25 樒 2




「白高君、ちょっと話がある。」


黒高から離れてから数か月、

何度か仕事を紹介してもらった事務所の社長が白高を呼んだ。

小さな会社だが緋莉とも付き合いがあった。


その日、白高はその事務所に呼ばれたのだ。


「あっ、はーい、なんでしょうか。」


少しおどけながら白高は彼の近くに行った。

それを少しばかり苦々しい顔で社長は見た。


「あのな、君、また遅刻したって?」

「あー、そうです、起きられなくって。」


と彼はへへと笑った。

だが社長は笑いはしない。


「君、それで何度目だ。

と言うか紹介した仕事全部遅刻してるな。」

「あー、そうです、ね。」


社長はため息をついた。


「まあこの業界は遅刻はご法度だと分かっているだろ?

それを堂々とされてはうちの信用にも関わる。

だからもううちからは君を紹介しない。」

「えっ、そんなア。」


白高は声を上げた。

それを見て社長は呆れた顔になる。


「君、黒高君とどうしたんだ。」


黒高の名を聞いて白高の顔が厳しくなる。


「緋莉君が亡くなって気の毒とは思うぞ。

でも緋莉君がいた時から仕事に関しては

黒高君が仕切っていただろ。

何があったのか知らんが、

黒高君の所に戻った方が良いんじゃないか。

朝だって黒高君に起こしてもらっていたんだろ?

