第4話 遠い存在
百年に一度、魏界山の結界の力が弱まり妖魔が力を増す
わざわざ一番厄介な時期を選んで山に迷い込んだのは、必然だったのかもしれない。
あれからタイランは、城に長居をするつもりはないと歓迎するドウメキを突っぱねた。
己にはやらねばならない使命がある。そう説明をしたというのに、あろうことかドウメキは、そんなものは知らん。の一点張りだったのだ。
タイランが城を出ようとすることに、ドウメキも喰録も協力してくれる気配はない。不思議なことにタイランがいくら城の出口を探しても、扉は閉ざされたままだったのだ。
(まるで、最初から閉じ込めるつもりで連れ去ったようにも見える。くそ、なんで俺なのだ)
タイランはままならない状況に、ため息をはいた。山の天気は変わりやすい。ドウメキが不本意な来訪に歓迎を示したあの後、予測通りに雨が降ってしまった。
雨による下山は難しく思えた。タイランのいる珠幻城は山のてっぺん。それも切り立った崖のような場所にある。喰録の羽根に頼る他は方法が見つからないほどの立地であった。
「何を物思いに耽っている」
「……ドウメキ」
今日こそはを胸に、タイランは城の出口を探していたのだ。よほど不機嫌が顔に出ていたのか、ドウメキは顔を見るなり小さく笑う。
ありえそうな一階から、ありえない四階までもをくまなく検分し、気がつけば無駄な足掻きを労るように、タイランは部屋を与えられていた。
ここは居心地がいいだろう。呑気なことを宣う目の前の妖魔に、剣呑な目を向けてしまうのも仕方がない。
タイランは己の態度に理由をつけて許してやることでしか、心具合を保つことができなくなっていた。
「ここから出たい」
「またそれか。ここに入り口はないと言ったろう」
「俺が探しているのは出口だ」
「何度もいうが、そこだ」
同じことを繰り返すドウメキの言葉に、渋い顔をする。最上階であるこの場所で、恨めしい表情のままドウメキの指さす先を睨みつける。
そこには、山水画のように美しい現実の景色が広がっていた。欄干にもたれかかれば、肌に感じるのは冴えた山の空気だ。
景色を一望できるほど、広く取られた大広間の格子窓は開け放たれ、風雨が強い時だけ窓を閉めるくらいであった。
「人には羽がない」
「俺にもないぞ。だが飛べる」
「それはお前が妖魔だからだ!! このまま俺に外へ飛び降りろというのか!!」
「その場合は再び喰録がお前を咥えて戻ってくるだろうな」
ふふん、と楽しそうに笑う。ドウメキとのやりとりは、部屋を与えられてから三回は重ねている。つまり、もう四日は珠幻城にいるのだ。
あてがわれた部屋の場所も迷わずに行けるあたり、タイランはこの城の間取りをしっかりと身に焼き付けてしまった。
厄介なのはドウメキだけではない。悔しいことに、ここは本当に居心地がいいのだ。雰囲気とでもいうのだろうか、タイランが出口を見つけるために城を探索すれば、自然と足は気に入りそうな場所を教えてくれる。
四合院作りのこの城は、一階にある池にも似た井戸を囲むようにして、最上階を除くそれぞれの階に小さな庭が作られていた。
二階には、通路の壁を切り取るように作られた丸い入り口が庭園に繋がっており、円形の額縁から見える中庭の桃の木が見事であった。
書庫のある三階には、窓から枯山水が見える仕組みだ。最上階である四階を除いて、風情のある景色に挟まれるように珠幻城は建っている。
居心地が良いのは、きっとこの雰囲気がいけないのだ。タイランは悔しそうに顔を歪めると、呑気に煙管を燻らせるドウメキへと目を向けた。
「俺は暇じゃない、なさねばならぬことをしなくては」
「物好きめ、ここから下は険しい山道ぞ」
「そんなこと、良く知っている」
抜けてきた山道の険しさは、足が覚えている。そのまま真っ直ぐに魏界山を抜ければ楽だろうに、隣の村へとゆくには山を登り切らなければいけなかった。
