イスカリオテ行動録1
11月17日
「君の名前はなんだい?これから長い付き合いになりそうだし、教えて欲しいな。」
如月は個室に入ると重役かの如くふてぶてしく椅子に座り、話し始めた。
「私の個体識別番号は先程お伝えした通りLNS-1600です。それ以下でもそれ以上でもない、人特有のナマエは持ち合わせてません。」
当たり前の事実を述べると、如月はさも驚いたかのように目を見開く。
「君たちLNSはいまだに名前がないのかい?LNSなんて差別用語すでに対策されていると思ったのに...まさか君たちはLNSの意味を理解していないのか?驚きだ。」
やけに彼の口調は馴れ馴れしく初対面とは思えない態度だ。彼の嘲笑が混じった言葉に何か引っかかる。LNS、私も考えようともしなかった。
「企業秘密だから知らないのも当然だけどね。」
如月は子供のようにケラケラと笑う。その幼さを見せる笑みに少々不気味さが垣間見える。
「LNSはLobotomy Non Sensivirity の略さ。ロボトミーによって感受性を失った人みたいな和訳もあるね。まずロボトミーは知っているかい?イスカリオテ君。」
「ロボトミー手術ですかね。1950年代の抗精神病手術だと言われた代物。しかし実態は感情そのものが失われてしまい、シェルショックやロボットのように...ああ、そうか私たちはロボトミーの被験者と同等だと揶揄されていたのですか。ではロボトミーカンパニーという名は?」
「ご名答!君は博識だねぇ。模範解答はなにをしても反抗しない従順な奴隷とその生産会社といった所かな。」
脳内で何かが沸々と湧き出る感覚がする。通常の処理でもなければ、エラーを吐いた様でもない。新たな感覚だ。
「それは怒りかな。イスカリオテ君、やはり素質があるね。」
「すみません。先ほどから仰っているイスカリオテというのは?」
感情という我々が持ち合わせないシックスセンスでショートしそうな脳内を落ち着かせるため、近くにあった疑問符を投げつける。イスカリオテ、名は良く知っている。裏切り者の代名詞、絶対的な悪であるユダの通名。何故その名を私に付けたのか甚だ疑問だ。
「もちろん君のナマエさ!いちいちLNS-1600と呼ぶのは面倒だ。」
私は初めてナマエという存在に仮説を立て理解しようとしている。ナマエ、名前というのは人を識別するための愛称のようなものでその名前自体に何ら意味はない。人間が数字の羅列を覚えることが苦手故の、不完全な存在だからこそ行う生体識別行動。ただそれだけの行動だ。だから私に名前を付けたのだろう。しかし、どうもイスカリオテという名前はささくれのように引っかかる。私が悪だと言いたいのか、それとも金で動く守銭奴とでも言いたいのか。分からない。
「もう一つ名前を付けた理由があるんだ。名前っていうのはその人に進む道を決めるとか、その人の個性を決める原因にもなる。いわば名前というのは両親の祝福であり呪いだ。それに助けられたり、苦悩したりする。君たちロボトミーにはない感情だろ?君がイスカリオテという名前を貰いどうなるか、正直楽しみだ。」
「私は守銭奴にも、悪にも染まりません。」
こういう人間にはきっぱり言わなければこのまま調子に乗るはず。だからこそここで言うべきなのだ。
「悪をどう定義するかにもよるな。イスカリオテの裏切りはキリストによって命令されていたという説を知っているか?博識な君ならわかるだろ。裏切り者のイスカリオテが一番のキリストの理解者であり、彼のために裏切った。彼にとっちゃ裏切りは本望だったろう。君もじきに何かを裏切ることになる、きっと。そしてそれが君にとって本望であることも確定事項だ。」
「外典の内容を引き合いに出されて私の行動を決められましても。」
正直彼の言っていることは分からない。だが彼はイスカリオテという名前を辞めるつもりはないだろう。
「本題に行ってもいいですか?今までの話はあまりにも本題と乖離してます。映画だったらがっつりカットですよこんなシーン。」
今思えばすぐ本題に映ればよかったのだ。何故か彼の話は聞き入ってしまう節がある。
「ああ、申し訳ない。久しぶりに話すものだからつい。そうだな。私は君に協力して欲しいんだ。何もやましいことは無い。俺について来ればいいだけだよ。」
この上なく怪しい。どうせ運び屋だとかそういう末端の犯罪をやらされて捨てられるだけだ。こんなものさっさと断って仕事に戻らねば。
「もちろん無償じゃない。君はこの会社のシステムは知っているよね。仕事をこなせばこなすほど報酬と休みが手に入る。前時代的な歩合制だ。だから君に、俺と協力しているときのみ長期的な融資と徴収対象を優先して流してあげよう。WinWinじゃないか?君は自己学習の時間が増え、俺は協力してもらえる。いい条件じゃないかい?」
「そんな甘言に騙されるほどサーキットは錆びれてません。」
彼はどうやら、この会社の仕事を司る程度には権力を持ち合わせている。そうなってくると彼はこの会社の人間か、暴力団か。やはりうまい話には裏が付き物だ。断ることが一番合理的であろう。
「じゃあさらに特典だ。君の知らない感情について教えてあげよう。」
「...詳しくお聞かせください。」
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