23 黄色いネクタイ




平日の昼下がりだ。


店を開いて5年が経つ。

実に見事な低空飛行の経営だが、

ぎりぎりで黒字が続いていた。


「少しずつでも貯金しないと。」


いずれはこの建物も古くなる。

リフォームなどもしなければいけないだろう。

そのような時もなるべく借金はしたくない。


店を持つと言うのはとても良い事に思えるが、

全ての責任は自分にかかって来る。

自分の城を持つのはそう言う事なのだ。


そんな事を考えながら黒高が店内を整理していると、

ウインドウの向こうで若い男性が

ちらちらとこちらを伺っているのに気が付いたが、

黒高は知らぬ顔で服を整えていた。


しばらくするとその男性が店内に入って来た。

軽いベルの音がする。


「ども、」


どことなく軽薄な感じのする若い男性だ。


「いらっしゃいませ。」


黒高はにっこりと笑って彼に頭を下げた。


「えーと、その、服が欲しいんすよ。」


彼は頭をぼりぼりと掻きながらへらへらと笑った。

何となく垢抜けない様子だ。

だが見た目だけで判断してはいけない。

この店に何かを感じて入って来たのかもしれないのだ。


「はい、どのような服が必要でしょうか。」

「えーと、その、今度面接するんすよ、

だから、あの、そんな感じ……、」

「そうですか、そうですね、」


黒高はスーツを取り出した。


「お仕事の面接でしたらやはりビジネススーツでしょうか。」


男性はちらとそれを見た。


「それ、いくらすんの?」

「6万円です。シャツやネクタイも含めると

7、8万でしょうか。」


男性の目が丸くなった。


「高けぇよ。」

「そうですか、ではこちらは5万円になります。」


と彼は別のスーツを取り出した。


「これも高い。」


と彼は言うと少し怒ったような顔で黒高を見た。


「あんたさ、わざと高いの選んでるんじゃね?

俺の事馬鹿にしてるだろ。」


黒高は心外だという顔をした。


「とんでもありません、

絶対にそんな事はありませんよ、

ただこの店でスーツのお手頃価格はこれらですから。」


もしかするとこの男性は

お金をあまり持っていないのかもしれない。


「もう少しお手頃価格のものがよろしいのでしたら

大手の紳士服店に行かれると良いかもしれません。」


黒高は彼を見た。


「でも試着だけでもしてみませんか?

別の店に行ってお買いになるにしても、

どのようなものがお似合いか参考になると思いますよ。」


黒高はにっこりと笑う。

それを見て男ははっとした顔になった。


「俺は買わないかもしれんぞ。」

「構いませんよ。就職活動をされるのでしょ?

