26 樒 3




「満知、黒は俺の金を盗んでる。」

「盗むって何言ってるの?」


白高は階段の上で手すりを強く掴み満知に顔を寄せた。


「あんな奴よりかっけーオレ様の方が絶対にいいぞ。

オレにしろ、オレだ。」


満知は恐ろしさで思わす彼の胸元を押した。


「それに樒さんが女の子を連れて行けばくれるって。」

「……女の子?」


満知の唇がわなわなと震えた。


「クスリだよ、クスリ。10回分。

だから満知、オレのために樒さんの所に行ってくれ。」


満知は愕然とした。

ここにいるのは以前の白高ではないのだ。


「ば、ばか、そんなこと、できる、わけないでしょ……、」


あまりのショックで満知は絞り出すように声を出した。

ともかく逃げなくてはいけない。

このままでは取り返しがつかなくなる。


満知は暴れ出した。

だが白高の力は思ったより強かった。

満知の体をがっちりと抱き顔を寄せた。


「キスしよ、キス。オレは満知とキスしたい。」

「止めて!!」


二人の体がぐっと手すりに押し付けられる。

そして古ぼけた手すりは二人の体重を支えられなかったのだろう。

いくつかの根元が折れてぐらりと傾いた。


二人の体は大きく揺れる。


そして二人はそのまま下に落ちた。




古い雑居ビルにいた人は悲鳴と

どさりと何か柔らかい物が落ちる音を聞いた。

何事かと狭い窓から下を見ると誰かが倒れている。


皆が慌ててそちらに行くと若い男女二人が倒れていた。

男性が下で女性はその上で意識を失っていた。

すぐに救急車が呼ばれ警察も来て

ビルの前に血だらけのサンダルを見つけた。


落ちた二人は靴を履いていなかった。

なので心中かと思われたが、満知の捜索願が出ていた。


そして白高と満知は病院に運ばれたが

白高はもう亡くなっていた。

そして満知は重体で意識は戻らない。

鶴丸から白高の様子を聞いていた警察は彼を司法解剖し調べた。

すると薬物反応が出たのだ。


そして黒高は二日後に病院で気が付いた。


「気が付いたか。」


そこにいたのは鶴丸だった。


「鶴さん……。」


鶴丸の目は腫れていた。


「僕、どこに……、」

「病院だよ。何があったか覚えてるか?」


黒高は少し考える。

まだ頭が少しぼんやりとしている。体の節々が痛い。

だがすぐに様子がおかしかった白高を思い出した。


「白が……、」

「あいつにやられたんだろ?」


黒高は頷いた。


「お前は殴られたり蹴られたりして結構な怪我だった。

脳も腫れていたからな、それで意識がなかなか戻らなかった。

でも今戻ったからもう大丈夫だろう。」

「それで白は。」


鶴丸の顔が歪む。


「……死んだよ。」

「えっ?」

「薬物中毒でな、幻覚が出ていたみたいだ。

それで満知をさらってビルから落ちた。」


黒高はその話を聞いても全く理解出来なかった。

白が死んだ?満知がさらわれた?


