32 助けられた者




黒高が動けるようになりリハビリを始めると、

そのリハビリ室で彼は満知と会った。

黒高は松葉杖だったが満知はまだ車椅子だった。


「はずかしい……なあ。」


満知はまだ声が上手に出ないようでかすれていた。


「いや、なんか、久し振りだな。」


と黒高が言うと満知は恥ずかしそうに笑った。

その様子は店に配達に来た彼女より大人びて見えた。

あの時の彼女は派手な服を着て16、7歳ぐらいに見えたが、

今の満知は22歳だ。


黒高と満知は毎日リハビリ室で会った。

多分病院側がそうしたのだろう。

その魂胆は黒高も分かっていたが、

毎日満知に会えると思うと黒高も励みになった。

満知もそうだろう。

二人ともどんどんと回復する。




ある日ある程度黒高が歩けるようになった頃、

彼は満知に言った。


「なあ、屋上に行かないか?」


満知がはっと黒高を見る。

近くにいた理学療法士にそれが聞こえたようで

ヒューと声を出す。

満知がちらとその先生を見た。


「満知さん、デートか。」

「もう、止めて下さいよ。」


だが満知もまんざらではない顔をしている。


「黒高はもう車椅子は押せるだろ?」

「行けますよ。」

「行って来いよ、今日は天気もいいし、

屋上は気持ちが良いぞ。」


と彼は言う。


「黒高、せめてお茶は奢ってやれよ。」

「分かってますよ。」


二人は軽口を叩いた。




屋上は明るく遠くまで見渡せた。

日陰に入れは気持ちの良い風が静かに吹く。

黒高は満知にペットボトルを渡した。


「ごめん、まだ手に力が入らなくて開けられない。」


満知が黒高に言う。


「ごめん、気が付かなくて。」


満知はまだ車椅子だ。

黒高は杖なしで歩けるようになった。

思ったより治りが早い。

肩の骨折もひびが入った程度でギプスは取れていた。


黒高はベンチに座った。


「満知と色々と話がしたかったんだ。」

「……私も。」


満知は両手でペットボトルを持ちお茶を飲んだ。


「満知は6年間ぐらい寝ていたけど今はもう大丈夫?」

「うーん、まだ少し変な感じがするけど、

鏡を見たら顔が違っていたからびっくりしたよ。」


満知はもう確かに大人の顔だ。

黒高は彼女の横顔越しに屋上からの景色を見た。

街の諠譟が微かに聞こえた。


「それより黒ち、私は結構憶えてるよ。」


と彼女は真剣な顔で黒高を見た。


「憶えてるって?」

「私は仕事を、配達をしていた。」


黒高は驚いた。


「どこかから服を黒ちの所まで配達してた。

意識が戻ってから夢かもと考えていたけど、

何だかずっと眠っていた気がしないの。

だから6年経っていたけどその時間が飛んだ感じじゃない。

それにおじさんからお店の事件の話を聞いて、

やっぱりあれは夢じゃないんだと思った。」


満知は真剣な顔で黒高を見た。


「多分私は黒ちに伝えなきゃいけないんだと思う。

白ちが言った事。

そこまでが私の仕事なのよ。

だから今日誘ってくれて良かった。」

「白は、白はなんて言っていたの?」


満知は空を見る。


「……緋莉と仁織さんから頼まれた。

ここに来たのは黒を助けるためだって。

黒高を助けて全部終わりにして満知を帰してくれって。

生きてるのはもう黒高だけだからって。

私も黒ちを助けるために来たらしいの。」


黒高は息を飲んだ。


「助ける、って……。」


黒高はあの仕事をしているのは

白高を助けるためだと思っていた。

自分も何かしらの罪は犯したが白高の方が罪は重い気がしていた。

だから自分が彼を助けなくてはいけないと。


だが実際は白高は黒高を助けるためにやって来たのだ。


「白ちはこうなったのは自分のせいだとも言っていたわ。

だから絶対に助けるって。」


