10代から20代の時に書いた詩(16)
天川裕司
10代から20代の時に書いた詩(16)
誰かと一緒に居ても、心の中には僕が創った理想の人が居る。
誰かと一緒に居ても、独りと同じ事だ。(笑)
「myself」
自分を高めるとは?他人(ひと)から見てその人が自分を高めるように見えても、その人にとっては堕としているのかも知れない。そのチューニング・ポイントは永遠に合う事は無い。他人(ひと)の中には入れないのだから。天国と地獄、いつもその二つが目の前を散(ち)らつく。
ここ地球では皆人間は躊躇して居る。心に善の箍があるのだ。思いやりだとか、一瞬的な人間性だとか、そんなものに一瞬躊躇うのだ。こんな悪が生き易くなってるというのに馬鹿らしい。素晴らしい悪への道を人間自らが閉ざして居る。何も他人(ひと)を殺せとか言っているのではなくて、毎日の生き方だ。せっかく生まれて来たのだから楽天的に生きねば損ではないか。君は生まれたくて生まれて来たか?と問えば誰も答えられはしない筈。悪が影で帝国を創って生きているというのに何故に警察などが居るのだ。詰らぬ空虚など蹴散らせばいいのだ。それさえ出来ないようでは所詮、この時代これから生きてはいけない。泣くより笑え、他人(ひと)の不幸・不利を見て笑えばいいのだ。一時的な人間の感情などに浸っていては何れ悪に流される。その悪に流される前に自分で流してしまうのだ。結果的に敗けようが勝とうが知った事ではない。生きたいように生きたのだから。今の時代は以前と変わりなく、悪の時代だ。
黙って人間(ひと)の顔を見る事が出来なくなった。いつからだろう。
無理のない演技、どこまで出来るのか。臆病でどうしようも無い俺は、今更ながらにそう思う。
今までに何度か特技が欲しいと思った事がある。
優しさと、媚を売るのは、その境界が分からなく事がある。
女に〝好い人〟と言われるのは僕には無駄な事だと分かった。
夜の人の流れを見ていると、どうして生きて行こうか分らなく成った。突然の突風が吹いて舵が狂う。女は何種類かもう忘れた。一生遊んで食べて行ける金が手許にあるとしても、それを取ろうとする人間の顔を見ると、そんなもの紙切れになる程の頃肢体気持ちが、今の生活と無責任も現れる。純粋な人間はどこへ行き、どこで生きればいいのか。ここはもう、純粋な人間が生きられる場所じゃない。抜ける程の空も、白い浮んだ雲も、流れる河川も、水平線が見えて動かない海も、一時的でしかない。人から嫌われる事が無性に怖く、無理な生き方を望む。
命が長い・短いは、人間(ひと)が決められるものじゃない。しかし生まれる。その誕生は不条理でも関係ない。だからせめて、弱い者には優しく成りたい。欲を失くして悪者には成りたくない。きっと悪者に成れば、善・悪人が判らなくなってしまう。はしゃげる時は昔に過ぎたのか。今は何も生き方が無い。淋しさを埋める為なら、誰でも横に置こうと考え、そこに以前の自分が居る。平和呆けしたこの日本で何を当てに生きて行くのか。生きて行こうと乞えば、臆病は猛烈な勇気に代わる。その勇気とは、僕の背負いきれる重さじゃない。命が長い・短いに拘らず、今の人間は〝固く成るな〟と言う。唯、命を大事に、柔らかく生きろと。
生れて来て生きて、何を糧にするか。唯一つ神に願う事、この世に生まれて来て僕にとって生涯一片の糧を得る事。
人の優しさと汚さが一日交替で目の前に現れる。もう好い加減現れてくれるなと、消してしまいたくなる。でも生きて行く以上、そう言う面をした人間(ひと)の下で働かなくてはいけない。その中で一般的な幸せは生活を得る。その価値が判らなくなる程、人の優しさと汚さが一日交替で目の前に現れる。
とても奇麗な、奇麗過ぎる物を見て、悲しくなるのは、悲しい事か。
背負うものがないのは、辛い事だね(笑)
無い方がいいと日々思っているのだから。
すべての欲を失くしたい。
真面な生き方とは、人を殺さない生き方か。
「ランニング・オフ」
人は清算の現場を知る事は出来ない。見る事、これ即ち結果。
価値のある生き方、他人(ひと)の為に尽した生き方。
価値のある生き方、他人(ひと)の物を奪って生きる生き方。
Good-bye青春
盲人に会い、横に座って話した。
〝早く見えるようになればいいのにね。〟
そう言うと盲人は、
〝優しそうな顔を君はしているね〟
と呟いた。
知恵遅れで常識を忘れたいと願う。しかし親を思うと、それは願えない。
「不敗」
独り身がこれほど心を曇らすとは。朝起きるのも辛いほど見捨てられた思いに駆られる。今している事は、分からず、しなきゃいけないと思い込んで繰り返している。忍耐の訓練らしく、しかしその本番をいつするのかが分からない。汚れはほんの一部と言う。人の鼓動には欲望がある、その上で一部とは言い難い。人の気持ちとは一場面毎に違う。時に急変する事もある。その危なさで欲が刺激を欲しがらない訳が無い。何度か死のうと思ったが、この生活の繰り返しと親を思うと、出来ない。この繰り返しの中に、僕の信じる神がいる。僕の母さんと父さんが言う。〝死ぬ事は神を裏切る事だ〟と。そして僕はまた頼り無く無責任な祈りをする。〝明日いい日になーれ〟と。
「存在理由」