本当はちゃんと起きるのは大人としては常識だがな。」


白高は返事をしない。


「君のためにはっきり言おう。

君は確かに人気があり才能がある。

だがちゃんと仕切ってくれる人がいないと

それも持ち腐れだぞ。」


白高は頭を下げた。


「分かりました。もうお願いしません。

ギャラは振り込んで下さい。では。」


と白高はさっさと部屋を出て行った。


「謝るどころかギャラか。……だめだなあ、もう。」


社長は呆れたように呟いた。




黒高は乱暴に歩きながらそのビルを出た。

ムカついて仕方がなかった。


「どいつもこいつも黒高って……、」


白高が黒高の元を飛び出して数か月になる。


最初は色々な所からオファーがあった。

だが今ではほとんどない。

何しろきちんとしたスケジュールが立てられないのだ。

いままでそれはすべて黒高に任せていた。

母親の緋莉も


「黒高に任せておけば大丈夫。」


と言っていたからだ。

緋莉は黒高を頼りにしていた。

白高と黒高は双子だが緋莉は黒高を兄扱いしていた。

そして白高は弟だ。

白高は弟だからとずいぶんと甘やかされていた気がする。

緋莉も黒高はしっかりしているが白高は甘えっ子だと言った。


だがいつからか緋莉はそれを言わなくなった。

そしてその前に鶴丸から言われたのだ。

双子だから兄弟もない、一緒だと。


あの時から何かが変わった。

気が付くと仕事関係は全て黒高が仕切っていた。

白高は黒高の言う事を聞いているだけの現実に気が付いた。

自分だけで動こうとしても上手く行かない。


だが自分は黒高より人気がある。

人は黒高より自分を見た。

才能は自分の方が上だと白高は思っていた。

そして満知も自分の事が好きなはずだ。


彼は満知が昔から好きだった。

彼女は大事にしたい存在だった。

その満知は自分の物だ。黒高には絶対に渡さないと。


だが実際は頼りにされているのは黒高だ。

自分は彼の言う事を聞いて使われているだけだ。

彼のプライドが揺らぎ始めた。

自分がちっぽけなものに思えて来たのだ。


そして緋莉が死んだ。

自分が緋莉に頼みごとをしたせいで。


白高は緋莉に旅行先のある場所の写真や映像を

撮って来てくれと頼んだのだ。


それは黒高がロケをするのに良い場所だなと言ったのを聞いた。

多分黒高は何気なしに言ったのだろう。

ならばその場所の記録を見せれば

少しは自分も見直してくれるだろうと白高は思ったのだ。

だがそのせいで緋莉と仁織は飛行機の予約を変え、

事故に遭い二人とも死んだ。


自分のせいで母親と満知の母親が死んだのだ。


あの時黒高がロケ地と言わなければ

こんな事にならなかったのだと白高は思った。

それはとんでもない逆恨みだ。

だがその時は白高はそう思わないと心のバランスが取れなくなった。


白高は全て黒高に押し付けてそこから逃げた。

自分は悪くないと思い込むことにしたのだ。


しかし今、仕事は回らなくなった。

そして心の中にはいつも後悔があった。

二人の母親、満知、そして黒高に。

だが今更頭を下げる事も自分のプライドが許さなかった。


彼は肩を怒らせて歩き出した。


ここは街中だ。

歩いている人は沢山いる。

その人達に向かって歩き出すと皆は自分を避けた。

それは面白いがなぜか腹が立って仕方がなかった。


「白べえ。」


白高は後ろから呼びかけられて振り向いた。


「樒さん。」


そこには見た目の良い中年男性がいた。

少し派手な服を着ている。伊達男と言う感じだ。


「どうした、荒れてるな。」


彼は白高に近づき肩を抱いた。

近くを通りかかった周りの女性達がちらちらと見る。

二人とも人目を惹く容姿だ。

そして危なげな気配があった。


「もう仕事紹介できないって。」


白高は吐き捨てるように言った。

樒はちらと白高が出て来たビルを見た。


「ま、あそこはお堅いからな。

俺んとこから仕事を紹介してやろうか。」

「あ、うーん、どうしようかな。」


樒は緋莉の頃から時々仕事をしていた。

プロモーターのような仕事だ。

だがメイクもスタイリストも出来る。

その筋では結構な有名人だ。


だが緋莉は樒とは表面的な付き合いしかしていなかった。

緋莉はしばしば白高を夜遊びに連れて行った。

そこでもたまに樒とは会ったが、

挨拶はするし話もするが何となく距離がある。




「いやぁ、樒さんか、ちょっとねえ。」


どうしてと聞いても緋莉はそうやって口を濁らすだけだ。


「まあ油断せずに付き合いなよ。仕事的にはカンケーあるし。」


だが今は白高に声をかけるのは樒だけだ。

樒は白高の背中をバンバンと叩いた。


「まあそう言わんと。さあ、白べえ、飲みに行こうぜ。」


彼は声を上げて豪快に笑った。


「……そうだな。」


いつまでもくよくよしていても仕方ない。

そして一人になると良くない事ばかり白高は考えていた。

誰かと一緒にいたい。

今はそんな気分だった。


「それにお前、しばらく働かなくてもいいぐらい

金持ってるよな。」

「金?あ、ああ、」

「緋莉は結構な生命保険入ってただろ。」

「ん、まあ、」

「あれ俺が勧めた。」

「そうなの?」

「それに緋莉は可哀想に事故だろ?

その金も入っただろうし。」

「まあね……。」


樒はぼそりと言った。


「黒べえの野郎、ちゃんと半分に分けたかな……。」


白高ははっとする。

黒高は確かに遺産を寄越した。

だがその全額は白高は知らなかった。

そして今までの給料でも仕事のギャラが本当はどれぐらい

なのかも知らなかった。


「ピンハネされても分かんねぇよなあ。」


樒は白高の耳元で囁く。


「かな……?」


白高は呟いた。


傍から見ればいい男が二人肩を組んで

囁くように喋っている。

皆はそれを見る。

だが交わされた言葉はあまりにもきな臭かった。




その後白高は樒から仕事を何度か紹介された。

どことなく胡散臭い仕事だ。

ギャラは樒の元に一度入りそれから白高に

現金で渡された。


最初は結構な額だった。だが徐々に減って来る。

そしてその頃には白高はもうどっぷりと

樒が渡すあるものにはまり込んでいた。


最初は眠れないと樒に相談した事だ。


「これを吸うと落ち着くぞ。」


と手巻きの煙草を渡された。

何気なく白高はそれを吸った。

しばらくすると気持ちが浮き上がり楽しくなって来たのだ。


それはしばらく忘れていた感覚だった。


まだ自分が主役で写真の真ん中で光っている感じだった。

黒高も緋莉も暗い奥にいる。

自分だけがスポットライトを受けていた。

ずっと感じていた罪悪感などどこにもなかった。


その嫌な事を全て忘れるような感覚は

酒を飲んでも得られるものではなかった。

信じられない程の多幸感、

それを一度でも経験すると忘れられなくなる。


白高は度々樒にそれをねだった。

最初は何も言わず彼はそれを渡してくれた。


一本、二本、何本目からは金を取られた。

それでも白高は欲しがった。


「まとまった金を持って来れるか?