結果的には、喰録によって戦利品のように城に運ばれたのだから、始末に負えないが。
なさねばならぬことがある。そう言った己に、タイランは内心で歯噛みした。
そんなこと、良く言えたものだ。タイランは山主の封呪を解けという弟の命を成さずに、過去を捨てようとしているのに。
ドウメキの隣でのんびりとしている心の余裕はなかった。タイランはこれ以上話すつもりはないと立ち上がる。
一階の通路に、大きな窓があった記憶がある。窓があるなら、換気のために開けることができるだろう。
タイランは、ここにきて四度目の出口を探しにいくつもりだった。
ドウメキの呆れた目線を背後に受け留めながら、ズンズンと広間を横切る。黒い床と同じ色合いの階段を降りた三階には、気に入りの書庫とタイランの部屋があった。
荷物なんてない。空身で来たのだ。ここに来て借りた中衣しか、身に纏うものはない。
ドウメキは相変わらずタイランの深衣を返してくれる気配はなく、タイランもまたそれを諦めていた。
薄い室内靴に、硬い床の感触。山の気温に当てられて、つま先から少しずつ冷えていく。
本当は、行くあてなんてない。弟であるヤンレイの頼み事からも逃げている今、タイランはここから出ていく理由がないのが怖いのだ。
「……くそ」
整った柳眉を寄せる。怖いのはそれだけではない。ドウメキの声は、幼い頃からずっとそばにあった声とよく似ていたのだ。
柔らかで、耳障りのいい声。そんなことあるわけがないと振り払った考えも、ドウメキが己を歓迎する様子を思い返せば必然なのではと思えてくる。
苦手だ。ドウメキは知らぬ間にタイランの心を乱す。己の内側に断りもなく侵食されるのが不快だ。余裕のないタイランの振る舞いを許してくれる、優しい鬼であることもしゃくだった。
(放っておいてくれる方が、どれだけいいか)
枯山水を抜けて、桃の木の庭を通り過ぎる。このまま抜ければ、一階の右側の階段から降りてくることになる。
手に馴染む手すりも、既知感のある気に入りの書庫も、なぜか懐かしさを感じる与えられた自室も。全部が全部、タイランを戸惑わせるには十分すぎた。
もし、本当に。この体が誰かの生まれ変わりなのだとしたら。今までの培ってきた経験や、タイランが触れて感じたこと、見て記憶したもの。それらはどうなってしまうのだろう。
「う、いて……っ……」
ツキンと響くような痛みが、側頭部に現れる。珠幻城にきてからというもの、タイランは偏頭痛に悩まされていた。
最初は、連れてこられた時に頭を打ったのだろうと、そこまで重く捉えていなかった。しかし、それは数日で耳鳴りを伴ったものに変わってきた。
(気持ち悪い、なんだ。波の音みたいなのが聞こえる……)
ざあざあと鳴る。耳の奥から聞こえる音が、吐き気を伴ってタイランの視覚をぼやけさせる。体の自由を奪われるのが怖くて、タイランは歩みを緩やかなものに変える。
足は自然と一階へと辿り着いていた。松の木を囲むようにして設けられ通路を左側に進むと、大きな窓が見えてくる。タイランは床の感触を確かめるような慎重な歩みで、壁づたいに歩いた。
触れる壁のざらつきですら覚えがある。己の頭の中で、何が起きてしまったのだ。
不安は心拍数を少しずつあげていく。窓が見えてくると、触れた壁に手を擦り付けるようにしてうずくまった。
「……は、ぁ……っ……」
気持ちが悪い。吐きそうだ。ここにきて、立場が悪くなるような失敗だけはしたくなかった。
重い頭を壁にもたれ掛からせる。目に入る光が涙を誘うほど、タイランは参ってしまっていた。
薄目を開けて、窓の外を見る。高い山の気圧が招いた不調かもしれないと己を納得させようとした時。窓越しに見えた一本の大木を前に、細い喉は上下した。
(あれは、祠……?)
