27 エピローグドレス 1




扉のベルが鳴る。

そこにいたのは樒だ。

黒高の背筋が寒くなる。


彼の後ろに真っ黒なものが見えたのだ。


向こうの景色が見えないぐらいの何か。

そして彼の顔も煙の様で、

白目だけがぎろぎろと光っていた。


「……いらっしゃいませ。」


黒高はやっと声を出した。

樒が少し笑ったのか口元に薄汚れた白が見えた。

彼の歯だろうか。

それも何となく薄黒い。


「やあ、黒べえ、お邪魔するよ。」


彼は妙にゆっくりと中に入って来た。

黒高にはそう見えただけかもしれない。


彼は何かしらぬめりとしたものと一緒に来た。

それは粘度のある液体の様だった。

彼と一緒に入って来ると徐々に店の床に広がっていく。


これは何だろうか。

樒は一体何を連れて来たのか。

これは異形のものだ。

そして樒はこれを分かっているのだろうか。


ぬめぬめとしたものは部屋の床を満たすと黒高を見た。

それには目などない。

だがそれが自分を見ていると黒高は分かった。


「樒さん、ご用は……、」


黒高は少し震える声で言うと樒を見た。


「ご用か、いやー、釣りをもらいに来たんだけどなあ。」

「釣り?」

「お前のかーちゃんと白ベえのだよ。」


するとぬめぬめとしたものの中から人が出て来た。

屈強な男のような影だ。

彼は黒高に素早く近づくと後ろに回り両腕を掴んだ。

一瞬黒高は抵抗をするががっちりと捕まれ動けなくなった。

身をよじって抵抗するが全く動けない。

だがその男の実体は感じないのだ。


樒は動けなくなった黒高の横を通ってカウンターの奥に入り、

レジを開いた。


「大して入ってねぇな。」


彼はぼそりと言うと札だけ取ってポケットに入れた。

レジの横には白いエピローグドレスがあったが、

それには彼は目もくれなかった。


「しけた店だ。」


彼はそう言うと黒高の前に戻って来た。


「樒さん、母さんとか白とか、

お釣りってどういう事ですか?」


黒高は少しばかり声を荒げた。


黒高は樒は昔から知っている。

何度か仕事をした事はあった。


だが良い噂は聞かない。

緋莉も彼を避けていた。

だから黒高が仕事のスケジュールを決める時は

なるべく樒を避けていた。

なので彼に迷惑をかけたつもりはなかった。


ただ白高とはかかわりはあった。

だが黒高にはそれは白高が被害者だとしか思えなかった。


そしてなぜ緋莉の名を樒は言うのか。


樒はにやりと笑う。

歯が見えた。


「緋莉はな、俺を袖にしたんだよ。」


馬鹿にしたように樒は言った。

黒高には訳が分からなかった。


だがその時バックヤードから光が漏れて来るのに気が付いた。

少し前に見たあかい光だ。


今はうっすらと漂うような光だ。

ゆっくりと押し寄せて来る水のようにじわじわと広がって来る。


樒はそれには気が付いていないようだった。






満知がはっと気が付くと店のバックヤードにいた。

周りがうっすらとあかい。

足元を見ると光が薄くゆらゆらと揺らめいていた。


そして店側から人の声がする。


黒高と誰かの声だ。

そして禍々しい気配。

満知は恐ろしさで動けなくなった。


その時満知の肩に誰かが触れた。

彼女ははっとして振り向くとそこには白高がいた。

彼は満知を見ると口元に指を立てた。

声を出すなと言う様に。


白高は彼女の耳元に顔を寄せた。


「黒が危ない。」


いつもと違う真剣な声で囁くように彼が言った。

満知は店内の方を見る。


「何が起きてるの?」

「オレの知り合いが来てる。ヤバい奴だ。」


白高の顔が歪む。


「その上に何かが憑いてる。満知も分かるんじゃないか?」


満知は恐る恐る店内の方を見た。


「なんか変なもの、ものすごく嫌な感じ。」

「だろ、知り合いは樒って奴だ。

元々危ない奴だがとんでもないモノに憑りつかれてる。」


満知も頷いた。


「黒ちが危ないんだよね。」

「うん、ある意味オレが招いたようなものだ、

それに……、」


白高が黙り込む。

満知が白高を覗き込んだ。


あかい光を見たら思い出した。

緋莉と仁織さんから頼まれたんだ。

黒高を助けて全部終わりにして満知を帰してくれって。

オレや満知がここに来たのは黒を助けるためだ。

今がそうだ。

生きているのは黒しかもういないからな。

それでオレは死んだけど満知は死んでないぞ。」

「あたし?」

「ああ、満知は生きてる。

だから仁織さんは帰してくれって言ったんだよ。」

「お母さんが?」


白高は満知を見た。


「満知もオレのせいでこんな事になったんだ。

だから黒を助ける手伝いをしたらお前は帰れ。」

「帰れってどこへ?」

「体にだよ。」


満知はまだよく分からない顔をしていた。

