第11話 無邪気な妖魔

 己の気持ちに素直になると、今までできていたことができなくなる。これは、珠幻

城で暮らし始めてから知ったことだ。

要するに、ドウメキの前では普通を振る舞えなくなっていた。

 あんなに頑なに強がっていたのに、己の気持ちを晒した途端に全てがうまくいかなくなる。それを楽しそうに見ているのはドウメキのみで、タイランはというと、わかりやすく参っていた。


「タイランが哀れに見えてきたから、そろそろやめてやれ」

「なんでだ。俺はこれを望んでいるのにか」


 あっけらかんと宣う。ドウメキの堂々たる口ぶりを前に、喰録の忠告も虚しくタイランは諦めたような顔をした。

 今、薄い背にはドウメキがくっついている。正確に言えば、タイランの動きに合わせて後ろをついて回るのだ。一体何がしたいのだと語気を荒げたこともあった。しかし、ドウメキはなんの悪びれもなく宣ったのだ。


『失われた時間を取り戻しているだけだが』


 そう言われて仕舞えば、いくらうざったかろうが、無下に扱うのも気が引けた。

 

 生前の守城と想いを交わしたのが、山主と対峙する前夜だったこともあるようだ。ドウメキは記憶を受け入れたタイランへと、己のしたかったことを素直にぶつけてくる。

 唐突な接吻はタイランが拒んでからはしてこないが、どこかしらが触れていないと気が済まないらしい。


「諦めろタイラン。城主が惚れた腫れたに直球だということに、戸惑っているのはタイランだけではない」


 どうやら喰録もまた同じらしい。

 タイランは、長い黒髪を一本に編み込まれていた。その先はドウメキの手の中にある。己を愛でているのか、手綱を握られているのかがわからない。

 今朝から一事が万事こんな具合である。流石に朝の湯浴みの際は文句を言って外で待っていてもらったが。


「ふきのとうが食いたいのだろう。採りに行っても構わない」

「どういう風の吹き回しだ」

「タイランの願いだからな。特別に聞いてやることにした」


 にかり。背後に花でも飛びそうなほど、ご機嫌な笑みを向けられる。

 タイランよりも立派な体格の癖に、随分と無邪気だ。世間一般的に想像される妖魔と、ドウメキの気質が合致しない。

 編み込まれた黒髪をドウメキの手で掬い上げられる。毛先に口付ける様子を前に、タイランはわかりやすく鳥肌をたてた。


「やめろ馬鹿者! 俺は女ではない!」

「風呂を覗いたから知っている」

「なんだそれは! 俺は表で待っていろと言ったはずだが!」

「好いた奴の裸を見たいと思うのが普通だろう」

「お前は、いけしゃあしゃあとよくも……!!」


 ああ言えばこう言う。喧しいやり取りに、喰録から呆れた目を向けられているとはまさか思わぬ。タイランは年頃の男子のようにわあわあと忙しなく食ってかかる。

 少しでも腹が立つと、大きな声で文句を言えるのだというのも、珠幻城きてからの発見だ。

 文句を言うと、ドウメキが嬉しそうに笑うのも腹が立つ。無邪気さを滲ませながらも、同性としても憧れてしまうほど男らしい体格や見目は、嫌味なくらいに整っている。

 そんなドウメキときちんと向き合うようになってから、気がついたことがいくつかあった。

悔しいから口に出してはやらないが、毎度着物に焚き付ける香にはこだわりがあるのだと言うことを、いやでも知ってしまった。


「あまり飛び跳ねるな。どうせ届くまい」

「飛び跳ねてなどいない!」


 ドウメキの紅い瞳が艶めくよう光沢を放つ。髪を離せと抗議の意味で振り上げられたタイランの手は、乾いた音を立ててドウメキに受け止められた。


「ぅお、っ」

「どうせ跳ねるのなら」


 気がつけば、足の間に差し込まれたドウメキの足に、タイランは尻を乗せていた。腰を支えられるようにして、天井を背負うドウメキに見下ろされる。

 仰反る形でポカンとするタイランの目の前で、ドウメキは己の魅力を理解しているように振る舞った。


「俺の上で跳ねれば良い」


 甘さを含む声であった。慣れたような、遊び人の声色にも聞こえるその言葉を前に、タイランはすっと目を細める。


「今俺が足を振り上げれば、貴様は玉無しになるが」


 タイランの言葉に、ドウメキの態度はわかりやすく手のひらを返す。

 背中を支えるように体勢を戻された。そっけないタイランの態度を前に、襲いくるはずであった股間の痛みを想像したドウメキが渋い顔をする。

こうなるだろうと予測していたらしい喰録が、大きな口を開けて欠伸をした。


「お前は心拍数も上げぬのか」

「ふきのとうを採りに行くぞ喰録。お前にうまいものを食わせてやろう」

「ならば川にもいこう。岩魚が獲れるとっておきの場所がある」

「なぜ家主をおいてそこで話が弾むのだ」


 背後から聞こえる不服の声をそのままに、喰録を先頭に城の最上階まで向かう。一度欄干から空にまろびでてしまえば、怖さは軽減されるのだ。

 長い尾を靡かせて、軽快に階段を駆け上がった喰録が体躯を大きく膨らませる。タイランが背に乗るだろうと気を使うように体高を下げる喰録の背中を、優しく撫でた。


「ふふ、そんなに私の毛並みが好きか」

「俺はタイランよりも頭が上にあるから、撫でてもらえないだけだ。そこを履き違えるな喰録」

「すぐこれだ。全く、城主はわかりやすく狭量になった」


 牙が突き出る口元を歪めるように、喰録が嫌そうな顔をする。

唐獅子にも見える顔だと、以前タイランが口にしたことがあった。どうやら喰録は鵺という妖魔らしい。感心するタイランを前に、私はドウメキの次に長くいるのだぞ。と誇らしげに教えてくれたのを思い出す。

