#2
あれから僕達は、同じ高校へと進学した。
それに当たって、陽和に対する周囲の反応が変わった。みんな彼女に見とれている。僕の目から見ても、輝いているように写った。
僕の母曰く、化粧を始めたらしい。どうやら高校生ともなると、若気の魔術というものが強くなるようだ。陽和の顔がまともに見れない。
こいつ、こんなに可愛かったっけ? 出るとこ出てて、引っ込むところは引っ込んで、中学の頃とはうってかわって、まるで女子じゃねーか。いや、もとから女子なんだけど······って、なにを僕は妙なことを!?
「どうかしたの? 岳彦」
急に顔を近づけてくるのは困る。変な声をあげそうになった。
「顔赤いよ? もしかして風邪日和?」
「いいや。岳彦くんは今日もバリバリ健康日和だよ」
「そう。ならよかった」
ああ、いい笑顔。歯がきれい。
せめて電車の中では話さないでほしい。ただでさえ人が多いから、陽和に集中しているのに。余計に一言一言に緊張してしまう。
外面は確かに美人だ。しかし、中身はあまり変わっていない。初めて会った子供の頃のままだ。それはそれでいいのだが、果たしてこの先このままでいいのかな。
「よう、富山。まーた朝っぱらから疲れてんな?」
「うるせー、
高校生になってからできた友達第2号の
彼の隣の席になったわけで、よく話すようになった。
「ひひひ、体力が足んねんだよ。俺だったら、あんな幼馴染みがいたら毎日ハッピーだぜ」
確かに、佐貫の性格なら陽和との相性はいいかもしれない。
「なんなら、すぐにコクっちゃう」
「あ゛あ゛ッ?!」
「悪かった、悪かった。冗談だから、んなムキになんなって」
「フン! 別に怒ってないし」
つか、なんで僕が怒らなきゃならないんだよ。陽和が誰かに告られてもいいだろ。そこは個人の自由なんだから。
「ってか、つい昨日攻めてみたんだけど、ダメだったし」
······は???
「佐貫、昨日、陽和に告白したのか?」彼は即答した。
「ああ、したよ。バッサリ断られたけどな」
陽和にしては意外だ。あれだけ人懐っこい性格なのに。しかも、陽キャを相手に。
「なんでも、既に意中の相手がいるんだとよ。他にも、剣道部の石上先輩に書道部の倉持先輩、俺を入れて六人くらい告った奴がいたらしいんだが、全部玉砕って話だ。相手は相当に手強いぜ?」
他人に興味の無い僕だが、佐貫が出した名前はどれも聞き覚えがあった。全員、部活のエースや優等生だ。嫌でも覚える。
「お前も、行っとくなら今のうちだぜ。そのうち、誰かに取られちまうかもしんねんだから、イタッ!?」
とりあえず、佐貫の頭を殴って黙らせる。
彼の話を聞いて、胸騒ぎがするのはなぜだろう。陽和をどうこうする権利なんて僕には無いし、ましてや相応しくない。ただの友達として、傍にいただけだ。その点、佐貫や他の男子には尊敬に値する部分はあるけど。これを恋心と呼ぶには、いささか浅い気がする。
「なんにしたって、いつまでも不完全燃焼だとキツいぞ? 初恋の相手を取られた俺が言うんだ」
「それ、よく胸を張って言えるね」
佐貫の言葉が妙に刺さる。かなり深いところまで。
授業が始まっても、この気持ちの抑えは効かなかった。スルースキルの高さが売りの僕が、なぜかたった一人の女子に釘付けになっている。
どういうことだ。そう問いたいが相手がいない。だから、確かめることにした。
もし、この気持ちが間違った幻想でないのなら、僕の彼女を見る目が曇ることはない。それでいいと思った。
「どうしたの? 急に呼び出して。しかも、こんな手紙でさ。いかがわしぃ〜」
口元を手紙で隠しながら、陽和が言う。
「うるせー」
僕は陽和の下駄箱に一通の手紙を仕込んだ。それにはこう記した。
『学校の裏の公園に来い。富山』
我ながら、中々にぶっとんだチャレンジだ。
あとは、口に出す。簡単だ。なにせ、日常的にいつもしている行為。その一端だ。
「ぼっ······」
――――あれ?
