16 店 2



黒高はその店を買うと決めた。

それからは早かった。


不動産の営業マンに連れられて近くの商店街に行った。

そこの会長と話をする。

その不動産屋はその商店街の中にあったからだ。


会長はあの店を買うと聞くとかなり驚いていた。

そして訝し気に黒高を見る。

少し妙な気がしたが、営業マンがにこにこと話をすると

会長の表情が変わった。


「そうか、若いのに大変だったな。」


二人が何を話していたのかよく覚えていない。

だが黒高は商店街に受け入れられたのだ。

ただ会費は払わなくてはいけない。

それは当たり前の話だ。


そして後から聞いた話だが

あの店については色々と噂があったらしい。

それを会長が全て納めてくれたようだった。

もしかするとあの不動産屋の営業マンが

上手に話してくれたおかげかも知れないと黒高は思った。


そして商品はモデルの時の伝手を使い服を様々な所から仕入れた。

良いものはそろったが

だが何か商品の核となる物が欲しかった。

そして思い出したのは鶴丸だ。

彼はしばらくぶりに彼に電話をかけた。


『黒太か、元気にしていたか。』


最後に会った時より声には元気があった。


「鶴さん、ご無沙汰してごめん。」

『良いよ、お互いに色々あったからな。

それで今お前、何してるんだ。』

「あの、衣料品店を開こうと思って。シャツ中心の店。」


それを聞いた鶴丸が少し黙り込んだ。


「鶴さん、もしもし、」

『いや、すまん、びっくりしてな、

でもお前は前からシャツの店もやりたいと言っていたからな、

それを現実にするんだな。』

「そう、色々考えたけどやっぱり動かないと駄目だなと思って。」

『……そうだな、やっぱりお前は若い。偉いよ。』


黒高はため息をついた。


「若いと言うか生活があるからね。

それで実は鶴さんに相談があって電話したんだよ。」

『なんだ。』

「鶴さんのシャツを店に置きたいんだ。」

『俺のシャツ?』

「うん、鶴さんはオーダーしか受けないのを知っているけど、

僕の店に置いてコンセプトの中心にしたいんだ。

鶴さんのシャツはネームバリューがあって凄いから。」


それを聞いた鶴丸からの返事はしばらくなかった。


「もしもし、鶴さん、ダメかな?」


少し控えめに黒高が聞く。

すると向こうから鼻をすする音が聞こえた。


「鶴さん、どうした?」

『……いや、すまねぇ。』


涙声だ。


「……鶴さん、大丈夫?」

『ああ、実は俺、しばらく服を作ってないんだ。

やる気が出でなくてな。

それにここんとこずっとあいつの所にいたから。』

「まだ変わりはない?」

『ああ、あのまんまだ。』


鶴丸が大きくため息をついた。


『だが今お前が俺のシャツの事を言っただろ?

