#1
僕、
よく同級生の男子数人にいじめられているのだが、今日もまた、中身を散らかされて空っぽになったランドセルをサッカーボールみたいに蹴り飛ばされていた。
普通なら、やめてやめてと騒ぎ立てるが、僕の場合はただじっと見ているだけだ。逆らったところで、勝てないのは分かっているし。僕自身にも全く害が無いわけではなかったけれど、変な話、馬鹿らしくて反応するのが面倒くさくなっていた。
親に余計な心配をかけないために、人知れず河川敷の橋の下でランドセルの汚れを落とす毎日。
作業が終わって戻ると、「今日は、いい洗濯日和?」と、突然どこからか声がした。
「誰?」
辺りを見回すが、誰もいない。
「いや、かくれんぼ日和だったかな?」
上から声がした。見ると、坂の上から腕を組み仁王立ちで僕を見下ろす女の子の姿があった。
歳は僕と同じくらいだろうか。茶髪のサイドテールで、黄色と白の横縞模様のシャツにオーバーオールを履いた、いかにもおてんばそうな雰囲気の子だった。
「きみは、誰?」
訊ねると、女の子は「とぉッ!」と声を出して飛び上がり、コロコロと前転して降りてきた。 着地すると、体操選手みたいに手を大きく広げてしゅっと立ち上がり、川に落ちそうになるまで迫ってきた。
「こういうのってさ、自分から名乗るのが筋なんじゃないの?」
「へ?」
「ハッハッハー! 聞いて驚くがいい、少年! 私は、名乗るほどのものではなーい! じゃーねー!」
そう言って、女の子は颯爽と坂を登って走り去ってしまった。
結局、なんだったんだろうか。あの情緒不安定な子は。同年代にしてはかなりくせが強かったが、どうせ忘れるだろう。当時はその程度の認識だった。
時が経って、中学に上がっても僕の立ち位置はなにも変わらずで。ボール役がランドセルから、セカンドバッグになったくらいしか大した変化はなかった。
あの女の子のことも忘れて、相も変わらずグレーライフを送っていた。
「やーやー、少年!」
「え?」
校門を通ろうとしたところ、頭の片隅にこびりついたあの声が。
「今日は、いいイジメられ日和?」
この口調を耳にするのは、生まれて十二年と数ヶ月の中では三度目になる。
坂の上の次は、校門横の桜の上からか。
あの日とは違い、着ているのは学校指定のセーラー服だったが、明るい茶髪のサイドテールをしていたことと、会ってから一年も経っていないから、すぐに思い出した。
一年前の僕、結局忘れられなかったよ。
「まさか、きみも同じところに通ってたなんてね」「うんうん。まさに、いい再会日和って感じだね」
屈んで、両手に頬杖をつけて、彼女は笑顔でどこか嬉しそうに僕を見ていた。
「それで、名乗るほどのものではないさん。この、冴えない目立たないいじめられっ子少年になんか用ですか?」
ぶっちゃけ、無視してもよかったのだが、僕と彼女とでは高低差があって、首を上げた際にかなり危ういものが目に入ってしまった。
いち早く気づいたのは幸いで、咄嗟にスカートからサイドテールに目を集中させる。
ついこの間まで小学生だったのに、黒ってどんなセンスだよ。通りかかったのが純情健全な僕でよかったな。
「用は無いよ。ただ声をかけただけ」
「······帰る」
「あ、ちょっと待って!」
用も無いのに止められる筋合いはない。
取り敢えず、とっとと帰って、飯食って、風呂入って、ガリ勉して、寝よう。
「ゴラー! 待てや少年!!」
後ろから全力疾走で追いかけてくる奇人を振り切って······と思ったが、運動に弱いこの身ではすぐに追いつかれてしまった。タックルされ、その拍子に転んで僕捕獲と。
肺と横っ腹が痛い。
