33 一年




一年が経った。

クローズ・西村川の土地には新しい3階建ての建物が建っていた。


その前で黒高と鶴丸、商店街の会長が立ち話をしていた。

先程ここの看板が付いたのだ。

入り口の横に縦の看板だ。

そこには『シャツ工房・将五』と立派な字で書いてあった。


黒高と鶴丸は胸元にシャツと書かれた新しいエプロンをしている。

以前鶴丸はくたびれた同じようなエプロンを付けていたが、

さすがに新調したらしい。


「なかなか格好良い看板じゃないか。」


会長が腕を組んで偉そうに言った。


「書いてくれた人が人だからな。」

「あの綺麗な兄ちゃんか、

建てる前に地鎮祭をやった時にも来たな。」

「あの人には世話になりっぱなしだよ。」

「あの時も餅をまいたな。

みんな集まって大変だったな。

またうちのかーちゃんが大騒ぎでさあ。」


会長がにかりと笑う。


「じゃあ、俺行くわ。

開店日には商店街から花を送らせてもらうよ。」

「おい、茶ぐらい飲んでけよ。」

「カイチョーは案外と忙しいんだよ、またな。」


と会長は急ぎ足で行ってしまった。

その時店から満知が出て来た。


「あれ、会長さんは?」

「行っちまったわ、忙しいんだと。」

「せっかくお茶を入れたのに。」


満知がぶつぶつと言う。


「仕方ないよ、鶴さん、お茶飲もうか。」

「そうだな。」


と皆は中に入った。


満知はすっかり回復していた。

そして寝たきりの時に配達の仕事をしていた事は

なぜかほとんど忘れていた。


満知が退院してしばらくして黒高は彼女に配達の話をした。


「えーと、なんだろ、そんな事があったような、

なかったような。」

「病院の屋上で話しただろ?」

「あー、築ノ宮さんとこれからを話したのは

覚えているけど……。」


彼女にとってはそれは濃い夢のようなものだったのかもしれない。

夢は大抵起きた途端に何かを見た覚えはあっても

その内容はほとんど忘れてしまう。


それに彼女にとっては過ぎてしまった事より、

これからが気がかりだった。

彼女が入院していた6年と言う時間は、

思ったより彼女を現実から遠くに置いてしまった。

満知は追いつかなくてはいけないのだ。

そちらの方が彼女にとっては重大な事だ。


満知の仕事は屋上で話した時に終わったのだ。


もしかすると築ノ宮が何かをしたかもと

黒高は思ったが彼は全てを覚えている。


築ノ宮は黒高には何もしないと言った。

黒高がたった一人全てを覚えていれば

あの出来事はそれで良いのだと彼は思った。

築ノ宮は満知には何もしていないだろう。


「でも黒ちがわーわー泣いていた事は覚えてる。」

「えっ!」

「なんで泣いていたのか分からないけど、

鼻水垂らして子どもみたいに泣いてたよね。」

「あ、あれは、その……、」


黒高がしどろもどろになり恥ずかしいのか真っ赤になった。

それを見て満知はにやにやと笑った。

だが何故か黒高にはそれは嫌な気はしなかった。

満知はにやにやしながらでも、

彼の手にそっと触れて優しく握ったからだ。




店内は以前のクローズ・西村川とはかなり違っていた。


シャツの売り場はあるが以前の半分だ。

そしてその残り半分とバックヤードを一緒にしたスペースが

シャツ工房で何台も工業用ミシンが置いてあり、

その奥には布などの備品の棚がある。

真新しいトルソーも何台か置いてあった。


「まあ大方片付けたからな、

そろそろ仕事にかかっても良いかな。」

「そうだね、注文も溜まってるし。」

「でも第一号はあの人のシャツだ。」

「そうだね。」


黒高が笑う。


「でもシャツ専門店で大丈夫なの?」


満知がお茶を出した。


「大丈夫だよ、まず鶴さんのシャツは有名だし。

そのシャツはここで売るしオーダーもここで受ける。

一応ネットでも注文を取るから。」

「借金もあるからな、しっかり働かんとな。

黒太、お前もがっつり働かんと。」

「だよな、今回は鶴さんに結構出してもらったからな。」

「おうよ、俺がオーナーみたいなもんだ。」


鶴丸は高笑いした。


以前鶴丸が店を開いていた建物はやはり白アリの被害で

危険な状態だった。

築ノ宮の伝手でそこを取り壊すこととなった。






「やはり黒高さんと満知さんがおっしゃったようにされるのが

私はベストと思いますよ。」


屋上で黒高と満知が話した後、

二人は病室で築ノ宮に考えたことを相談した。


「黒太の店の跡地に店を作るってか……。」


鶴丸も黒高から話を聞いたのだ。

黒高は鶴丸を見た。


「そうしたい。

でも僕はもうあまり蓄えが無いんだ。

だから鶴さんに助けて欲しい。」

「それにおじさん、さっき言ったじゃない、

お風呂の床が抜けたって。

水回りがそうなっちゃうってかなりまずいんじゃないの?

