第4話

第四話 「魔法が使えるみたい」

 同級生の部屋に連れ込まれた。字面だけ見れば天国のようなものだ。「今日、親いないから……」なんて耳元で甘く囁いてくれたら一発でKO。昇天物だ。

 でも違う。全く違う。濱田の言ってることは何一つ理解できないが、少なくとも今の状況が天国では無いことだけは理解できる。


「ちょ、ちょっと待ってよ濱田さん、何を……言ってんの?」

「そのままの意味よ。さようなら。あなたはこれから死ぬの」

「は……?」

 

 意味がわからない。


「いや、え?」


 濱田があまりにも突飛なことを言うので、なぜか笑みが溢れてくる。


「意味わかんないんだけど。冗談言ってる?」

「冗談……ね。私もこんなことはしたくない」

「したくないならしなければいいじゃん」

「でも仕方ないの。あなたがいつ開花するかわからないし、社会のためにも、あなたにはここで死んでもらうしかないのよ。抵抗せずに安らかに逝ってね」


 濱田は無機質に、半ば威圧的に言葉を紡ぐと、フローリングに腰を下ろし、腕を伸ばして俺の首をがっちり掴んだ。

 手に力がどんどん加えられていき、気管を遮断し始める。

 俺は振り解こうとして彼女の手首を必死に掴むが、彼女の手が首から離れる気配はない。

 全身が熱湯に浸けられたように熱く、目から熱い涙がこぼれてくる。

 空気を求めて口が無意識に開閉を繰り返し、その度に舌がせり上がった。

 濱田はまるで二次方程式を解いている時みたいに無表情に、首が締められていく姿を眺めている。

 視界が狭まっていき、濱田の顔が海面の中にいるように滲んで見える。

 

 まだ死にたくない……まだ、やり残したことがたくさんあるじゃないか……死にたくない、死にたくない……


 俺は消えゆく意識をわずかに繋ぎ止めながら、助けを求めた。

 

「父……さ……ん……」


 突然、濱田の手に込められていた力が弱まり、肺に新鮮な空気が流れ込んでくる。

 俺はむせかえりながら、尻を滑らして濱田から距離を取った。

 濱田は夢から醒めたように目を大きく開き、俺を凝視している。


「ねえ、水野くんの両親って誰?」


 いきなり突拍子もない質問が飛び出してきて、俺は混乱する。

 両親は誰か?なんて答えればいい?名前を言うだけでいいのか、それとも経歴まで詳らかに説明しなくてはいけないのか?そもそも答える必要があるのか?俺を殺そうとしたやつだぞ。


「お願い、答えて欲しいの」


 いつのまにか彼女の声から威圧的なものが消えていた。彼女は頭を下げながら、柔らかい口調で俺に頼み込んでくる。


「母さ……母のことは知らないんだ。会ったことも、話したこともない。

 父の名前は水野みずのひかるっていうらしい。名前は知ってるんだけど、その他のことは全く……

 両親とは子供の時からずっと離れて暮らしてたから」


 俺が父の名前を口にした瞬間、濱田が息を呑むのがわかった。それから物憂げに目を伏せると。


「そう……」


 と呟いた。

 それから彼女は立ち上がってスカートのポケットからスマホを取り出し、画面を叩き始める。


「もしもし?私。今すぐ来て。急用。今カフェ?なるべく早く。うん、楢木さんも」


 濱田は電話を切り、俺を一瞥してから再びスマホを操作し始めた。


「もしもし?私。重要な話があるの。今買い物中?早く切り上げて」


 濱田はポケットにスマホをしまい、ふぅと息を吐いた。それから後ろ手でドアを閉める。雨音が途端に静かになる。


「今あなたの処遇を決めるために人を呼んだから、その人たちが来るまで正座でもしてなさい」

「処遇?」

「生かすか殺すか」


 濱田は俺の傍を通って部屋の奥に置かれたソファに勢いよく腰を下ろした。

 ソファがキィと軋み、俺の心臓もキィと萎んだ。



 ――――――――――――――――――――――――


 無機質な部屋だった。女子高生らしい小物や雑貨は一切見られず、必要最低限の家具しか置かれていない。部屋の真ん中に置かれた丸くて白いローテーブルにクリーム色のカーテン。部屋の電気はついておらず、暗い空気が部屋を包んでいる。

 濱田はソファに腰掛けながら、白い壁に穴が開くほど凝視している。

 雨向きが変わったのか、先ほどまで外廊下に降り注いでいた雨は、いつの間にか、玄関とは反対側の窓をしきりにたたいている。

 時折雷鳴が轟き、窓ガラスがその振動を受けてカタカタ音を立てて揺れる。

 ベランダにできた水溜まりをノックした雨粒は一瞬だけど空に踊るが、重力には逆らえずに再び水溜まりに落ちてその一部になる。


「ねえ」

 