ならもっとやるぞ。」


と樒が言う。

白高は自分の貯金を思い出した。

緋莉の遺産があるのだ。

それを引き出し樒に渡した。

彼はにっこりとそれを受け取った。


そしてしばらくすると違うものを白高に渡した。


「注射だからな、最初はちくっとするぞ。

お前、ガキの時予防接種で泣いたクチか?」


樒は笑いながらさっと白高の腕に注射をした。


「泣かねぇよ、黒は泣いたけどな。」


白高はふと思い出す。

緋莉に連れられて予防接種に行った事を。

黒高は泣いた。そして自分も。

二人は緋莉にしがみついて泣いたのだ。

緋莉はその二人を笑いながら撫でた。

懐かしい話だ。


それを思い出しているとすぐに体がしゃっきりとした。

煙草を吸うより何十倍も強く効いた。

なぜか分からない。

泥のように体が重かったのに。

今なら何でも出来そうな気がした。


「んじゃ樒さん、繰り出しますか。」


白高は大声を出した。


「全く白べえは大したお大臣だ。

みんな白高様のおごりだってよ。」


いつの間にか周りには沢山の人がいた。

樒の知り合いだろうか。

知らない人ばかりだ。

彼らはげらげらと笑って白高を見た。


「でも白高様はキャバクラとかはだめだからな。」

「なんでよ、女がいる方が良いだろう?」


誰かが言う。


「ダメだ、オレ様は好きな女がいるんだ、

だから他の女とは付き合わね。オレ様はかっけーんだよ。」


白高が言うと皆が笑った。


「なんだよ、お前ドーテーみたいなコト言うな。」

「純情かよ、笑える。俺が大人にしてやろうか。」


皆は笑いながら白高の腕を引っ張った。

もう何が何だか分からない。

それでも今は一人ではない。

嫌な事は思い出さなくていい。


彼はもうタールのような重くどろどろとしたものに包まれていた。

だがそれが楽なのだ。何も考えずただ流されて行く。

それで良いと彼は思っていたのだ。


だがそれも続かない。

樒の顔が厳しくなる。


「おい、白高、金が無きゃだめだってことぐらい分かるだろ。」

「でももう貯金は無いし。」


樒はソファーに座っている。

その前で白高は正座をさせられていた。

彼はすっかりやせ細り、以前の面影はなかった。


「作って来れば良い話だ。」


白高の周りには目つきの悪い男が何人も立っていた。

その一人が白高を小突く。


「モデルの仕事……、」


それを聞いて樒が鼻で笑った。


「そんななりで誰が使う。」

「警察で薬物中毒者はこんなになりまーすって言う

モデルなら出来るんじゃねぇか。」


周りの一人が言うと皆がげらげらと笑った。


「まあ黒べえの所に行ったら金があるんじゃないか?」


笑い過ぎた樒が涙を拭きながら白高に言った。

だが白高は俯いたまま返事をしない。

樒は立ち上がると白高の胸倉を持って立たせて

その顔を何発か殴った。


「返事しろよ、クズが。」


強く殴られたせいか白高の目が一瞬泳ぐ。

樒は構わずまた殴った。


「それか女連れて来い。お前が言ってた満知とか、」

「ま、満知はだめだ。」


彼は呟くように言った。


「女連れて来たら10回分クスリをやろうか。」


樒はにやりと笑った。

白高は薄目を開けて樒を見た。


「まあいいや、金のない奴は用はないや。

お前、こいつ外に捨てて来い。」


樒は白高の胸元から手を離した。

白高はどさりと倒れた。

すると立っていた一人の男が白高を一発蹴ると、

その首筋を持ってその部屋を出た。


それを樒が見て呟いた。


「恨むんなら緋莉を恨め。親の因果が子に報いだ。

黒高も酷い目に遭わせてやる。」




白高はビルの外に投げ出された。

人気のない道だ。

白高はしばらくそこに倒れていたが

のろのろと起き上がった。


どうしていいのかよく分からなかった。

だがお金を持ってこればクスリは貰えるのだ。


そして黒高、

樒が言っていた、黒高、あいつは金を持っていると。


緋莉の遺産はあいつはちゃんと分けたのだろうか。

いや分けていないだろう。

その分を取り返せばまた……。


もう白高にはちゃんと物事を考える理性は残っていなかった。

混乱し、自分の欲望しか見えていない。




そして白高は黒高の元に行き5万円を手に入れた。

やはり彼は金を隠していたのだ。


そして樒は言った。

女を連れて来たら10回分クスリをやると。

この5万円と合わせたらどれだけ貰えるのか。


彼はにやにやと笑いながら将五シャツ店に向かった。






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