 顔まわりの天鵞絨の毛並みを手で梳く。猛禽の瞳を気持ちよさそうに細める様子を見つめていれば、ドウメキによって腰を持ち上げられるように、喰録の背に跨る羽目になった。


「自分で跨がれるが」

「それは俺の時に頼む」

「またそういう事を……口を閉じていろ。駆けるぞ」


 文句を言おうとした口を、慌てて閉じる。前に飛んだ時は叫びすぎて、舌を噛んだことを思い出したのだ。

 腹に回される逞しい腕に気がついた。タイランの腕とは違う、戦う男の腕だ。

浮いた血管に目を奪われていれば、くんっ、と体が後ろに引っ張られた。宣言通り、喰録が駆けたのだ。


「眼下に目を向けていろ、湖に映る景色は絶景ぞ」


 長い黒髪を風に遊ばせる。

 タイランの琥珀の瞳に映ったのは、あの日ドウメキに連れて行かれた湖の景色だ。

 美しい。鏡合わせのように反転した魏界山の景色が、水の奥に広がっている。思わず感嘆とした声を漏らしたタイランの顔を、ドウメキが嬉しそうに見つめる。

 喰録の羽が、優雅に伸ばされた。風を掴んだ体は、自由そのものだ。大きな影が、黄土色の山肌に映り込む。

 二人を乗せた異形の妖魔は、牙のように伸びた山々をすり抜けて空を縫う。


「この山の向こうに、村はあるのか」

「……ここを出ていくのは承伏しかねる」

「違う。食材を仕入れたいんだ。いつまでも干し肉と果実だけじゃ体を壊すからな」


 心なしか、腰を抱く腕の力が強まった気がする。ドウメキの力のわずかな変化だけで、タイランの耳の先は赤らむ。

 宥めるように男らしい腕をそっと撫でると、微かにドウメキが笑った気がした。


玉翠村ぎょくすいむらなら間も無く見えるぞ。近くにおりようか」

「本当か?……ふきのとうは」

「売っているだろう。城主、タイランにいて欲しいのなら、頼み事を聞いてやるのも男の器だろう」


 そう笑う喰録の方が、ドウメキよりもできた性格をしている。タイランが窺うように振り向くと、眉間に皺を寄せて押し黙っていた。

 無言の攻防は、しばし続いた。それは、喰録が同じ場所を二周するほどの時間を要した。


「認めよう」

「どっちだ」

「城主」

「降りればいいだろう、降りれば!」


 ドウメキの言葉に、タイランは正面へと視界を定める。先ほどまでの晴れやかな景色とは違い、辺りは途端に青みがかった霞混じりの景色へと変貌していた。

 喰録は、返事を聞くなり四肢を伸ばすようにして体を傾けた。細い岩同士の隙間を通り過ぎると、視界は一気に開ける。

 柔らかな被膜のようなものを、肌に感じた。どうやら結界に入ったらしい。

 岩が吊り橋のように削られ、山同士を繋ぐ足場になっている。青い川が轟々と流れ、陽の光を遮るように、黄土色の岩肌から生えた深緑の木々が上へと伸びていた。

 まるで、どこかの部族の隠れ家のようにも見えるその場所は、魏界山の中でも特別異界じみている。


「ここは……?」

「玉翠村への入り口さ。この霞が結界の役割をしている」

「なんで、喰録とドウメキは通れるんだ?」

「それは、俺が魏界山の結界を作ったからだ」


 ドウメキはそう宣うと、少しだけばつが悪そうにした。思わず口から出たらしい。


「守城じゃないのか」

「……守城と一緒に、だ」


 小さな見栄のようなものかと、タイランがふすりと笑う。己から顔を背けるように目線を外した姿が、意地を見せているようで面白い。

 そんな二人を背に乗せながら、喰録が足先を濡らすようにして川の上を飛ぶ。鉤爪が、水を裂くようにして筋を作った。美事な景色は視界を覆うようにして広がっている。

 

(綺麗だけど、少し怖いな……)


 ドウメキの腕に添えられた指先に、わずかに力が入る。タイランの怯えを感じ取ったのか、背中に感じていた距離が、ぐっと近くなった。


「大丈夫だ、俺がいる」

「私もいるぞタイラン」

「あ、ああ……っ、つめたっ」


 悟られて、少しだけ恥ずかしい。頬を染めながら頷けば、顔の熱を冷やすように水飛沫を頬に感じた。

 ざぱりと音を立てて、喰録が川を裂いていた鉤爪を引き上げる。

 どうやら片手間に狩りでもしていたらしい。大きな鱒を握り締める姿に、タイランが関心を示す。


「器用なものだな」

「これを使う」

「使う?」


 食べる、ではない。使うと言った理由が気になったのだ。

 なんで、と聞こうとして、視界が遮られる。それが、ドウメキの着ていた羽織だということに気がついた。

 

「待て、なんだこれは。というか、何故紐で俺を括り付ける」

「そのほうが安全だろう。守城は慣れた道だが、タイランは覚えておらんだろうしなあ」

「ほら捕まれ、面白いものが見れるぞ」


 ドウメキの体に括り付けられるようにして、タイランは固定された。先ほどまでタイランを支えていた腕は、しっかりと喰録の手綱を握り締める。

 タイランの頭によぎった嫌な予感は、見事に的中した。


「なっ……」

「やはりきたなあ」


 ドウメキの喜色地味た声色と共に、喰録が力強く羽ばたいた。

 吊り橋状の岩の下を素早く潜り抜けたその瞬間、頭上の深緑を揺らすようにして甲高い声があたり一帯に響いた。

 



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