黒高はしばらく放心したように満知を見ていたが、

ゆっくりと俯いた。

そして膝に置かれた手が強く握られていた。


「助ける、ってどうして、白……。」


黒高は自分が思い上がっていたと感じた。

自分が助けなくてはいけない、

自分がやらねばいけないと。


だが実際は黒高は皆に助けられた。

白高はもちろん、緋莉と仁織は彼に黒高を助けてくれと頼んだのだ。

意識不明の満知も豊も自分を助けた。

そして築ノ宮も鶴丸も皆自分のために動いていた。

黒高は知らぬうちに皆に助けられていたのだ。


あの時あかい光は店中に広がっていた。

その感触を思い出す。

優しく暖かい光。


あれは白高と一緒にいた緋莉の内の色か。

母親の温かみを感じながら、

白高とこれから自分が生まれる世界を安らかに

夢見ていた頃……。


黒高は無言になりしばらくそのままだった。

やがて彼の肩が微かに震え、

膝の上にぽつぽつと雫が落ちた。

涙だ。


満知はそれを見る。


「会いたい……。」


黒高は呟いた。


「白に会いたい。」


満知は何も言わない。


「もう一度白に会いたい。そして話したい。

母さんにも仁織さんにも、豊さんにも。

みんな僕を置いて死んでいった。

どうして僕だけ残されるんだ。

一人は嫌だ。

白に会いたい……。」


彼は呟くように言うと顔を押さえて子どものように

大声で泣き出した。

満知は黙ったまま彼の横にいる。


満知の目には遠くの景色が見えた。


昼間だ、沢山の人が動いている。

そんな大勢の中では黒高も満知もただの一人だ。

そして緋莉や仁織、白高が死んだ事もいずれは埋もれてしまう。


今泣いている黒高の悲しみもちっぽけな事だろう。

だがその悲しみは満知にはよく分かった。


やがて黒高の気持ちが落ち着いたのか声が小さくなる。


「ごめん、カッコ悪い……。」


鼻をすすりながら黒高が言った。

満知はふっと笑う。


「良いよ、泣くよね、

私もそれを思い出したら泣いた。誰でも泣くよ。」


黒高が袖口でごしごしと顔を拭った。

それは小さな子がやるような仕草だ。


「黒ち、私が白ちを避けていたのって分かる?」


赤い目で黒高はちらと満知を見た。


「白ちと会ったらそのまま着いて行ってしまいそうだったから。」


黒高はふっと満知から目をそらした。


「あの時私の体がどうなっているか全然意識がなかったの。

でも何となく白ちと会うとまずいなと言う気がしてた。」


黒高はため息をつく。


「満知はいつも派手な服を着てたよ、

白が好きそうなものばかりだ。」

「そう、その通りよ。私は白ちが好きだった。」


黒高は返事をしない。


「だから白ちに会ったらどうなったか。

でも私が白ちと行ってしまうとおじさんが一人になるのも分かった。」

「鶴さん?」

「そう。おじさん、病室に来ると話をするのよ。

仕事の時は凄く無口なのにね。

最初は世間話ばかりよ。全然面白くなかったの。

でもある時からお母さんやおじさんの昔話とか聞かせてくれたの。」


それは黒高が言ったからかもしれない。


「それでお父さんの話もしてくれた。

そして緋莉おばさんの話も。」

「母さんのか。」

「うん、それを聞いていたらおじさんは本当に

緋莉おばさんが好きなんだなって思った。」

「もう死んでるのに?」

「そう、それでも大好きなのよ。話し方が優しくなるの。

そんな話を聞いていたらおじさんを一人に出来ないなと思ったの。」


鶴丸も妹を亡くし、妹の夫も死んでいる。

そして緋莉も死んだ。


「私が死んだらおじさんは本当に一人になるの。

そんな事は絶対に出来ないと思った。

だから白ちと会いたくなかったの。」


満知は遠くを見ている。

黒高はその顔を見た。

店で見た彼女の顔と違ってもう大人の顔だった。