 濱田がおもむろに口を開いた。彼女の視線は横で正座をしている俺を見ることなく、ひたすら虚空を見つめている。


「なんでここに来たの?」

「……夢の中である人から、この部屋を訪ねてみろって言われて、この部屋番号が書かれた紙をもらったんだ」


 俺は証拠に紙を見せようとポケットを漁り――はたと止まる。

 ない――ないのだ。紙がない。あの時確かに俺はポケットにしまったはずなんだ。

 雨を吸ってべっとり張り付いた前髪から水滴が流れてきて、額をつたい、頬を走り、顎から床に落ちる。


「ない……紙がない……」

「当たり前でしょ?夢の中でもらったものが現実にあるわけないわ」

「いやそれがあったんだよ」

「どういうこと……?」


 それはこっちが聞きたい。


「そのある人って、名前は?年は?どんな風貌だった?」

「スサタナって名乗ってた。えっと年は14か15くらい。金髪に青い瞳をしていて、白いワンピースを着てたな」

「スサタナ……」


 濱田は一文字一文字噛み締めるように呟き、胸の下で腕を組んでウーンと可愛らしい声を出しながらソファに寝転がった。

 先ほどまでの高圧的で冷酷な雰囲気からは打って変わり、歳相応の、可愛らしい雰囲気が濱田を包んでいる。

 学校でも二、三話したことはあるが、動かなければ絵になるのだ。そう、動かなければ。喋り出せば止まらないトゲトゲでチクチクな言葉のパレード、人を見ればそのまま凍らす冷徹無慈悲なアイスアイ。

 おっと、今のを口にしてたら今度は確実にあの世行きだな。三途の川から帰ってきたからなのか、気分がハイになってた。

 それにしても、俺の首を絞めていた時の濱田は、別人かと見紛うほど、纏っている雰囲気が違った。人間あそこまで纏える雰囲気を変えられるのか……


「あの濱田さん」

「ナニ」

「どうして俺こうなったの」


 死ぬ寸前まで首を絞められたんだ。謝罪の一つくらいあってもいい。ていうかそれだけじゃ足りないくらいだ。本当は事件沙汰だぞ?なのに俺は部屋の隅っこで硬い床相手に正座させられてるし。

 雨を含んだ制服のせいで心も体も凍えそうだ。

 まずはなぜ俺が殺されそうになったのか知りたい。


「そうね……」


 濱田は顎に人差し指を添えて考え事をしている。

 俺もしばらく濱田の言葉を待ったが、二分、三分と経過しても話し出す気配がないので。


「ねえ、何か言って欲しい……」


 そう急かそうとした時、誰かが外廊下に甲高い足音を響かせてドアの前に立つと、ドアが勢いよく開かれた。


「やっほー、おかしもってきた……よ……?」


 笑顔でドアを開けたその人は、俺を視界に収めて硬直し、俺と濱田の横顔を交互に見比べて小首を傾げた。


「来てくれてありがとう靏音さん。でもお菓子は要らないわ。重要な話なの」

「あ……うん。ってなんで水野くんがここにいるの?」

「とりあえず上がって。話はそれから」


 クラスメイトである靏音つるねひびきはお邪魔しますと口にして靴を脱ぐ。

 その後ろからもう一人、白い髪の女子がドアの影からひょいと顔を覗かせる。

 彼女のエメラルドグリーンの瞳に俺の正座姿が写される。


「こんにちは水野君。私は楢木ならき柚葉ゆずはと申します。こうやって話すのは初めてですよね?今日はよろしくお願いします」


 これもクラスメイトの楢木柚葉が、手を体の前で重ねてぺこりと礼儀正しくお辞儀をしてきたので、俺も少し頭を下げてそれに答えた。


 白くて艶がかったシルクのような髪は額の、目が隠れない程度で一直線に切り揃えられていて、腰まで伸びた後ろ髪は、頭のてっぺんより少し後ろで黒いリボンによって結われている。

 綺麗な白髪に上品な顔立ちと話し方、そして立ち振る舞い。楢木が大企業の深窓の令嬢と言われても納得がいく。

 二人は部屋に上がると俺の前を通ってローテーブルを囲むように腰を下ろした。

 その間に濱田もソファから立ち上がって部屋の電気を付けると、キッチンに立って人数分の温かいお茶を淹れる。

 靏音が持ってきた、16分音符のストラップがついた黒色のスクールバッグの中にお菓子が入っていたらしく、床に座るなりそこからポテチの袋を取り出した。

 それを見て楢木が靏音の二の腕を人差し指でツンツンつついた。


「お菓子は食べないそうですよ」

「あれそうだっけ?」

「そう言ったはずよ」


 お茶を淹れ終えた濱田が、トレーに湯呑みを乗せてキッチンから歩いてきて、靏音は慌ててポテチをバッグにしまった。

 濱田はそれぞれの前に湯呑みを置くと、ローテーブルをちょうど三等分するように床に座った。


「それで?なんで水野くんがここにいるの?最初見た時びっくりしたんだけど」

「そうですね。びっくりしました」

「え!?もしかして連れ込んだの?うわーゆーちゃんのエッチィ〜」

「そうじゃ……」

「見損ないました」

「だからそうじゃ無いって!楢木さん、便乗しないの!」


 女子3人組の黄色い声が部屋中に響き渡る。靏音はニヤニヤ気味悪く笑いながら濱田の肩を二回、三回と叩き、濱田は困惑した表情を見せた。


「ねえねえ水野くぅん」

 

