半裸でしどけなく寄り添い合う男女の姿が描かれていた。


「ほら、ここ男子校だろ? だから、恋に恋する学生もたくさんいるんじゃないかと思ってさ。意外と売れる気がするんだけど、嵐兄はどう思う?」

「ふ、ふざけるな! こんなもの見つかったら、お前、ただじゃ済まされないぞ!」

 焔嵐が急に幽鬼でも想像したかのように、顔を青ざめさせた。

「なんだよ、『ただじゃ済まされない』って……」


 凛心は、きょとんとしてそう言った。


「蒼天男士学院は、こういう本の持ち込みは禁止されているんだ! 特にこの白虎寮は、霊法界一、規則に厳しいしゅうの人間がりょうかんせいになったんだよ! 入学早々、こんな本の所持が見つかったら、お前の学院人生はおしまいだ! わかったら、さっさと証拠隠滅するぞ!」


 焔嵐の指が印を結び、その手のひらにメラメラと燃え上がる火の玉が現れた。五大術家の一つで、西方統治をつかさどる李家が得意とする「えんじゅつ」だ。無から炎を生み出して武器とするその力は、鍛錬すれば野を焼き、川を干上がらせる威力を持つと聞くが、こんな狭い寮の部屋では火事の危険性しかない。

 凛心の顔からサーッと血の気がひく。


「ちょ、ちょっと待ってよ、嵐兄! 落ち着いてってば!」


『王おじさんに頼まれた』と言うのは真っ赤なうそだったが、これは正真正銘、王おじさんの書店から拝借してきた商品だ。燃やされてしまっては、おじさんに迷惑がかかることになる。

 凛心は慌てて小説本を取り上げると、だっのごとく走り出した。


「待て!」


 焔嵐が必死の形相で追いかけてくる。

 何度か卓の周りを逃げ惑った後、退路を失った凛心は、窓を開け放つと、息せききって外の桃の木に飛び移った。


「わっ!!」


 慌てたせいで枝をつかみ損ね、凛心は体勢を崩して落下した。

 それが、凛心の人生を大きく変えてしまうことに、その時はまだ気づいていなかった。

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