20 ねずみ



「こんにちは。」


にこやかに笑いながら入って来たのは男女二人だった。


「いらっしゃいませ。」


客はどちらも中年だ。

女性は地味なワンピースで男性は背広姿だ。

だがそのワイシャツの首元は少し歪んでいた。

彼らは店の中をぐるりと見た。


「ご用件をお伺いしましょうか。

ご覧になるならご自由にどうぞ。」


二人はにこにこと笑っている。

何か妙だ。


「わたくし達、商店街の方から来ましたの。」


女性が笑いながら言った。


「あの、商店街の方でしょうか?」


黒高が所属している商店街の人を彼は思い出す。

だがこの二人はいなかったような気がした。


「このお店の噂をお聞きしてお力になれると思って

お伺いしたのです。」


男性も笑いながら言った。

柔らかな表情だが細めた目の奥は笑っていない感じがした。

妙に前歯が大きな男性だ。


「お困りでしょう?

何やら不思議な現象が起きるので売り上げが

なかなか伸びないとお聞きしました。」


黒高はぎょっとする。

確かにここでは奇妙な事は起きている。

だが別に困ってはいない。


「困っていませんが……、」

「いいえ~、ここは店がなかなか続かないとお聞きしましたわ。

いわく付きなのでしょ?

お店も続けるのが大変とお聞きしましたので、

売り上げのお手伝いが出来ないかとお伺いしましたの。」

「そうです、私も分かります。

このままではいけません。ご相談に乗りますよ。

これらのものを店頭に置きませんか?」


男性は鞄から分厚いカタログを出す。

そこには様々な商品が載っている。

定価が書いてあり、原価も記載されている。

二人は少しばかり前のめりになって話し出した。


「これらをお店に置いて売れれば

その何パーセントかをお渡しできると思いますの。」

「ここからまた販売できる方を

紹介していただければまた手数料として

いくらかお渡し出来ますよ。」


黒高はぴんと来た。

これはいわゆるねずみ講だ。


その時、バックヤードから白高が出て来た。

彼はにやにやと笑っている。

そして彼らと黒高の間に立った。


黒高からは彼らは見えなくなった。

だがその二人はお構いなしで喋り続けている。

彼らにはなにも見えないのだろう。

白高は黒高に振り向くと二人に向かって尻を振った。

黒高にはアッカンベーをしている。

それでも二人は一生懸命喋っていた。


黒高は笑わないようずっと我慢していたが、

ついに笑い出した。


「えっ?」


その時白高がそこから移動する。

ぽかんとした表情の二人が黒高に見えた。

そして店の外に人が立っていた。

黒高はそれに気が付く。


黒高は二人ににっこりと極上の笑顔で笑いかけた。

そして扉に近づきそれを開いた。

すると外にいた人がするすると入って来た。


「お連れの方がいらっしゃったようですね。」


入って来たのは母親と小さな子の親子連れ、年配の老婦人だ。

だが喋りまくっていた二人には何も見えていないようだ。

ぽかんとした顔をしている。


「お子さんを連れたお母さんですね。

この子はとても痩せている。

十分に食べていないのでしょうか?可哀想に。」


二人は顔を見合わせた。


「もう一人は年配の女性ですね。

こちらの方もとても悲しそうな顔をしている。」


年配の女性は口をパクパクと動かしていた。

黒高はそれを読み取った。


「生きておられる方の様です。生霊?残留思念でしょうか。

あなた達が連れて来たのですね。

全然売れないから止めたい、お金を返して欲しいそうです。」


二人の顔が一気に青くなった。


「こちらの奥さんも手数料が高くて利益が少な過ぎるとか。

ご主人との間もぎくしゃくしているようですね。」


何故黒高は自分がそんな事が分かるのかよく理解出来なかった。

ただ確かにこの人達が見えるのだ。

そして彼女達がどのような目に遭ったのかそれが見えた。