「詳しくは警察から聞け。

お前の意識が戻ったら連絡してくれって言われた。

それで事件性があるからと白太を司法解剖した。

警察から一応身内の了承をと言われたから

お前は意識が無かったからな、俺が許可した。

勘弁してくれよ。」


黒高は白高の様子を思い返す。

確かに異常だった。


「それでな、満知は白太と一緒に落ちて今も意識が戻らん。

重体だ。」

「満知はどこにいるの……、」

「この病院だ。俺はずっと満知とお前を見ていた。」


鶴丸がたまりかねたのか黒高のベッドの縁に顔を伏せた。


「お前だけでも意識が戻って良かった。」


周りがしんとする。

それは黒高の幻覚だろうか。


鶴丸が顔を上げた。


「じゃあ、俺は満知の所に行く。

お前の意識が戻ったんだ、満知も絶対に戻る。

俺には分かる。」

「う、うん……。」

「お前の事は看護師さんに頼むからな。

何かあったら看護師さんに言って俺に伝えろ。」


鶴丸は病室を出て行った。


そしていまだに黒高には現実感が無かった。

あの白高の様子は異常だった。

そしてあの後に白高と満知がビルから落ちて

白高が死んだとは。


よく分からなかった。


だが急に何かが無くなった気がした。

いつもそばにいた何か、

自分はこの世に生まれる前から誰かと一緒にいたのだ。


その時病室の扉が叩かれた。


「失礼します。」


と医師と看護師と共に目つきの鋭い男性が二人入って来た。


「西村川黒高さんですね。」


黒高は返事をする。


「西村川白高さんのお話を聞きたいのですが。」


黒高はその時分かった。

白高は本当に死んだのだ。

それは現実なのだ。


そして自分が無くしたものは白高なのだと自覚した。




ひと月もしないうちに全てが明らかになった。


白高は重度の薬物中毒だった。

それを教えたのは樒だ。

彼は白高がかなりの遺産を持っている事を知っていた。

それを取るために彼にクスリを教えたのだ。


そして元々樒はマークされていた。

だが決定的なものがない。

そこにこの白高の騒ぎだ。

白高は薬物に溺れて金目当てで黒高に暴力をふるった。

そして満知を連れ出しビルから落ちた。

暴行と誘拐罪だろうか。


黒高への暴力は身内なので不問になるかもしれないが、

満知を連れ出した事はただでは済まない。

捜索願も出ているからだ。

それを元に警察は樒を追い詰めた。

そして様々な罪が露わになり逮捕に至った。




「それでお前の調子はどうなんだ。」


黒高は一週間ほどで退院した。

だが満知はひと月しても意識が戻らない。


「僕は痣が残ったぐらいでもう大丈夫だ。でも満知は……、」


黒高は満知の病室にいた。

満知は寝たきりだった。

その横顔はただ普通に眠っている感じだ。


満知は白高と一緒に三階の高さから落ちた。

古い階段で柵が腐っていたらしい。

もたれた瞬間に体が傾いて落ちたようだ。


そして落ちる時に白高が満知をかばって自分が下敷きになり、

落ちる際に何度も壁に体を打ち付けたようで

それが致命傷になった。

そのおかげで満知は大した怪我はなかったが意識は戻らない。


「頭もなんともないらしいんだがなあ……。」


鶴丸はげっそりとやつれていた。

それはそうだろう。

一年前には妹を亡くし今度は姪が死にかけている。


「白がこんな事をして……、申し訳ない。」


鶴丸が黒高を見た。


「お前が悪いんじゃねぇ、白太だ。」

「でも、仁織さんが死んで、今度は満知がこんな事になった。

辛いよ。」


鶴丸が黒高を見た。


「お前も一緒だろ。緋莉が死んで今度は白太だ。

しかもあいつはどえらい事やらかしてなあ。

本当に馬鹿だ、あいつは。」


鶴丸が鼻をすする。


「すまねえね、さすがに涙もろくなった。」


それは仕方がないだろう。


「それで満知はずっと入院?」

「ああ、先生はいつ意識が戻るか分かりませんと言うが、

満知はいつか絶対に意識を取り戻す。

俺には分かる。」


鶴丸は強い目で黒高を見た。


「鶴さん……。」

「俺はそう言うのが分かるんだ。

だが、どうして戻らないのかそれは分からん。

何かあるんだ……、」


鶴丸は呟くように言った。


「それでお前、白太はどうするんだ。」


黒高が少し俯く。


「まだ警察にいるんだよ。

でも全て終わったら火葬して遺灰を返してくれるらしい。」


鶴丸はため息をついた。


「葬式は?」

「一人でやるよ。こんな事があったんじゃ人も呼べない。」

「……そうか。」


鶴丸は椅子に座り俯いた。


「一体どうしてこうなったのかなあ。

西亀も緋莉も人とは違っていたが、

別に悪い事はしてないはずだ。

だが事故で死んじまって、

白太はあんな事になって黒太は怪我をして……。」


鶴丸はちらと満知を見た。


「ちょいとばかり我儘な子だったが、

高い所から落ちてこうなるような事はしてねぇはずだ。

お前も真面目に生きて来ただろ?

