第12話 大魚主

 ぎょっぎょっ、と奇怪な声を放ちながら現れた怪鳥は、きじの体に女の頭をつけていた。みまごうことなき山の妖魔だ。

 顔に貼り付けた四つの目が、羽を散らすようにしてタイラン達へと狙いを定める。


「け、結界の中に入ったんじゃないのか‼︎」

「日亡時だぞタイラン。無論妖魔の力も強まるさ」

「俺はその当たり前を忘れていると言ったろう‼︎」


 呑気なことを宣うドウメキに、タイランが悲鳴まじりの声をあげる。

 前方を睨みすえる二つ目以外は、全てぎょろぎょろと目玉が動いている。喰録曰く、ぎょうというらしい鳥の妖魔は、三匹で狩りをするという。

 

「鄴は狩りが下手でな。だからこの川を渡るものに狙いをつける。今は産卵期だからな、よほど気が立っているのだろう。」

「卵生なのか⁉︎」

「鶏も卵で生まれてくるだろう。あれもまたしかりだ」


 必要なのは生態ではなく逃げるための知恵だ。慌てるタイランを余所目に、喰録もドウメキも実に愉快そうである。

 逃げるつもりは本当にあるのだろうか。喰録は大きく方向転換をすると、再び鱒を掴んだ鉤爪を川に沈ませる。

 飛沫をあげて水面を滑空する様子に、鄴の一匹が翼をたたむようにして向かってきた。

 このままでは、ドウメキが襲われてしまう。タイランが慌てたように見上げると同時に、喰録が再び上昇した。


「ほうら餌だぞ大魚主おおなぬし

「はあ、あ……!」

 

 水飛沫が小さな森を映し出す。

 川底を持ち上げるように水を突き破り現れたのは、巨大な鯉の妖魔であった。

 一枚一枚の鱗が、広げた扇子ほどの大きさだ。立派な髭を波打たせ、水を引きずるように飛び上がる大魚主と呼ばれた妖魔が、グパリと口を開けた。

 鋭い棘のような背鰭が、吊り橋状に山同士を繋ぐそこを削り取った。

 なるほどこうして出来上がった形らしい。タイランが感心したのも束の間で、鄴は現れた大魚主によって丸呑みにされてしまった。

 残った鄴が、喚きながら飛び立っていく。水中へと戻った大魚主が、再び顔を出す。

 何十もの輪が重なったような目玉がタイランを捉えている。髭で水面を叩く様子は、実に威厳があった。


「大魚主。久しいな」

「城主。お前の腕に抱いているのは生まれ変わりかい」


 しわがれた老婆の声色で、大魚主は宣った。タイランが知らないだけで、共に面識があるらしい。水面を撫でるように揺れる立派な尾鰭が、川に大きな波を作る。


「喋れるのか……」

「長生きは知恵をつけるのさ。もうお行き、また鄴がくる前にね」

「あ、ありがとう」


 タイランの言葉に、大魚主は再び川の中に潜っていった。

 大きな体を沈ませるほどの深い川なのだろうか。覗き込もうとするタイランを、ドウメキが制する。


「この川自体が大魚主だ。あいつが水源に入ると、今度は龍へと姿を変える」

「龍って、いるのか……」

「いるさ、水は場所によって流れを変える。それと同じさ」

「深いな……」

「底の話か?」


 タイランの独り言に、ドウメキが素っ頓狂な答えを返す。否定するにもなんだか疲れた。この川を越えるだけで、まさかこんなにも大騒動になってしまうだなんて誰が思うか。

 

「雨の匂いがするな。早く行こう」

「喰録がいうのならそうなのだろう。もうすぐつく」

「ああ、……」


 タイランの目線が、手綱を掴むドウメキの腕へ向けられた。黒い深衣の袖が濡れているのを目にし、ようやく肩にかけられていた羽織の意味を理解した。


(俺が濡れないように、気を遣ってくれたのか)


 猩々緋の前あわせを、ゆるく掴んで身に寄せる。タイランの纏う白い深衣に配慮してくれたのだろうか。口には出さないドウメキの気遣いが面映くて、唇を引き結ぶ。

 喰録が風を引き連れて川沿いを駆けていく。向かい風は涼やかなのに、タイランの自覚した頬の熱は下がりそうになかった。









 玉翠村へは、喰録の言う通りほどなくして到着した。そのまま村の中に入るのはあまりにも目立ちすぎるだろう。気を利かせた喰録が村を望める小高い場所に降りてくれたので、タイラン達はそこから徒歩で向かうことにした。

