第2話

第二話 「なんでだよ」

 「おい光一起きろよ」


 肩を揺り動かされて俺は目を開けた。隣の席の齋藤大地が笑いながら俺の肩に手を置いている。

 他のクラスメイトはそそくさと帰る支度をしていた。


「あれ?もう終わったの?」

「教室の電気も消えてるだろ?とっくの昔に終わってるぜ」


 そうか40分くらいは寝てたんだな。

 齋藤の手が離れたので、俺は座ったまま大きく伸びをした。腰の骨がピキピキと鳴る。

 せっかく金曜日の最後の授業が終わったというのに、クラスメイトの顔はイマイチ浮かない。それもそうだ。来週からテスト週間なのだ。普段なら、このあとカラオケ行かない?と言った遊びの勧誘が女子を中心に巻き起こり、教室は一面薔薇色になるが、そう言った会話は一切なく、あるのはテストの話と、このあと図書館で勉強してかない?といった勉強の勧誘のみだった。


「光一さ、古典の授業寝てたけどテストは大丈夫なの?」

「いいか?俺たちは日本人だぜ?俺たちの体を流れる血には奈良・平安時代を生き抜いた先人たちの知識が詰まってるんだぜ?解けない方が不思議だね」

「お前前回の古典単語テスト10点満点中何点だったよ」

「……2」

「お前一回死んで祖先に土下座してこい」

「うるせえな、お前こそ物理小テスト10点満点中……」

「3点だよ」

「お前こそこの物理で成り立ってる世界で生きるのやめろ」

「いいもん俺には英語があるし」


 齋藤と言葉の応酬をしながら俺は左ポケットをから触る。服の上からでも小さく折り畳まれた紙の存在を確認することができた。俺は寝る前までで左ポケットに物を入れた覚えはない。ということはこれは間違いなくあのスサタナという少女が入れた物だろう。夢の出来事が現実になっている――そんなことがあり得るのだろうか?もしくはあの夢自体が夢ではなく現実とか……


「なあ大地、俺が寝てる間に金髪美少女が近くに来なかったか?」

「あ?どした急に。無毛高齢男性の前田先生ならを起こそうとして近くまで来たぞ。お前の気持ちよさそうな寝顔に呆れて帰ってったけど。夢でも見ておかしくなったか?おーい今は現実だぞー」


 齋藤は少々トゲのある言葉を吐きながら教室の前の方に目をやる。


「話は変わるけどヨォ、金髪美少女ったら靏音響だよなぁ。ちょっと胸板のところがスレンダーだけど」


 夕陽差し込む教室の1番前の席で白い髪の友人と談笑しているのが靏音つるねひびきだ。容姿端麗で、肩まで伸びた、金色というよりはプラチナブロンドの髪にパーマをかけていて、茶色の瞳は彼女の見ている物を綺麗に映し出す。

 そんな容姿を鼻にかけることなく常に謙虚で立ち振る舞いも美しい。加えて成績優秀でスポーツ万能、友達付き合いもいい。おまけに音楽好きの陽キャときた。まさに完璧を体現したような人間だ。一般男子高校生では到底手の届かない高嶺の花。この前も彼女と同じ天文部に所属している3年生の先輩が告白しにきていたが天使の笑顔で断っていた。これで12人目だ。卒業までにあと何人は玉砕するのだろう。美は罪だな。


「前も街中歩いていたらモデル事務所の人に声をかけられたらしいよ。断ったみたいだけど」

「え、勿体無い、俺なんか絶対声かけられないのに。まあ大地ならいけそうだけど」

「俺はいいよ。人前に出るのは苦手なんだ。それをいったら光一だっていけるだろ」

「無理無理。それに仮にモデルできるとしてもやりたいと思わない。他にやりたいことがあるし」

「……まあモデルをすることだけが人生じゃないよな」


 齋藤は少し笑って靏音から視線を外し、今度は別の席の女子に目を向ける。そこにはいそいそと教科書をリュックに詰めている、黒々とした髪を背中あたりまで伸ばした女子がいた。