何か悪さをしたのか?俺にはそうは思えねぇ。」


だが黒高は返事が出来なかった。

自分が呟いた言葉をふと思い出したからだ。


「……鶴さん、また来るよ。無理するなよ。」

「ん、ああ、そうだな。」


力のない返事だ。


黒高は自宅に帰った。

警察の現場検証は既に済んでいる。

彼が退院してすぐに警察が来て

黒高が暴行された場所の写真を沢山撮っていった。

警察へも聞き取りのために何度も行った。


結局白高が黒高に暴行をした件は黒高は問わない事にした。

そして白高はもう死んでいる。

なので満知の件は不起訴となった。


黒高は床を見た。


まだ自分の血の跡がある。

そこはカーペットだ。

それを剥がして貼り直さなくてはいけない。


黒高は椅子に座りそこを見た。


暴行の時を思い出す。

まるで鬼のような形相で白高は自分を蹴っていた。

逃げられず痛くて辛い経験だ。

だがその時は白高は生きていたのだ。


その後白高は死んだ。


退院してすぐに死体安置所にいる白高と会った。

事情聴取の時に会いたいと言ったら刑事が会わせてくれたのだ。


白高は痩せてはいたが穏やかな顔をしていた。

あの時の面影は全くない。

全て洗い流したように白く美しかった。


そのうちあの白高は灰となって戻って来る。


黒高は既に白高に関する手続きはすべて終えていた。

一年前に緋莉の手続きをしたのだ。

退院してすぐに役所に向かった。

前にも書いたので何をして良いのかすぐ分かった。


騒がしい役所の中で何枚も書類を書く。


そこには人々の生活がある。


結婚や出産、死亡届や離婚届、

他にも様々な人が来て何かを届けたり請求をする。


その中で自分は届けを出しに来たただの一人だ。

そして白高に関する届けも沢山の中のただ一つだ。

白高の存在は書類の中に消えていく。

そして戸籍には斜線がうたれるのだ。


気が付くと書類の上に雫が落ちた。

彼ははっとする。

それは涙だ。


緋莉が亡くなった後でも黒高は泣かなかった。

そして白高が死んだ後も泣かなかった。

この書類を書く時までやらなければいけない事が

山の様にあると考えていたからだ。


だが今書類を前にして書きかけた途端、

心の中の糸が切れた気がした。


「大丈夫ですか?」


それに役場の人が気が付いたようだ。

黒高が書きかけている書類を見ると

そっと黒高の腕に触れて隅の席に彼を連れて行った。


「すみません。」


黒高はやっと言った。


「まだ時間はありますから、

落ち着いたら出して下さい。」


と彼はポケットティッシュを黒高に渡した。

それにはその区のキャラクターが印刷されている。

可愛い色の呑気な顔をしたイラストだ。

こんなキャラクターがいたんだと黒高は思ったが、

涙が止まらなかった。


その後黒高は何ヶ月の間何もしなかった。

その気にならなかったのだ。

だが彼は次に進んだ。


このクローズ・西村川になる空き店を見つけて

店を開く事にした。

それは思ったよりスムーズに進んだ。

まるでそこに黒高が行く事が決まっていたように。

そして今まで住んでいたマンションは売った。

これからは店で生活するからだ。


店舗兼住宅で生活するようになった頃、

黒高は改めて商店街の会長に挨拶に行った。

その時、世話になった不動産屋の前を通ったら空き店になっていた。


「そうか、一人で大変だろうが頑張れよ。」


と穏やかな顔立ちの会長は言った。


「ところであの不動産屋さんは閉店されたのですか?」


と黒高は聞く。

すると会長が不思議そうな顔をした。


「不動産屋?あそこはじいさんばあさんがやっていたから

相当前に閉店してるぞ。」

「えっ、うちの店を買う時に紹介してもらったんですが。

ほんの少し前ですよ。

ご挨拶にもお伺いましたよね。」

「営業マンと来たのは覚えてるが、違う店じゃないか?

この商店街にあった不動産屋が無くなったのは10年以上前だぞ、

どこかと勘違いしてるんじゃないか?