「なんで逃げんの? 今日は鬼ごっこ日和じゃなかった筈なのに!」
ぜぇぜぇと息を荒くしていながらも、名乗るほどでもないさんの快活さは削げていなかった。僕の背中を這いずって、起き上がれないようにしてきた。
今さっきの爆走で、起き上がる体力はもう僕には無いのだが。
「きみこそ、用も無いのに呼び止めないでよ。迷惑でしょ。普通に」
「なんだよ! 用が無くても構ってくれたっていいじゃんか!」
「じゃあ、なんで僕なんだよ」
「それは······」
そして彼女は黙ってしまった。
「答えられないということは、誰でもよかったってことだよね? 迷惑すぎるから、そこどいて!」
体力が戻り、隙をみて起き上がる。そのまま去ろうとしたら、後ろから「いたた」と彼女の小声が耳に入って振り返った。彼女は膝を擦りむいていた。
突然僕が起き上がったから、対応しきれずに路面に不時着して、ってところかな。
自業自得と言いたいが、女子に怪我をさせたとあっては流石に心が痛む。彼女も彼女だが、僕も少し意地悪が過ぎたかもしれない。
「ほら」
僕は彼女に背を向けて、腰を下ろした。
「なんのつもり?」
「膝がそれじゃ痛むでしょ? 特別無料で貸してあげる」
見えなかったが、うーんと彼女の考え込む声が聞こえて、背中に不意な重量感が乗り掛かる。
「進め、少年! 今日は風のように日和だ!」
訳の分からない合図に応じて、僕は歩きだした。
誰かに背中をあげるのは始めてだったのだが、不思議と悪い気はしなかった。
つーか、いい加減に名前くらい教えろよ。おふざけでも、名乗るほどのものではないさんって呼ぶの長いから面倒くさいんだよ。
「僕の名前は、富山岳彦。莫大な“富„に、“山岳„の“彦„」
試しに名乗ってみると、僕の念が届いたのか、おとなしくしていた彼女は呟いた。
「ひよりだよ。
こんな性格だから、どんなぶっ飛んだ名前かと思ったら、案外可愛らしかった。
天根陽和さん、か······うん。何度思い浮かべても、妙にキュンとしてくる。
それに比べて僕は、富山岳彦。字面を見ればいかつそうなのに、自分でも呆れるほど名前負けしてる。
「悔しいな」
ポロっと出た弱音。聞かれたと思って、羞恥心から咄嗟に口をつぐんだが、天根さんは僕の背中をベッドと間違えているようで、ぐっすりと寝息を立てていやがった。
家に帰ってからも、これ以上無いくらいに面倒事の連続だった。
まず混乱していた両親に事情を説明して、天根さんに軽い治療を施した後で、彼女の自宅に連絡した。彼女の両親にも感謝と謝罪をされながら説明したが、天根さんの「こいつに口説かれた」という一言でまたややこしくなった。なんとか弁明して場は収まり、この日を境に、富山家と天根家は親しくなって、僕と彼女の距離も近くなってしまった。
どうやら、天根さんは僕のことを友達か何かだと思っているようだ。
「おっはよー、岳彦! いい登校日和だね! 一緒に行こ!」
家を出れば、天根さんが玄関前にて手を振って迎えてくるわ。
「へーい、岳彦! いいフリスビー日和だね! 一緒に遊ぼ!」
昼休みになれば、わざわざ教室まで駆け込んで外に引っ張り出されるわ。
「よーっス、岳彦! いい下校日和だね! 一緒に帰ろ!」
さらには昇降口で出待ちと。メジャーを巻き戻すばりに、一気に距離が縮んでいた。
休日でも僕の家にまで遊びに来て、毎日毎日、気づいたときには天根さんが傍にいるようになっていた。
こんな僕といて何が楽しいんだか、さっぱり分からない。ちょろちょろと素早く動き回る様は、まるでネズミみたいだ。
中学校生活が始まって半月、僕が接した同級生は天根さんだけだ。他に遊ぶ友達はいないのか?
