第一章 始まりの時 ー3(1)ー

 そして、現在。


 四月の風に桃の花が揺れる中、蒼天男士学院の寮の自室で、凛心と卓を挟んで座っていた焔嵐が口を開いた。


「それで? その後は、どうしたんだよ?」


 焔嵐が先を促すように、ほおづえをつきながら顎をしゃくった。凛心は、渇いた口の中を潤すために、焔嵐が入れてくれた茉莉花ジャスミンちゃを一口すすった。


「写本の仕事でお世話になってた、天安のおうおじさんの書店に居候させてもらって、三日後に蒼天の入試を受けた」

「三日!? よく、そんなぎりぎりで、この学院を受験しようと思ったな……」


 焔嵐が赤茶の目を丸くした。

 凛心は唇をとがらせると、肩をすくめた。


「だって、信書箱に手紙が入ってるなんて思わなかったから、直前まで入学案内が入った封筒の存在に気づかなかったんだよ」


 焔嵐があんぐりと口を開ける。


「お前、この学院の受験者は毎年数百人を超えるんだぞ。しかも、その中で入学できるのはたったの四十八人。どの受験生も、小さい頃から私塾に通ったり、家庭教師をつけたりして準備するんだ。それを、ほんの三日勉強して合格するなんて……」

「嵐兄はそう言うけど、試験科目なんて、経典の知識を測るけい、与えられたお題に沿って論文を作るろんさく、そして法術と武術の実技試験の四科目だろ。経典なんて、父上に寝物語代わりに聞かされたし、写本の仕事で論文も山ほど読んだし、法術も武術も幼い頃から父上にたたき込まれたしさ。まぁ、なんとかなって良かったよ」


 凛心はそう言って、左手の中指にはめられた、状元生の証の金花の指輪をうれしそうにかざした。


「バレたら、どうすんだよ……。お前、身分牌の偽造は、懲役刑に処されるってわかってるよな?」


 焔嵐が顔を青ざめながら、深刻な表情でそう言った。


「え……? そうなの?」


 凛心はぎくりとして言葉を失った。そもそも身分牌など今まで一度も使ったことがなかったし、山奥で育ったせいで、法など気にかける機会すらほとんどなかったのだ。

 焔嵐が深いため息をついて、うなだれた。


「やっぱり、犯罪だって、わかってなかったのかよ」

「うん。王おじさんは、そもそもおれが男だって思ってるから、蒼天を受験するって言っても、何も言わなかったし」


 凛心は口ごもった。目の前の師兄はうなり声をあげながら、しゃくどういろの髪をき回した。そして、いらったように、凛心に人差し指を突きつける。


「お前は、どうしてそう、後先考えずに行動するんだよ。修行の時だって、いつも一人で勝手に突っ走って散々大をしたくせに、まだ反省していないのか!」


 凛心は師兄を落ち着かせるように、作り笑いを浮かべた。


「嵐兄、そんなに心配しなくても大丈夫だってば。おれ、この十六年間、ずっと男として生きてきたんだぞ。嵐兄の部屋を見る限り、この学院の寮は一人部屋みたいだし、気をつけてれば絶対バレないって!」

「そりゃ、お前みたいなガサツな女なんてこの世にいないし、その女らしさのカケラも無い胡座あぐら姿を見て、お前の性別を疑うやつはいないだろうけどさぁ……」

「あのさ、同意してくれんのは嬉しいけど、さすがにそれはけなしすぎだろ」


 ぼそり、と師兄の口から本音が漏れて、凛心はうらめしげに焔嵐をにらみつけた。


「確かに、嵐兄の言う通り、今まで女の格好なんか一度もしたことないし、女らしい教育だって一切受けたことないよ? だけどさ、そんなこと言ったら、おれの無けなしの乙女心が傷つくじゃないか。おれだって、れいな着物を着てかんざしとか挿したら、天女も羨むすごいビジョになれるかもしれないだろ」

「そんな大口を叩く前に、まずは女らしい茶の注ぎ方くらい、学んだらどうだ」


 無作法に足を投げ出しながら、片手でじゃばじゃばとちゃふうを傾ける凛心を見て、焔嵐は赤茶の瞳をぐるりと回した。


「つまり、だ」


 焔嵐は、すでにぬるくなった茶を一口啜ると、混乱する頭を整理するように言った。


「お前は金嗣から逃れるために、この学院に入学したってことなんだな」

「理由の一つだね。おれがここに来た目的は、三つある」


 凛心はそう言って、少し真面目な顔をして指を立てた。


「一つ目は、金嗣から少しの間身を隠すこと。そして二つ目は、おれに学院の入学案内を送ってきた、この青色の封筒の差出主を探すこと。そして三つ目は──」


 そこまで言って、凛心は少し言葉を途切れさせた。


「三つ目は? 早く言えよ」

「金を稼ぐ! そして、金嗣から父上の贖山庵を買い戻すんだ!」


 凛心はそう言うと、懐から幾冊かの本を取り出した。


「見てよ! おれが入学試験で状元になったと聞いたら、王おじさんの書店に写本の依頼が殺到してさ。おれが書いた写本には、『学業成就のご利益がある』って触れ込みで、一冊につき、今までの十倍の依頼料がもらえるんだ! あぁ〜、この学院の生徒って得するなぁ〜!」

「お前、なんていう宣伝の仕方をしてるんだ……」


 急に目を銭の形にして話し出した凛心に、焔嵐は頭痛を覚えたように頭を抱えた。

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