「ぼ?」
「ぼ、ぼぉ······」
つ、詰まった? 声が詰まった?! なんで?!
「はあ、つまらないことやってないで、早く帰るよ」
そう言って背中を向けようとする陽和の手を、咄嗟に掴んで引き止めた。
「待ってください!」
「なっ、本当になんなの?」
陽和は戸惑っていたが、僕も同じだった。
思っていたよりもハードルが高かった。緊張を飛び越えて、思考が停止しそうだ。
「そ、その、なんと言いますか······」
言葉が浮かばない。頭の中が真っ暗だ。どうすれば引っ張り出せる。喋るのってどうやったっけ? 伝えるのってどうしてたっけ? あれ? こんなに難しかったっけ? 落ち着け、岳彦! とりあえず深呼吸をしよう。困ったときには深呼吸に限る。
「ひ、陽和、ぼ、ぼぼぼ、僕とつ、ちゅきあってくだひゃい!」
「············」
――――噛んだ。噛んで······しまった······。
男として情けなさすぎる。顔を上げられない。陽和は今、どんな顔をしてるんだろうか。絶対に腑抜けだと思ってるよな。
もうやめよう。
自殺願望が芽生える前に、陽和を解放しようとした瞬間、鞄が地面に落ちたのが見えた。
見てみると、陽和は額に手を当てて怠そうにしていた。
「陽和、大丈夫?」
「うぅ······ごめん、岳彦。ちょっと、ヤバい······かも······」
そう言って、陽和は膝から崩れ落ちた。何が起こったのか理解が及ばず、ただ陽和の手を握って、ただ呆然として、苦しんでいる彼女を見ていることしかできなかった。
それから先の記憶は曖昧で、気づいたときには、彼女を自宅まで送っていた。天根母からお辞儀をされ、その日はとぼとぼと家に帰った。
翌日、玄関を出た先に陽和の姿が無かった。また寝坊したのかと、駅とは逆方向にある彼女の家に向かったが、違和感を感じた。
人気を感じない。
やけにシーンとしていた。天根家で扱っている車は、陽和の父親しか使っていないから一台だけ。だから、車庫ががらんとしていても不思議ではない。
確信に至ったのは、インターホンを鳴らしたとき。押したらすぐ後に、陽和からの返事が大音量で流れてくる筈なのに。返ってくるのは、ピンポーンという寂しい家の呻き声。
静寂に戻ると、今度はポケットからスマホの着信音が鳴り響いた。
「はい」
何気なく応じる。
《もしもし、岳彦くんか?》
相手の声は、天根父だった。
《すまない。立て込んでいて連絡が遅れた。君は今、家の前にいるんだろう?》
「はい」
《なら、学校には先に行っていてくれ。陽和は明日の午後まで休むから》
「すみません、おじさん」
休むって、あの陽和が?
「陽和、どうかしたんですか?」
《駅の近くに大きい病院があるよね? 放課後そこに来てくれ》
そう言われて、電話は切れた。
陽和が欠席。自分で風邪を引いたこともないと言っていた、あの陽和が?