よくよく考えたら、天根さんが僕以外の人と一緒にいるところを見たことがない。ただ見ていないだけならまだしも、休み時間に毎回教室を跨いで会いに来るのはさすがにおかしい。
この疑問を晴らすために、下校の話題として天根さんに訊ねようと思ったのだが、迂闊に動いたのが仇となった。
因縁というには煩わしく、宿敵と呼ぶには安っぽく、天敵と思うには至らない。
天根さんばかりに構ってたからほぼほぼ忘れてたけど、僕にはもう一人、というより対応が面倒くさい輩達がいたのを忘れていた。
「お前、最近付き合いわりぃじゃねーか。あ?」
小学生からお世話させてもらっているいじめっ子集団。これを率いている太っちょの名前、なんていったっけ?
他人の名前を覚えるのは苦手な方だけど、こいつらには本当にまるで興味無かったからな。そもそも、なんで僕はこいつらにつっかかられているんだ? 謎だ。
「おい、聞いてんのか、富山!」
ボーッとしててなにも聞いてなかった。
「そんなことより、僕は人を待っているんだ。用ならここで、手短に済ませてよね?」
「知るか、来いよ」
腕を捕まれて、そのまま校舎の裏に連れてこられた。
ごめん、天根さん。少し遅れそうだ。
「富山。お前、最近女子とつるんでるんだってな?」
天根さんのことかな? 彼女以外に関わりのある女子はいないし、そもそも同性の友達すらいない。
「それがどうかした?」
「中学に上がったからっていい気になるなよ? お前は俺らのおもちゃに変わりないんだ。忘れてねーよな?」
そんなこと、忘れる以前にそう認識した覚えすら無い。はちゃめちゃ言いやがって。
「なあ、あの女子を紹介しろよ。そうすりゃ、今回は一人一発ずつで許してやるぜ。痛いのはやだろ?」
「たーちゃん、ヒドイぜ。こいつがいじられ慣れてんの知ってて提案するなんて」
「いいじゃねーか。富山だって、いつもより少なくて済むんだから、優しい方だろ」
おいおい、勝手に他人の満足度を計るなよ。
早く天根さんに会って話したいのに、仕方がない。日を改めるか。
太っちょが先行し、拳を握って振りかぶった。
馬鹿の一つ覚えな構えにも見慣れて、どうすれば対処できるかはもう分析済みだけど。この数じゃ、太っちょをやっても意味は無さそうだな。
そう思って、溜め息をついたとき、太っちょの上から天根さんが踏みつける形で落ちてきた。鈍い悲鳴をあげて、太っちょは動かなくなった。
「お前ら、岳彦になにしようとしてんの?」
足元に気絶した太っちょがいるまま、天根さんはいじめっ子集団を睨んだ。僕から見たら彼女の背中しか見えなかったが、男子生徒の怯えようから、かなり威圧されているようだった。
集団のトップが、体型の劣る女子に容易くのされたんだ。正直、僕も久しぶりにビビった。
「次、岳彦に近づいたら、あなた達全員、こいつみたいにカーペットにしてやるからね!」
「ご、ごめんなさい! すいませんでしたー!!」
太っちょを抱えて、いじめっ子集団はそそくさと撤退した。深呼吸してから振り返った彼女の顔は、無邪気で晴れやかな笑顔だった。
「だいじょーぶ?」
「う、うん······」
今だけはいじめっ子集団に同情するよ。
「ん? どうかした?」
「いや。僕が言うのもなんだけど、きみってスイッチの切り替え早いな、って思って。っていうか、どっから出てきたん?」
「あそこ」
天根さんが指差す方向に目を向けると、窓があった。
「あそこって、あの窓から?」
「そう!」
「ちなみに、あの窓の部屋って」
「トイレだけど?」
御愁傷様です、太っちょくん。
ん? そうなると、天根さんは······。
「上履きのまま、来ちゃったの?」
「そうだね。あいつらが岳彦に迫ってたから、いてもたってもいられず」
「だからって無茶苦茶が過ぎるだろ。ったく、なに考えてんだか」
「なに言ってんの? それより、早く帰るよ。あんまり遅いと、先生に注意されちゃう」
そう言った矢先に、天根さんは指導室に呼び出された。予想するに、彼女の突飛な行動を目撃した女子の誰かが告げ口したのだろう。