この親子と老婦人は色々なものをこの二人に

売りつけられたのだ。


「な、何を……、適当に言ってるだけでしょ?」


女性の唇が少し震えている。


「適当ではありませんよ、わりと最近の話ですね。」

「嘘よ!」


黒高は女性を見た。


「この店は確かにそんなに売り上げはありませんが

困っていません。

それに噂と言っても昔はあったようですが、

今は商店街の方々はそんな話はしていませんよ。」


女性は黙り込んでしまった。


「まあ、あなた方が今この状況が理解出来るかどうかは

分かりませんが、妙な店なのは確かです。」


と黒高は苦笑した。


「でも本当に妙なのが分かる人なら

ここに来ないと思いますよ。」


そしてふっと黒高は鶴丸が前に言った事を思い出した。


― すまん、俺はこの店には入れん。


それは店を開店する少し前でまだ白高は現れていない。

だが鶴丸はそんな前から分かっていたのだ。

この場所が普通ではないと。


鶴丸はそのようなものが分かる人だったのだ。


黒高は二人を指さした。


「 閉じるかクローズ 契約するかクローズ 」


彼の声の調子が変わる。

二人はその指先を吸い込まれるように見た。


「あなた方は口先で人を操り物を売りつけて

金銭的な利益を得ている。

先程は商店街の方から来たとおっしゃったが、

それも相手を勘違いさせる一つのテクニックだ。

ただその方向から来たと言うだけなのでは?」


二人はぽかんとしてこくこくと頷いた。


「あなた達がどれほどの人を騙したのか隠しても分かります。

なのであなた達は契約しなければいけません。」

「契約……?」


男性が震える声で言った。


「そうです。罪を償わなければいけません。

ここで終わりにして閉じる事は出来ません。」


黒高は二人を見た。


「商売は人に物を売る事です。

ですが騙してまで売ってはいけない。」

「でも私達も生活がある……、」


女性が呟くように言った。


「ちゃんとした商売なら問題は起きません。

だがあなた方がやっているのはねずみ講だ。

違法であり、あなた方はそれを良い事に人の金をくすねている。」

「くすねてはいないわ!」


女性は叫ぶ。

黒高はその後ろに母親と子どもの姿を見た。






「これがこの前の売り上げですよ。」


と女性が母親に封筒を差し出した。

母親はそれを受け取る。


「硬貨しか入ってないわ。」

「仕方ありませんわ。

売り上げがいまいちですから。

それで先日お送りした商品の代金を頂かないと。」

「もう、止めたいのです。

友達に売るのももう限界です。主人も怒っています。」

「せめて送った物の代金は貰わないといけません。

お金を払わないと横領か、詐欺か、困りますねぇ。

お子さんもいらっしゃるのにねぇ。」


男性が少しばかり冷たく言った。

母親の顔色が変わる。


「銀行振込ではいけないのですか?」

「ダメですね。

私達は直接あなた方と会いたいのですよ。

商売は信用ですからね。

それに今まで現金で渡していたじゃありませんか。

今更それを言い出したら前の支払いも詮索されますよ。

それで良いのですか?」


母親はがっくりと肩を落としてしばらく黙っていた。

男女二人はただ見ている。

やがて母親はうなだれたまま奥の部屋に行った。

その奥に段ボールがいくつか置いてあるのが見えた。


そして何度か使ったような封筒を持って来た。

彼女は黙ってそれを差し出した。

それを受け取った女性が中身を確かめて

にっこりと笑った。


「はい、確かに受け取りました。」

「……もう送って来ないで下さい。」

「そうですねぇ……、」


はぐらかすように男性が言うとさっと席を立った。


「では頑張ってくださいね。」


にこにこと二人は笑って家を出て行った。






黒高は目の前の二人を見る。


「また送り付けるつもりでしょ?