鼻腔をくすぐる、どこか懐かしい香り。聞こえるはずのない葉擦れの音が、タイランの脳内に一つの光景を運んできた。
木の幹に回されるようにして取り付けられた木箱。鳥の巣箱のようにも見えるそれを、タイランはなぜか祠だとわかっていた。
(なんだ、これは……)
心臓が、嫌な動きをする。深く、重い振動が胸の中で暴れるのだ。ざらついた手のひらで、直接脳に触れられるような得体の知れない気持ち悪さが身を蝕む。
──── 居場所がないなら、ここに住み憑けばいい。
耳鳴りの奥で、タイランによく似た声がした。
肌を這うように、服の裾から何かが這い出る。まだ細い木へと伸ばされた白い腕に道を渡されるように、黒い蛇が中へと入っていく。
一陣の風が背後から吹きつけ、靡くように乱された黒髪が視界を隠した。どこからか現れた大きな手のひらに、視界を遮る黒髪を避けるように頬を撫でられた────
「タイラン」
「っ、ぅわ、あああっ‼︎」
暖かな手のひらの感触と、不可思議な光景が重なった。唐突に呼ばれた名前を振り払うようなタイランの手を、記憶と同じ大きな手のひらが受けとめる。
琥珀の瞳が、きゅうっと細まった。身をひねるようにして逃げようとする体を、抑えるように抱き込まれる。
「はな、せ……‼︎」
「まて、何だ落ち着け!」
「触るな‼︎ っ……どけっ‼︎」
「落ち着けといっているだろう‼︎」
「ぐっ……」
抱き込まれるように、背中に腕を回された。逃れることを許さない拘束に、恐怖と嫌悪感が追い上げるようにしてタイランの喉を焼く。
耳に馴染んだドウメキの声に現実へと引き戻される。動きを止めると、ようやく己がドウメキの肩口に顔を押し付けていることに気がついた。
肺いっぱいに吸い込んだドウメキの香りに、自然と心臓の鼓動は落ち着いていく。いつの間にか滲んだ涙は、猩々緋の羽織が受け止めていた。
「……タイラン、どうしたというのだ。取り乱すなんてらしくない」
「ドウ、メキ……」
「顔色が悪い。部屋で少し休んだほうが」
白昼夢を見ていたかのように思考は鈍っていた。
顔色を確かめるかのように伸ばされたドウメキの手が、タイランの怯えに触れるようで怖かった。手のひらを叩き落とした己の手も、また同じ痛みを宿している。
先ほど思考を支配した光景は経験したことのないものだというのに、タイランはそれがあの日であると理解していた。
「俺らしいとは、なんだ」
「……」
「俺らしいとは、なんだ。答えろドウメキ」
紅い瞳を見つめ返す。タイランの強張った声に、ドウメキは驚いた様子を見せた。
頬に伸ばされた手のひらは行き場を失うように下がり、紅い瞳はゆっくりと細められた。
(答えられないじゃないか、どうせ)
事情も何も知らぬまま、勝手に拐かした目の前の妖魔に弱みを見せるのは嫌だった。
体を離すように、厚い胸を突き飛ばした。ドウメキが後ろに転がるのをいいように、タイランはよろめきながら駆け出した。
背後からは制止を求める鋭い声が聞こえてきたが、今すぐにでもこの場を離れたかった。
ドウメキに対する、言いようの無い蟠りが、胸中でくつくつと燃えている。
いいようにしろ、勝手に知ったフリをして怒ればいい。
妖魔がなんだ。訳のわからないことばかりをいうな。俺の気持ちをひと匙も慮ってくれないくせに。
奥歯を噛み締めるようにして堪えた言葉は、タイランを通して誰かを見つめるドウメキへの苛立ちだ。
先ほど降りてきたはずの階段を、忙しなく駆け上がる。こんなに行儀の悪いことをしたのは初めてだったが、それほどまでに心は投げやりにもなっていた。
どうせ、誰も俺を見てくれないのだ。誰も。
この珠幻城で、もしかしたら何かが変わるのではないかと思った。期待したわけではない。しかし、身に起きた非日常を飲み込もうとする度に、不思議と心が躍ったのは確かだ。
(馬鹿みたいだ、俺は。)
何かを飲み下すように、タイランはごくりと喉を鳴らした。
頭痛はもうないのに。目の奥が熱い。下手くそに押さえ込もうとしている弱さが、存在を知らしめるように胸の痛みで主張してくる。
駆け込んだのは、ドウメキによってあてがわれた部屋だ。扉を強く閉めてから気がついて、馬鹿馬鹿しくなって小さく笑う。
「……どこにも居場所なんて、ないじゃないか」
膝に力が入らない。扉に背を預けるまま、ずるずると床に座り込む。迷い子のように膝を抱え込めば、ますます己が矮小な存在に思えた。
何かを変えたくて行動したというのに、ままならない。一体何を間違えて、どう悔いればいいというのだ。
その答えを得られないまま、タイランは腕に爪を立てる。
優しくなんかしてくれるな。妖魔らしく振る舞え。そうしてくれれば、タイランはもっと強くドウメキを否定できる。
いくら頑張っても、望まれる守城として振る舞えないのだ。
目の奥が熱い。息を殺して泣くことだけは、随分と得意になってしまった。
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