築ノ宮は鶴丸に満知に話をしなさいと言った。

それが彼女をこの世に呼び戻す一つの方法だったのだろう。


「黒ちは一人になっちゃったからこんな話は嫌かもしれないけど、

ごめん、これが私の本当の気持ち。」

「いや、良いよ、満知がそう思ったのなら。」


満知は黒高を見た。


「でもね、黒ちは一人じゃないよ。」

「えっ?」

「とりあえず私がいる。おじさんもいる。

少なくとも二人は黒ちのそばにいる。

白ちとは比べ物にならないかもしれないけどね。」


満知がにっこりと笑った。


「いや、そんな、事ない。」


黒高は顔が赤くなる。


「それで満知はやっぱり白が好きなの?」


満知は少し首を傾げた。


「よく分からないの。」

「分からない?」

「だって前の私は16歳でまだ子どもでしょ?

今は22歳だから。

感覚が違う気がして何だか分からないのよ。

正直そんな事より焦って来たの。

だって私は高校も行ってないし、大学も。

同級生はもう働いていたり大学に行っているのよ。」


それはその通りだった。


「黒ちは良いじゃない、一応高校は出たし。

それからお店も持ったでしょ?社会生活はちゃんとしてるから。

私は全然だもの。」


黒高はすうと現実が戻って来た。


「そ、そうだけど、土地はあるにしても店を再開するには

建物を作らなきゃいけない。」

「おばさんの遺産とかあるんでしょ?」

「もう、あまりない。商売もそんなに儲からなかったから

貯金もそれほどない。」

「どうするの?」

「どうするって……、」


さっきまで黒高は悲しみに暮れていた。

だがいきなり現実が見えたのだ。


その時、屋上に鶴丸が来た。


「おう、お前ら。」


彼はにこにこと近寄って来る。


「鶴さん。」


鶴丸はなぜか嬉しそうにしている。


「おじさんなんか良い事あったの?」

「ああ、そうだ、実はな、うちのボロ店の風呂の床がな、

腐って抜けちまったんだよ。」

「そう言えば鶴さんの家は古いんだよな。」

「大体60年だ。40年程前に中古で買ったんだ。

それで何年か前に白アリも湧いてな、まずいなと思ったら床が抜けちまった。」

「おじさん、それって良い話じゃないじゃない。」

「まあ、もうちょっと聞けよ、

それをさっき築ノ宮さんがいたから話したら、

建築会社をご紹介しましょうかと言ってくれたんだ。

あの人が言うなら間違いないだろ?」


黒高と満知は顔を合わす。


「鶴さん、築ノ宮さんってまだいるかな?」

「ああ、多分、お前にも話す事があると言っていたから、

用事を済ませたら部屋に来るってさ。

だから俺が呼びに来たんだ。」


満知は黒高に目配せをする。


「ねえ、さっきの話、築ノ宮さんに話しても良いと思う?」

「相談してもいいかもしれない。多分何か考えてくれるはず。」


満知は鶴丸を見た。


「おじさんって全然遊んでないから貯金結構あるよね。」


鶴丸がうっと言う顔をする。


「藪から棒になんだよ。」

「おじさんにも関係する話だから来て。」

「一体なんだ。」

「鶴さん、部屋に戻りながら話をするよ。」


と黒高が立ち上がると満知の車椅子を押し始めた。


「お、俺が押すよ。」

「大丈夫だよ、もう何ともないし。」

「そうか?でも気を付けろよ。」

「分かったよ、鶴さん。

それで話って言うのは……、」


黒高はたった今まで長い夢を見ていたような気がした。

そしていきなり現実が戻って来た。

それは夢を見ていた方が楽だったかもしれない。

だがその苦労は自分は生きているという気持ちになった。


どこかで皆が苦労しろと言いながら微笑んでいる気がする。


そして生きろ、と。






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