ところでな、西村川さん、」


黒高は狐につままれた感じがした。


「あんたんとこ将五シャツを扱うんだってな。」

「え、ええ、何枚か置きます。」

「凄いな、有名だもんな、あのシャツ。入ったら見に行って良いか?」

「はい、ぜひ来て下さい。」


何やら誤魔化された気がしたが、

確かにここの商店街の中の不動産屋に世話になったのだ。

だがその店はもうない。

名刺をもらったはずだったがそれも見つからなかった。

追求したくても全く分からないだろう。


そして鶴丸も仕事を再開していた。

彼もさすがに満知の事件の後は何もする気が起きなかったのだろう。

そして黒高の話を聞いて彼の店にシャツを卸す事になった。

だが鶴丸は店には絶対に来ないと言った。

それは何故だか分からない。


なので黒高は将五シャツ店に前のように通うようになった。

満知がいない店はどことなく淋しい。


「満知の具合はどうなの?」


黒高はここのところ開店準備で忙しく、

満知の所には行っていなかった。


「ああ、転院したよ。」

「えっ?」

「ああ、あの病院では回復の見込みがないと言われたんだ。

だがな、満知は絶対に意識を取り戻す。

俺には分かる。

あいつは死んでない。」


鶴丸の目は強かった。


「俺んとこでたまにシャツを注文してくれる人がいてな、

仕事を再開した時にここに来たんだよ。

それで休んでいた事情を聞かれて話したら、

知り合いの病院を紹介しましょうかと言われてな。」

「そこに転院したの?」

「そうだ、俺もそこに行ったが結構な病院だ。

金がかかりそうだったから俺は渋ったんだが、

その人は私のシャツをただで作って下されば

お嬢さんの面倒を看させていただきますと。」

「そんな奇特な話があるの?

なんか裏があるとか……。」

「いや、あの人にはそんなものはない。

むしろ満知はあの人に任せた方が良い気がしたんだ。

だから何枚でもお作りしますと俺は言った。」


黒高はため息をついた。

だが確かに鶴丸のシャツがただで手に入るのなら

それぐらいは払っても惜しくはないと思う人がいるかもしれない。

何しろ最高級の物なら一枚10万円以上はする。


「だから満知はもう心配はない。

あれから週に一度ぐらい様子を見に行ってるよ。」

「僕も行こうかな。」

「そうだな、来てくれよ、

で、あの人がな満知に沢山おしゃべりしてやってくれって言うんだ。」

「おしゃべり?」

「ああ、眠っているようで眠っていないと言うんだよ。

不思議な事を言うだろ?