そうしたらなんか泣けてきてよ、

黒太がそう言うならお前のために

シャツを作らないといかんと思った。』

「鶴さん……、」

『お前が動き出したんなら俺も動かないと駄目だな。』

「そうだよ、鶴さん。」

『分かった。作るよ、ただ店に置くから既製服サイズだ。

しばらく勘が戻らんかもしれんがそれでも良いか。』

「全然良いよ。」

『でも俺の名前があるシャツだから真剣に作るぞ。』

「期待してるよ、ありがとう鶴さん。」


そして一拍開く。


『電話ありがとうな。

何枚か出来たら連絡するから一度お前の店を見せてくれ。

それで黒太、また服作りに来い。待ってるぞ。』

「うん、落ち着いたら行くよ。シャツ頼むね、鶴さん。」


鶴丸が作るシャツはえも言われぬ品の様なものがあった。

ぴしりと決まったシャツの襟などは実に美しい。

長年職人として鍛錬を重ねた結果だろう。

黒高はいつかは鶴丸のような服を作りたいとずっと思っていた。

そのシャツを自分の店で扱うのだ。

それに相応しい店を作らなければいけない。


しばらくした頃に鶴丸から連絡が来た。

そしてシャツを持って彼が来る事となった。

だが店の前に来た途端、両手に大きな紙袋を下げた

鶴丸の顔色が変わった。


「おい、黒太。」


鶴丸は低い声で言った。


「すまん、俺はこの店には入れん。」

「えっ、どうして。」


その頃には黒高は今まで住んでいたマンションを売り、

ここに引っ越していた。


「なんでも駄目だ。お前、何ともないか?」

「何ともって、もう住んでるよ。」

「まあ土地の相性ってあるとは思うが……、」


鶴丸はぶつぶつと呟いた。


「鶴さん、何かあるのか?」


少しばかり訝し気に黒高は聞いた。


「いや、すまん、もうここを買って住んでるんだよな。

まあこれはシャツだ。」


と鶴丸が黒高にシャツが入った紙袋を渡した。

沢山のシャツが入っているようで結構重い。


「これは俺からの開店祝いだ。」

「すごく沢山あるじゃないか、良いのか?」

「ああ、売れたらまた作る。でも次からは工賃貰うからな。」

「それは良いけど……、」

「すまん、俺は帰る。

でもお前は俺んとこに来いよ。」


と鶴丸はそそくさとそこを去ってしまった。

黒高はただぽかんとその姿を見るだけだった。


その後、黒高は鶴丸の所に服を作りに行ったが、

その時の事を彼に聞いても、


「俺はお前の店には行かねぇ。

でもお前が俺んとこに来るのは全然構わん。

シャツは卸してやる。それは取りに来い。」


と言うだけだった。

黒高には訳が分からなかった。


だがそれも店の開店準備に紛れてしまい、

無我夢中で毎日は過ぎて行った。


そしてクローズ・西村川は開店をする。

客もそれなりにあり順調だった。

長続きしないと噂も立ったが

低空飛行の経営状態だがそれなりに客足はある。

赤字にならなければいいのだ。

黒高はそう思っていた。




そして開店して2年程経った。


閉店間際、いわゆる黄昏時だ。

その時期は日が一番長い頃だ。


鮮やかな夕焼けが空を彩っていた。

店内も柔らかな色がついている。

そろそろ店を閉じようかと黒高が思った時だ。


バックヤードから何かがゆっくりと出て来た。

黒高は一瞬泥棒かとぎょっとする。


それは白い人影だ。

そしてそれは挨拶をするように片手を上げた。


「おー、黒、元気そうだな。」


黒高はぽかんと人影を見た。


「白……、」


それは白高だった。


白いスーツと白ネクタイ、髪の毛も真っ白だ。

以前は黒高と同じ黒髪だった。


だが今は全て白く、そして前に見た時は病的なほど痩せていたが、

健康でモデルをしていた頃の姿だ。

白高はすっと立ち黒高の目からも格好良く見えた。


白高はにやにやと笑いながら黒高を見た。

黒高はいまだにものも言わず立ち竦んでいる。


「おい、白、なに黙ってんだよ、オレだよオレ、

オレオレって言ってると何だかオレオレ詐欺みたいだな。」


と白高が笑うと黒高がいきなり彼に抱きついて来た。

その力は強い。


「おいおい、黒、苦しい、どうしたんだ。」

「白、どうしてここにいるんだ!」


怒ったような声だ。

だが黒高は泣いていた。

白高は驚いて黒高を見た。


「なに泣いてんだよ、お前。」

「泣くだろ、当たり前だろ。

それにどうしてここに……、」


言葉が続かなかった。

黒高は白高の肩に顔を伏せてしばらく泣いた。

白高は戸惑った顔をしていたが、

それでも黒高の背中を軽く叩いた。


しばらくすると黒高は白高から離れた。


「悪い……。」


黒高はバツの悪そうな顔をしている。

泣くだけ泣いて恥ずかしくなったのだろう。


「良いよ、なんかよく分からんけど。」

「すまん。

でもどうして白がここに……、」


だが黒高はいきなりぞっとした。

考えてみれば白高が自分の前に現れる事は絶対にないのだ。

しかし、今ここには白高がいる。

先程は自分は白高に抱きついたのだ。

白高には体があり温かみもあった。


「白、その……、」

「いやー、なんか仕事しろって言われたんだよ。」

「仕事?」


白高はぼりぼりと頭を掻いた。


「お前の双子の兄弟が店を開いているから

そこで契約を取って来いって言われた。」

「契約?」


さっぱり話が分からない。

その時だ。

扉のベルが軽く鳴る。


「西村川さん、いる?」


商店街の会長だ。この店を開く時に不動産屋の紹介で

少し離れているが商店街に所属したのだ。


「今度早朝掃除があるんだけど参加してくれるか?