そして支払いを銀行振込にしないのは

金銭のやり取りがあった証拠を残さないためですね。」


二人は返事をしなかった。

それを見て黒高は指を振った。


ふと二人は気が付いた。古い団地の前だ。


「……ここは。」


今日午前に二人がやって来た団地だ。


そしてそこに小さな子を連れた母親が俯きながら歩いて来た。

彼女がふと顔を上げると二人と目が合った。

彼女は商品を送りつけている母親だ。


「……あ、」


母親が少し声を上げたが、

しばらく三人は黙ったまま立ち竦んでいた。


「お母さん、どうしたの?」


小さな子が母親を見上げて言った。

ずいぶんと痩せた子だ。


その声を聞いて気が付いたのだろうか、

二人組の女性が鞄から封筒を出した。

使い古されたあの封筒だ。

それを女性は母親の手に握らせた。


「あ、これってさっきお渡しした……、」

「いらないわ。

あの、返したから、私は返したからね。

商品ももう送らないから。」


と女性は早口で言い、そこから離れようとした。


「お、おい、」


男が焦った顔で女に言った。

周りから鋭い目つきの背広の男が何人か近づいて来たからだ。

その気配に何かを感じたのか母親は連れている子どもを

守るようにすぐに抱いた。


「さっき警察の人が来たの、あなた達のことを聞いたわ。

どうしてなのか分からなかったけど……、」


男女二人組は身動きできなくなった。

そしてどうして今ここにいるのか分からなかった。




今朝、本部からリストを渡されて書いてある所に行って

集金しろと言われたのだ。

目の前にいる母親とはもう何度も会っている。


最初は母親は内職感覚で始めたようだ。

ネットで見たと。

二人は彼女の担当だと伝えて色々とアドバイスをする。


何しろ彼女が売り上げをあげれば自分達も潤うのだ。

そう言うシステムだ。

懇切丁寧にやり方を教えてどれだけ儲かるか、

まるで夢のようだと教えた。

そして最初は彼女はやる気が満々だったが

だんだんと元気がなくなっていった。


そして最初から支払いは全て手渡しだ。

税金もかかりませんよ、すぐお金が手に入りますよと言えば

相手は簡単に落ちる。

本当はいけない事だ。

それは母親も知っている。


そして困り切っている今、

それを元に脅すように言えばお金は出る。

相手の夫婦関係や友達などどうでも良い。

始めたのはあの女だ。


次には老婆の所に行き話を聞いた。

その後は昼になったので封筒から少し抜いて二人でランチを食べた。

テレビなどで話題の店だ。


そして次に行った所は……、

二人には覚えがなかった。


だが今は強面の男達が近くにいる。


「少しお話を聞かせていただけますか?」


女性は一緒にいた男性を見た。

彼の顔は真っ青だ。

多分自分もそうだろう。


「あなた方が属している本部にも捜査の手が入っています。

それで関係者にもお話を伺っているのですよ。

よろしければ一緒に来ていただけるとありがたいのですが……。」


強面の男はにこにこと愛想よく言った。

だがその目の奥は鋭い。

二人は何も言えなかった。

ただ彼らに着いて行くしかなかった。






「面白かったなあ!」


白高がげらげらと笑っていた。


「オレ様のかっけーケツの前でべらべら喋ってやんの。」


それを聞いて黒高が苦笑いをした。


「もうふざけるなよ。」

「何を言ってんだ、お前だって笑ってただろ。」

「それは、その、」


黒高は口ごもる。


「でも黒、どうだった。初めてだろ、あれやったの。」

「どうって?」


白高はさっと指を差し出した。


「 閉じるかクローズ 契約するかクローズ 」


黒高は彼を見た。


「……あれはなんだろうな。」


白高はその指を自分の頭に当てて撃つ真似をした。

彼は白目をむいて舌を出しふざけた。


「確かに勝手に口から言葉が出て来る。それに何かが見える。」

「あいつらは何をしていた?」

「お金を集めていたよ。いわゆるねずみ講だ。違法だよ。

人を集めれば集める程自分達にお金が入る。

でもいずれそれは破綻するんだよ。

まああの母親や老婆もお金に目が眩んでいたけど、

吸い上げられた方が多かったからな。

もう二度としないだろうな。」

「金か……。」


白高がふっと遠くを見る。


「金は怖いな……。」


黒高は彼が持って行った5万円の事を思い出した。

それを彼は何に使うつもりだったか。

想像はついたが今更聞く気にはならなかった。

あの時の面影は今の白高にはない。

一緒にモデルをしていた時の健康な彼だ。


黒高は今それを聞き出して何かが変わるのが嫌だった。

白高がまたいなくなるかもしれない。

それが黒高は一番避けたかった。


ふと黒高は満知が持って来たシャツを見た。

襟元がきちんとした立派なシャツだ。

どうも満知が持って来た物は自分が行う何かに

関係しているらしい。

彼はふと先程ここにいた中年男性の襟元を思い出した。


彼のワイシャツは首回りのサイズが合っていなかった。

小さいのだ。

苦しくて第一ボタンをはずしてネクタイをしていた。

だから崩れていたのだ。


「ちゃんと聞いてくれたらサイズの合うシャツを

選んだのになあ。」


黒高は呟く。

白高にはその意味が分かった。


「そのシャツ、もったいないぞ。」

「え?」

「あの男にはもったいない。売っちまえよ。」

「良いのかな?」

「いい、いい、オレ様が許す。」

「オレ様って勝手に売ったらまずいんじゃないか?」

「相変わらず心配性だな、パッといけよ。」


と白高が笑った。

こう言うところが彼は憎めないのだ。

黒高は苦笑いをするとそのシャツを畳み直して

売り場に並べた。


黒高はふと男の顔を思いだした。

大きな白い前歯だ。

あれはねずみに似ていると思った。


ただの偶然だろうが、少しばかりぞっとした。




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