最弱で最強の天才魔剣士

@KOTETUKOTETU

第1話

第一話 「それがボクの望み」

 俺は全身を襲うものすごい寒気で目を開けた。高校の一番後ろの席で古典の授業を子守唄にぐっすり寝ていたはずなのに、いつのまにかどこまでも続く草原にポツンと置かれた椅子に座っていた。

 絵に描いたような雲が青い空を這うようにゆっくりと移動していく。風がサーっと草を撫で、俺の髪を靡かせる。その風に運ばれてきた匂いは万人に大自然を想起させる。

 夢の中のはずなのに、匂いや肌を伝う風など奇妙なほどに現実味を帯びていた。

 

 俺はゆっくりと立ち上がった――いや立ちあがろうとした。俺の体はまるで椅子にボンドに貼り付けられたようにびくともしない。俺は2、3回体を動かして椅子から剥がそうと試みるが、うんともすんとも言わないので、ふぅ〜と息をついて天を見上げた。

 綺麗な空だ。清らかな湖みたいな透き通った青色をしていて、見ている人に作り物では無いかと疑問を抱かせる。


「君が水野光一くんだね?」


 不意に俺の名前を呼ぶ声がして、俺はその方向に目を向ける。そこには白いワンピースを着た14、5歳くらいの金髪の少女が、ぷっくりとした発育途中の乳房のような丘の上に立っていた。


「やっと起きたみたいだね」


 俺とはだいぶ距離が離れているはずなのに、少女の声は鮮明に俺の耳に届いた。少女は風でなびく、腰のあたりまで伸びた頭の後ろで優しく押さえている。

 少女は小さく頷くと、こちらに向かって一歩一歩坂を降り始めた。

 

 少女が近づき、顔が見えるようになると、俺は大きく目を開けた。はっと息を呑むほど美しい顔立ちをしていたのだ。サファイアを埋め込んだような青い瞳がしっとりと濡れていて、そのサファイアは長い睫毛に覆われている。透けるような乳白色の肌は肌荒れを忘れ、金髪をより際立たせている。整った鼻梁は彼女を人形ではないかと思わせる。全世界の人々に『美少女とはどんな姿をしているか』アンケートを行い、多かった答えをできる限り詰め込んだような顔立ちだった。


 少女は俺の前に立つと、膝に手をついて少しかがみ、俺の顔を覗いてくる。お互いの息遣いが感じられる距離だ。俺はじっと彼女に見つめられ、耐えきれなくなって視線を明後日の方向へ向ける。

 そんな俺を見て少女はクスッと笑い、俺の横を通って後ろに立った。風が通り、彼女の発する優しい匂いが鼻腔をくすぐる。


 それから少女は俺の肩にそっと手を置く。布越しでもわかるくらいしっとりとした手だ。その手を取って頬擦りしたくなるような。まあ手が動かせないからできないんだけどね。

 少女はしばらくの間、俺の肩を割れ物を大切に扱うように優しくサスサスとさすっている。一回一回丁寧に。まるでその行為自体に意味があるように。


「さてと」


 何かが終わったのか、彼女はそう言って手を離した。川の流れのように清らかで、砂浜をそっと撫でる波のように優しい声だった。


 少女は俺の前で草原に腰を下ろして足を伸ばし、

 

「いくつか質問があるみたいだね。いいよ、ボクが答えてあげる」

 

 ボク?どうやら一人称は『ボク』らしい。容姿からして『わたし』か『わたくし』だと思ってた。

 質問?ある、たくさんある。まずは君の名前と、それから電話番号、それとイカシタグラムも繋ぎたい。

 俺はそう思って声を出すために空気を吸おうとした。空気が吸えない。呼吸はできる。口から空気を吸ってそのまま吐くことはできる。でも発声するために空気を吸うことができない。

