第3話
第三話 「さようなら」
学校からの帰り道を一人、冷たいアスファルトを踏み締めながら歩いていた。
普段は齋藤と一緒に帰っているのに、その齋藤が先に帰ってしまって俺は置いてきぼりを食らったから、一人でトボトボ帰路に着くしかなかった。
黄色い帽子を被った小学生二人が俺を追い抜かす。
「サッカーしようぜ!!」
「僕このあと用事あるぅ」
「ええ〜なんで〜」
「なんで……なんでだよ……」
俺は齋藤の言葉を反芻する。一体何が「なんで」なんだろう。
斎藤とは入学式の日に知り合った。担任が生徒の反対を押し切って席替えを敢行し、偶然席が隣になったんだ。だからここ一ヶ月と少しの付き合いになる。
そんな短い付き合いだが、俺の中で齋藤は、いつも冷静で温厚という評価に落ち着いていた。
そんな彼が今日、大きく取り乱した。
俺の行動が気に食わなかったのかと思ったが、一瞬で『否』の文字が浮かぶ。怒ってるようには見えなかった。
どちらかといえば怒りというより悲しみ。
じゃあ何がそんなに悲しかったのか?俺はいろんな考えに思考を巡らせてみる。
自転車がベルを鳴らしながら俺を抜き去る。
まだ肌寒い風が前髪を揺らし、街路樹は寒さに葉を震わせる。
どこからともなく魚を焼くいい匂いが漂ってきて、俺の思考を鈍らせる。
「あーわかんね」
俺は考えるのをやめた。
こーゆー時はとりあえずごめんメッセージを送るに限る。あいつがどこに住んでるか知らないし、来週になったら面と面を突き合わせて話をしよう。うん、そうしよう。
もしかしたら次会った時にはもう忘れてるかもしれない。日にちが経てば男はこういうのを忘れる。男は単純なんだ。一部例外もあるが。
右ポケットからスマホを取り出して齋藤との個人チャットを開き、右手を動かして謝罪の一文を送る。
無事送れたのを確認してからスマホをポケットにしまった時、俺は思い出した。
スサタナという少女からもらった紙、齋藤のことで頭がいっぱいになっててすっかり忘れてた。
俺は慌てて折り畳まれた紙を取り出し、広げてみるとそこには、丸っこい字で
『愛知県名古屋市中村区12-8 フォートレスマンション305号室』
と書かれていた。
俺は行くかどうか迷った。知らない人の部屋をいきなり訪れることは失礼だ。何より気が進まない。
………………
俺は長考の末、行くことを決心する。
夢の中で貰った紙がなぜか現実に存在しているんだ。
スサタナは自分のことを神に近い存在と言っていた。つまりこれは神の啓示ではないだろうか。
俺は今まで神を信じたことはない。
でも今回ばかりは信じた方がいいと思った。
電線に止まっていたカラスが甲高く鳴き、バサバサ羽ばたいた。
どこかの家で雨戸を降ろす音が住宅街を駆け抜けた。
スサタナの屈託のない笑顔が浮かぶ。
「でも君には全体像を見てほしい。それがあの人の願いなんだ」
あの人って誰だろう。
「君の人生が大きく変わることになる」
……………………。
帰る前に寄ろう、俺はそう決めて紙をポケットにしまった。
マンションに着く頃には空一面が分厚い雲に覆われていた。一雨来るかもしれない。
フォートレマンションはどこにでもある普通のマンションだった。黒色の塗装で身を包み、高級感を漂わせている。
エントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。
マンションの外観からは想像できないほど、古臭い、一昔前のエレベーターだった。
三階を押すと、苦しそうな音を発しながら上昇し始めた。途中でガタガタ揺れ、その度に照明が明滅する。
遅い。ものすんごい遅い。これならエレベーターの隣にあった階段を使った方がよかったな。
揺れすぎ。すんごい揺れ。おいおい大丈夫か?落ちないだろうな。
俺の杞憂虚しく、ハプニングが起こる事なく三階についた。
チーンとこれまた一昔前の音と共にドアが開き、エレベーターは俺を排出する。