「美少女――というよりは美人か。濱田優奈もいいよな。なんか日本美人って感じで。それにアレもまあまあデカいし」

「俺は嫌だ。だって……」

「性格だろ?」

「正解」

 2人の意見が合って俺たちはニヤッと笑い合う。濱田優奈は綺麗だと思う。容姿だけ見たら間違いなく靏音響と一年生の双璧をなせるだろう。身体的特徴を鑑みると、人によっては濱田に軍配があがることもあるかもしれない。でもとても冷たい。永久凍土みたいに冷たい。自分が優秀だからなのかわからないが常に周りを見下している感じがして嫌だ。


「まあ確かにあの性格は考えものだよな」

「だよなあ」

「でもさ、彼女いない歴=年齢の俺たちがそうやって選り好みしていいもんなんかねえ。そんなことやってるうちに周りはどんどん結婚して子供作って歳いった時に後悔すんだぜ?」

「え何。なんで急にぐうの音もでない正論ぶち込んでくんの」

 

 俺は齋藤の人生の核心をついた言葉に口を尖らせながら席を立つ。机のフックにかけたリュックを取ろうと右足を一歩動かした時だった。

 何を思ったか、齋藤が急に立ち上がる。彼の椅子は平衡感覚を失い、勢いそのまま床に倒れ込んでカランカランと乾いた音を立てた。

 まだ教室に残っていたクラスメイト達が会話を中断しこちらを向く。

 太陽が雲に隠れ、教室は深い海の底に沈む。


「なんで……なんでだよ……」


 齋藤はこちらに顔を向けて呻くように声を搾り出す。彼の目は大きく見開かれ、瞳は俺を捉えることなく空中を徘徊している。


「あ、え?どうした大地」


 急にどうしたんだ。俺は一歩動いただけだ。それとも俺の言い方が気に入らなかったのだろうか。頭が真っ白になる。

 俺が状況を飲み込めずにオロオロしていると、齋藤は一歩二歩俺の方に歩いてきて両肩をがっしりと掴む。彼の筋肉質の腕と手が俺を掴んで離さない。

 彼の瞳はこの世の不条理に直面した時のように光を失い、色を失った。深淵に沈み、俺も引き込まれそうになる。


「なんで……どうして……どうして……」


 齋藤の声は徐々に細くなっていき、歯と歯の隙間から漏れ出る空気だけが彼の言葉をつくっていた。

 俺の肩を掴む力がどんどん弱くなり、体の輪郭をなぞるようにどんどん下に降りていく。

 齋藤の体が大きく揺れたかと思うと、両膝から地面に崩れ落ちた。

 これではまるで、最愛の息子を失った母親が、地べたに手をつきながら、最期を見届けた医者に向かって

「なぜ助けられなかったのか」

 とやり場のない怒りを仕方なくぶつけている時のよう。

 俺を恨めしそうに睨む彼の目が俺をたじろがせる。

 そして、周囲の冷ややかな目が痛いほど突き刺さってくる。


「お、おい齋藤どうしたんだよ」

 

 齋藤の肩を前後に揺さぶってみるが、ただ体が揺れるだけで彼の固定された頭は常に床を向いている。


「ねえ齋藤くん、どうしたの?大丈夫?」


 いつのまにか齋藤の後ろに来ていた靏音が優しく齋藤の背中をさする。

 齋藤の肩がびくんと飛び跳ね、油を差し忘れたロボットのようにゆっくりと振り返った。


「あ、ああ……靏音さん……大丈夫。うん、もう大丈夫だから……気にしなくていいから……ありがとう」


 齋藤は少し震えた声でそう答え、ゆっくり立ち上がった。

 靏音は俺に視線を向け。


「齋藤くんと喧嘩しちゃダメだよ?」


 俺は何もしていないんだ。そう言えるような雰囲気ではなかったので、戸惑いつつも首を一回縦に振った。



 齋藤は老人もびっくりの遅さで教科書類をリュックにしまい、足を引き摺るようにして教室から出ていった。彼の後ろ姿はセミの抜け殻のように縮こまっていて、そこから哀愁が溢れ出ていた。


 教室には俺以外誰もいない。昼間の喧騒が嘘のように静寂に包まれ、俺は世界から取り残されたと錯覚する。

 夕陽は分厚い雲に身を隠し、なかなか顔を出してくれそうにない。

 俺は屈んで、床に落ちた水滴を発見する。それが齋藤の涙ということにそれほど時間はかからなかった。

 

 

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