 喰録は、黒くて小さな豚のようなものに姿を変えて、タイランの腕の中に収まっている。

 この姿の時は歩くよりも抱かれているほうが気に入りらしい。腕の中の喰録へとドウメキが悔しそうな視線を送っているのもまた、優越の一つのようだ。

 

 山の天気は変わりやすい。村の入り口に到着をする頃には、ぽつりぽつりと雨が地べたを濡らし始める。

 ドウメキの羽織を頭から被ったまま、共に小走りで屋根のある場所へと避難する。

 玉翠村は大魚主の住む川を囲むようにして、建設された櫓の上に家が作られている村であった。

 川が増水しても凌げるようにと作られた風景は、水が満ちればまた様子が変わるのだろう。


「ここが、守城の育った村だ」

「そうなのか……」


 ドウメキの言葉に、タイランは曖昧な返事をしてしまった。

 気を取られたふりをして、川べりの一角へと視線を向ける。タイランの手を握るドウメキは、案内をするように村を歩く。

 住んでいた街とは違う趣は、同じ国内だと言うのに異国へと足を踏み入れたかのようだった。


「出るのが遅すぎたな。このままでは夜は間も無くだ」

「タイランに見せたい場所が多かったんだ。少し遠回りをしすぎた」

「そうなのか?」

「ああ、玉翠村は珠幻城の山を挟んで真裏の位置だからな」

「それは、……いや、でもありがとう。俺は充実していたが」


 思いのほか長い散歩となってしまったらしい。そこまで近いのなら、もはや城に帰って休めばいいのではと提案もしてみたが、喰録が濡れたくないようだ。早々に却下されてしまった。


「お前、だから腕の中に」

「城主の羽織は便利だな。濡れる心配もない」

「タイランのためにやったんだがな。まあいいか……それより、どこかに一泊するにしてもなあ……」


 そうこうしているうちに、雨はいよいよ本格的に降ってきた。小雨ならまだしも、ざあざあとふり続ける景色を見れば喰録の言い分も納得せざるおえない。

 雨の音は嫌いではないが、体温を奪われるのは嫌だ。夕暮れも間も無くの時刻だからだろう、人っ子ひとり気配を伺う事はできなかった。

 何より食料調達も出来ずじまいだ。先ほどの大立ち回りを見せられて、タイランは肝心なことをすっかりと失念していた。


「路銀がない」

「む、そういえばタイランの財布を預かっているのは俺か」

「服しか返されていないからな。ドウメキは持っていないのか」

「あるぞ。だが今貨幣として使えるかはわからん」


 そう言って、懐から取り出した布袋の中に手を入れる。タイランの目の前で取り出されたのは大粒の砂金ばかりであった。


「……砂金が市場で使えたのは随分前だぞ」

「その時代を超えて生きる俺としては、今の貨幣のほうが持ちにくくていけない」

「そういう問題ではないんだ。……ああそうか、お前達は食事をせぬものな……」

「確か近くに廃寺があったな。そこで雨宿りをすればいいんじゃないか」


 やはり困った時の喰録であった。

 タイランは暖かい布団と湯船を諦めることにしたらしい。目を凝らすように、喰録の前足が差す方向へと視線を向けた。

 傷んだ赤い旗のようなものが、細い道を囲むようにして山へと伸びている。参道までは、屋根の隙間を走れば行けそうだ。

 見知らぬ男二人が住民の家の戸を叩くのも気が引ける。タイランは肩にかけていたドウメキの羽織を手にすると、それを差し出した。


「なんだ。使っていろ」

「違う。お前も被れ。体を濡らしたら風邪を引くだろう」

「妖魔は風邪をひかんぞ」

「御託はいい。ほらいくぞ」

「つまりドウメキがタイランの分も羽織を広げろということだ」


 喰録の言葉に、ようやく理解したらしい。タイランが上手く言えなかったことを補足されたようで、少しばかし恥ずかしい。

 ドウメキの腕が、タイランの肩を引き寄せる。黒い深衣がタイランの黒髪を撫でるかのように回され、猩々緋の羽織は二人を雨から守るように広げられた。


「なるほど、これはいいものだな」

「走るぞドウメキ」

「あいわかった」


 石畳の道には、染み込みきれなかった雨が薄く水面を作っていた。

 いくつもの波紋が広がる道を、ぱちゃぱちゃと足音を立てて走る。

 灰色の景色の中に、差し色のように広げられた猩々緋の羽織が、急かすようにはためいた。



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