第5話

第五話 「ようこそ八咫烏へ」

 まだ世界というものが理解できず、ただ心の赴くままに、無限のイメージで自分の見ている世界を定義していく子供達。

 あるいは真っ暗な人生、息苦しい社会、繰り返される日常に辟易し、ひたすらに自由を求める大人達。

 そんな彼らが考え、思い描いているのが夢であり、人生を大きく変えることができる希望である。

 空を飛びたい――空を飛んであの綿菓子を食べたい

 空を飛びたい――空を飛んで自由気ままに旅がしたい

 けれどもそんな夢は、大きくなったら、あるいは我に帰ったら、所詮無理な話だ。人にそんな力はない。と諦める。

 それでも一部の人間は、その思いを歌に乗せたり、絵に書いたり、文章に託したりする。

 それを人々は、聞いて、見て、読んで、そんな情景に想いを馳せる。

 嗚呼、こんな魔法、あったらいいなあ。と。




「彼、魔法が使えるみたい」

「……は?」


 自分でもびっくりするくらい腑抜けた声が出た。

 マホウ……?何言ってんだこの人。


「わかってるならなんで早く殺さないわけ?組織以外の魔法使いは殺す、それが決まりでしょ?」

「そうです。靏音さんの言うとおりです。それとも、同級生という理由だけで躊躇っているのですか?」

「まさか……まだあのことが頭に残ってるわけ?」


 二人が気色ばみ、険悪な雰囲気が部屋を包み込む。

 部屋の電気が二回、三回と点滅し、静かに息を引き取った。


「おい、勝手に話を進めるんじゃねえよ」


 齋藤が冷たく言い放ち、ガン!と無機質な音が部屋に響き渡った。

 斎藤が蹴り飛ばしたローテーブルが無情にも前方に吹き飛び転がる。

 ひっくり返ったテーブルと床に転がった湯呑みを見て、靏音が底光りする瞳で齋藤を睥睨する。


「大地……?」


 ありえない光景だ。齋藤がものに当たるなんて。


「光一は俺の親友だ。組織の決まり?そんなのは知らない。俺の親友が死ぬ。俺はそれが許せない!」

「決まりは決まりです。私たちは私たちのやるべき事をするだけ。そこに私情を挟んでは……」

「まずは落ち着いて齋藤くん」

「落ち着いてられっかよ!友達を失いたくないんだ!」

「待ちなさい」

「私たちの妨害をしたら、それは組織を裏切ることに……」

「もういい」

 

 楢木の発言を楢木が声色低く遮り、右手を横に広げる。

 すると、彼女の手の周りで、黒い火花がばちばちと音を立てながら空中で弾ける。

 黒い光の束が靏音の手から解き放たれ、彼女は一瞬にして実体を手にする。

 漆黒のギター……いや、夜空を思わせるようなエレキギターが靏音の右手に握られている。

 黒色を基調としつつ、ラメでも施されているのか、ボディでは天の川が所狭しと流れている。

 

 俺はすごいところを目撃したのかもしれない。何もないところから火花が発生し、黒い閃光が流れ、ギターが生まれた。これが濱田が言っていた『魔法』なのか。


「邪魔するなら、容赦しない」


 靏音はギターを構え、彼女の殺意のこもった瞳が齋藤に注がれる。

 齋藤は目を大きく開き、体をブルっと震わせると。


「もう俺は……失いたくない」


 齋藤は岩に刻むように重々しく言って、まるで自分を勇気付けるかのように二回、三回と床を踏み鳴らす。

 齋藤がバッと手を前に突き出し、涅色光と共に彼の右手には、かな色黒みをおびた一振りの日本刀が握られる。

 それを彼は頰の辺りに近づけ、右足を引き、八相の構えをとる。


「……ほんとにやるんだね」


 齋藤が小さく頷くのを見て、靏音は眉のあたりに決意の色を浮かべる。

 靏音の指がフレットを移動し、弦のエッジと擦れて、ギターからフィンガーノイズが発生する。

 

「命取るつもりで行くよ」


 俺はその様子を部屋の隅から見ている。

 部屋の張り詰めた空気のせいなのか、はたまた目の前で煌めく日本刀のせいなのか、体の芯が冷えていくのを感じていた。

 俺は今何を見せられているんだろう。よく分からないが、二人の口ぶりからしてかなり物騒なものを見せられていることだけは分かった。

 何より齋藤が握っているのは日本刀だ。本物かどうかはわからないが。

 今の状況で、日本刀が振り下ろされる先はそう多くない。

 そして俺はこの状況で何をしたらいいかわからない。ただ見ていることしかできない。


「大地……」

 