 そこに空気があるはずなのに、発声用の空気がない。


「ああ、君はここでは話せないんだ」


 口をパクパクしている俺が余程面白かったのか、少女は目を糸のように細め、手を口のあたりに持ってきて上品に笑う。


「心の中で質問を思い浮かべてくれたらいい」


 少女はゴロンと仰向けに寝転がる。風でワンピースが小さく捲りあがり、梨の花よりも白い彼女の素足がどうもと顔を覗かせる。あ、こちらこそどうも。


「えっとまずはボクの名前かな?ボクはスサタナ。カタカナでスサタナ。この世界を1人で管理してるんだ」


 少女――スサタナはそう言うと手元に生えていた草を指を使って途中でプチッと切り、それを太陽にかざす。

 この世界を管理している?神様ってことですか?まあ彼女の美貌なら女神ですって言われても信じちゃいそうだ。元来女神は美しいと相場は決まってるしね。


「君たちの考えている神様とは少し違うんだけど、訳あってあまり多くは喋れないんだ。ボクは神に限るなく近い別の存在としか言えない。ごめんね?」


 謝ってはいるが申し訳なさは微塵も感じられない。スサタナは親指と人差し指の2本を擦り合わせるようにして切った草をプロペラのようにクルクルと回転させている。

 えっと、じゃあ電話番号とかも……


「そうだね。スマートフォン持ってないんだ。他の質問をよろしく」


 やっぱり持ってなかったか。まあ神様(に近い存在)がスマホで『神様 美人』とかでエゴサしてたら面白いしな。


「ちなみに君が心の中で考えてることは全部筒抜けだからね?エゴサしてたら面白いって言ってたら、その神様を信仰してる人たちに袋叩きにされるよ?」


 スサタナが静かな声で咎め、俺は心の中でsorryと思い浮かべる。


「えっと次の質問は……ここはどこか、だね?ここがどこかと言うとね、ここはボクだけの世界。ボクだけの空間。君たちの世界とは別次元の場所。ボクはここを『庭』って呼んでる」

 

 庭か。なるほどここは特別な場所らしい。


「綺麗な場所でしょ?君たちが住む世界とは比べ物にならないほど」


 スサタナは手にしていた草を流れてきた風に乗せる。草はそのまま天高く舞い上がっていく。

 俺たちの住む世界には他人同士の争いが、大きなものだとそれぞれの思惑が絡み合って勃発する戦争、小さいものでただクラスメイトを貶めたいだけで引き起こされるイジメなど、人の醜い部分をかき集めて水に溶かし、空から霧吹きで吹きかけたようにあちこちで存在している。

 一方でこの庭にはスサタナ1人しかいないという。他人がいなければそんな醜い争いは起きないだろう。

 でもなんだろう。彼女の少しだけ棘を含んだ言い方は。


「もう質問は終わったかな?」


 彼女の名前、場所、もらえなかったけど電話番号。あ!あと一個あった!


「ここに君を呼んだ理由ね?それを今から話そうとしてたんだ」


 スサタナは立ち上がってワンピースについた土を手でパタパタ払い落としている。


「少し話をしようか。これはある人の受け売りなんだけどね。ここに針があります」


 スサタナはそう言ってワンピースのポケットからハリを取り出す。裁縫のときに糸を通す、あの針だ。


「この針には糸用の穴があるよね。人々はこれを針穴って呼ぶ。ボクはこの針穴を通して君を見ることができる。君に近づけば近づくほど君の顔はより綺麗に見えるようになるけど、その代わり体全体を見ることはできなくなる。逆に少し離れて見ると少しボヤけるけど体全体を見ることはできる」


 スサタナは言葉を紡ぎながら片目と閉じつつ、針を開いている方の目の近くまで持ってきて俺の目の前まで顔を近づけたり、後退りして俺から距離を取ったりする。


「君が君の目で見ている君の世界もこれと同じ。君たちは世界を針穴から、しかも近距離で見ているんだ。世界の顔は見ることができても、その世界を支えている足は見ることができない。でも君にはそれを見て欲しいんだ。それがあの人の願い。じゃあどうしたらいいか。簡単だよ」


 スサタナは指の先で摘んでいた針を空中に放り投げる。針はスサタナの手から離れた瞬間無数の光の粒子になって消滅した。なんだそれ。どうして針が消えるんだ?彼女の手から離れると消滅するのか?でも今さっきの草は消えなかったじゃないか。

 彼女は針が消えたことに驚く俺に微笑みながら近づいてしゃがむと、俺の太ももから下をゆっくりと撫で回す。全身が火照っていくのが明確にわかる。


「実際に触って確かめてみればいい。それを伝えるために今日君をここに招待したんだ」


 スサタナは顔が真っ赤な俺を構うことなく話を続けると、ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、そこに何か描き始めた。


 描き終わると、メモ帳から紙を切り離し、残りもメモ帳とボールペンを後ろに放り投げる。メモ帳とボールペンは草のカーペットに着地してフサッと音を立てる。

 スサタナは象牙を削ったような白い指で紙を折りたたみ、俺のズボンの左ポケットにそっとしまった。


「ここに書かれた場所を訪ねて欲しい。その場所に行ったら君の人生は大きく変わることになる」


 そう言ってスサタナは太陽のような笑顔を向けてくる。その瞬間、一際強い風が吹いてきて、俺は無意識に目を瞑った。


「いい?必ずそこを尋ねるんだよ。それがボクの望みでもあるんだ」

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