区割りであんたが所属している組が当番だから。」

「構いませんよ、行きますよ。」

「それで最後にみんなに粗品を配るんだけど

配る役やってくれるか?」

「良いですよ。」


会長がほっとした顔をした。


「今時は若い人は参加したがらないから助かるよ、

それにあんたが来ると母ちゃん達の参加率が凄いからな。」


会長はははと笑いながら黒高の背中を叩いた。


「それで将五シャツって入ってる?」

「あ、ありますよ。」


将五シャツは鶴丸が作ったシャツだ。

黒高は会長に何枚かシャツを見せた。

そして彼は一枚それを選び買った。


「将五シャツはオーダーだと高いからな。

ここだとお値打ちだから助かるよ。」

「既製品サイズですから。

それが合うから会長さんはお腹も出てないしすごいですね。」

「いやー、苦労が多くてなあ。」


他愛もない世間話だ。

そして会長は帰って行く。

外はすっかり夜になり閉店時間だ。

黒高はシャッターを下ろした。


奥を見ると誰もいない。

会長が来店して話をした。それは現実だ。

白高がいたはずだが、あれは幻だったのだろうか。


だが白高がバックヤードから出て来た。


「誰だよ、あいつ。」


白高が言った。


「誰って、商店街の会長さんだよ。」

「なんか良い様に使われてんな。」

「こっちは新参者だからね、

でも所属していれば便宜を図ってくれるし、

それに色々と気を使ってくれるよ。」


黒高はふっと思い出す。

この店を開いた頃に立った良くない噂を。

あの店は続かない、呪われていると。

その噂も商店街の人達がうち消してくれたのだ。


「それでおっさんのシャツか。」


少し忌々し気に白高が言った。


「鶴さんが特別に卸してくれているんだよ。

それで結構信用が出来た。」

「ふーん。」


興味なさげに白高は返事をする。


「でもまあ相変わらず優等生だな。

オレならカイチョーさんの相手なんてめんどくせー。」


白高の言葉に黒高は少しカチンと来た。


「会長さんには世話になっているんだぞ、

それに優等生って僕は自分の店を持ったんだ、

ちゃんとやらないと店がつぶれる。」


黒高は腕組みをして白高を見た。

しばらく二人は黙ったままで睨み合っている。

だがどちらともなくくすくすと笑いが漏れた。


「相変わらずだな、黒。」

「白こそ、口が悪い。」


兄弟喧嘩はいつぶりだろうか。

長い間言い合った覚えがなかった。

口から出た言葉はお互いを煽るような言葉だ。

だがそれすら懐かしく二人は感じた。


今ここに白高がいるのは世の理に反している。


それは黒高にも分かった。

だが自分の分身がここにいるのは

忘れていたものがいきなり戻って来て、

自分の生活ががらりと変わった気がした。


懐かしいこの気配。


温かい母の胎内から黒高と白高は一緒にいたのだ。

記憶には残っていなくても体が覚えている。

相手がいて当たり前なのだ。

そしてそれが自然だったのだ。


黒高は無くなってしまった自分の半身を

見つけた気がした。


「ところで白、契約ってなに?」


白高が腕を組んで首を傾げた。


「よく分からんけどここに誰かが来るんだよ。

その人と話をして契約しろって。」

「何か買ってもらうのかな?」

「いや、閉じるか契約か、だって。」


白高がすっと右手の人差し指で黒高を指した。


「 閉じるかクローズ 契約するかクローズ 」


するとそこに一枚の紙が出て来た。

白高はそれを黒高に渡した。


「わたくしはあなたに契約する事をお勧めします。

わたくしも先程契約しました。

これは運命なのです。

さあ、わたくしと一緒に仕事をしましょう。

ご納得されたらサインをお願いします。」


彼の声の調子が変わり、白高の様子も変化した。

顔立ちはそのままだが、近寄りがたい何かがあった。


黒高は息を飲む。そして手元の書類を見た。

そこには何も書かれておらずただの白紙だ。


だが書類を持った途端黒高には全てが分かった。


この店を偶然見つけ、とんとん拍子で開店出来て、

そして何年かして白高が現れた。