自業自得と言いたいが、こればっかりは僕にも責任はある。そんな罪悪感がはたらいたのか、下校の途中に、僕は天根さんに謝った。
「ごめん」
「どうしたの、急に?」
「いや、なんか僕のせいで天根さんに迷惑をかけちゃったみたいで······その······」
こういう場面には慣れてないから、言葉が喉に詰まる。
「いいよ。そんなことしなくて」
「え?」
「そうしたいと思ったのは私の意思だし、あんたが謝る必要は無いんだよ。こんなのは、パーっと笑い話にしちゃえばいいんだから」
とことん明るいな。僕はそういう天根さんが羨ましいよ。それでもって、ズルい。
「それよりさ。なんで逃げなかったの?」
僕はすぐに答えられなかった。
「あんたならさ、あんな状況になる前にどうにかできたでしょ。なのに、なんでなにもしようとしなかったの?」
いざ聞かれると答えに迷うな。特に理由は無い気もするが、あの時はなんだかいつもと違った感じがした。
よく言い表せないが、ムカついたのだろうか。いや、今聞かれているのは対処しなかった理由だ。
こんなの問いの答えではない。
「どうでもいいでしょ。別に」
「別によくはないでしょ。一応、あんたのことなんだから」
「なら尚更別にだよ。天根さんには関係ない」
「ある」
「ない」
「ある!」
「ないって」
「あるってば! このバカ!」
「バッ!? なんで僕がバカ呼ばわりされなきゃならないんだよ! わけわかんねぇ!」
ムカついて振り切ろうとした瞬間、手を強く握られた。振り向くと、天根さんは目に涙を浮かべていた。
頬が赤くなるまで膨らませて、むー、と唸なりながら僕を見つめていた。
ヤバい。これはヤバいやつだ。
「なに、泣いてんの?」
「泣いてない! 泣いてなんかー!」
そう言いながら、天根さんは力強く涙を拭っていた。
アカン。アカンアカンアカンアカン、アカンてこれは!
とりあえず、河川敷に移動して天根さんが泣き止むのを待つことにした。余計なことを言うと、また罵声を浴びせながら泣くかもしれなかったから、なにもせずただ隣でそっとしていることしかできなかった。もどかしい。泣かせたのも僕だから、どうなんだろうか。
「落ち着いた?」
「······うん」
天根さんの目元と鼻が赤くなっていた。
どうしよう。かける言葉が見つからない。謝ったら、また何か拗らせそうだし、どこまでも扱いが面倒くさい。
「それでさ」
「············」
これから来る天根さんの問いかけに、僕は思わず身構えた。
「なんで、あんな奴らについて行ったんだよ。嫌なら、嫌って言えばいいじゃんか」
泣いた余韻か、天根さんの声は震えていた。
どう答えようかと考えていたのだが、言い訳をしようとしているみたいでアホらしくなった。
「僕がこんな性格になったのは、多分、死んだじーちゃんの影響かもね」
「え······?」
「死んだのは小4のとき。それまで、交流はあまり無かったんだけど、死ぬ一日前に、じーちゃんのとこにお見舞いに行ったときにさ。言われたんだよ」
「なんて?」
「『オメーはいつも暗ぇ面してんな。生きるのが辛いか? これから死ぬってぇ奴に、そんな面見せるたぁいい度胸だ。そんなお前に、いいことを教えてやる』」
思わず、口が震えた。これから先のことを言うのを、拒むかのようだった。
まるで鎖で繋いでいるようなこの言葉を、僕は噛みつくようにして強く歯を食い縛ってから続けた。
「『面倒になったら、流れに身を任せろ。威風堂々としてりゃあよ、どんなに辛ぇ人生も、死ぬときくらいは楽にならぁ』ってさ。僕は最初、この言葉の意味がわからなかった」
じーちゃんとの交流はそう多くない。幼少はまだ人見知りが激しかったようで、積極的に他人と接しようとは思わなかったからだろう。
会うようになったのは、入院したときからで、それでも会話するのは大体両親とだけ。僕は片隅でじっとしていた。
死ぬ前日に初めて、じーちゃんが僕にこの言葉をくれた。
