21 満知 1




満知まちの母親、仁織にしきはモデルだ。

満知を産む前からそれをしている。

そしてタレントとしての仕事もしていた。


満知が小学6年生の時だ。

その日は日曜日だ。

彼女が起きると台所で仁織がコーヒーを飲んでいた。


「あ、お母さん、今日は休み?」


満知が高学年になると仁織は仕事を増やした。

子どもが大きくなるとお金がかかると言う気持ちからだろう。

仁織は夫と死別したシングルマザーだ。


「あー、そう。久し振りかな。」

「そうだよ。」


満知は嬉しそうに彼女の横に座った。

仁織は満知の朝食の準備を始めた。


「ちょうど良かった、学校から宿題が出てたの。」

「宿題?」

「うん、自分の名前の由来を調べなさいって。

おじさんに聞こうかなと思ったけど聞きにくくて。」

「聞けばいいじゃん。」

「でもさあ、」


満知はそろそろ思春期だ。

男の鶴丸とは話がしにくい感じがしていた。

元々鶴丸も愛想のよいタイプではない。


「お母さんの方が良いもん。」


少しふくれた様子で満知は母親を睨んだ。

仁織が苦笑いをする。


「あー、分かった、分かった。

じゃあご飯を食べながら話そうか。」

「うん。」


満知は嬉しそうに返事をした。


「私の名前は誰がつけたの?」

「パパだよ、晴人はると

知が満ちるように、要するに賢く生きて欲しいって事かな。」

「お父さんって大学にいたんでしょ?」

「そうだよ、研究職。」

「でもお母さんはタレントでしょ?どうやって知り合ったの?」

「番組でさ、理系なんて縁がない女の子に

科学とは何かと教える企画があってさ、

その時に晴人がいた大学に取材に行ったの。

で晴人が案内役だったんだよ。」

「へえー、」

「でさ、晴人は白衣を着て眼鏡をかけててさ、

すっごい神経質そうで気難しそうで、カッコ良かった。」

「えっ?」


仁織が胸元で手を合わせて身をよじった。


「神経質そうでしょ?良いの?」

「白衣よ、賢そうでいいじゃない。

それでさ、お母さん、仕事が終わったので

お茶でもしませんかって言ったの。」

「逆ナンしたの?」

「そうよ、満知もそれぐらい積極的にならないとだめだよ。

でも晴人は断ったのよ。時間がありませんって。

お母さんびっくりしちゃってさ、私が誘ったのに断るのかって。」

「……自信満々。」

「そうよ、そうでなきゃモデルとかタレントやってらんないわよ。

だからその後時々大学に事後取材とか言って何度か行ったの。

そしたらさすがに根負けしたらしくて、

大学の学食でお茶したの。」

「外じゃないの?」

「その時本当に忙しかったらしくて

教授みたいな人が一度行って来いって言われて仕方なくよ。

でもお母さんすごく嬉しかったなあ。」


仁織がにっこりと笑った。


「でもその時にどうして時間がないのかって話してもらった。」

「忙しいんじゃないの?」

「前に満知にも話したでしょ、晴人の病気。」


満知ははっとする。


「僕は二十歳はたちまで生きられるかどうかと言われていましたって言うの。

お母さんびっくりしちゃってさ、

ぽかんとしていたら

僕は今27歳です、7年余分に生きています、

でもいつ死ぬか分かりません、

やりたい事はまだたくさんあるんです、

だから時間がないんですって言ったのよ。」


仁織が少し遠い目をした。


「お母さんはただ晴人が好きで大学に何度も行ったけど

そんな事情があるとは知らなかったの。

でもね、その話をした後にも大学に行ったの。

そうしたらもう来ないかと思ったと晴人が言ったのよ。」

「それでお母さん、なんて言ったの?」

「晴人さんが好きだから何度も来ますって。

要するにお母さん

お父さんに一目惚れしたんだよね。

その話を聞いてもっと好きになった。」


仁織がへへと笑った。

母親が娘にする話としては生々しいかもしれない。

だが満知は嫌な気はしなかった。

仁織は素直に話しているからだ。


「それからもう押せ押せよ、

何だか私が助けなきゃと言う気持ちになっちゃって。

こんなに真面目に生きている人が

そんな重いものを抱えているのが可哀想でさ。

半年ぐらいで結婚しちゃった。」