そこだけ直しても白アリが出たんでしょ?」

「んまあ、それは築ノ宮さんの伝手で

調べてくれるというけど、」


三人が話しているのをなぜか築ノ宮は興味深げに見ていた。

皆ははっとして彼を見ると、彼はははと笑った。


「いや、すみません、なんだか良いなあと思って。

家族でそう言う話をした事がないので。」


三人はなぜか恥ずかしそうな顔になった。


「ならば将五さんのお宅を一度調べて

だめなら黒高さんの土地にシャツ店をと言うのはどうですか?

私も将五さんのシャツが手に入らなくなると困るんですよ。」


鶴丸が築ノ宮を見た。


「将五さんのシャツは私の勝負服ですから。」


築ノ宮はにっこりと笑った。


結局全ては彼の言う通りになった。

将五シャツ店はもう手の施しようがなかった。

壊される事が決まり、しばらくシャツ店は別店舗で仮営業となった。

あの商店街で空き店となっていた不動産屋だ。

黒高は不思議な縁を感じた。


その間に黒高は退院し、満知もしばらくして退院した。


商店街の店には住居もあったのでそこで三人は生活をする。

鶴丸の店の土地は売られた。

鶴丸は少しばかり寂しそうだったが、

新しい店の足しにしてそれを作らなくてはいけない。

その準備で皆は目が回るような忙しさだった。


そして新店舗は完成した。

すぐに引っ越しとなり、また忙しい日々だ。

そして後一週間で開店となった時に、

築ノ宮から看板が届いたのだ。


「しかしまあ、本当に築ノ宮さんはえらく目をかけてくれたなあ。」


鶴丸が感心したように言った。


「そうだね、至れり尽くせりだよ。」

「その恩に報わないかん。」


鶴丸は真剣な顔で言った。

黒高も彼を見て同じように感じていた。


この店を立てる時も築ノ宮は色々と便宜を図ってくれた。

だが、金銭に関しては一切口を出さなかった。

彼は余計な事は何も言わず、ただ見守っていたのだ。

それは鶴丸や黒高と満知が決める事だからだ。


「立派な人だよ。」


鶴丸はそれを聞いて微笑んだ。




そして樒に関する事も全てその頃は終わっていた。


樒は強盗致傷の罪に問われた。

そしてあの時は薬物も使用しており、

黒高の所に行ったのも復讐行為なのがはっきりしていた。

火災が起きたのも彼のせいだと考えられた。


裁判の時に黒高も何度か樒を遠くから見たが

彼はすっかり様子が変わり、

顔色も悪く体は以前の半分もない感じだった。

彼は黒高が証言している時も顔を上げる事無く、

何かを聞かれてもぼそぼそと返事をするだけだった。


「ありゃ、体が相当悪いんじゃないか。」


黒高を心配してついて来た鶴丸が言った。


「ま、なんにしても、」


彼は腕組みをして難しい顔をした。


「薬物は絶対にいかん。人を狂わせる。」


黒高も頷いた。

それさえなければ白高も死ななかったかもしれない。

とてつもない快楽の果てはやはり破滅しかないのだ。


樒は結局悪質さで無期懲役となった。

次から次へと隠れた悪事も明るみになったのだ。

もう黒高は樒と会う事はないだろう。




「黒ち、そう言えば布って注文したの?備品も。」


満知が奥の棚を見ながら黒高に言った。


「あ、そう言えばまだだ。」

「早くしないと間に合わなくなるよ、

何枚か作るんでしょ?タグは間に合うの?」

「ああ、それは頼んだよ。

シャツも在庫の布で何枚かは作ったから。多分大丈夫。」


黒高が言い訳するようにへへと笑った。


満知にとって黒高は何でも完璧にするイメージがあった。

だが一緒に暮らして案外と抜けているのに気が付いた。


色々とあったからかもしれない。

前と印象が少し変わったのだ。

そして満知は思い出す。

病院の屋上で子どものように泣いている彼を。


そんな黒高を見たのは初めてだった。

大人なのにあんなに泣くとは。

そして泣いた後に袖口で顔をごしごしと拭いた。

子どもっぽい仕草だ。


満知の口元が少し緩む。


「ほっとけないよね……。」


満知は母の仁織が言った事を思い出す。


― 私が助けなきゃと言う気持ちになって……、


そうして仁織は体の弱い晴人はるとと結婚したのだ。

満知はその言葉は今は少し理解できる気がした。


「タグって言えばお前のブランドは『黒白』か。」


鶴丸が黒高に言った。


「うん、『くろしろ』だよ、それでタグの地の色は緋色。」


鶴丸がにやりと笑う。


「かっけーな。」

「うん、かっけーだろ。」


黒高もにやりと笑った。






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