 次の遊び相手を俺に選んだのか、靏音が甘い声で俺に話題を振った。


「水野くんも女子高生の部屋に上がるの初めてなんじゃない〜」

「そこまでにしときなさい」

「ええ〜いいじゃん〜。恋バナだよ恋バナ」

「それのどこが恋バナなのよ」

「それ系の話は全部恋バナなの!」

「なの!」

「はあ。水野くんも答えなくていいからね」

「ダメだよ⁉︎ゆーちゃんに私を止めることはできない‼︎」

「ええ……」

 

 二人がニヤニヤしながら俺を見る。楢木はニヤニヤというよりニマニマだな。

 こうして濱田がたじろいでいるのも新鮮だった。学校では常にクールだから。もう少しオロオロさせてもいいかもしれない。俺は殺されそうになったんだぞ。少しくらい仕返ししても問題ないだろう。


「びっくりしたよ。歩いてたら急に腕掴まれてさ、『ちょっと待って』って。どこに連れてかれるんだろと思ったらまさかの自宅っていうね……そこからあとは、ご想像にお任せします」


 嘘は言ってない。ちょっと脚色を加えただけだ。

 

「ヒュー肉食〜」

「肉食〜」

「水野ぉー‼︎」


 濱田が顔全体に嫌悪感をみなぎらせて俺を突き刺すように睨む。まあ味わうといいさ。


「そうか〜前々から思ってたけど、こういうのがタイプだったか〜」

「いや、だから違っ……」

「積極的でいいと思います!この調子でどんどん行きましょう!」

「だから違うって!!」

 

 濱田は頰を赤らめながら全力で否定し、それを見て靏音と楢木はキャッキャキャッキャはしゃいでいる。

 今俺が見ている濱田は、学校で目にする濱田とは全然違う。学校にいる間は、他人とは一切関わらない孤高の狼っていうイメージだったが、今は友人と楽しそうに会話している年頃の女子そのものだ。

 俺を殺そうとした時のあの冷たい感じといい、濱田優奈の本当の顔は一体どれなんだろう。


「いや〜笑いすぎたよ〜」


 靏音が人差し指で涙を拭った。


「それで?水野くんを連れ込んだほんとの理由は何?」

「ああ、それは……」


 濱田が口を開いた時、部屋のドアが二回、三回とノックされた。


「開いてるわ」


 濱田が声をかけると、ドアがガチャリと開かれる。


「やっと来たわね」

「やっほー」

「遅いですよ?」


 ドアの向こうに立っていたのは。


「大地……?」

「なんで光一がここにいるんだよ……まさか……」


 ドアの向こうに立っている齋藤大地の右手から買い物袋が滑り落ちて、袋からりんごやジャガイモが転がり出た。

 彼は拳を握りしめると、濱田に鋭い視線を向ける。

 当の本人はそれを全く意に返すことなく、目を瞑って湯呑みを啜っている。


「濱田……まさかお前、重要な話って」

「上官に向かってお前はないんじゃない?」


 濱田は湯呑みを手荒く置き、片目だけ開けて齋藤を見る。


「……っ!」


 齋藤は靴を脱ぐことなく部屋に上がると、足音荒く濱田に近づき、胸ぐらを掴もうと腕を伸ばした。


「ちょっと待ってよ齋藤くん。一体どうしたの?」

「そうです。一旦止まってください」


 靏音と楢木が二人の間に割って入り、齋藤を押し戻す。


「濱田!光一をどうするつもりだ!おい、答えろよ!」


 普段の齋藤と全然違う。冷静で、温厚。そんな彼はどこかに消え、目の前にいるのは暴力的で高圧的な齋藤大地だけ。


「大地、ちょっと落ち着けって」


 俺も靏音達のヘルプをしようと立ち上がった時、齋藤が「どうして立ち上がったんだ」というような表情を見せた。が、もう遅かった。

 俺が立ち上がると、靏音と楢木は齋藤を抑えていた手を離し、飛び跳ねるようにして俺から距離を取った。


「……っ!!」

「なるほど……重要な話はこのことですか」


 二人は姿勢を低くすると、俺に敵意のこもった目を向けてくる。

 よく見た瞳だ。怒りや憎悪を含んだ瞳。そいつが憎くて憎くてしょうがない時の瞳。そして、人を殺せる瞳。


「今日みんなを呼んだのはこれについてなの」


 濱田は一切動じることなく再び湯呑みを手に取り、お茶を啜っている。

 彼女は湯呑みの縁、口をつけたところを指で拭ってから俺を見上げた。


「彼、魔法が使えるみたい」

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