「お父さん何か言ってた?」

「負けたって。」


二人はげらげらと笑った。


「でも満知がお腹に入ってしばらくしたら

急に晴人の様子が悪くなって来てさ、

あんたが生まれて3ヶ月したら死んじゃったんだよ。」


満知には父親の記憶はない。

写真やビデオで見ただけだ。

まだ首も座っていない満知を痩せた父親が

抱いている映像を思い出した。

眼鏡をかけて優しく笑っている顔だ。


「晴人は死ぬ前に言ったんだよ、

僕は結婚するなんて考えていなかった、

でも仁織が奥さんになって満知も生まれて

こんなに幸せだと思った事はないって。

知らない事を沢山教えてもらって僕は満足だって。

それを聞いて私もこの人と結婚して良かったなと思ったよ。

そんな人がつけた名前が満知。

知が満ち、満ちて知るって事よ。」


満知の胸がぎゅっとなる。

仁織がそんな彼女を見てふふと笑った。


「これで宿題はオッケー?」

「あ、うん、オッケー。」

「でもさ、」


仁織が腕組みをして難しい顔をした。


「自分は満足だけど勝手に死んで我儘よねぇ。」


満知があっけにとられた顔になる。


「えっ、さっきまですごく良い話だったじゃない。」

「そうよ、でも子どもって生まれてからがマジで大変なのよ。

あの時緋莉や兄さんがいなかったらどうなっていたか。

本当にその頃の記憶が無いわ。」


仁織が顔をそらせた。


「もっと長生きすればよかったのに。」


その時の仁織の感情は満知には理解出来なかった。

いい話をしてその後に憎まれ口を叩く。

そして母の顔は寂しげだ。


「ならお母さん、再婚すれば良かったじゃない。」

「え?まあそうだよね。

でも晴人以上の人じゃないと嫌だな。」

「お父さん以上の人?」

「知力財力性格良し、その上見た目も良くないとね。」

「なにそれ。」

「あんたも結婚する時はしっかり見極めなよ。

好きな人と結婚しなよ。」

「お母さん、さっき知力とか財力とか言ったじゃん。」

「そうだっけ?」


と仁織はははと豪快に笑った。

その時だ、仁織のスマホに着信が来た。

彼女はすぐにそれを受けた。


「はい、そうです。

……ええ、すぐ出られますよ、分かりました。

一時間後に伺います。」


彼女は電話を切る。

満知は彼女を見た。


「……仕事?」

「そう、急用で予定していた人が出られなくなったんだって。

だから行く。」


満知の顔が暗くなる。

仁織はそれを見て彼女の頭に触れた。


「お母さんの仕事はこういう仕事なの。

それにお母さんか行かないと困る人がいる。

それも助けたい。」

「でも……、」


満知は久し振りに仁織と会った。

そして今日は仕事がないと言ったのだ。

なのに彼女は家を出て行く。

また一人だと満知は思った。


仁織は満知をそっと抱き寄せた。


「満知は晴人にどんどん似て来た。

満知を見ると思い出すよ。」


仁織はとてもいい香りがする。

満知は一度ぎゅっと母親を抱くとすぐに離れた。


「行って。」


それを聞いて仁織はにっこりと笑って準備のためか

別の部屋に行った。


満知は仁織に良い様にごまかされた気がした。

そうしなければいけない事情も理解していた。

仁織は使われる側なのだ。

仕事が無くなれば終わりだ。


一時期満知もキッズモデルとして仕事はしていた。

しかし、それは彼女の性に合わなかった。

辞めてしまった。

そしてその仕事を母は続けて満知は残される。

だが二人は生きていかなくてはいけない。

そのための仕事だ。

だから満知は我慢をしなくてはいけないのだ。


その時階下のシャツ店から鶴丸が上がって来た。


「なんだ、西亀は仕事か。」


満知はじろりと彼を見た。


「……うん。」


不機嫌そうな声だ。

それを聞いて鶴丸が戸惑った顔になった。

満知は鶴丸にも気を使わせている事は分かっていた。

だがそれがうっとうしいのだ。


何もかもが自分の思う通りにならない。

ほんの僅か母と気持ちが通じてももう母はいない。


彼女は一人ぼっちのような気がしていた。






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