外廊下を歩いて305号室の前に立ってインターホンを押そうとして――手が止まる。
表札には『濱田』と書かれていたのだ。脳裏にクラスメイトの顔と、彼女の冷たくひかる黒い瞳が浮かぶ。
ここにクラスメイトの濱田が住んでるのか?この世で濱田なんてごまんといるんだ。可能性はゼロとはいえないが、限りなく低いだろう。そう思いたい。
俺は一旦深呼吸してからインターホンを鳴らす。もし、万が一、あの濱田が出てきたら、
「あ、友達の部屋だと思ってました〜すいません〜」
で切り抜けよう。うんそうしよう。
インターホンを鳴らしてしばらくすると、ドアにこの部屋の主が近づき、覗き窓からこっちを見ているのが気配で分かった。
キィと軋みながらがドアが開かれる。
こちらを見る黒い目、玄関を駆け抜けた風で揺れる長い黒髪。赤色のリボンがついた、見慣れたセーラー服。うん最悪。
「何」
濱田優奈が声低く尋ねる。
「あ、友達の部屋だと思ってました〜すいません〜」
俺は予め考えていた言い訳でこの局面を乗り切ろうと試みるが。
「友達?」
なぜか濱田が食いついてくる。
「えっと……その……」
「友達って誰?」
「いや、えっとー」
「そもそも何でこのマンションに来たの?」
絶え間ない濱田の質問に慌てふためきながらも、俺は1番いい答えを見つけようと、ない頭を懸命にフル稼働させる。
「あっそうそう」
言ってから自分で、何がそうそうだ。とツッコミを入れる。
「大地だよ。今日遊ぶって約束したんだよ」
「齋藤大地?このマンションに住んでるって彼から聞いたの?」
「ん?」
奇跡が起きた。偶然口にした人が偶然このマンションに住んでいたらしい。
「ん?じゃなくて」
「あっ。そうだよ。大地から聞いたんだ。でもおかしいな、305号室って言ってたのに……」
「……」
「いや〜俺の聞き間違えかな。もう一回聞いてみるわ。ごめんね。お邪魔しましたー」
はい完璧。この部屋を訪ねるっていう目標も達成できたし、同級生をストーカーして部屋まで押しかける不審者っていうやばいレッテルも貼られずに済みそうだ。
俺は肩を揺らしてリュックを背負い直し、階段に向かって歩き出す。
「待って」
さっきまで目を糸のように細めて俺を睨んでいた濱田が、白い腕を伸ばして俺の前腕を掴んでくる。
その瞬間、目の前が真っ白になり、同時に雷鳴が耳をつんざく。空気がブルブル震え、大地が震撼した。
その雷を皮切りにするかのように。
雨が降り始めた。
濱田は俺の腕を掴んだままおもむろに。
「そういうこと……だからあの時……」
と呟いた。彼女は唇を噛み、わずかに顔を歪ませる。
降ってきた雨が全身に叩きつけられ、制服が雨を吸収してどんどん重くなっていく。
「あの、濱田さん?」
状況が飲み込めずに尋ねると、濱田はそれを無視し、彼女のスラリとした体からは想像もできないほど強い力で俺を引っ張り、部屋に連れ込む。
濱田は俺が玄関に入った瞬間、振り回すようにして俺をリビングに繋がる廊下に投げ飛ばす。
俺は玄関と廊下との段差に引っかかって、フローリングに倒れ込んだ。
濱田は少しだけ顔を斜め上に向け、瞳の底を怪しく光らせながら俺を見下ろす。
俺は濱田に射すくめられ、全身の筋肉が硬直したように動けない。
濱田が軽く舌打ちをする。
「本当は齋藤くんの気持ちも汲み取りたいけど、こればかりは仕方ないわ」
濱田はそこで小さくため息をつき、言葉を続ける。
「まずはごめんなさい。でもそれがあなたの人生だったんだから、恨まないで。恨むべきはこの世界なんだから。それじゃあ」
開け放たれたドアの向こう側で雷鳴が轟き、その光で濱田の仁王立ち姿が黒く浮かび上がった。
一瞬の静寂の後、より一層雨足が強くなった。
「さようなら」
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