白高はその彼女のきょとんとした顔を見て少し笑った。


「お前は本当に可愛い。だから大好きなんだ。」

「えっ、突然……、」


今は緊迫した状態だ。

だが白高は満知を見て笑った。


「満知はオレの事好きだろ?」


満知の顔の近くで白高が言った。

彼女は頬が熱くなる。


「あの、その……、」


彼女は口ごもる。

だが、


「でも白ちってすごい遊んでたじゃない。

夜遊びもすごかったし。

だから女の人とも付き合っていたんじゃないの?」

「あ、夜遊びは確かにしてたけどな。」

「帰って来ると酒臭かったし。」

「だってあれは俺を酔い潰そうとする奴がいてさ、

潰れたらオレ、ヤラれちゃうし、

酔いつぶれないように頑張って飲んだんだよ。」

「えっ?」

「大人の女は怖いぞ、それをかいくぐってオレ様は

初めては満知って決めてた。」


満知の顔が真っ赤になって目が真ん丸になった。


「ちくしょー、最後だからちゃんと言うぞ、

オレ、満知一筋なんだよ。

黒に渡さないとかそんなんじゃない。

子どもの時からずっと一緒にいたいと思ってた。」


白高は優しい顔で満知を見た。


「満知も俺が好きだろ?

分かってるぞ、前はあんな派手な服は着ていなかったけど

ここんとこオレが好きそうな服しか着てないだろ。」

「そ、そんなこと……、」

「おっさんといる時は大人しそうな服だけだ。

おっさんに派手なの着るなって言われたんだろ。

でもオレのためにああいう服が本当は着たかったはずだ。」


満知は上目遣いで怒ったように白高を見た。


「バカ。」

「バカでも良いよ、そう言うのオレは嬉しい。」


満知の目に涙がうっすらと湧いた。


「……白ちは私が好き?」

「好きだよ、本当に。」


囁くような彼の声だ。

満知は目を閉じる。


「私も白ちが好き。一番好き。」


二人は静かに向き合い抱き合った。

満知は彼の胸元に顔を寄せ、白高は彼女の頭に顔を寄せる。


「だろ?オレ様はずっと分かってた。」

「でも……、」


満知は彼の体を強く抱いた。


「私がはっきり白ちが好きだって

白ちが一番大事だって告白して私が止めてって言ったら

クスリなんか使わなかったかも、

ちゃんと白ちと決めなかった私が悪かったのかもって、

ずっと考えてた。

でも白ちと会うと自分がおかしくなりそうでそれも怖かった……。」


彼女ははっとする。

最後に見た白高の姿だ。

手足は血だらけでボロボロだった。

彼女は顔を上げる。


「私、あの、」

「分かってるよ、思い出したんだろ?

戻って来ているんだ、色々なものが。」


白高は満知の顔を優しく撫でた。

そしてその額に口づける。


「オレは本当に馬鹿だった。

クスリに溺れてお前を売る所だった。

本当にクスリなんてやっちゃだめだ。

満知が大好きなのにそれも忘れた。全てが狂ってしまう。

だから黒を助けるのは満知を助けるためでもあるんだ。

満知は自由になる。これで許してくれ。」

「許すなんて……、白ち、私……、」

「オレ達はお互いにカッコつけて素直じゃなかったから

こうなったんだ。

変に気取らずに早く言えば良かったんだ。」


満知が頷く。


「それにおっさんが満知に近づくといつも邪魔したからな。

ムカついたがオレは悪かったからな、

親代わりとしたらオレみたいなのはそりゃ嫌だろう。」


そして白高は思い出す。

鶴丸が言った事を。

双子だから兄弟なんてない、二人とも一緒だと。


あれは白高にとっては腹の立つ言葉だった。

だがそれは真実なのだ。


鶴丸は立場に甘えて我儘放題の自分を叱った。

そりの合わない相手だが、

それでも鶴丸は白高に世間を教えた。

それに気が付かなかった自分が悪いのだと

白高は今は理解していた。


「満知、ここを出ると外には豊と言うじいさんがいるはずだ。

もしかするとぼーっと立っているだけかもしれない。

でも黒が危ないと言えば分かるはずだ。

黒を助けてくれと伝えてくれ。」

「うん。」

「そこは現実と黄泉の間だ。

それが済んだらお前は明るい方に走れ。後ろを見るな。」

「白ち、どうするの?」


満知は焦って言った。

なぜか白高はこのままどこかに行ってしまう気がしたからだ。


「黒を助ける。絶対に。

満知も黒を助けるためにここに来てくれたんだ。

ありがとう、満知。

豊じいさんを呼びに行くのがお前の仕事だ。」


白高がそっと満知の身体を離す。


「おっさんによろしくな。

おっさんを一人にするなよ。」


満知が悲しげな顔になる。

だが白高はバックヤードの奥を指さした。

そこからは柔らかいあかい光が射している。


満知は白高を見ながらそちらに歩いて行った。






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