 濱田はいつの間にかソファに腰掛け、起伏がなく、面白みのない風景を展望するように二人の様子を眺めていた。

 ソファに手をつき、少しだけ前傾姿勢をとりながら齋藤と靏音に視線を走らせている。

 楢木も濱田の隣に座り、肩をすくめながら複雑そうな顔を二人に向けている。

 

 齋藤の噛み締められた歯がギリと悲鳴をあげ、彼の額から流れてきた汗が肌を走り、頰を伝って顎から落ちる。

 

 彼は日本刀を握り直し、床を踏みしめた。

 

 床鳴りが起こり、靏音が目を細めた。

 

 二人が纏う雰囲気が変わった。

 

 齋藤の肩がピクッと震えた。


 

 ――齋藤が動く。


 

「はあああ‼︎」


 齋藤は鋭い雄叫びを上げながら勢いよく床を蹴って靏音との距離を縮める。

 彼が飛び上がって日本刀を振りかぶると、刀身が一気に燃えたぎる炎に包まれた。

 天井が黒く染め上げられ、焦げた匂いが鼻をかすめた。


豪炎斬ごうえんざん!!」


 刀が炎の尾を引きながら靏音の首に迫る。

 靏音は小さく屈んで予備動作を取ると、小さくバックジャンプする。

 コンマ数秒前まで靏音が居たところを齋藤の日本刀が勢いよく走り抜ける。間違いなく殺す気だった。

 最小限の動きで刀を躱した靏音は、音もなく床に着地した。

 そこから二歩バックステップを踏み、靏音は無理やり齋藤との距離を確保しようとする。

 その二歩目が床に着くより早く、齋藤は刀を横に薙ぎ、体を思い切り前傾させ、地面を滑るようにして靏音の懐に潜り込む。

 齋藤は力強く踏み込み、体勢が崩れた靏音の上体目掛けて、右脇腹から左肩に抜けるように斬り上げる――

 靏音が口の端をニヤリと持ち上げた。これを待ってたと言わんばかりに。


「バチィィン‼︎」


 金属質の轟音が鳴り響き、日本刀が虚空で止まる――違う、止められたんだ。

 目を凝らしてよく見ると、齋藤と靏音の間に半透明の、淡く青色がかった薄い壁が作り出されていた。

 刀はその壁の表面で止まり、バチバチと火花をたてる。

 齋藤は腕の血管が浮き出るほど刀を強く握り、全体重をかけて壁を破ろうと試みる。


 濱田がため息をつき、ソファの背もたれにもたれかかった。


「馬鹿ね……」


 靏音の指が小さく動いてエレキの弦を弾く。アンプに繋いで無いはずなのに、ギター音が甲高く鳴り響いた。


音響韶韻おんきょうしょういん


 強い衝撃が体の芯を貫き、俺は全身が燃えるように熱くなるのをひしひしと感じた。

 視界が霞み、縁が黒くぼやけている。耳鳴りは酷く、手足が痺れて動けない。命が危険だと脳が警鐘を鳴らし、心臓は大きく波打っている。


 俺は力を振り絞って首を回し、横を見る。

 白色のウォールシートが目の前で大きく湾曲していて、一部破れたところからは石膏が顔を覗かせていた。

 首を元に戻すと、齋藤の横姿が見えた。大文字になって壁に張り付いていた。

 そうか、壁に叩きつけられたんだ。靏音がギターをき、音が聞こえたと同時に。

 そして齋藤もそれを喰らった。

 彼の手から日本刀が滑り落ち、乾いた音を立てて床に転がった。

 窓ガラスが割れ、部屋の中に雨が入ってきていた。

 ガラスが割れたのは靏音のせいだろう。ガラスが音のデカさに耐えられなかったのだ。


「んん……」


 齋藤は苦しそうな声を出しつつゆっくり体を動かして壁から離れた。床の日本刀を拾うことなく、瞬きのないまっすぐな殺意を靏音に向けている。


「流石に手応えなさすぎ」


 靏音は齋藤の前に立ち、それから日本刀を拾って彼の首筋に押し当てる。どこに行ったんだろう、靏音のギターが消えている。

 ツゥと血の線が流れ、齋藤はわずかに顔を顰めた。


「こんなにも簡単に誘いに乗ってくれるなんて」

「……誘い?」

「もしかして気づいてない?」

「……」

「私が二歩後ろに下がった時、二歩目だけ歩幅を大きくとったんだよ。歩幅を大きくとって、わざと体勢を崩した。全ては齋藤くんをできる限り近づけて、私の音魔法を至近距離で当てるため」

「……くそ」


 齋藤は眉根を寄せ、靏音は自慢げに鼻を鳴らした。


「でも……まだ終わってない……!」

 