人は元々一遍しか世紀最大の過言は言えない。それが生まれて来た理由だ。それは一人一人顔の違い、心の違い、声の違い、指紋の違い、優しさの違い、憎しみ方の違い。〝所詮人間〟と言う時に、その人間を創った神を見下ろし、縋り付いている。どうしても人間と神の間には距離がある。老人は若者の目に合せて物を見れない。若者は老人に目を合わせられる。神は人間に目線を合せる事などするのか。神は老人ではない。
いつしか母親の怒りがコンプレックスになっている。
常識を破る事が怖い。何もかも上手くいかない。男に生れて、その意味を捜し続けていた。人の人情を裏目で採り続けた日々がある。それをクリスチャンという自分でカバーする事が間違っていたのか。
自然体という旅は難しい。風は海から来る。だけど、次にはもう山へ向かう。だから僕は自分を失くしたくない。
「理想の自分(ひと)」
軽い自分に気付いた時、その自分から理想の自分が逃げた。知らない女の子と話しながら、昔から見ていた自分が遠くに見えなかった。〝見ず知らずの人〟というのが、どうしても心から離れない。この世の汚れに触れた時、軽い自分と、理想の自分と、どちらが見やすいか。嘘つきにはなれない。それがこの流行への反発という、普通に見て馬鹿らしい見解かも知れないが、この気の多さはどうしてもなくならない。この自分に生れ付いて、この周りに行き着いて、理想の自分で生き続けるのは、この場合、僕の運命だ。
ここは子供の育つ唯一の場所だ。―――――――
ここは子供の育つ場所じゃない。――――地球
「他人」
人間(ひと)の理想(ドラマ)と現実(ノンフィクション)は、どうしても平行線の儘か。生と死との間に距離があるみたいに、そこにある筈の満足はどこに行くのか。〝勝てない人〟、ある人が憧れる永遠の憧れなのかも知れない。唯、こう言う人がここにも居たという事を誰かに知って貰いたい。
「生きる事」
生きる事を考える時、人間は何を根底に置いてるか。それは時に本人にも解らない。唯、もし神が居るとして、天国へ帰った時に見えるのは、日々、考え続けた自分の跡なのか、という事。そして僕は思う。何故哲学などという生きる上で無駄なものが存在したのか。僕は今、生きる事を考えた。
「模範」
顔を見る癖を辞めたい。どう見られているか等と、女のような気持ちの悪い癖が僕には付いた。数年前まで僕は何も考えず、はしゃいでたような気がする。その証拠に、その頃の記憶が無い。〝好い人〟に成ろうと、常識に沿い始めたのは極めて最近の事。人間(ひと)は皆そうしなければ生きてなど行けない。面白半分で生きられる程、神の与えたもう人生は易しくない。〝試練〟だと言うのだから。例えば、部屋でクーラーを付ければ、時間が経っていく毎に涼しくなるが、また時間が経っていく毎に寒くなる。人生の壁は、書初めのように二度書き出来ない事二ある。過去を忘れる事が出来ても、消せたりはしないのだ。だから僕は失敗を恐れ、人から好感を持たれようと、自分自身に腹立てながら流行に寄り添うのだ。
「負け知らず」
自分が思っていることより多くを言葉が語ればいいと考えていた。いつしか自分の言ったことが生きてくればいいと考えていた。
生まれてからこのかた、私は人の心を知らない。模範を知らないので、こういうものか、ということすら、本来知らない。しかし生きている。私は白い服を着て街を歩いていた。
車から出るはいきガスの煙でさえも汚れる程のせんさいな白だった。私は服を気にしながら歩いていた。そして他人(ひと)とはどういうものに感動しやすいのかずっと考えていた。多分、この先もこのままの自分なら考えるだろう。そういう輩の仲間なのだ。生きものは知っている。
命があって、その命とは人間(ひと)の理解できないものだろう。でも人間は知らない。人間の能力はわかるが、人間の存在の意味を知らない。私は太宰の“人間失格”を読みながら、思った。これだけの字を書くこの人は何者か、と。
長い文、短い文、いろいろ書いてある。私には理解できない。なぜこんなことを思うのか。ただ、見た目で判断しているのだ。
どうしようもなく不安に転がり、その孤独嫌いで私は私のジャレ言に目をつむっていた。腹が減ればご飯を食べるのである。眠たくなったら寝る、昔習った人間のすることをしているのだ。この26年間で、その行動パターンからは逃れられないことがわかった。“わかった”とは言うが、この短い一生でそう言うのだ。本来は言えない。性別があり、私は一つに生まれた。
親がいて、まわりに人がいる。仕組まれた中で、生きる術を選びながら今日まで生きてきた。たいして不自由も感じず、過去に過ぎてゆく少しの喜びと、憎しみと悲しみだけを感じながら。ただ、私は幸か不幸かを見抜くのが下手に見える。あとで不幸だとわかれば、ヘンに格好もつけないのに。流行に染まる街中で、独り身で生きる。そのくり返しは明日へと続き、未来へとつながる。
すべては明日のため、生きるには明日が必要なのだ。時に、罪をかぶっても目をつむるものなのだ。そして悔い改めをする。そしてまたくり返す。くり返しが嫌になる人間はくり返しのパターンから逃れることはできない。そう、そこで慣れるしかないのだ。
ニワトリさん、君が鳴いても、僕は起きないよ。君は鳴いても、その次にまた寝るんだろう。
この周りの女が僕の文学の邪魔をする。その女に肖る男共までも。
10代から20代の時に書いた詩(16) 天川裕司 @tenkawayuji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます