第5話 心の機微

 タイランが走り去った後、ドウメキは弾かれた己の手のひらを見つめていた。

 どうしたらいいのかわからない。ドウメキは妖魔だ。人の機微を悟るということに特別長けているわけでもない。タイランの表情は悲しみというよりも、孤独に見えた。何かに取り残されたかのような、そんな顔。

 珠幻城に来てからというもの、タイランは随分と精力的に城の内部を探索して回っていた。巣穴を見極める小動物のようなその姿が気に入って、ドウメキは目に楽しい日々を過ごしていたというのに。どうやらタイランは至って真剣だったらしい。


「ままならぬ。昔はどうしていたんだっけか」


 白髪頭を、手持ち無沙汰にわしりと乱す。思い返せば、ドウメキの守城が存命だった頃もよく怒られていた。

 お前は心の機微がわからない。妖魔だからと甘えることなく、どうするかを思考し行動せよと。

 守城とは、妖魔が起こす問題ごとから人を守る。結界を司る一族のことだ。妖魔が悪戯に人の領域を犯さないようにすることで、無闇に傷つけあうことのないようにする。そう、生真面目に語った守城である主人を思い返す。耳に残る声はいつだって優しくて生真面目で、気難しいタイランとは似ても似つかない。

 ドウメキに人の心の機微を悟れと言いつけたのは。こんな具合に粗相をして、己の価値を下げるなと言う意味合いも含まれている。守城の遠回しなお節介は、いつの時代も変わりはしない。


「ふむ」


 ドウメキは一つ頷いた。面倒ごとは得意ではない。元来大雑把な性格なのだ。人との距離感を測れと言われても、不器用だからこそなかなかに難しい。

 歳を重ねるごとに強くなっている力が実に不便だ。気楽にタイランの細腕を握ってしまえば、怪我をさせてしまう可能性だってある。

 人の手の温かさを教えたのは守城だ。だからこそ、温もりが恋しくてタイランへと接している自覚はある。

 しかし、話し合いが足りていないということもまた事実だ。過去を重ねてしまうのは、きっと悪癖になるのだろう。それでもドウメキの記憶の中に色濃く残る守城は、いつも同じ声色で窘める。

 

「また気に触ることをしたな城主」

「喰録、タイランはどこにいった」

「自室さ、ドウメキがあてがった三階の部屋だ」


 タイランが随分と大きな足音を立てて階段を駆け上がるので、何事かと姿を現す羽目になったのは喰録だ。長い付き合いの妖魔からの一言に、ドウメキの気分は分かりやすく浮上した。


「可愛らしい。逃げ場所まで俺が選んだ部屋か」


 独善的な考えは妖魔の専売特許だ。にい、と笑みを浮かべるドウメキの表情に、存外理性的な喰録だけは諦観まじりなため息を吐く。


「あまり価値観を押し付けるなよ城主。守城にも言われたろう」

「そうさな。頭では理解している」

「ああ、お前はそう言うやつだ……」


 しかし、ドウメキが守城だと認めるタイランからは、。ならばドウメキは、やめろと言われるまでは甘えても問題はないだろう。身勝手な自己解釈で己の機嫌をとったドウメキは、鼻歌でも歌うような足取りでタイランの部屋へと向かう。

 背後を、喰録が追うようにして空中を泳ぐ。

 可哀想に、日亡時に戻ってきたタイランは、喰録によって連れ去られたとでも思っているのだろう。山に呼ばれたとも知らないで、この城から出る方法を探している。

 日亡時が近づくたびに、ドウメキは今生の守城の無事を祈り続けてきた。だからこそ、喰録がタイランを城に連れてきた時は目を丸くして驚いた。だが、同時にでかしたとも思ったことも事実。

 柔らかな優しさの檻でタイランを閉じ込めるのには理由があった。しかし、ドウメキはそれを説明してはいなかった。

 ドウメキの説明不足が原因で拗れていることを理解するのは喰録のみだ。呆れた目線を背中で受けても気にもしないまま、ドウメキは三階の踊り場で足を止めた。


「どうした」

「この声が聞こえないか」

「声……?」


 タイランのいる三階の部屋は、書庫の反対側だ。普通なら声は聞こえないはずである。しかし、それは人間の聴覚の場合だ。

 喰録は、スン、と鼻を引くつかせた。なるほど、どうやらタイランもまた蟠りを抱えているらしい。ままならないと憤る感情を、必死で落ち着けようとしている匂いがする。

 タイランの啜り泣く声を聞いたドウメキはというと、いつもの飄々としている様子をひそめ、何やら真面目そうな顔で黙りこくっていた。

 泣くほどか。

 喰録から見たドウメキの表情はそう物語っていた。分かりやすく、顔に参ったを貼り付けて責任を感じているらしい。

 喰録は愉快そうに尾を揺らした。


「愉快だな。まあ、落とし前はつけろ」

「泣かれると参る。籠の鳥が一番安全だろう」

「だが、タイランは出たがっている」


 喰録の猛禽の瞳が、真っ直ぐにドウメキへと向けられる。その瞳は、ドウメキの心情を見透かすようであった。


「話せと言われていない」

「しかし、人間は訳を言わねば納得しまい」

「……その目はやめろ。わかった。だが口を閉ざしているのはタイランも同じだ」


 心の内にある本音を差し出さないのは、タイランもまた同じである。しかし、それを引き合いに出すのは言い訳にしかならないことも、ドウメキはしっかりと理解していた。

 目を細めて、無言で見つめ手くる喰録に根負けした。ドウメキは分かりやすく眉を下げて、口から出かけた言い訳を飲み込んだ。

 コロコロと感情のままに変わる表情を、もっとタイランに見せればうまくいくだろうに。喰録がそんなことを思っているとは知らぬまま、ドウメキは猩々緋の羽織を揺らして歩き出す。

 ずんずん、と擬音が着きそうなほどのしっかりとした歩みは、真っ直ぐにタイランの部屋へと向かう。

 扉の前まで辿り着けば、握りしめた拳を顔の高さまで持ち上げる。そのまま勢いよくゴツンと扉を叩くと、内側から小さな悲鳴が上がった。

 どうやって来訪を知らせていただろうか。いつぞや守城から言われたことがあっただろうに、長い間帰りを待ち侘びているうちに作法は忘れていた。

 ドウメキはそのまま数回程度、拳で扉を揺らした。大きな音を立てて何度も拳を打ち付ける。それがどれ程タイランを恐怖させているかは、わかっていない様子だった。


「わ、わかった‼︎ 開けるから、やめてくれ‼︎」

「む……」


 怯えた色を宿す声が、扉の向こう側から聞こえてきた。わずかの間をあけて扉が開く。蝶番の軋む音が、ドウメキの来訪に悲鳴で応えるかのようであった。

 ようやく姿を見せたタイランは、目を合わせようともに俯いたままだ。細く開いた扉の隙間が気に食わなくて、ドウメキは隙間を広げるように、手を差し込む。


「……突き飛ばしたのは、悪かった。だから」

「何の話だ?」

「うわ、っ」


 ふしばった手のひらが、がしりと掴んだ扉を開く。押しのけられるようにしてたたらを踏んだタイランが、無理に入室を果たしたドウメキに怯えるように見上げた。

 与えられたとはいえ、タイランの安らぐ領域へと不躾に入ってこられるのが怖かった。

 未だ怯えている様子のタイランに不満を覚えていたのだ。


「すすり泣くな。理由を言え。お前はどう不便を感じている」


 不遜で横柄なドウメキの態度は、わかりやすくタイランを萎縮させた。突き飛ばしたことも、タイランの後ろめたさを助長させている。

 与えられた部屋にドウメキがいる。その事実が、余計にお前の居場所はないと言われているようで嫌だった。


「っ……っぉ、俺は……」


 喉が焼ける。ドウメキの前で涙を流すのは悔しかった。喉を震わせて、タイランは絞るように声をだす。

 今にも泣き出してしまいそうな様子を前に、ドウメキの紅い瞳は戸惑ったように揺れた。

 そこまで思い詰めているとは思わなかったらしい。


「まて、何故泣く! 俺がそんなに怖いか⁉︎」


 頬を滑った涙の一滴は、実に効果覿面であった。ここに来てから初めて見るドウメキの焦りだ。しかし、それをからかってやる余裕をタイランは持たなかった。


「ぅ、っ……く」

「泣くな、俺は……喰録よりも、余程人だろう!」

「おい城主。それは私を馬鹿にしているのか」

「今は口を挟んでくれるな」


 鼻の頭を真っ赤にして涙を溢したくせに、泣くのを堪えるかのように口を真一文字に引き結ぶ。タイランの瞳は涙に濡れながらも、必死に己を律する気丈さを振る舞おうとする。

 まなじりを濡らしながら、嗚咽を飲み込む。時折、堪えきれなかった喉がきゅうと鳴く。

 ドウメキの手は、先ほどから上がったり下がったりと忙しない。しかし、互いに立ちすくんだままでは埒が明かないと思ったのだろう。咳払いを一つしたドウメキが、重そうに口を開いた。


「今の俺に、読心能力はないのだぞ……」

「は?」

「だから……言わねばわからん。出口を探すお前をからかったのが気に障ったのか? それとも、あの接吻を気にしているのか。」


 それは、ドウメキが素直に己の行動を振り返りでた言葉でもあった。

 横柄で、物事を己の都合通りに運ぼうとする。それがここ数日のドウメキに対するタイランの評価であった。 琥珀の瞳がわずかに目を見張る。まさかドウメキから歩み寄りをしてくると思わなかったのだ。

 本気で言っているのだろうか。タイランは、目の前でしどろもどろになっているドウメキを前に、端的な声を返してしまった。


「そんな、幼稚なことでは……」

「ならばなんだ。口にせねばわからぬのは人も同じだろう」

「同じでは、……」


 同じではない。そう言い返そうとして、タイランはハッとした。

 意固地になっているのは、タイランの方だと感じたのだ。しかし素直になったからと言って、知らない記憶がありますなどと、どう説明をするというのだ。

 真っ直ぐにこちらを見つめるドウメキに、必死で飲み下した弱音が漏れてしまいそうだった。怖いのだ。不安を打ち明けて、ドウメキに弱みを見せるのが怖い。

 己の身に起こった現象を、どう説明したらいいかもわからないというのに。タイランへと侵食する誰かの記憶を、どうにかしてくれと泣き付けというのか。


「……そんな、簡単なことではないんだ」

「甘くみるなよ、俺はお前よりも長生きなんだぞ」


 説明を諦めるように言葉を濁す。そんなタイランを前に、ドウメキは犬歯を見せつけるように笑った。

 タイランよりも随分と上背がある、そんな大柄な男に無邪気さを見せつけられたのだ。

 もしかしたら、妖魔としての知恵を貸してくれるのかもしれない。説明がつかない状況を、口にしても許されるのかもしれない。

 それでも、胸の奥に鉛のように溜まった不安を晒すのはためらわれた。

 

(今更助けを求めるのは、都合が良すぎる)


 ドウメキに晒した態度を振り返れば、助けを乞うのは間違っている。タイランが逃げるように視線を外そうとした時。それはドウメキの手のひらによって遮られた。


「もう一度聞く。怖いのは、俺か」

「……お、お前なんか、怖くない」

「それは重畳。ならば理由は他にあるということだな」


 気がつけば、タイランは自ら退路を絶っていた。ドウメキが怖いと嘘をつくこともできた。しかし、タイランの口は性格を表すように素直になっていた。

 ドウメキによって、本音を吐き出すように仕向けられたのだ。微笑みかけられ、タイランの心臓が妙な動きをした。心の内側を素手で触れられているような、そんな鋭い感覚だ。


「俺は、お前を、信用するべきなのか……」


 笑い飛ばされるかもしれない。今更何を言っているんだと、ドウメキにあきれられる可能性だってあった。自分勝手なのはわかっている。言いようの無い疎外感は、タイランを一層孤独に感じさせるのだ。

 居場所が欲しかった。それは、ドウメキにあてがわれた部屋ではない。誰の面影も重ねられない、ただのタイランとして扱ってもらえるような、そんな居場所だ。


「俺は、タイランだ。タイランは、一人しかいないんだ……」

「ああ、知っている」

「守城ではない。俺は、お前の望むものにはなれない。」

「……もしかして、それを気にしていたのか」


 ここにきてからずっと、タイランは己を通して守城を重ねられることに参っていた。

 求めても得られなかった巫力を宿すのが守城だ。胸を張れずに生きてきたタイランにとって、みじんも可能性の無いものを押し付けられるのは辛いことだ。

 俯き、長い黒髪で表情を隠すように言葉を零す姿は、出会った時よりもひとまわり小さく見える。

 そんな様子を前に、ドウメキはようやく守城の言っていた、心の機微を理解しろという意味がわかった。

 必要以上に己の言葉がタイランを追い詰めていたことに気がついたのだ。他意はない。しかし、ドウメキにとってのタイランは、死に別れた守城そのものである。故に浮かれていたことも否定はできない。

 大きな手のひらが、そっとタイランの肩に触れる。厚みのない体は力加減を誤れば、簡単に死んでしまいそうだった。


「……信用してくれて構わない。俺は、お前のことを笑わない。」


 ドウメキの柔らかな言葉に、タイランはゆっくりと顔を上げた。琥珀の瞳に、縋るような色が宿る。

 上背のあるドウメキが、見下ろすようにして優しく微笑みかける。信用してくれて構わない。そう口にしたドウメキに、タイランは覚えのない懐かしさを感じてしまった。

 初めて見る表情のはずだった。それなのに、肩に触れるドウメキの手のひらに胸がじくりと痛む。


(なんで、そんな微笑み方をするんだ)


 知っている。ドウメキのその笑みを、タイランは知っている。

 滲む涙をどう捉えられたのかはわからない。それでも、目元に触れるドウメキの親指を払いのけなかったのは、タイランなりの意地だったのかもしれない。


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