それは偶然ではないのだ。

全てが目には見えないが書類に書かれている。

黒高と白高はそれをするためにこの場所に導かれたのだ。


白高がにやりと笑う。


「分かったか?」


黒高は頷く。


「分かった……。

僕達はここに来た人がどこに行ったらいいかを

教える案内人だ。」

「そうだ。」

「でもどうして僕達が?」


白高は両手を胸元で開いて首を振った。


「分かんね、ただ、オレは言われたよ。罪を償えって。」


黒高はぎくりとする。

ふと白高を呪う様に言った言葉を思い出した。


『死ねばいいのに』


黒高はあの言葉を今でも後悔していた。

あの言葉の後は白高にはもう会えなかったからだ。

自分にもその罪があるのでこうなったのだろうか。


「罪、って……、」

「まあ、オレはだよなーと思ったよ。

散々な事したからな。

でも黒はどうなんだろうな、お前は悪い事なんてしてないだろ。」

「……、」


黒高は返事が出来なかった。


「でも黒も契約しなきゃならんようだ。

それでなきゃ閉じるんだよ。」

「閉じるとどうなる?」

「然るべき場所に。」


と白高は指を下に向けた。

そして黒高にペンを差し出した。


「で、どうする。」

「契約したらお前と一緒に仕事出来るんだよな?」

「多分。」

「そうしたらもういなくならないよな?」

「……多分、」


黒高はそれを受け取るとさらさらと名前を書いた。


「白がいなくならないなら契約する。

もう二度とお前と別れたくない。」


白高はそれを聞くとはっとした顔をした。

そして小さな声で言った。


「……ありがとう。」


すると黒高が名前を書いた書類が

きらきらと輝きながら消えた。


「契約成立だ。また一緒に仕事出来るな。」


白高がにやりと笑う。


「そうだな、もう我儘言うなよ。」


黒高も笑いながら彼を見た。


「へいへい、黒高様。」


白高はふざけて黒高に向かって敬礼をした。

黒高は笑って彼の背中を叩いた。

しっかりとした感触がある。


黒高にはこの出来事が未だに信じられず

訳が分からなかった。


だがそれでも白高が戻って来た事が

黒高は本当にうれしかった。

それを考えるとこの不思議はどうでもよくなった。




白高が戻って来て数日した頃だ。


あの後白高はバックヤードに戻って行った。

そしてあれから姿を現さない。


黒高は不安になったが、

もしかするとあれは淋しい自分が見た幻だったのかもと

少しばかりがっかりしていた。


その時バックヤードに人の気配がする。


「白?」


黒高が振り向くとそこには派手な格好をした少女がいた。

大きな荷物を持っている。

それは洋服カバーで中に服が入っているらしい。


彼女はいわゆるヒップホップファッションだ。

上から下まで原色の派手な格好をしている。

キャップを被っており、ちらりと顔が見えた。


「ま、満知?」


黒高は驚いた。


「黒ち、配達だよ~。」


満知は荷物を店のカウンターに置いた。

それは何枚かの女性用の服だった。

黒高はぽかんと満知を見ると彼女は訝し気に黒高を見た。


「黒ち、配達だよ。受け取りにサインして。」


満知は17歳位の少女に見えた。

少し幼く見える。


「あ、ああ、」


黒高は彼女が差し出した領収書にサインをした。

それを満知が受け取り確かめる。


「あの、満知、どうして配達……。」

「え、仕事だよ。」


何でもないように彼女は言う。


「仕事って今日が初めてだよね?」

「そうだっけ?」

「バイト?」

「なんか倉庫から服を出してここに持って行けって

言われたんだよ。」

「女の子の服だよね。制服?」

「制服みたいだけどちょっと違うみたい、んじゃ、行くよ。」

「あ、待って、」


と黒高は彼女を引き留めたが、

満知はあっという間にバックヤードに姿を消した。


その時扉のべルが鳴る。


そこにいたのは母親と

だぶだぶのカーゴパンツをはいた高校生ぐらいの少女だった。






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