昨日のこともあって、不安が過る。
言われた通り、放課後に駅の近くにある大学病院へと向かった。フロントには天根父がいて、陽和がいる病室へと案内される。
震える手で横扉を引くと、陽和と天根母が楽しそうに話をしている和やかな光景があった。
「お、岳彦! 来てくれたの?」
「ひ、陽和?! 大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。ほら、私はこの通り快調日和ぃ〜!」
想像していた絵面より程遠く、彼女は元気そうだった。腕を軽く揺らして、陽和は笑顔で息災を伝えた。
「陽和、本当に、大丈夫なの?」
頭が追い付かなくてもう一度問うと、彼女は一瞬唇を内側に畳んで、医師に告げられた検査結果を口にした。
「ただの貧血だって! てへっ」
「······は? ひん、けつ? マジですか?」
「すまない、岳彦くん。この子ときたら、驚かせたいと言って聞かず」
天根父がそう述べて、天根母も続く形で深くお辞儀をして謝ってきた。
成る程、合点がいった。
「別にいいですよ。もう慣れっこなんで」
「本当に申し訳ない。君に無用な心配をさせた。さぞ不安だっただろう」
「あはぁ······」
いや、むしろいい。重い病気じゃなさそうだし、一先ずは安心して良さそうなのがわかった。
「一応、症状の経過を見るために、ちょっと入院しないといけないんだ。うちの騒ぎに付き合わせて、ホントにごめんね」
と、謝罪しているような陽和の頭を天根父が掴み、強引に深々と下げさせた。
いつかの一家初対面のデジャブを感じて笑いそうになったが、ギリギリ持ちこたえた。
天根父の話だと、今朝方二階から物音がして、行ってみれば陽和が倒れているのを見つけて、急遽大学病院に運んだそうだ。検査の結果も、ただの貧血と見なされて、一家は安堵した。
この日は話だけを聞いて帰った。だが、その後の二週間が経っても、陽和の姿を見ない日が続いた。
「天根さん、大丈夫かな?」
「あ、ああ······」
「入院してるんだろ? あれから見舞いに行ってないのか?」
「行ってない。『恥ずかしいから来なくていいよ。心配だけしてろ』って言われた」
「なんだそれ」
佐貫は僕の方を向き直って言った。
「ないわー」
「は?」
「いや、お前一度も行ってないって、バカか?」
「だって、僕が行っても力にならないし。それに、来なくていいって言ったのは陽和本人だ。あんまりしつこいと悪いでしょ」
そう答えると、佐貫は歯軋りさせてから怒り心頭な様子で返してきた。
「こういうのはしつこいくらいが丁度いいんだよ! 行かなくて損するよりも、待たせて損させる方が最悪だろうが!」
そんなくさいことを言われても。
「まるで、今にも陽和が死にそうな発言だな。第一、陽和は貧血だっただけで、それくらいで死ぬとは思えな―――」
「うるせー! つべこべ言わずに行かんかい!!」
机に乗り出す勢いの佐貫に気圧されて、渋々、下校中に大学病院へと赴いた。
よくよく考えたら、貧血で二週間も病院生活をするものなのか? そんな疑問も浮かんでいたし、他に違和感も残っていた。
陽和の用があると受付の人に言うと、なにやら顔が少し青ざめていて、視線を下げていた。声も震えていた気がしたが、特に詮索することなく病室に入ると、異様な光景が広がっていた。
「ひ······より······??」
陽和がベッドに寝ていた。だが、口には呼吸器を付け、腕からは点滴に繋がる管が伸びていて、以前に来たときには見なかった心電図が彼女の心拍数を計っていた。
「なん······だよ······」
二週間前まで、陽和は笑顔が絶えない少女だった。はしゃいでいて、元気な姿を見せていてくれた。なのに、今の彼女はまるで真逆だった。
明るい茶髪も、潤った肌も、騒がしい唇も、陽和は何もかも変わっていない筈なのに、静かに横になっている。まるで、おとぎ話の一場面を見ているような光景を前に、僕はただただ立ち尽くしていた。
「そ、そうか。おいおい、驚かせるなよ。こんな大掛かりな機械まで用意してさ、流石に病院に迷惑だろ」
なんで動かないんだ? 起きてるんだろ?
「まったく、なんで誰も注意しないんだか。もしかして、懲りずにやってんの? だとしたら、出禁になるからもうやめときなよ」
なんで何も言わない。いい加減にしろよ。
「ほら、片付けるの手伝うから。なんなら、一緒に謝るから。さっさと······」
わかっている。でも、信じられない。
「さっさと······起きろよ······」
彼女の肉体から、天根陽和の心がいなくなっていた。
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