「全然、意味がわからなかったんだ。わからないままこの言葉に従っていたら、こんなんなってた。意味を履き違えているのはわかってた。でも、これ以外の意味がどうしてもわからなかったんだよ。どんなに辛い思いをしても、じーちゃんの言葉にすがるとさ、周りのことがどうでもよくなるんだ。どうでもよくなったらさ、次には全部が全部灰色に見えて、もうどうしようとも思わなくなった。そんな感じかな」
僕は話し終えた。なんてことない下らない話。
いじめも、テストも、今日の夕飯のことも。何一つに衝動が起きない。ただ遺言に従って、のろのろとグレーライフを送ってきて、全然適当に生きている。ただそれだけだが、自分で言ってても明確にわかる。
「やっぱり······バカじゃん······」
口に出したのは僕ではない。隣にいる天根さんだった。
「あんたの考え方、そのじーちゃんの遺言の意味がわからないどころか、完全にクソの考え方だよ!」
「クソ!? 今度はクソか!」
「クソだよ! クソ! クソクソクソクソクソクソクゥーソォー!!」
早口に、次々に罵声を浴びせられた。しかも、さっきよりもかなり下品な単語で、駄々をこねるように天根さんは喚いた。
「うるさいな! 大体、なんで天根さんが割り込んでくんだよ!? そっちの方が謎じゃん!」
「うるさいのはそっちだよ! なんだよ全部灰色に見えてって! はぁ? なに全部悟ったような言い方してんだよ! ふざけてんの!?」
「ふ、ふざけてねーよ! 僕はただじーちゃんの遺言を考えて」
「考えてそれか!」
「それのなにが悪い!」
「悪い事しか起きてないじゃんか!」
天根さんの言葉がかなり刺さってくる。これ以上言い合いを続けてたら、余計に僕自身が惨めになる。
僕は天根さんに問いかけた。
「じゃあ、どうすればよかったんだよ」
「そんなの、私に言われたわけじゃないんだなら、わかるわけないでしょ」
即答。
ほら、他人に頼るのなんて愚の骨頂じゃないか。予想通りの返事だ。
「でも、そんなにわからないんだったらさ······――――」
その瞬間、いきなり通り過ぎた強風がうるさくて聞こえなかった。
「ごめん、もう一回言ってくれない?」
「······帰る」
「え? ちょ、ちょっと?」
急に立ち上がった天根さんは、河川敷の坂をそそくさと上がっていった。追いかけようと彼女の手を掴んだら、振りほどかれてしまい、その拍子にバランスを崩して転げ落ちた。
起き上がったときには、天根さんはとっくにいなくなっていて、追う機会を失った。直接家を訪ねる手もあったのだが、未経験の重石が乗っかかって動かなかった。
その日の蟠りは、以降も僕らの間に有り続けた。天根さんは休み時間になっても来ず、登下校も別々にするようになって、話すことはなくなった。
中学二年、僕と天根さんは同じクラスになった。溝はまだまだ深いままだ。
他の男子や女子、ましてや教師とも明るく話している彼女を見ていると、なんだかムカムカしてくる。やっぱり、僕は彼女にとって遊び相手の一人に過ぎなかったわけだ。
なんだろう、ポイ捨てされたオモチャの気分だ。辛いというよりも、悔しい。
別にどうだっていい。いつかのグレーライフが戻ってきただけなんだから、今さらどう思われようがどうでもいい。
そう思う傍ら、僕の目には、天根さんが接した相手はなぜだか心から笑っているようには見えなかった。多くが愛想笑いか、本人が離れたところで嫌そうな顔をしていた。
そして、昼休みには天根さんの姿が見えないことに気がついた。最初は気のせいだと思っていたが、トイレから出た際に偶然にも女子達の会話を盗み聞きしてしまった。
「あの天根ってやつ、授業が終わる度に声をかけてきて、鬱陶しいんだよね」
「わかる。ろくな用も無いくせになにしに来てんだか」
「あいつ、見た感じボッチみたいだったから友達ほしかったんじゃないの?」
「だったらもう少し態度ってもんをね?」