でも俺もそう思うんだ。だからあの人は信用出来る。

それで俺は満知の所に行ったら話をするんだよ。

でもそろそろネタ切れでな……。」


鶴丸が苦笑いをする。


「どんな話をしてるの?」

「テレビで見た話とか世間話とか。」


黒高はふふと笑う。


「女の子だろ?そんな話は面白くないんじゃないか?」

「そうかあ、でもどんな話をしたらいいんだ?」

「恋バナとか。」

「えっ!恋バナ?げっ、恋の話だろ?」


鶴丸は難しい顔になった。


「勘弁しろよ、そんなもん出来る訳ないだろ。」

「それか昔の話はどうだろう。

仁織さんや鶴さんが子どもの頃とか、満知のお父さんの事とか。

満知のお父さんは知っているだろ?」

「まあ、体は弱かったがいい奴だったよ。」

「その話をすればいいんじゃないの。」

「そうだな。」


鶴丸はにかりと笑った。

その顔を見て黒高はほっとした。

以前の彼の顔だったからだ。

だがさすがに鶴丸は前より痩せている。

彼の心労がうかがえた。


「ま、お前に聞いて良かったよ。

さあ、シャツは作るか?」

「ああ、作る。分からない事があったら教えてよ。」

「何でも聞け。」

「それで鶴さん、」


黒高が鶴丸を見た。


「僕の店には来ないの?」


鶴丸は首を振った。


「行かねぇ、でもシャツは卸す。

それでお前がここに来るのは構わんよ。」


以前鶴丸が言った言葉はそのままだ。

何度言っても鶴丸は黒高の店には来ないだろう。

仕方がないと言う様に黒高は布を広げた。

鶴丸も以前のように真剣な顔になる。


仕事に入れば二人とも無駄口は叩かない。

真剣勝負なのだ。




それから鶴丸は毎週満知の元に通っていた。

それから何年になるだろうか。


だが黒高はそれから満知の所には行かなかった。


何しろクローズ・西村川に

満知が配達と言って来るようになったからだ。


なぜ満知が来るのか分からない。

死んでいる白高がここに来る事も不思議だが、

それは何者からか言われた仕事のためだ。

黒高もその手伝いなのだろう。

何しろ白高は死ぬ前に色々とやらかしていた。

兄弟である黒高も彼を助けるために手を貸せと言う事なのだろう。


だが満知は何もしていない。

むしろ白高のために酷い目に遭っている。

そして満知は死んでいない。意識がないだけだ。


そして豊と言う老人も来た。


彼も白高と同じで罪を償うために来たらしい。

彼はずいぶんと昔の人間で、ずっと贖罪を続けている様なのだ。

そして黒高は店を続けながら

白高と一緒に店に来る人のその行先を告げている。


「 閉じるかクローズ 契約するかクローズ 」


それが口から出る時は

自分の体が自分の物ではない感じがする。

目の前にいる人の全てが見える。


その人達が何をしたのか。


何もしておらず巻き込まれた人や、

本当に取り返しがつかない事をしてしまった人もいる。

その人達を黒高は断罪する。


だが黒高は思う。

自分自身はどうなのかと。

真面目に生きてきたつもりだが

何かはしてしまったのだろう。


そんな人間が人の行先を決めて良いのだろうか。

そして黒高はどうしても人に言えない事があった。


白高が自分の元に来て暴力をふるった後だ。

彼は呟いた。

白高が、死ねばいいのに、と。


それは呪いの言葉だ。

彼と血の繋がった身内はもう白高しかいない。

それなのに黒高は白高を呪った。

そしてそのすぐ後に白高は死んだ。


自分のその言葉が彼の死を招いた気がした。

そして死んでしまった者にはもう謝る事は出来ないのだ。

なのに自分はそれを忘れたふりをして店を開いた。

生きていくためだと言い訳をして。


心のどこかにいつもその言葉が引っかかり忘れられなかった。

そして自分の薄情さが情けなかった。


だがその白高が現れたのだ。

以前のような元気な様子で。

満知もやって来た。

豊と言う調子の良い老人も来て白高と仲良くしている。


本当は恐ろしい話かもしれない。

だが黒高は心底救われたのだ。


以前とは一緒ではないが、

それでもまだ何も起こらなかった頃が

戻って来たようだった。

そして自分が吐いた言葉もいつの間にか消えた気がした。


それはずっと続くものだと黒高は思っていた。

だが続かない事は本当は分かっていた。




ふと黒高は店のウインドウを見た。

黒と白のトルソーが二つ並んでいる。

あれは何だろう。

自分と白高だろうか。


そしてバックヤードの入り口近くにかけたドレスを見た。

前に満知が持って来たエピローグドレスだ。

真っ白なドレスだ。

シルク素材で品の良い艶がある。とても贅沢な作りに見えた。


とても高価で美しいものだ。

だが黒高はそれを店先に出す気がしなかった。

美しいが死を彩るものだからだ。


どの生き物にも必ず死は訪れる。

だが黒高はもうそれを見たくなかった。

誰とも別れたくないと彼は思っていた。


死はいずれ訪れる。

否が応でも。

それを黒高は白く美しいドレスを見る度に

思い知らされる気がした。


だが、ここにドレスがあるのはそれが必要な人が必ず来るのだ。

ずっと隠してはおけない。


黒高はため息をつく。


そして立ち上がり、そのドレスをカウンターに持って来た。

彼はそれを見る。


誰でも着られるドレスだ。

高貴なイメージが湧く丁寧で手の込んだ刺繍がしてある。

誰が作ったのか分からないが、心を込めた仕事だと黒高は思った。


「鶴さんみたいだな。」


その時黒高のスマホが鳴った。

画面には築ノ宮彬史とある。

以前服を買いに来た客だ。

自分が作ったループタイを気に入って買ってくれた。


「はい、西村川です。ご無沙汰していています。」

『黒高さん、何か起きます、

スマホは繋いだままでスピーカーにして

見えないように隠して下さい。』


黒高ははっとする。

彼の声は焦ってはいない。だが強い声だ。


彼は言われたままカウンターにスマホを置き、

その上にドレスをかけて動かないようにした。

多分それで相手方には音が聞こえるだろう。


そして店の扉が開く。


そこには樒がいた。






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