上手く行くと良いですね。」


男性はどことなく戸惑った顔になった。


「とりあえずこのチャコールグレーの背広はどうでしょうか。

水色と紺のチェックのネクタイと合わせると爽やかな印象ですよ。」

「……黄色、ってのは?」

「黄色も華やかですね、ネクタイはお好みの色で良いと思いますが、

最初は黄色でも落ち着いた色の方が良いと思いますよ。

面接ですから。」

「面接かあ、なに聞かれるんだろうな。」


男性はぼそりと呟いた。

正直なところ、真面目そうな感じではない。

企業の面接を受けたことがある様子ではなかった。


「そうですねぇ、

普通はその会社を選んだ理由とかですか。」


彼は黒高を見た。


「なんか圧迫面接とか言うじゃん。」

「ああ、聞きますね。

でも近頃はさすがに減っているようですが、

そのような事をする会社は止めた方が良いですよ。」

「止めた方が良いの?」

「ええ、大会社でもダメですよ、

やはり働きやすい所でないと続きません。」


黒高は彼に背広を渡した。


「そちらに試着室があります。

少し大き目かもしれませんが調整は出来ますから。」


しばらくすると彼は着替えて来た。

だがネクタイの結び方が分からなかったのだろう。

戸惑ったように出て来た。


「あの、その、俺、ネクタイの結び方がよく分からん。」

「はい、大丈夫ですよ、お教えします。」

「俺、昔からこう言うの苦手でさ。」

「ですね、難しいものだと私も映像とか見ますよ。

忘れてしまうし。」

「あんたも忘れちゃうの?シュッとしてるのに。」

「はは、忘れますよ、憶えている人は凄いと思いますよ。」


黒高はネクタイを持った。


「一番覚えやすいものをやってみましょうか。

プレーンノットと言います。」


二人は鏡を見ながらゆっくりと結び出した。

男性はなかなかコツが掴めなかったようだが、

それでも最後にはちゃんと結べた。


彼は鏡を見た。


姿見を見ると服は少しばかり大きめだが

パリッとした若々しい男の姿だ。

黒高は彼のズボンのすそや袖口を少しいじった。

すると丈がぴったりになる。


「格好良いですよ。」

「そうかな?」


黒高は黄色系のネクタイを持って来て

彼の胸元に添えた。


「黄色だとこんな感じですね。明るい感じです。

黄色はお好きなんですか?」

「あ、黄色はその、金運が上がるかなあと。」

「風水ですか?」

「分かんね、みんな黄色はかねの色って言うから。

でも上がんないよな、ネクタイの色だけじゃ。」

「でも黄色の印象で明るい人と思われて

仕事が回ってくるかもしれませんよ。」

「あんた、なんとでも言うなあ。」


と彼はははと笑った。


「あんたさ、良い人だな。」


彼は背広を脱いだ。


「あのさ、俺、本当は人に頼まれて来たの。」

「頼まれて?」

しきみって人、知ってる?」


その名を聞いて黒高の背がぞくりとする。

黒高の顔色を見て彼は何かを悟ったようだ。


「あんまり良い知り合いじゃないみたいだな。

あの、樒さんとはムショで一緒だったのよ。

樒さんは先輩で俺はちょっとだけいたから下っ端扱いでさ、

俺が先に出て来たんだけど、

その時にクローズ・西村川と言う店に行けって言われたんだ。」

「樒さんはまだ出所前ですよね。」

「ああ、でももうすぐだよ、

それで樒さんが西村川には世話になったから

後で挨拶に行くから様子を見て来てくれって。」


男性は苦笑いをした。


「樒さんの知り合いだから

同じ人種かと思ったら全然違うからびっくりしたよ。

あんた普通の人だな。

俺さ、オレオレ詐欺の受け子やってたの。

何回も繰り返すから実刑喰らっちゃってさ。

最後にはやる前にばれたんだけど、そのばれ方が

身に合わない背広を着てうろうろしている男がいるって

警察に通報があって捕まったんだよ。」


男性はカウンターに置いてある背広を見た。


「ネクタイがおかしかったんだってさ。

それでさっきちゃんとした背広を着たら

どうして俺がダメだったか分かった気がした。」

「ダメだった……?」

「そう、あの背広は全部いい加減だったんだよ。

この背広はちゃんとしてた。

こう言う背広が着られるようにならないとダメなんだなって。

ネクタイってちゃんと結べるとカッコいいのな。」


黒高は背広に触れた。

ウール地のきっちりとした背広だ。

肩のラインがしっかりとしている。

一流の背広だ。


「だから俺は今日は背広は買わない。

騙して悪かったな。」


彼は言った。


「いえ、全然騙された気なんてしませんよ。

ここに来ていただいて何か感じたならそれで良いと思います。

それで、その……、」

「樒さんだろ?多分半年以内には出て来ると思う。

俺はここの様子を知らせに行く約束はしていたけど、

このままバックレるよ。

せっかくシャバに出て来たのに

いつまでも誰かの使い走りなんてまっぴらだ。」


彼は扉の近くに行った。


「あんたもさ、樒さんが嫌なら店の場所を変えるか

名前を変えるかした方が良いよ。

あの人、未だにいろんな所と繋がっているからね。」

「あ、ありがとうございます。」

「あんたが嫌な奴ならこの後樒さんに教えたよ。

でも止めだ。」


黒高は手元にある黄色のネクタイを彼にさっと渡した。


「もし金運がついたら服を買いに来てください。」


男性はにやりと笑った。


「練習するよ、ありがとうな。」


彼は店を出て行った。

黒高は彼を見送ると大きくため息をついて

カウンターの中の椅子に座った。


思わぬ客だった。

だが彼は重大な事を黒高に伝えた。


樒だ。


彼は黒高と白高がモデルをしていた時の関係者だ。

色々と世話をしてくれた男で、

緋莉とも面識があり面倒見の良い人物だ。


だがそれは表の顔だ。

黒高と白高のような若い者をうまく取り込み、

場合によっては暗い世界へと導いていた。

それをまだ若かった二人は分かっていなかった。

だが緋莉が死んだ後、

白高はその世界の住人となってしまった。


もし緋莉の遺産を白高に渡さなければ

そのような事にならなかったかもしれない。


黒高は今でもそれを時々考えている。

今更どうにもならない話なのは分かっていた。

そしてその樒は様々な事があからさまになり逮捕されていた。


その彼が出所するのだ。

そして自分の所に来ると言ったらしい。

それは決して良い話ではないだろう。


この店を見に来た男性は言った。

名前を変えるか移転するか。

そうしなければ安全ではないのだろう。


今日はバックヤードも表も妙に静かだ。


ショーウィンドウの外が薄暗くなる。

雨でも降りそうなのだろうか。

そこを何かの塊が通って行く。


黒高ははっとしてそれを見た。


人かと思ったがよく見るとまるで毛の塊のようだ。

それは一瞬店の前に止まるとじろりと中を見た。

黒高と目が合う。


彼の背筋が凍った。


物の怪なのだろうか、なにかの霊なのだろうか。

これは明らかに異変だ。

今まで見えなかったものが見えている。


彼はふっとバックヤードを見た。

薄緋うすあかい光が漏れていた。

今まで感じたことのないあかだ。

それはゆっくりと揺らめき、その濃さを変えた。

向こうで見えないものが漂っている感じだ。


彼は思わず立ち上がった。

だがその瞬間、その全てが消えていつもの店になった。


何かが起こるかもしれない。


黒高は足元がゆっくりと冷たくなった。






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