キャハハハハ、と彼女らの嘲笑が耳を擦ってきて、無性に殴りたくなった。それは壁に向けて落ち着かせ、僕は無我夢中に学校中を走り回った。先生の注意も、他の生徒の視線も無視して、心当たりのある場所を手当たり次第に天根さんを探し回った。
だが、いなかった。天根さんの姿は、どこにも見られなかった。
体育館、校舎の裏、校門前の並木。彼女の姿がどこにもない。
「ったく、どこに行ったんだよ。あのバカは······」
昼休みが終わるまで五分を切った。諦めて校舎に戻ろうと思ったその瞬間、僕の頭の中に差し込まれたように、何かがハッとなった。
「バカは、僕もだったね」
学校の敷地を囲うフェンスには、致命的な欠陥があった。体育館の裏手に隠すようにしてあり、昔誰かに切られたのか、そこにだけ中学生一人分が通れる程の穴がある。これを見つけたのも天根さんだった。
チャイムが鳴ったときには、既に僕は学校の敷地から出ていた。義務感の破綻を感じることなく、天根さんのもとへ走り出す。
改めて考えてみれば盲点、いや、戻りたくなかったんだと思う。あそこに行けば、分かり合えるのではないかと期待する反面、どうしようもない一線を越えてしまうのではないかと大袈裟に怖がってもいた。
どちらにしろ、動かなかった僕が一番悪いんだ。
横腹がズキズキするまで急いだ先は河川敷。川にかかった橋の下は、僕の灰色を拭う洗濯場だった。
「見っけ」
「······」
天根さんは踞っていた。小さく丸まって、まるで身を潜めるネズミみたいに。
「天根さん」
彼女からの返事はない。
「あーまーねーさん?」
何度呼んでも、彼女はこちらを見向きもしない。
「あ······」
これじゃ、ダメだな。
「いいかくれんぼ日和? 名乗るほどでもないさん」
「······!?」
やっと動いた。
やり直そう。あの時の邂逅から。
「僕は富山岳彦。見ての通り、どうしようもない冴えないいじめられっ子だ。今日も奴らにオモチャにされたランドセルを、きれいに洗ってるんだ」
「············」
「なんでこんなんになったかっていうと、死んだじーちゃんに引っかけ問題をくらって、大いに間違えたからなんだ。自分一人、無事に何気無く過ごしていれば、苦楽の半端なく、普通に、安らかに死ねるんじゃないかってさ。でも、思い返してみたら、すんげぇー退屈だったんだ。退屈で退屈で仕方がなくて、まともに考えられなくなってた。これじゃあ、いつまで経っても楽しいどころか苦しいままだ。だからさ······一緒に手伝ってくれないかな? 頼れるの、きみしかいないわけだからさ」
彼女の前に立って、僕は手を差し伸べた。
「僕の灰色でしかない人生を、きみに彩ってほしいんだ」
言い切った。すると、彼女の体は小さく震えだした。そして、顔を上げたときの顔は、
「ばぁー!」
なぜか舌を出して笑っていた。
「······へ?」
「アハハハハハハ!! 今さらなにを言ってんの! ほんと、あんたってブァッカじゃないの! アハハハハハハ!!!」
さらに抱腹絶倒し、羞恥心と怒りがこみ上げてきた。こんなに人を殴りたいと思ったことはない。
「アハハハ! 怒った怒った! ほんとバカみたい! でも、思い返してみたら、すんげぇー退屈だったんだ。退 はぎゃっ!!」
退屈で退屈で仕方がなくて、まともに考えられなくなって 結局、我慢ができなかった。
「メチャクチャ心配したってのにこれかよ。ああ、授業サボっちまったし、さっきまでの気合いと体力を返せよ」
「いやだ」
「あ?」
「せっかく見つけてくれたのに、返すの勿体ないじゃん? なんなら、このまま学校が終わるまで一緒にいてよ、岳彦」
生まれてこの方十四年、女子にいけない遊びに誘われるとは。中々、悪くない背徳感だ。
その後、学校に戻ると、親も呼び出されて担任及び生活指導の先生にこっぴどく叱られた。それから、生まれて初めて補習を受けた。
他が言うほど息が詰まったかと聞かれれば、不思議とそうではなかった。
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