 最後の抵抗だろうか。

 齋藤は目元を歪ませて歯を食いしばると、勢いよく右手を動かした。

 彼の右手は靏音の首を目指し、一直線に突貫していく。首を掴んで気管を潰し、呼吸をさせないようにするつもりだろう。

 が、齋藤が靏音の首を掴むより早く、彼女の左手が彼の手首を捕らえた。

 齋藤の指は靏音の首の近くでそれ自体が生き物のようにぴくぴく動き、やがて諦めたようにダラーんと垂れた。


「ちくしょう、なんでこんなに弱いんだよ……」

 

 靏音は齋藤の右腕を無理やり掲げさせるとそのまま壁に叩きつける。

 齋藤の体が再び壁と触れ合い、壁から石膏がパラパラと落ちた。


「……っ」

 

 齋藤が小さく呻めき、彼の顔が苦痛に歪んだ。

 靏音はそれから齋藤の首から日本刀を離し、手の上でくるりと器用に回転させてきっさきの向きを変え、逆手持ちに変更すると上から振り下ろして齋藤の耳元の壁に突き立てた。

 彼女はずいと一歩前に出てさらに齋藤との距離を詰めた。額と額がぶつかり、お互いの息遣いを肌で感じられそうな距離。

 一昔前に流行った、壁ドンというやつだ。いやちょっと違うか。壁を突いてるのは腕じゃなくて刀だしな。初めて生で見たけど、これは絶対キュンキュンしないな。

ゾクゾクはするかもしれない。もちろん悪い方の。


 齋藤はしばらくの間、正面から至近距離で注がれる靏音の目を見返していたが、やがて耐えられなくなって目を逸らした。

 靏音は馬鹿にするように肩をすぼめ。


「これだから弱いままなんだよ」


 と声色低く言い放った。

 

 こちらも濱田と一緒で、学校での様子と全然違った。

 学校ではこんなに冷たくない。

 

 それから彼女は振り返ってソファに深く腰掛けている濱田を見た。


「ねえゆーちゃん、齋藤くんどうする?」


 そこまで言って彼女は俺に視線を移し、


「水野くんを殺すのは確定なんだし」


 事も無げに言ってのけた。

 俺がなぜ殺されるのか理解できない。濱田に聞いた時もタイミング悪く靏音達が来てしまって結局聞けずじまいだった。


「どうもしないわ」

「おっけ、じゃあ水野くんだけだね」

「水野くんもよ。二人ともどうもしない」

「……どうして。どうして殺さないの⁉︎水野は殺さなきゃいけないでしょ⁉︎」

「濱田さん、私も水野君を生かすことには反対です」


 そう言って楢木は立ち上がり、ソファに深く座っている濱田を見下ろした。

 俺を呼び捨てにするほど興奮している靏音は、床を踏み鳴らすようにして楢木の横に立ち、楢木と同じように濱田を睨んだ。


「殺すべきです。殺さないといけません」


 優しい声で恐ろしい事を口にしている。

 

「そうだよ!魔法を世間に出さないためにも!これは必要な殺しなんだって!」


 靏音は心強い味方を得て、さらに濱田に詰め寄る。

 詰め寄られた本人は胸の下で腕を組んで何も言わずに瞼を閉じでいた。


「考え直してください濱田さん。八咫烏のためです」

「……ああ、もういい‼︎」


 一切口を開かない濱田にとうとう痺れを切らし、靏音は体ごと俺の方を向く。

 靏音の目が俺に向いた。

 

 齋藤が今にも枯れそうな声で「に……げ……ろ……」と俺に呼びかけたが、俺はそれどころではなかった。

 体が動かないんだ。壁に叩きつけられてから四肢の感覚が戻ってない。

 それに、靏音の鋭い眼光に射竦められて全身の筋肉が萎縮してしまった。


「私がやる!」

 

 靏音が俺の方に歩き出すと、突然濱田がパチンと手を叩いた。

 靏音の体がビクリと震え、彼女はおずおずと振り返る。


「もう一度言うわ。水野くんは殺さない」

「いや、でも……」

「魔法の適性がある人は殺す。それが組織のルールなのは確かね。でもそれには続きがある」

「ただし身寄りのないものはその限りではない……」

「ただし身寄りのないものはその限りではなく、その者は保護し、八咫烏に入隊させる事」

 

 靏音の言葉を楢木が補足する。

 濱田は小さく頷いて、ゆっくりとソファから尻を離した。

 それから俺の方へ歩を進め、途中にいた靏音は顎を引いて体をずらし、濱田が通る道を空けた。

 濱田は俺の目の前に立って右手を差し出す。


「ようこそ八咫烏ヤタガラスへ」

「……拒否権は?」

「ないに決まってるでしょ」

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